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「改めまして、あの夜はすみませんでした」


 二人きりになって開口一番、篠谷はそう言って頭を下げてきた。殴ったことを謝ろうと身構えていた私は先手を取られて少し拍子抜けしてしまう。


「運転手に止められて、あなたを追いかけることができませんでした。倒れられて倉田さんのお宅に運び込まれたと聞いてゾッとしました。もしこれが知り合いでもない男の前だったらと思うと……」


 けれど続く篠谷の言葉には思わず脳内で突っ込みを入れてしまった。いや、あの状況で本人に追いかけられたらそれこそ怖いだろ。謝るポイントそこじゃないから。


「……私は…殴ったことについては、謝るわ。咄嗟のこととはいえ加減もなしに……」

「それだけあなたは冷静でいられなかったという事でしょう。……あの時、『約束』と仰っていましたね」


 篠谷の言葉に自分の肩が跳ねるのが分かった。あの時、激昂していたとはいえ、余計な事をいっぱい言ってしまった。ただでさえ敏いこの男がそれを聞き逃しているはずがない。あの人の最期の言葉は、私だけが聞いたもので、桃香にもお母さんにも話したことは無かったのに………。


「あなたが妹さんを守ることに執着する理由にその『約束』が関わっているとしたら、随分なお話ではないですか? その『約束』にあなたは縛られ、自らを傷つける様な生き方を…」

「あの人を悪く言わないで!!」


 篠谷の言い方に思わず大きな声を上げてしまった。これではあの夜の繰り返しだ。冷静にならなければ。冷静に、話を打ち切って、もう篠谷には近づかない。桃香と篠谷が恋に落ちる可能性がもうないのなら、私はこれ以上彼に近付かない。これ以上、彼に踏み込ませない。これ以上……踏み込まれたら……。


「……これは私達姉妹の問題よ。篠谷君には関係ないわ」


 篠谷をまっすぐに見ることができなくて、机の端を見ながらできるだけ冷たい声を出す。


「関係なくはありません」

「関係ないわよ。桃香との繋がりがないのなら私はあなたには用が無いの。あなたの初恋をぶち壊しにしてしまったことは謝るけれど、もう私たち姉妹に関わらないで」


 攻略対象者が桃香以外にも恋をする可能性があるのなら、私なんかよりずっと素敵な相手と出会う事もできるだろう。そうすればきっと篠谷かれは……。


「……真梨香まりかさんの仰りたいことはそれだけですか?」

「ええ、生徒会の仕事がある間は仕方ないけれど、今後一切私に近付かな……」

「お断りします」


 食い気味に発せられた言葉に信じられない思いで顔を上げると、篠谷が眩しいほどの笑顔を向けてきた。この表情は知ってる。滅茶苦茶怒ってるときの最高潮の笑顔だ―――。過去に数々の言い争いをしてきたけれど、ここまで彼が怒っているのを見たのは数えるほどしかない。思わず一歩後ずさってしまう。


「あなたが僕に用が無くても僕にはあります。あなたもご存じのとおり、僕は粘着質でしつこく、蛇のように執念深い人間ですので、その程度の言葉で退けられるなんて思っていただいては困ります」

「な……?!」

「言ったでしょう? あなたを暴く、と。あなたを縛るものからあなたを解放する。これは単なる僕のエゴです。あなたが自分で自分を傷つけるような生き方を選ぶというなら、僕は力ずくで軌道修正するまでです。あなたを傷つけることは、たとえあなた自身でも僕が許しません」


 自分勝手すぎる主張に開いた口が塞がらない。さりげなく過去に私が言った悪口を織り交ぜてくるとか性格が悪いにも程がある。


「勝手だわ!! 私の生き方なんて私の決めることよ!?? 口出しをしないで!!」

「真梨香さんに口出しすることが僕の望んだ僕の生き方です。嫌だと仰るなら、全力で拒否して、自力で回避してください。それでも、僕はあなたが自らを傷つけようとするなら全力で止めに行きますけど」


 きっぱりと言い切られて、言葉を失う。そんな私を見て、篠谷が少しだけ自嘲気味に溜息をつく


「もう、様子がおかしいと気付いていながら動かずにいて後悔するのは御免です」


 その言葉に、今度こそ私は何も言えなくなる。篠谷も、私とは別の後悔を抱えている。救えなかった、救えるはずだった、救わなきゃいけなかった筈だった。掌から零れ落ちてしまった宝物は砕けて、元に戻ることは無い。

 けれど、篠谷は、そこから立ち上がって、次に進もうとしている。いつまでも壊れた宝物の前に蹲って動けない私とは大違いだ。悔しいような、羨ましいような、寂しいような、ごちゃ混ぜの気持ちが胸を掻き乱す。突き放そうとしているのは自分なのに、置いて行かれて途方に暮れる子供の様な焦燥感が湧き上がってきて、ぎゅっとブラウスの胸の辺りを掴む。


「僕はこれまで以上にあなたに干渉しますし、場合によってはあなたの邪魔をします。あなたがいくら自ら危地に立とうとしても、絶対にあなたを守りますのでそのおつもりで」

「頼んでないわよそんなこと」

「ええ、ですから僕のエゴですと申し上げました。あなたが僕の話を聞く気が無く、あなたが僕に話をする気もないのでしたら、僕もあなたの話を聞く必要はありません。僕は僕のためにあなたを勝手に守ります」


 篠谷の頑固な態度にどうしていいか分からなくなる。そんなことをしてもらう価値は自分にはないと言ってもこの様子では聞く耳は持ってくれないだろう。実際そう宣言してきている。このままでは本当に彼は私の為に自ら危険に飛び込んでしまいそうだ。


「そんな事を言って……私の傍に居たら死ぬかもしれないわよ?」


 最後の最後の手段とばかりに絞り出した言葉は、自分でも情けないほど震えていた。ゲームの中で真梨香と共に破滅した津南見、この世界で、私が殺してしまったあの人………。死なないまでも、私に関わって運命を狂わされた少女もいる。

 葛城真梨香は不吉だ、関われば不幸になると一部の女生徒に噂されているのも、あながち間違いと言えない。ゲームの中で桃香に向けられていた恨みや妬みがあの子に向かわないように立ち回った結果、私は多くのものを犠牲にしたし、恨みも買っている。篠谷がそんな私を庇おうとすれば、そんな負の感情の矛先が彼に向かわないとも限らない。


「それは物騒なお話ですね。……あなたの為になら、と思わないでもないですが、そんなことになればあなたを決定的に傷つけてしまうのは分かり切ってますからね。死んだりしませんよ」

「そんなのわかんないじゃない!! どんなに頑張っても、足掻いても、助けられなかった!! それどころか!! 私が!! 私の所為で……っ!!!」


 頑是ない子供のように喚いていたら、不意に泣きたくなってきた。あの人がいなくなってから、人前で泣くことは無くなっていた。唯一の例外は、津南見といる時だったけど、私的にはあれは何かの間違いだと思いたい。津南見と親友設定だったゲームの真梨香の、ほんの少しの心の欠片がそうさせた、気の迷いみたいなものだ。


「あなたの所為ではありません」


 いきなり声が近くでしたかと思うと、腕を引き寄せられて抱きしめられた。


「妹さんに伺いました。……交通事故、だったそうですね」


 その言葉にこらえていたものが溢れだした。篠谷のブレザーの肩がたちまちぼろぼろと零れる涙で染みになっていく。



 あの日学校が終わった後、帰宅を焦っていた私はいつもなら迎えに行くはずの桃香を迎えに行かず、そのまま帰ろうとした。置いて行かれたことに気づいた桃香が走って追いかけてくるのを、冷たく振りきろうとさえしたのだ。そうして慌てて私に追いすがろうとした桃香は足をもつれさせて転んだ。後ろから泣き叫ぶ声が聞こえて我に返った私は、信号が変わったことも気づかず、桃香の所へ戻ろうと、車道に飛び出した。

 激しいクラクションに立ちすくんだ時には目の前にトラックが迫ってきていて、横から激しく突き飛ばされた。地べたを転がりながら聞いたのは、ブレーキ音と、何かが激しくぶつかり合う音、悲鳴、怒号、擦り剥いた膝も、地面に打ち付けて痺れる手足もお構いなしに起き上って振り返った先に、数メートル先まで飛ばされて横たわる人影が見えた。

 ほとんど這いずるように駆け寄った私に、血まみれの顔で微笑みかけて、頭を撫でたその人は、泣きながら縋るしかできない私にこう言ったのだ。


「……泣いてはいけないよ……真梨香は…お姉ちゃんなんだから………」


 縋り付く胸の鼓動がどんどん小さくなっていく。二つだった心音がひとつだけになっていく。

 絶望と後悔だけが胸を押し潰し、世界から音も、色も、全てが消えうせた瞬間だった。



 父の死後、抜け殻の様な日々を過ごした。未来を知りながら父を救えなかった事実は、やがて来るであろう桃香との確執や、真梨香の破滅も避けられない運命だと思い知らされたようで、いっそ桃香までこの手にかける前に死んでしまえたらとさえ思っていた。

 父の親戚が、遺体を引き取りに来た時も、桃香の前から消えるためなら、私を殺したいほど憎んでいるであろう梅香伯母様に引き取られようともした。けれど、そんな私を泣いて引き留めたのは、他ならぬ桃香だった。小さな手でしがみつかれ、死んでも話すものかと痛いほど抱き締められた。


「おねえちゃんは…ももかのおねえちゃんなの!! ……ずっと…ずぅぅっと!! いっしょにいなきゃめっなの!!!」

「桃香の……お姉ちゃん…? 私…桃香と…一緒にいても……いいの…?」 

「当たり前でしょ! このお馬鹿!!」


 お母さんにも怒られながら抱きしめられた。お母さんは、私達娘のどちらも梅香伯母様に渡さないと啖呵を切って、追い返した。結局お父さんの遺体は烏森家に奪われるように引き取られ、葬儀には私たち親子は出席することさえ許されなかった。




「……私が…お母さんから愛する人を奪ったの…桃香から父親を………」

「ずっと…そうやって自分を責めて来たんですか……」

「桃香も、お母さんも……誰も私を叱ってくれないの……事故だった、どうにもできなかった、私が生きていてくれて嬉しい…………それが…苦しかった……」


 頭を撫でる手つきは、お世辞にもお父さんに似てるとは言い難い、ぎこちない動きだ。撫で方だけなら菅原先輩の方がプロ級のお父さん撫でができるだろう。それでもされるがままに篠谷に頭を撫でられている。彼のブレザーの肩はすっかり濡れてしまった。それでもまだ涙が止まる気配がない。熱っぽい瞼をそっと篠谷の肩口に伏せて押し付ける。頭を撫でているのと反対の手が背中に回るのを感じたけれど、振り払いはしなかった。


「真梨香さん……妹さんも、お母様も、本心からあなたの事を思っているんだと思いますよ」

「わかってる……わかってるの…だから余計に辛いの……」


 誰にも言えない。私が、父親の死という未来を知っていたこと。知っていて、未来を変えられなかったこと。葛城かつらぎ椿つばきというその人に、密かに恋をしていたこと。

 ゲームの中の葛城真梨香は恋をした相手を巻き込んで心中する道を選んだ。現実の葛城真梨香は、父親に片想いした挙句、彼を死の運命から救えなかった。母親から愛する夫を奪い、妹から恋人を奪う運命を、葛城真梨香が背負っているというなら……恋をしてはいけない。これ以上、大事な家族を不幸にはできない。


「篠谷君……お願いだから、私を救おうとしないで。………私の事……好きにならないで…」

「………」


 消え入りそうな声で懇願する。篠谷は私の言葉には答えず、ただ、抱きしめる腕に力を込めてきた。




 しばらく、というには大分時間が経って、梧桐君や加賀谷君、白木さん、錦木さんが戻ってきたとき、私は赤くなってしまった目元を見られないよう俯いて書類で顔を隠す羽目になっていたし、篠谷はブレザーを脱いでシャツにベスト姿で会長席に座って何食わぬ顔で書類にサインをしていた。

 書類の端からこっそりと様子を窺えば、梧桐君とバッチリ目が合った。すべてを分かっていると言わんばかりのにこやかビーバーに盛大な笑顔で頷かれ、私は再び書類に顔を沈めた。

 白木さんはちらちらと窺う様な視線をこちらに送ってきたり、篠谷に非難のまなざしを送ったりしていたが、錦木さんがそれとなく宥めていた。加賀谷はどうしていいか分からないらしく、仕事をしつつもときおり気遣うような視線を投げかけてきたが、応える余裕は今の私には無かった。

 感情が昂っていたからといって、言わなくていいことまでペラペラと吐露してしまった。落ち着いて自分の言動を振り返ると、いっそ書類も何もかも放り出して奇声を上げながら全力疾走で逃亡したい気分だが、差し迫った業務を目の前に、それができない自分は日本人の社畜精神が骨の髄にまで沁みこんでいるんだと思う。むしろ仕事に打ち込みでもしないと落ち着いていられないあたり、重症だ。



 結局その日はひたすら黙々と仕事を終わらせると、逃げるように生徒会室を後にした。流石にあんな事件の後で篠谷も送るとは言わない。この時間なら桃香も部活が終わる頃だろうけれど、泣いた跡が残る顔で一緒に帰るのも気が引ける。どうしようか、と迷いながら中庭の抜けていると、誰かが話す声が聞こえてきた。

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