49
梧桐君の言葉通り、私の自宅謹慎は実質3日で終了した。学内掲示板には私の処分は誤りであったと記された紙が貼り出されたが、元々の停学の理由も、誤りだったとする理由も一切伏せられ、緘口令が敷かれた教師は生徒の質問にも曖昧に言葉を濁すだけだった。
とはいえ、校長室前で学内の美形ツートップの殴り合いの大喧嘩は学内で知らないものはない大事件となっており、その理由に私が関わっていると思われるのは防ぎようがなかった。
「で? ほんとのところはどっちなのさ?」
あからさまな視線とひそひそ声に囲まれながら登校し、クラスに入ると、親友の柿崎由紀がニヤニヤと笑いながら問いかけてきた。昨晩もメールで梧桐君が話してくれたのとほぼ同じ、校長室前騒動のあらましを話してきて、篠谷と一之宮先輩のどっちが本命だったのかと聞かれたので、どっちも違うと返したはずなのに……。
「由紀……昨晩も言ったけれど、2人とはそれぞれちょっと行き違いがあって…噂になっているような関係ではないのよ?」
「行き違いねぇ……。とうとう会長も腹をくくったのかと思ったけどね……まだ先は長そうだなぁ」
「何の話よ」
由紀の言葉に半眼で返しつつ、暫くはこうやって追及される日々が続くのかと思うと、溜息が深くなるのを止められなかった。
放課後、生徒会室に移動する間も、視線とひそひそ声はついて回り、生徒会室に入って扉を閉めた時には思わずぐったりとドアにもたれかかってしまった。
「お疲れさま。大丈夫?」
「なんとかね…」
梧桐君が笑いながらポットからカップにお茶を注いで渡してくれる。カップを手に自分の席について、もう一人の話題の主がいないことに気づいた。
「会長は?」
「篠谷君なら、職員室に届け物。……正確には届けたものに会長印が押されてなくて、押しに行ったよ」
判子を押しに行っただけならすぐ戻るだろう。そう思って、書類の束をめくろうとして、もう一人、足りないことに気づいた。向かい側でパチパチとキーボードを打つ加賀谷を見る。
「ねえ、加賀谷君……」
「はい? なんでしょう?」
加賀谷は少し緊張した面持ちで顔を上げる。私はと言えば、疑問の答えを見つけてしまった気がして、それ以上問いかけることができなかった。
「いえ、何でもないわ」
「小林君、季節外れのインフルエンザらしいよ」
そんな私の心を見抜いたかのように口をはさんできたのはもちろん梧桐君だ。最近彼はビーバーではなくテレパス能力を持った宇宙生命体なんじゃないかという気がしてきた。
「インフルエンザ……って事は学校にも来ていないの? あの子、寮住まいの筈よね?」
「寮内で蔓延するといけないから、実家に帰ってるらしいよ。菅原先輩情報」
確かに学生寮でインフルエンザが出たら下手をすれば全滅しかねない。小林が病気療養を理由に一時帰宅するのは別におかしなことではない。問題は、帰省先の実家である。
「……菅原先輩、お見舞いとか行ったのかしら……?」
「それが、寮監用の名簿、何でか小林君のところだけ住所欄空白だったらしくて、かろうじて載ってた電話番号に電話してみたんだけど、『見舞いは結構です。課題などの連絡はメールでお願いします』ってメイドさんらしき人に言われたらしくて、結局住所教えてもらえなかったってさ」
そりゃまあそうなるだろう。小林の実家と言えば……普通一般人、この場合は上流階級のお坊ちゃまも含む、が立ち入るような場所じゃないからなぁ……。そんな事より、小林の休みの原因って、もしかしなくても、私の所為……だったりするんじゃ………。
私が小林を手酷い言葉で傷つけたのはほんの数日前。その日から小林は学校にも来ていないという事になる。インフルエンザ云々はおそらく嘘だろう。問題は実家に帰っちゃっているという事で、まさかとは思うが、私に振られたから自暴自棄になって実家を継ぐとか言い出したりしないだろうか……。いくら何でもそこまでは、とは思うんだけど、実家に帰っているというのが気にかかる。
「流石に住所は私も知らないしなぁ……」
いや、知ってたら何だって言うんだ、私。あんだけの事を言っておいて、私の方から近付いてどうする。ここは暫く小林と距離を置くためにもそっとしておいた方が……。小林だって、私が嫌な女だと思えたほうが、立ち直れるかもしれない。
「葛城はいるか?」
欝々とした思考をぶった切るように生徒会室のドアがバァンっと開け放たれ、現在学内の噂の的、代議会議長の一之宮石榴先輩が登場した。手には書類の束を持っているので、無駄話をしに来たわけではないらしい。とはいえ、代議会議長ともあろう人が自ら使い走りのような真似をすることには違和感がある。いつもの先輩なら、用事があるときは人を使って私を代議会室に呼びつけるのに。
特に今はご自慢の顔に絆創膏だのガーゼだのが貼られていて、その状態でここまで来たことにも驚く。一之宮先輩の性格からいって、面子とかを気にして極力出歩かなくなると思っていた。
「先輩、なぜここに?」
「ああ、お前の確認と印がいる書類があったから持ってきた」
「いえ、それは見ればわかりますけど……」
言外に込めた疑問が伝わったのか、一之宮先輩はなぜか晴れやかな笑顔で胸を張った。
「代議会も人手不足でな。こうして俺が自ら出向いてきたというわけだ。幸い、今日は急ぎの案件はないからな。ここで待たせてもらうぞ」
晴れやかというよりも明らかに浮かれている。篠谷との喧嘩以外でなにか先輩にとっていい事があったのだろうか……? 訝しく思いつつ書類を受け取って目を通し始めたのだけど……。
「………」
「……………」
「……先輩、そんなにじろじろと見つめられたら書類に集中できません」
「気にするな」
いや、どうあがいても気になるだろ。顔を伏せていても頭頂部に刺さるような視線を感じ続けているのだ。いっそ書類は後で届けるからって言って帰ってもらおうか……。そう言おうと思って顔を上げたのに、一之宮先輩の表情を見たら言えなくなってしまった。なんだろう、妙にキラキラとか、シャランラとか効果音ついてそうな目でこっちを見ているのだ。何? 私何かした??! 正直ちょっと怖いんだけど??!!!
「あの、せんぱ……」
「代議会議長ともあろう方が堂々とサボりですか? 嘆かわしいですね」
視線の眩しさに耐え切れず、帰ってもらおうと声を上げた時、いつの間に返ってきたのか、篠谷がポコリと丸めた書類で一之宮先輩の頭を叩きながら溜息をついて見せた。その顔にもガーゼと絆創膏が貼りついている。碧の双眸が一瞬こちらへと向けられ、あの夜の出来事を思い出させた。思わず身構えた私に何を言うでもなくふいっと目を逸らした篠谷はそのまま一之宮先輩相手に腕を組んで向かい合う。
「書類を届けに来られたのでしたら用はもうお済みでは? 処理が済めば誰かに届けさせますからお帰り頂いて大丈夫ですよ?」
「折角だからここで待たせてもらおうと思ってな。葛城の仕事をする姿を見ているのもなかなか悪くない」
「率直に言ってこちらの仕事の邪魔ですのでお引き取り下さい。代議会室で親衛隊の皆さんがお待ちなのでは?」
「いや、誰もいないぞ。主だったものがボイコットを宣言してきたからな」
一之宮先輩の言葉にその場が一気にざわめいた。当の本人は特に気にした風もなく、むしろすっきりとした顔で状況を説明してくる。
「俺が葛城のためにお前と争ったことやこうして顔に傷を負ったことで、俺には幻滅したんだそうだ。『一人の特待生の女ごときに振り回されて内部生筆頭の矜持を忘れてしまった男にこれ以上仕えてはいられません』だそうだ。まぁ、俺が葛城及び生徒会との繋がりをすっぱり切るか、薔子を代議会議長側近として正規採用しない限りは俺の仕事は今後手助けをしないそうだ」
一之宮がすっきりした顔をしている訳だ。親衛隊の解散を目論んでいたところに、本人たちがボイコットを宣言してきたのなら、渡りに船でそのまま親衛隊の解散に持ち込める。もちろん、今回のボイコットはその要求内容から見ても甜瓜先輩の取り巻きが彼女の立場を繋ぎ止めようと企てたことは明白だし、あの女子グループの中では、純粋に一之宮先輩を思っていても甜瓜先輩に逆らってまでボイコット不参加でいるのは難しいだろう。
甜瓜先輩も今回は随分悪手を打ったものだ。以前の、周囲の環境に胡坐をかいていた頃の一之宮先輩なら親衛隊の手伝いがなくなれば代議会運営に行き詰まっていたかもしれない。実際、ゲーム中で似たような手段で一之宮が困らせられ、桃香がそれを励ますというエピソードもあった。けれど今の先輩は……。
「薔子については親睦会の際の白樺と柳原の件で関わりを調べているところだが、それももうすぐ固まる。他のメンバーについても個別調査後、問題がなければ本人の希望次第で代議会の別部署へ配属になる。ボイコットなどしなくても俺の手伝いに駆り出されることは無くなるわけだ」
もう彼は親衛隊の助けなしに代議会を動かす手腕を持っている。親衛隊は代議会議長の黙認によって出入りを許されていた代議会との繋がりを自ら放棄した形になるのだ。その上、代議会議長と、私はともかく生徒会との協力体制に楔を入れようとするならそれは越権行為と取られても仕方がない。一之宮先輩としては、正式に親衛隊を切る口実ができたことになる。
感情的なわだかまりを解くのは時間がかかるだろうが、これで一之宮先輩は実質上親衛隊解散へ向けて踏み出したことになる。それでこんなにもすっきりとした顔をしているのだろう。
「誰もいないのではさぞ大変でしょう。早々にお帰りになられてはいかがです?」
笑顔は崩さないまま篠谷はさらにズバズバと言い募る。背後に『はよ帰れ』の文字が見える様な、見事な愛想笑いだ。対する一之宮先輩は気にする風もなく、こちらも余裕の笑顔で応じている。
「生憎今日は急ぎの案件がなくてな。葛城に渡した書類が片付くまでは次が進まない。ああ、いっそのこと葛城を代議会に出向させるというのはどうだ? 書類をめくって判を押すだけなら代議会室でもできるだろう? 俺も往復の手間が省ける。俺の多忙を案じてくれるならいい提案だと思うがな?」
「それこそご冗談を。代議会が暇でも生徒会は御覧の通り猫の手も借りたい有様でして。大事な生徒会副会長に抜けられては立ち行かないんです。その上誰かさんが彼女の集中を乱してくれるおかげでさらに進捗が遅れそうです。一分たりとも代議会にお貸しする時間などありません」
「ああ、お前相手では乱せぬ集中が俺相手には乱れるというのは中々いいな。篠谷お前意識されてないんじゃないか?」
一瞬、篠谷の額に青筋が浮かんだような気がした。室内の気温も体感で3度くらい急降下したような気がする。
「僕は不躾な視線で女性をじろじろと見つめ回すような真似は致しませんので。一之宮先輩は意識されることと気持ち悪がられることの区別をつけられた方がよろしいかと思いますよ?」
「葛城が気持ち悪がってるときの視線の冷たさはこんなもんじゃないぞ。もっと冷たく、地べたを這う虫けらを見る目つきをしてくるからな。ついでにこっちの対応次第では本で殴られる。痛いぞ~、あれは。なかなかに目の醒める一撃だ」
一之宮先輩、それドヤ顔でいう事じゃない。篠谷も何でそんなこと知ってるんだ羨ましいみたいな顔すんな! アンタも一回殴られてるだろ!! 本じゃなく拳で!! いっそこの場で二人とも殴り倒したら黙ってくれないだろうか……?
心の中で罵る声が当人たちに聞こえる筈もなく、睨み合いはエスカレートしていく。
「なるほど、彼女の一撃で目を醒まされたにしては肝心な頭の方が眠っていらっしゃるんじゃないですか? 評価がマイナスからフラットになったからって不用意に距離を詰めれば手痛いしっぺ返しを喰らいますよ?」
「なるほど、不用意に迫って振られた男の言葉はさすがに説得力があるな。その上未練がましく付きまとえば気持ち悪がられるのはお前の方じゃないか?」
やっぱり二人とも殴り倒そう。そう決意して席を立つのと、梧桐君がパァンと掌を打ち合わせるのが同時だった。生徒会を影で牛耳るにこやかビーバーは、見た目だけなら困り気味の下がり眉毛に柔和な笑みを浮かべて、渦中の二人に語り掛けた。
「会長、そろそろこちらへ来て急ぎの書類に目を通してください。葛城さんは席について、作業を続けて。……で、一之宮先輩、お暇でしたら申し訳ありませんがこの資料を隣の資料室のキャビネットにしまってきてくれませんか?」
この言葉には私と篠谷はおろか、一之宮先輩でさえも素直に従わざるを得なかった。先輩であり代議会議長をあごで使える生徒会庶務って一体………。
結局一之宮先輩は私の書類処理が終わるまで居座り続け、その間適当に梧桐君のお願いという名の指示のもと雑用をこなし、完了した書類を受け取って意気揚々と帰っていった。その間中意味深な視線を浴びせられ、篠谷と一之宮先輩はちょいちょい私をダシに当てこすりのし合いをし、ものすごく無駄に疲弊した。
「葛城、これからは正面から攻めさせてもらうぞ。覚悟をしておけ」
去り際に書類を差し出す手を掴まれ引き寄せられた耳元に囁かれた言葉の意味については、できれば考えたくない……。
「いやぁ、あの一之宮先輩が嫌な顔一つせず雑用をしてくれるなんて、本当に、変わったよねぇ…」
「あの一之宮先輩相手に笑って雑用押し付けられるようになった梧桐君程じゃないと思うわよ……」
1年の頃はもうちょっと気の弱さが前面に出ていたと思うんだけれど、どこでどうなってこうなったのやら……。書類に目を通す振りをしながら梧桐君の様子を窺う。特に変わった様子はないし、今の一件にしてももう終わった事としてすでに次の作業に没頭しているように見える。
「……(やっぱり、梧桐君がストーカーっていうのは無理があるわよねぇ……)」
実は吉嶺先輩の集めた資料を見ていた時にふと考えてしまったのが、もしストーカーが前世の記憶を思い出したのが今年の4月、桃香の入学のタイミングだとしたら、梧桐君にもその可能性があるんじゃないかという事だった。
梧桐君なら私と周囲の動向を間近で見て知ることができるし、私が篠谷と一之宮先輩のどっちを選ぶかみたいな質問もしてきたりと、こちらの気持ちを探るような態度もみられる。
けれど、梧桐君はあの旅行には同行してはいなかったし、あのブログにしたって、鍵をかけているとはいえ、吉嶺先輩に侵入され、中を見られる様なへまを梧桐君がするとは思い難い。
「……地道に探すしかないのかしら…………」
「何か探しものですか?」
「……急に後ろから声を掛けないでよ。……心臓に悪いわ」
いつの間にか篠谷が後ろに立っていた。手には処理済みの書類の束。仕事があるなら無視するわけにもいかない。普段の距離が近いとこういうときに不便だ。避けたくても避けられない。幸い、周りに人もいるからあの夜の事は蒸し返されたりはしないだろう……。
「…あの晩はすみませんでした」
そう思っていたところに思いっきり蒸し返されて私の頭が机に沈む。油断してたとかそう言う問題じゃないよね。私悪くないよね。
「……篠谷君、その話は此処ではちょっと……」
「でも、こういう場でもない限り、あなたは僕を避けるだろうと思いまして」
「今は仕事中で……」
助けを求めて梧桐君を見た。梧桐君は例のビーバースマイルを見せた。この分なら仕事を中断させる生徒会長を諌めてくれ………。
「加賀谷くん、この見積もり書、木田川先生に提出してきて。…ゆっくりでいいよ。白木さんと錦木さん、この資料図書館から借りてきたやつだから返却してきてくれる?重いから二人で手分けしてね。会長、僕お茶淹れてきますね。お茶菓子は何がいいですか?」
「冷蔵庫にチーズタルトがあった筈ですよ」
「わぁ、それはいいですね。それじゃあ失礼します」
あっという間に生徒会室に二人きりにされたんですけど?! 梧桐君の裏切り者―――!!