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今回はちょっと短めです。
その日の放課後、生徒会室には篠谷会長と私の他に、顧問の木田川葡萄先生、入学したての1年にして生徒会会計に就任している加賀谷桑が集まっていた。
今日の仕事のメインは生徒会の残りの役員である書記候補者の指名である。
桜花学園では伝統的に高等部生徒会は2年生が会長になる。1年生の学年末に選挙で選ばれるのだ。3年生ではない理由は受験勉強への考慮などもあるが、生徒会よりも代議会が生徒の総意をまとめる最高機関として存在するためという事が大きな理由となっている。
代議会のうち、生徒議会は各クラスのクラス委員長を学年ごとにまとめ、最終的に3年生が全体をまとめる。部長会はメンバーがほぼ3年生で構成される。その為代議会は年功序列志向が強く、3年生の権限が強い。
生徒会長および生徒会役員が2年以下で構成されるのは3年生の独裁を抑制し、学校行事運営に下学年の意見を取り入れやすくするためだ。
ちなみに、去年の生徒会長と副会長はというと、生徒会長の方は現風紀委員長の菅原棗である。伝統という名の暗黙の了解的に、風紀委員長は2年時に生徒会長を務めた人物が代々就任している。代議会と生徒会との調停役および、取り締まりを行う上で、役員経験者である方がなにかと便利なことが多いらしい。
副会長だった現在3年生の五葉松亜紀先輩は監査委員長をしている。監査委員は独立機関なので生徒会行事などなどには殆ど関わらない。が、文字通り監査のための委員会なので、これも役員経験者の知識が買われる。
菅原棗ルートでのライバルキャラであり、アドバイザーでもある彼女は聡明で、私から見ても尊敬のできる先輩だ。
伝統だ、慣習だと言ってはいても、実力が伴わなければ生徒会などという雑用メインの激務はこなせない。3年生の手を借りることができるのも、さ来週の新入生歓迎パーティーまでだ。現在菅原先輩と五葉松先輩はそれぞれの委員会に出席している。本来の仕事を先に済ませてからこちらへ合流することになっているのだ。
新入生歓迎パーティーが終われば、取り締まりと監査に属する彼らとは一定の距離を置き、新メンバーと共に1年間生徒会を運営していかなくてはならない。その為にも書記の指名と執行部1年生の育成は急務だ。本来なら2年生以上は新入生歓迎パーティーの準備が大詰めになっており、その間に1年生役員が中心に新入生の執行部員候補と研修会を開いている時期だ。
…なんだけど。
「……」
沈黙が重い。
木田川先生がお茶でも淹れてこようと言って席を外して数分、生徒会室内はお通夜のように静まり返っていた。いや、むしろ最初から静まってたな。木田川先生は沈黙に耐えきれず逃げたのだろう。できることなら私も逃げたい。
けど、沈黙の原因がずっと視線をこちらに固定しているものだから嫌でも逃げられない。この状況で逃げたら粘着王子にブリザードスマイルで3日はぐちぐち責められる。
溜息をつきたい気分をこらえて、正面に座る加賀谷桑の様子を窺う。サラサラで一切癖のない黒髪をぱっつんのショートマッシュにしている。座っているから正確にはわからないが、プロフィール通りなら身長は160センチジャスト。私よりも低い。精巧に作られた人形のように顔のパーツ一つ一つが整っており、配置も完璧だ。成長途上の華奢な手足や体格もあって、美少女と間違えそうである。
そんな、美貌の少年から、ずっと、睨まれています。はい、今ここ。
無言で、唇を引き結んでじっとこちらを見つめてくる瞳にはお世辞にも好意的とは言えない感情が読み取れる。ほぼ初対面の少年からにらまれる心当たりはと言えば、あるにはあるので、どうしたものか…。
「桑、そろそろ会議を始めたいんですけど、いいですか?」
ちらっと見たら偶然目が合った篠谷が助け舟のつもりか、口火を切った。篠谷は中等部時代も生徒会長をしていて、加賀谷とは当時からの付き合いだ。ここはひとつ会長の手腕に頼ることにしようかな…。加賀谷の視線が私から逸れて篠谷の方へ向き直ったので、私はこっそり息を吐いた。
「篠谷先輩、会議の前に聞きたいことがあります」
尋ねながら私の方を再度チラ見していたので、どうあってもここで彼のわだかまりに触れないことには話が進まないと覚悟せざるを得なくなった。篠谷も察したのか、表情を引き締める。
「…それは、今日の急務である議題を差し置いてでも聞かなければならないことですか?」
「……はい。むしろ今日の議題にも大いに関係があると思います」
加賀谷の言葉で私は覚悟を決めた。加賀谷は篠谷から再びこちらに視線を戻してきた。幼さの残る大きな瞳は純粋ゆえに自分の中の正義に一途だ。それがどんな結末になるかも知らずに…。
「僕が生徒会会計に指名を受けたのは中等部での生徒会会長としての実績を買ってとのことですが、それならば、中等部で副会長であった胡桃澤嘉穂が書記に指名されるのが通例の筈です。なぜ彼女を指名せず、改めて書記を決める会議などを開いているのでしょうか?」
篠谷に聞きたいと言ったのに、私を見据えて質問を投げかけてくる。つまりはこの質問自体が私への挑戦状だ。
胡桃澤嘉穂はゲームでの役割は加賀谷ルートに於けるライバル役だ。小柄で儚げな容姿と小悪魔的なキャラで周囲を振り回し、話を掻き回す。加賀谷は胡桃澤の幼馴染で婚約者でもある。昔胡桃澤に痕の残るけがを負わせたとかで、ゲーム中では婚約者というより下僕かペットのような扱いを受けていたが、加賀谷はそれに反発することなく隷属していた。
加賀谷ルートは歪んだ依存関係から加賀谷を脱却させ、一人の男として成長させる物語が主軸となる。
今のところそんな物語は始まってないし、始めさせるつもりもないので、加賀谷は絶賛胡桃澤教信者状態なのだ。
胡桃澤嘉穂は幼くあどけない容姿とは裏腹に、自己中心的で、プライドが高い。加賀谷の目のあるところや一般生徒の前では優等生を演じてはいたが、生徒会副会長権限を乱用しての特別会議室などの学校施設の私的利用や書類偽装などの行為が明らかになった為、監査委員長を通して生徒会役員候補から外す決定がされたのだ。
表沙汰にしなかったのは監査委員と理事会の温情である。
「胡桃澤さんには指名しなかった理由を通達してあります。その上で彼女が生徒会で働くことを望むなら、執行部員として希望を出すようにとも伝えました。結局彼女は執行部員となる志望書を提出しなかったのですから、生徒会への不参加は彼女自身の意志であると判断するべきじゃないでしょうか?」
とりあえず、婉曲に答えてみる。
「嘉穂…胡桃澤は中等部でもずっと役員だったんですよ! それをいきなり平の執行部員に降格されるなんて、受け入れられるわけがない。中等部時代の彼女の実績を無に帰す行いです」
「理由の正当性については、生徒会顧問および監査委員長も確認済みです。なにより、理由や内容について彼女自身が不当であると申し立てをしていないのですから、部外者は口を慎むべきではありませんか?」
「部外者じゃない!嘉穂…胡桃澤が中等部生徒会で頑張っていたことは僕も篠谷先輩も見ています。あなたに何がわかるんですか?!! あなたこそ外部受験のくせにいきなり割り込んできた部外者じゃないか!!」
加賀谷が椅子を倒す勢いで立ち上がり、声を荒げる。クールビューティー設定の坊やでも幼馴染で婚約者の女の子を貶されるとそりゃ怒るわな。とはいえ私としても彼の言い分に頷くことはできない。
「外部受験組は高等部全体の3割を越えている以上、外部生も桜花の一員です。過剰に貶める発言は許しませんよ」
反論しようかと思っていたら篠谷に先を越された。私は特待生だが、私や桃香以外にも通常の外部受験で入学した生徒は多数いる。中等部までは学区などの問題で入学できず、高等部から寮に入って桜花に通うことになった生徒も多数いる。
そんな彼らと内部受験のエスカレーター組との間には多くの軋轢があり、これまでの代議会や生徒会でもたびたび問題にはなっていた。私が生徒会副会長に選ばれたのは、そんな外部生の支持が圧倒的だったこと、内部生の中立派が特に対抗馬のいなかった私を承認してくれたことによる。
加賀谷の発言は、生粋の内部生組の中でも特に選民思想が強い一派の考え方だ。生徒全体の事を考えなくてはいけない生徒会役員としてはそれではいけない。
篠谷の碧眼が眇められ、凍り付くような視線の刃となって加賀谷を貫く。加賀谷は気圧されたように一瞬押し黙ったが、それでも納得がいかないのか、今度は篠谷に向かって言葉を連ねる。
「部外者発言が不適切だったことは謝ります。けれど、胡桃澤が指名を外されたのは葛城副会長が裏で手を回したという噂もあるのは事実です。葛城先輩の副会長就任についても良くない噂があちこちで聞かれます」
「葛城さんが副会長になったのは選挙で正当に票を得たからですよ。当時の高等部生徒の過半数が彼女の就任を認めたからこそ彼女はここにいるんです」
「選挙を目前に副会長候補だった沢渡先輩がいなくなったからじゃないですか。それだって葛城先輩の仕業だって…!!」
「桑!!!」
篠谷が机をバンっと叩く。加賀谷がビクりと体を強張らせるが、その表情は全然引く気がないことを物語っている。このままじゃ埒があかない。
「……加賀谷君、要するに君は私への疑惑が晴れないことには一緒には働けない、ということね」
「葛城さん、それは…」
「篠谷会長、場合によっては、生徒会役員の指名を2名、やり直す羽目になるかもしれませんが、よろしいですか?」
止めようとする篠谷に意識して女狐笑顔を貼り付けて見せると、彼の顔が見事に苦虫をかみつぶした顔になる。
「…発言内容によっては選びなおされるのは副会長の方かもしれませんよ」
加賀谷は椅子に座り直し、挑戦的な目でこちらを見据えてきた。私はその視線を正面から受け止め、静かに見つめ返した。婚約者の少女の為にと必死な姿は純粋で好感が持てなくもない。けれど、その純粋さはあまりにも危うい。
「去年、生徒会書記を務めていた沢渡花梨さんは3学期の生徒会選挙を前に転校し、私は対抗馬不在の状態で副会長に推薦され、信任投票を得て副会長に就任した。…それで?加賀谷君はどんな噂を聞いたのかしら?」
「……沢渡先輩が転校してしまったのは、葛城先輩との不仲が原因で精神的な理由から体調を崩されたからだと…」
おそらく加賀谷は聞いた噂の中で一番やんわりした表現のものを口にしているのだろう。実際の噂では、私が沢渡花梨を罠にかけ、濡れ衣を着せて退学に追い込んだだとか、私にいじめられた沢渡花梨が自殺未遂を図る程追い詰められ、自ら学校を去っただとかいうものもあった。特に初等科から桜花学園に通っているようなお嬢様お坊ちゃま連中の間での噂が過激な内容であるらしい。
沢渡花梨。初等科から桜花学園に通い、容姿端麗、才色兼備の生粋のお嬢様だ。 ゲーム中では篠谷ルートのライバル役、生徒会副会長として登場する…はずだった。
「……事実よ」
「…え…?」
あっさりと疑いを肯定され、加賀谷が虚を突かれた顔をする。ぱっちりと大きな瞳をしているので、そんな表情をすると幼さが際立つ。私はつい口の端に笑みを浮かべてしまう。きっと相手からは悪女めいた女狐笑いに見えていることだろう。
「私が、沢渡花梨を追い詰めて、学園から追放したの。そうして彼女が立つべきだった地位を奪ったのよ」
今でも耳の奥にこびり付いて離れない、怨嗟の言葉。美しい少女が、憎しみに顔を歪めて、可憐な唇から放った言葉の刃はゲーム中では桃香に向かう筈のものだった。
そう。私は桃香を守るため、彼女をゲーム盤から排除することにしたのだ。
呆然と私を見つめ返す加賀谷。痛ましいものを見る、それでいてどこか悔しそうな表情の篠谷。今の私の表情は、彼らの目にどう見えているのだろう。
いっそ残酷で、禍々しい悪魔に見えていてくれたらいい。
次回からしばらく過去のお話になります。