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「やぁ、思っていたよりも元気そうだね」


 職員会議に出頭した翌々日の夕方、梧桐あおぎり君が家に訪ねてきた。リビングでお茶を出す私に、いつもと変わらない笑顔でそう言ってくる表情からは、彼が今回の件をどこまで知っているのかは読み取れなかった。

 正直顔を合わせるのは気まずかったのだけれど、一昨日登校後すぐに職員会議に呼ばれてそのまま帰宅したので、学園内で今回の件がどう伝わっているのか知りたかった。桃香の話では私が職員会議の呼ばれて帰らされたあと、学内の掲示板に『右の者、学内規律を乱す行動を取ったため2週間の通学停止を申し渡す』と簡潔に記された紙が貼られただけで、事件そのものの詳細は先生方も口を閉ざしているらしく、臆測だけが飛び交っているそうだ。とはいえ、篠谷しのやの欠席のタイミングで私が呼ばれて処分されたのだから、全く無関係だと思っているものは殆どいないだろう。教師たちに緘口令が敷かれているのは、被害者が学園内でもトップクラスの名家の御曹司で、かつ、学園の顔ともいうべき生徒会長、その顔が文字通り暴行により酷い有様にされたなんて、面子を重んじる上流の方々からすれば伏せておきたいからだろう。

 内々に処理したい気持ちと、篠谷家という無視できない存在からの被害申告に、取りあえず加害者の処分を執り行い、詳細は伏せるという方法に出たのだと思うけれど、それでは逆に生徒たちの間に疑問と混乱を招くだけだろう……。


「梧桐君……ごめんなさい。忙しい時期にこんな……」

「そのことなんだけどね、君の通学停止、早晩覆ると思うよ」


 猫舌なのか、お茶をふうふうと冷ましながら梧桐君が言った言葉に私は首を傾げた。私の処分理由は、篠谷が殴られて怪我をし、加害者は私であるというシンプルな事実から下されたもので、篠谷が怪我をしていて、私が殴ったという動かぬ事実があって、目撃者もいる以上、その決定に異議を唱えることなんて……。そこまで考えてはっとした。異議を唱えることができるかはともかく、異議を唱えそうな人間がいた。


「梧桐君! 篠谷君は…?! まさか?!!」

「君の想像どおりだよ。今朝早くに校長室に乗り込んで、なんて言ったと思う?」


 梧桐君がニコニコと楽しそうに笑っているのが、悪い予感しかしない。気持ちを落ち着けたくて、そっと自分の分のマグカップに口をつける。ミルクティーの控えめな甘みが心を落ち着けてくれ…。


「篠谷君、『僕が葛城かつらぎさんに無理やり交際を迫って、抵抗されたのを運転手が勘違いしたんです。葛城さんは正当防衛です』って高らかに宣言しちゃったんだよね」


 飲みかけのお茶が盛大に飛び散った。一部気管に入ってごほごほとむせる私に、梧桐君がさらに追い打ちをかけるように笑いながら事のあらましを説明してきた。実はサディストなんじゃないの、この恵比寿ビーバー…。


「校長も教頭も真っ青でさ。この事が外部に漏れたらって泡を喰ってるところに、一之宮いちのみや先輩が乱入してきて、『葛城に何をした?!!』って篠谷君に殴りかかって、そのまま校長室前で取っ組み合い。栗山くりやま先生と鵜飼うかい先生が止めに入るまで互いに一歩も引かなくって、午後はずっと保健室で寝かされた状態で罵り合ってたよ。おかげで、学園中で『生徒会長と代議会議長が生徒会副会長を巡って決闘した』って新聞部が号外配って執行部が回収する騒ぎになってるよ」


 耳を塞ぎたくなるような大騒動に頭痛がしてきた。その場にいなくて良かったと思うべきか、いたらなんとしてでも止めたのにと悔やむべきか分からない。そもそも、篠谷は私に交際を迫ってなどいないし、私は私で逆切れの末の不当な暴力を振るったという自覚はあるので、今回の処分も甘んじて受ける気でいたというのに。


「………梧桐君、発案はあなたなの?」


 篠谷が校長達に抗議に来るのはともかく、タイミングよく一之宮先輩が乱入してきたことといい、わざと篠谷の嘘が広まるように仕組まれていることといい、誰かがこの茶番のシナリオを書いたに違いなくて、それはまさに目の前の少年ではないかと、いや、この少年しかいないと思った。


「理由もなしに葛城さんが篠谷君を殴るとは考えにくいけど、君も篠谷君も本当の事情を知られたくないのだったら、逆にスキャンダラスで、人が好みそうな修羅場、それでいていかにも高校生らしい範囲でって演出をすれば、大事にしたくない学園側と、人の醜聞がおやつの学内生徒たち両方が喰いつくだろうと思ってね。午後には篠谷君のご両親が来たけど、篠谷君の宣言内容やら、一之宮先輩との取っ組み合いのことを聞いて、お母さんの方はその場で倒れちゃったらしいよ」


 梧桐君…何故にそんなに楽しそうなの……? 私もうライフポイント限りなくゼロなんだけど……?! 自分のいない間にいつの間にか学園内で私が三角関係のメイン人物にされてる…。いやだ…もういっそこのまま2週間どころか永遠に自宅謹慎していたい…。


「……で、今日の放課後までに生徒たちの間で今回の騒動がどう噂になっているか、それとなく調べたんだけど、みんな篠谷君と一之宮先輩が殴り合いの喧嘩をしたって方が衝撃的過ぎて、君の停学の話が吹っ飛んでたみたいだよ。まあ、一部、君が停学になったのは、彼らのどちらか、あるいは両方と校内で不純異性交遊をしていて見つかったんじゃないかって話もあるけど」


 一之宮先輩が前に言っていた、醜聞はよりインパクトのある話題が出ればあっという間に忘れ去られるって言葉を思い出したけれど、それにしたってやりようってものが……。


「そもそも私が停学になったのは学園でも特に権力のある名家の御曹司を殴って怪我を負わせたのが理由なんだし、篠谷君が異議申し立てをしたと言っても怪我をさせた事実がある限りは……」

「篠谷君、君には抵抗されて揉みあいになっただけで、怪我はしてないって主張してるよ」

「いや、無理有るでしょ。血も出てたから口の中切ってると思うし、相当腫れて………」

「顔は腫れてるよ。一之宮先輩、結構本気で殴ってたから。学園の美形ツートップが痣とガーゼまみれの顔になるって滅多にないからね。保健室に様子を見に来た女の子が何人かショックで気絶してたよ」


 つまり、篠谷の顔の怪我を、本人と一之宮が取っ組み合いの大げんかで上書きしてすっとぼけているらしい。むしろ今私の頭の方が痛い。重傷だ。いくら上書きしたって言っても、篠谷の両親や運転手、それに校長と教頭は篠谷が一之宮先輩と喧嘩をする前の状態を見ている訳で………。そこまで考えて私は嫌な予感がして、梧桐君の顔を見た。


「梧桐君……まさか……まさかとは思うけど…」

「校長とか教頭って大変だよねぇ…。学内は生徒の自治を尊重するっていう理事会の理念のおかげで生徒が自分たちで勝手に回すし、教科担任の先生たちからは煙たがられてるし、学校運営も理事会と寄付金の多い一部の保護者には頭が上がらないし、相手次第で黒を白って言わなきゃいけないんだもんねぇ。……僕ならゴメンかな」


 それはもう、ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべているビーバーによく似た少年が悪魔に見えた。

 桜花学園で寄付金の額が最も多いのは言うまでもなく一之宮先輩の家だ。篠谷家も相当の額を寄付していると聞くが、一之宮先輩の家は桁が違うらしい。極端な話、一之宮いちのみや石榴ざくろが校舎を建て替えたいと言い出せば、あっさり実現してしまうレベルである。

 ゲームの中でも、一之宮が校内に専用の茶室を作ってしまうというエピソードがあった。プレイ当時はギャグとして受け止めていたけれど、現実世界だと笑えない。幸い、今のところ茶室イベントは起こりそうにないが、今回のこれは茶室以上に笑えない。

 権力をかさに来たバカ殿が、篠谷の怪我は全て俺がやったと言い張れば、しがない中間管理職の校長と教頭ならば、首を縦に振らざるを得なかったことだろう。昨年から事件続きの学園で、定年間近の校長はかなり頭の辺りが寂しくなったと言われているけれど、今回の件で本格的に毛髪に大ダメージを受けているんじゃないかと心配になった。


「まあ、君と篠谷君の間で揉め事が起こるのはいつもの事だし、今回はちょっとエスカレートしちゃったのを篠谷家使用人が誤解して大袈裟に騒いでしまった、っていう方向性で無理矢理まとめるんじゃないかな。どちらにせよ、これ以上君を登校させないと、いよいよもって校長の頭が荒野と化すからね」


 両脇から篠谷と一之宮先輩に挟まれて冷汗を拭っているであろう校長の姿が浮かんで、申し訳なくなった。そのうち良いカツラ屋さんでも紹介しよう。


「いくらなんでも脅すのはどうかと思うわ……。実際私が篠谷君を殴ったのは事実なんだし、処分は適正に……」

「生徒同士の喧嘩に親が出てきていきなり相手を処分させるのが適正だとは僕は思わないよ。君は篠谷君を殴ったかもしれないけど、くぬぎのことでさえ殴らなかった君が彼を殴ったのは、それだけの理由が篠谷君にあったからだ。それならば、ちゃんと君たち二人の間で解決するべきで、篠谷君のご両親は子供可愛さに暴走したモンスターペアレンツとしか僕には思えないよ」


 梧桐君のきっぱりとした言葉に気圧されて、ほとんど空のカップをテーブルに置く。確かに、発端はただの子供の喧嘩だ。篠谷のご両親、というか、多分母親の方だろう―は大袈裟に騒ぐべきじゃなかったかもしれない。その結果、品行方正だった筈の息子から不良行為をしたなどと宣言されてしまった。この件は後々まで篠谷と母親の間で溝になるかもしれない。彼女は息子可愛さのあまり手痛いしっぺ返しを食らったことになる。


「……篠谷君のお母様がやり過ぎだって言うなら、私なんかの擁護のために校長と教頭を脅した篠谷君と一之宮先輩は何なの…? それだっていくら何でもやり過ぎだわ」

「まあ、やり過ぎは認めるよ。正直、君は嫌がるだろうなとも思ったんだけどね。でも今回は、篠谷君と一之宮先輩、それに僕自身の都合で、君には学園復帰してもらわないといけなかったんだ」

「都合……?」

「そう、体育祭に向けて、生徒会と代議会が忙しくなるっていう時期にただでさえ人手が足りなくなってるのに、副会長を2週間も休ませるわけにいかないんだよね」


 わぁ、リアル~。梧桐君の言葉に身体中からドッと力が抜ける。まあね、致し方ない理由での欠席にせよ、一緒にお仕事している身にしてみれば迷惑には違いない。前世で仕事のパートナーがいきなりインフルエンザになった時を思い出すなぁ…。誰かちょっとずるしてもいいから助けてくれって思ったもんなぁ…。


「……わかったわ。ちゃんと復帰してお仕事します。でも、篠谷君と一之宮先輩にはひとこと言わせてもらうわよ。もう二度と、先生を脅す様な真似はしないようにって」

「………聞くかなぁ…」

「梧桐君、あなたもよ。私なんかのために過激な真似をするのはやめて」


 ことん、とカップがテーブルに置かれる音が響いた。私は既にカップを置いていたから、今カップをテーブルに置いたのは梧桐君だ。彼はいつもの彼らしくなく、ひどく真剣な顔で私を見つめていた。


「『なんか』って言わないでくれるなら、考えるよ。……考えるだけだけど。僕も君に会うまでは『自分なんか』って思ってた。君に会って、生徒会に入って、役員にまでなって、自分に自信が持てた。僕が、自分の事を『僕なんか』って思わなくなったのは君のおかげなのに、当の君がそんな風に自分を卑下しないで欲しいんだ」


 梧桐君の言葉に、小林の言葉が重なる。私に会ったからみんな自分が変わったという。それは良い変化だと。でも、私がしていたのは自分の妹の運命を都合のいいように変えることだ。その結果、桃香をいじめる筈だった恋敵を追い詰め、桃香に恋するはずだった男たちの気持ちを捻じ曲げた。私自身には彼らの好意を受け入れることなどできないのに………。


「ねえ、ひとつだけ、訊いてもいいかな?」


 梧桐君の言葉に、私はちょっと身構えた。最近この手の言葉を聞くたびに、どうして妹にそんなに拘るのかとか、妹の事ばかり見ないで自分を顧みろとか言われ続けているので、すっかり警戒するようになってしまった。できればそっとしておいてほしい。

 そんな私に梧桐君はにっこりと、いつものビーバーそっくりな笑顔でこう言った。


「篠谷君とは痴話喧嘩で、一之宮先輩横恋慕説と、一之宮先輩との関係を嫉妬した篠谷君に詰め寄られて、ひと悶着説、どっちがいい?」

「…………どっちもやだ」


 この時の私の顔は、多分、ひどく途方に暮れていたに違いない。

やだこのビーバー怖い!

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