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何度か書き直してるうちにすっかり間が空いてしまいました。すみません(+_+)
花園に夕日が差し込む。父の名前が彫り込まれ、丁寧に磨きこまれた御影石の墓石はその光を柔らかく照り返している。向かい側のベンチに座ってその表面を見つめながら、そっと隣の気配を探る。
「…………」
長い話を所々はしょりつつ、話し終えた。隣で聞いていた小林檎宇は話の間からずっと黙り込んだままだ。
まあ、普通に考えてこんな荒唐無稽な話を一発で信じてもらえるなんて思ってはいない。ただ、これ以上彼に隠し事をしている気になれなかった。彼の事だから、たとえ私がおかしなことを言っていると思っても、言いふらしたりはしないだろう。
「…………」
それにしてもずっと黙ってるな……。やっぱり驚いたんだろうけど、少し沈黙が長すぎやしないだろうか?
「……檎宇?」
「…………」
そっと声をかけてみる。反応がない。まさか寝てるんじゃないだろうな? そう思って俯いた檎宇の顔を覗きこんで、後悔した。彼は怒っていた。何故だか分からないけれど、形の良い唇を盛大にへの字に曲げて、眉間に深々としわを寄せ、それはもう盛大に、むくれた顔をしていたのだ。
理由が全く見当もつかない。私の話の中にそんな怒るような要素あったか? 記憶を取り戻した話と、この世界の元のゲームの話と、それぞれの関係者のゲームでの相関関係をざっくり説明したうえで、ゲームの攻略キャラが碌なやつがいないから桃香とのフラグを折ってたって話をして……。ひょっとして碌でもない攻略キャラって言うのが駄目だったか?
「……あの……檎宇?」
「……真梨さん」
「はい!」
地を這うような声を出されて思わず背筋が伸びる。時々忘れそうになるけどそう言えばこの子は極道の家の息子なんだった。その気になればものすごく怖い。今まで忘れていられたのはその怖い部分を私に向かっては見せてこなかったからだ。
それがいまこうして私に向かってこの迫力、ということはやっぱり私に向かって怒っているんだろう。何がいけなかったんだろう……。そこまで考えてはっとする。
よくよく考えれば私のこれまでの行動は本来なら桃香と恋に落ちていただろう檎宇や他の皆のお邪魔虫以外の何物でもなくて、その上檎宇に道を誤らせた挙句に振って、更には勝手に自分だけ行方をくらまそうとしていたわけで……むしろ怒らせない要素がない!!?
気づいてしまった事実に頭から一気に血の気が引く。これは百年の恋も冷めるわ。っていうかむしろ私が檎宇をだまして自分に恋をするよう仕向けた上で振ったと取られてもおかしくないんじゃない?! これは鉄拳制裁の一つも覚悟するべきだろうか……。青褪めつつも檎宇の言葉を待っていたら、大きな節くれだった両手で頬を包まれた。ぐいっと仰向かされた先には迫力に満ちた綺麗な顔。美形は怒っても美形なんだなぁと変なところで感心してしまう。
「あのさ……」
「ひゃ、ひゃい…?」
不機嫌極まりないと言った顔が鼻先が触れ合いそうな距離まで迫ってくる。じりじりと逃げていたら限界まで背を反らす羽目になった、これ以上はもう無理という所で、やっと檎宇の動きが止まる。
「正直に答えて欲しいんだけど」
「な……にゃにひゃひら?」
背筋がぷるぷる震えるなか、眼前に迫った美貌にゴクリと喉が鳴る。恐る恐る聞き返したら、形の良い花びらのような唇が一瞬だけ悔しそうに噛みしめられたかと思うと、切れ長の瞳に射すくめられた。
「津南見柑治は、今のあんたにとってどういう存在?」
「………え?」
まったくの予想外の言葉に、身体から一気に力が抜ける。倒れないように踏んばっていた状態でそんなことになれば必然的に私の背はベンチに倒れ込むことになったし、そこに迫っていた檎宇は私に圧し掛かるような体勢になってしまったが、今はそれどころじゃない。
「津南見…先輩……?! 何で今津南見先輩の話なんて……」
「センパイは、ゲームの中での葛城真梨香は剣道部主将津南見柑治とヒロイン葛城桃香の恋のルートで登場する恋敵キャラで、その想いが募りすぎてヒロインを殺そうとするって言ったけど、じゃあ、今ここにいるあんたは? あの侍みたいな先輩のこと、どう思ってんの?」
鋭く心臓を抉るような眼差しは下手なごまかしや嘘など通じないと思わせる何かがあって、先ほどとは別の意味で喉の奥がゴクリと音を立てた。
ゲームの真梨香は津南見柑治に恋い焦がれていた。わざわざボーイッシュな格好をして、彼の特別を独占したがるほどに。そして、その恋路に立ちはだかった実の妹を手にかけようとするほどに。
けれど、私は……。
「……私は津南見先輩のことなんて何とも思っていないわ。……むしろ嫌いよ。あんな人」
ゲームをプレイしながらも嫌いだと思っていた。葛城真梨香の想いに気づかなかったくせに、真梨香になって距離を置いた途端、なぜかやたらと傍に現れて、いつも一番嫌なところを見られて、まるで当たり前みたいに手を差し伸べてくる無神経な男なんか、……大嫌いだ。
「…………そう」
ふっと上から圧し掛かっていた体重が消えて楽になる。身を起こせば、檎宇はベンチの元の位置で頭を掻きむしっていた。
「……檎宇?」
恐る恐る声をかける。切れ長の瞳が乱れた前髪の間からこちらをちらりと見て、すぐに逸らされた。更には盛大に溜息を吐かれる。何それ地味に傷つくんですけど。
「…………信じるよ。あんたの話」
「え? 本当に?!!」
「確かににわかには信じがたいけど、少なくともあんたが弟のこと知ってたり、あのときあいつのマンションの外に狙撃班がいたことを予言したのは紛れもない事実だ。……それに……」
「それに……?」
言葉を止めた檎宇に首をかしげて先を促すと、彼は立ち上がってお父さんの墓石の前に立った。長身の影が夕日でさらに伸びて墓石にかかる。
「あんたは大好きな親父さんの墓前で嘘を吐くような人じゃない。それだけは絶対だ。だから信じる。少なくともあんたは嘘は言ってないって」
振り返った檎宇は穏やかに笑っていて、さっきまでの怒りは何だったのだろうかと拍子抜けしてしまう。ともかく、一応話は信じてもらえたようだ。
「檎宇、……ありがとう。それで、これからのことなんだけど……」
「ちょっとまってセンパイ、誰か来る!」
檎宇の言葉に背筋がゾワリと冷える。この場所を私たち以外に訪れる人間なんて、学園内で迷子になった学生でなければ一人しかいない。咄嗟に檎宇の手を引いて植え込みの影に隠れた。
程なくして私たちが入ってきた裏木戸とは逆の方角から、足音が近づいてきた。
「……久しぶりね」
とろりと艶のある声音に、全身に震えが走る。そっと様子を窺えば、予想に違わぬ人物がお父さんのお墓に向かって膝をつくところだった。その手には大輪の薔薇の花束。瀟洒な着物を着こなした婦人が熔かしたシロップを煮詰めたような甘さを支えた微笑みで墓石に向かって語りかけていた。
烏森梅香、私と桃香の父、椿の実姉で、彼に妄信的な愛情を注いでいた人物。椿の死の原因となった私の事はもちろん、椿を自分から奪った葛城柚子のことも、心の底から憎んでいる。私達親子にとっては一生相いれないであろう相手だ。実際、こうして顔を見るのは父の通夜に彼女が乗り込んできたとき以来だから、10年ぶりだ。
50代半ばの筈だが、40手前にしか見えない美貌をもち、名門烏森家の長女として婿養子を迎え、一門の権力を全て取り仕切る、まさに女王の風格を持った人だ。企業グループの長として辣腕を振るい、この学園に於いても理事会の幹部として大きな権限を占めている。学園の非常勤講師で、理事会役員も務める鵜飼杏一郎の母親でもある。
「最近は本家の方が何かと忙しくて、中々会いに来られなかったのよ。ごめんなさいね、椿。本当はもっとずっとあなたの傍に居てあげたいのだけれど……」
煮詰めた砂糖のように甘いその声は絡みつくように一心に目の前の墓石に、その中に眠るであろう弟に向けられていた。ゲームの中でも亡き弟の思い出を語るときだけ、優しい姉の表情をのぞかせるこの女性が、敵と見定めた相手にはどれだけ冷たく、非道な振る舞いをするのかを私は知っている。一部はゲームで、そして一部は、実際に殺意のこもった眼で見つめられた経験によって。
もしこんなところに入り込んだのを見つかれば、大変なことになるだろう。それに私が変に目立って梅香伯母様に目を付けられれば、芋づる式に桃香の存在にも気づかれかねない。彼女に桃香を見せてはいけない。その一心で息を殺し、身をひそめる。一刻も早くこの場を立ち去りたいが、下手に動いて隠れていたことがばれては元も子もない。
「早く烏森など杏一郎に継がせてあなたとずっと過ごせるようになりたいわ……誰にも邪魔されないこの場所で……待っていてね。椿」
夫の存在も、子供の存在も、名家の名ですらまるで厄介なお荷物とでも言いたげな口調で墓石に語り掛ける様は異様で、こんな母親に育てられてよく杏一郎は性格が歪まなかったものだといっそ感心してしまう。今度会ったら、何かお菓子でも差し入れしてあげよう。
そう思いながら見ていると、表門があるとおぼしき方角から、当の杏一郎が姿を現した。
「母さん、やはり此処でしたか。父さんが探しています。再来週の役員会の事で相談したいことがあると……」
「杏一郎! 門の守衛に誰も通すなと言っておいたはずよ! そのようなくだらない事でわたしと椿の時間を邪魔しないで頂戴!」
「すみません、役員会に急遽お爺様のご参加が決まったとかで、婿養子の父さんだけでは細かい式次第を組めないとのことです。」
いつにもまして無表情に磨きのかかっている杏一郎はまるでサイボーグか何かのように事務的に、淡々とした口調で実の母親を宥めている。そんな息子にヒステリックな口調で当たる梅香伯母様にも、親子の情の様なものは感じられない。彼女にとって肉親と呼べるのは死んだ弟ただ一人だけなのだろうか。
「お父様が……そう、仕方ないわね。すぐ戻ります。杏一郎、お前も役員会には出席なさい。近々あなたにはわたしの持つ事業権限を引き継いでもらわなくてはならないのだから……」
母が子に財産を継がせる。普通に考えればそれは一種の愛情なのだろうけれど、なぜだろう彼女のその言葉は、しがらみや厄介ごとを押し付けて自分だけが自由の身になろうとしているように聞こえた。
伯母様と杏一郎の気配が完全に遠のいてしまったのを確認してから、植え込みからそっと顔を出して辺りを窺う。今のところ誰の気配も感じない。
「……いなくなったみたいね。ごめんなさい、いきなりこんなところに引っ張り込んで」
半ば引きずり込んで下敷きにして抑え込んでいた檎宇に謝りながら身を起こすと、なぜか真っ赤な顔で首を振られた。
「いや、俺の方こそ、じっとしてなきゃいけなさそうだったから言い出せなかったんだけど、ごめんなさい」
「なんで檎宇が謝るのよ?」
「や……言ったら怒りそうだから言わない」
何やら怪しい檎宇の態度に、にっこり笑ってそのネクタイを締め上げる。
「今なら怒らないかもしれないから言いなさい?」
「うわ~すでに怒ってる顔で言われて説得力皆無~! ……言っとくけど、不可抗力だからね。絶対にわざとじゃねーから」
「いいから早く言いなさい!!」
「さっき植え込みに倒れ込んだとき、センパイが上に圧し掛かってた所為で、俺の顔の前にセンパイの胸が当たってたんです!」
「!!!???」
結局、今後の対策については生徒会のメンバーとも話さないと解決策も浮かばないだろうということで、一旦生徒会室へ戻ることになった。
ちなみに、生徒会室に戻った小林檎宇の頬に、真っ赤な手形がくっきりとついていた件については、こめんとを差し控えさせていただいたし、篠谷も梧桐君も有り難い事に突っ込んでは来なかった。
もしかすると妙な誤解をされているかもしれないが、今日はもう、それを問いただす気力は無かった。