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だいぶ間が空いてしまいましたすみません。

 小林と出かけた翌日の早朝、駅前のカフェ、指定の時間ちょうどに現れた吉嶺よしみね橘平きっぺいは私を見るとその秀麗な眉目を微かに歪ませた。


「…いきなりこんな朝早くに呼び出されて文句の一つでもと思ってきてみたら……その顔色はどうしたの? そんな死刑台を前にした囚人みたいな顔でデートの待ち合わせされたのなんて初めてだよ」

「そもそもデートじゃありませんけど」


 応える私のツッコミには自分でもいつものキレがないと感じる。

 今の私の気分はと言えば、溺れているときに掴む藁の代わりに有刺鉄線しかなかった水難事故者の気分だった。


 昨晩、ひたすら考え続けた結果、私以外に少なくとも一人は存在するはずの前世の記憶持ちの人間を探さなければならないという結論に達した。

 桃香の為とは言え、小林の運命を捻じ曲げて、本来恋するべきでない相手にフラグが立ってしまった…。どうしてこんなことになってしまったのか、相談しようにも、ゲームの事を知らない人間相手に話しても私の正気を疑われるだけだ。

 あのブログはストーカーっぽくて気持ちが悪いけれど、少なくとも私の現状を客観的に分析できているような気がする。そう思ってブログを書いていた人物を探すことにしたのだけれど……。

 今のところ、あのブログに関して調べるには目の前のこの男を頼る以外方法がないのだ。


「朝早くからすみません。……それで、電話でもお話したと思いますけど…」

「ストップ。話を聞く前に、俺の質問に答えてくれないかな? あの旅行中、君はあのブログに対して、気持ち悪がりつつも放置するというスタンスだった筈だ。何故急にあのブログの書き手を探し始めたのか、どうしてそんなに憔悴しているのか、協力するからには俺には事情を聞く権利があると思うけど?」


 思わぬ正論にぐっと答えに詰まる。ブログの犯人捜しは吉嶺個人にはなんの得もない。かといって馬鹿正直に説明するわけにもいかない。黙って俯いていると、長い指が顎を捉え、上を向かされた。てっきり弱っている顔を見て嘲笑でもされるのかと思ってムッとしながら顔を上げれば、なぜか本気で心配そうな表情の吉嶺に至近距離で覗きこまれていた。普段は嫌悪感が先に立っているので忘れていたが、吉嶺も顔だけ見ればゾクリとするほどの美形だ。間近で覗きこまれれば、その迫力に気圧されてしまう。


「な…なんですか?」

「血色が悪いね。貧血を起こしかけているのかな? 昨晩は? ちゃんと眠ったのかい?」


 実のところ、一睡もしてはいないが、正直にそれを言うのがはばかられる雰囲気だ。かと言って、その手を振りほどくのもためらわれた。どきりとしてしまった事を悟られたくなくて、わざと可愛くない返事を返すことにした


「……その質問も、協力の為の交換条件ですか?」

「俺が君を心配したらそんなにおかしいかい?」


 案の定、吉嶺が少しむっとしたように眉を顰める。

 けれど、吉嶺が私を心配するなんておかしいに決まっている。彼は私の事が嫌いだと公言している。彼の性格上、私が精神的に参っているのを見た場合、ここぞとばかりに面白がりこそすれ、本気で心配するなんてまさかそんなこと、あるわけがない。


「……先輩は…私の事がお嫌いなんですよね……?」

「唐突だね。……ここで俺が実は君の事が大好きで堪らないんだ、って言ったらどうするの?」

「冗談………ですよね……?」


 昨日の小林の事が頭に浮かんで、心臓が嫌な音を立てる。小林に続き、吉嶺まで私の気づかないうちにフラグが立ってしまっていたのだろうか……。無意識に握りしめた拳の中で、爪が掌に喰いこむ。

 顔色を無くしただろう私の顔をしばらく見つめていた吉嶺が、いつものようにぷっと吹き出すまで、私は呼吸すら忘れていた。


「もちろん、冗談だよ? 本当に今日はツッコミのキレが悪いね。やっぱり寝ていないんだろう? その顔に免じてブログ犯探し、協力するよ。ただし、ちょっとだけ俺のお遊びにも付き合ってもらうよ。それか、正直に君の抱えてる事情を洗いざらい話すか。…どうする?」


 前世だの乙女ゲームだのという話ができるわけもない私に選べる選択肢は一つしかなかった。



 二人で肩を並べて校門をくぐる。風紀委員の巡回中なのか、菅原先輩とすれ違ったが、愕然とした顔をしていた。道行く桜花生も同様に目を丸くし、あるいはひそひそと話し合っている。彼らの脳内でどんな想像が繰り広げられているのかと思うと、今すぐこの手を振りほどいて逃亡したい。

 そう、この、手。私は吉嶺の要望で彼のひじの辺りを掴まされているのだ。まるでパーティーでエスコートされているかのような状態だ。そのまま好奇の目に晒されながら、生徒会で緊急用にキープしている小会議室へと向かった。

 会議室に入り、人目もなくなったところでさっと吉嶺から距離を取る。そんな私を見て、吉嶺は苦笑いを浮かべた。


「つれないなぁ…。まあ、あまりベタベタするのも気持ちが悪いしね。…さて、今日の朝の生徒会ミーティングは出なくて大丈夫なのかい?」

梧桐あおぎり君に放課後にまとめて片付けるからと謝罪のメッセージを送っています。……十中八九怒られるでしょうけど」


 梧桐と聞いて吉嶺がああ、と何かを思い出したように笑う。


「優秀な子らしいね。生徒会役員じゃなかったらこっちに勧誘したいと石榴ざくろが言っていたよ」

「あげませんよ」

「本人もその意志はなさそうだしね。君が代議会に来たらついてくるかもしれないけど」


 それはないだろう。梧桐君は生徒会活動を楽しそうにこなしているし、他の役員や執行部員とも仲が良く、特に篠谷しのやとは信頼関係が厚いように見える。時々私を仲間はずれにして男子役員だけでひそひそやっている。女子には女子だけの世界があるように、彼等にも男子だけの世界があるのだろう。そういう時はここぞとばかりに香川さんや白木さんたちに構って貰うようにしている。拗ねてなんかない。


「…多分梧桐君は私より篠谷会長についていくと思いますよ。…それより、本題に入りませんか?」


 急かす様な私の言葉に、吉嶺はやれやれと外人じみたジェスチャーで肩を竦めると、鞄から小型のタブレットPCを取り出した。起動させ、いくつかの操作をしたあと、画面をこちらに向ける。見覚えのあるレイアウトのサイトに、依然と同じく写真画像が多数貼り付けられている。


「はい、これが例のブログの最新ページだよ。前のに加えていくつか追加があるね」


 吉嶺の言う通り、前回見た時には無かった写真とコメントが追加されている。写真は交流会旅行で小林とベランダで話していた時のもの。…最後の夜にホテルの部屋のドアに差し込まれていたものだ。それと、すこしぼやけているが、森の中で津南見におんぶされた時の写真があった。……いったいどこから見ていたのか…。写真には『肝試しイベント回収!』のコメントが添えられている。つまり、津南見達があの森で肝試しをしているから、写真を使って私をおびき出したということか…。目的はやっぱりイベントスチルまがいのシーンを画像でコレクションすることらしい。

 添付されたコメントを見る限り、その場の会話などは聞こえておらず、想像で補っている様子がうかがえる。

 そんなことを考えながらページをスクロールしていた私の手が最新記事で止まった。そこに載せられていたのは、公園で小林に抱きしめられている私の姿だった。かなり遠くからズームしているのか、画像は荒く、ピントも安定していない。この日付の写真はその1枚のみで、小林との待ち合わせや、菅原先輩と合流してからの場面はない。

 私は改めて写真を一番古いものまで遡って見直すことにした。カフェでの一之宮いちのみや撮影会の場面、学園で攻略対象者と遭遇した瞬間の一幕、津南見つなみに保健室に連行されているときのツーショット、津南見とシェリムの試合、津南見の前で泣いてしまった日、生徒会室のドアを開けた篠谷に驚かれているところ、新入生歓迎会で制服を着て登壇した時の姿、シェリムとの出会いイベント、校舎裏で白木さんや錦木さんがつがまなみと対峙した時に小林と一緒に割って入った時のシーンまである。


「このシーンはどういう状況? コメント欄は『女狐スマイル炸裂!』ってあるけど」


 逐一吉嶺が解説を求めてくるけど、詳細を答えられるはずもなく…。


「さぁ…何だったかしら…小林君をめぐっての痴情のもつれかもね」


 適当な返事をしておく。もちろん、吉嶺も本気にする様子はなく、肩を竦めて続きを促す。

 写真は4月の入学式の日付が一番古いものになっていた。桜の舞う中で小林と見つめ合っているように見える私。そして門の受付場所で桃香の胸のリボンを直す私の横顔。近い距離から撮られているが、入学式の門の前なんて、友達同士で写真の取り合いや自撮りの乱舞だ。真横で取られたのでもない限り気づきようがなかっただろう。


「……吉嶺先輩は、どう思いますか? この写真達」

「そうだねぇ…一番古いものが今年の4月からって言うことは、犯人は1年生かな?」


 その可能性はあるだろう。もう一つの可能性については私は心の中にしまい込む。

 それは、犯人は、今年の4月、桃香の桜花学園入学と共に前世の記憶が目覚めたのではないか、という可能性だ。私は6歳の時、桃香と篠谷の出会いエピソードを目にしたことで前世の記憶を取り戻した。犯人が、桃香の入学シーンを見てゲームの記憶を取り戻したのだとしたら、それ以前の、具体的に言えば去年の私や篠谷、一之宮達との間に起こった事件の数々が写真に撮られていないことの理屈が通る。

 桃香の入学によってこの世界が乙女ゲーム『花の鎖~桜花学園奇譚~』の世界だと思い出したとしたら、ゲームと今の現状に様々な差異が生じていることにさぞ驚いただろう。篠谷ルートのライバル沢渡は学園におらず、津南見ルートのライバルの真梨香わたしは津南見の傍におらず、容姿もゲームとは違っている。それで、あんな手紙を書いて寄越したのかもしれない。私がゲームの記憶を持っている人間かどうか試すために…。


「………吉嶺先輩、ご協力ありがとうございました。少し自分で考えてみます」

「こらこら、ここまで巻き込んでおいてそれはないだろう? 俺の情報収集力を頼りにしたからこそ呼び出したんじゃないのかな?」

「これ以上先輩に借りを作ると、登校時の羞恥プレイどころの負担ではすまなくなりそうなので」

「此処まできたら乗り掛かった舟だよ。昼休み、食堂においで。それまでには何かしら手がかりを掴んできてあげるよ」


 ……結局、吉嶺に押し切られるまま、昼休みの食堂に出向くと、持参したお弁当の他に、ほうれん草のお浸しの小鉢だの、ひじきの煮つけだの、鉄分ミネラルメインのおかずを奢られ、おまけにプルーンのソースのかかったプディングまで食べさせられた。


「残さず食べたね。いいことだ」

「食べきらないと調べてきた情報を渡さないと脅してきたのは誰ですか?」


 おかげで満腹過ぎて午後の授業中に眠気に襲われそうだ。どうしてくれる。


「きついようなら午後は保健室で横になっていればいいよ。少しくらい授業に出なくても君くらいなら成績を落としたりしないだろう?」

「そういうわけにはいきません。特待生の授業料は学園が支払ってくれているようなものですから。それより、ここまでさせたんですから何か情報があるんですよね?」


 私の言葉に吉嶺が真面目だなぁと苦笑しながら一枚の紙を差し出す。受け取って見ると、それは一之宮撮影会の場面だ。ブログに乗っていた物とは別の、一之宮が女生徒の一人とツーショットで写っているものだった。


「…あの、これが何か………あ。」


 一之宮の背後で、吉嶺からカメラを渡されている私が写っている。この写真は、ブログにあった私と吉嶺のツーショットを別の角度から撮ったものだ。そして、記憶にあるブログの写真では、あの時の撮影の角度は…。


「……見切れてる」

「そ、石榴の頭で見事に隠れちゃってるんだよね。カメラを構えてる指が少し写ってるけど、これじゃあ精々女の子かなってことぐらいしかわからない」


 携帯を構えて見切れている指は細く華奢で、確かの女子の指に見える。それでも、これでブログの犯人らしき人物に一歩近づいた。


「あの時の状況についてもうちょっと調べてあげるから、君は今日は生徒会が終わったら早めに帰って、今夜こそちゃんと寝るんだよ?」

「………吉嶺先輩、そんなに私が心配ですか?」

「もちろん。心配で心配で、目が離せないよ。君の事を嫌いな俺がこんなに心配してるんだから、早く元気になって欲しいな。張り合いがないからね」


 冗談めかした言葉に、なぜか今まで見たこともないようなやわらかな微笑みを向けられ、背後では遠巻きに見ていた女生徒の黄色い悲鳴が重なって、怒号のように響いた。私はと言えば、不覚にも可愛いなどと思ってしまったので、やっぱり寝不足が祟ってるんだと思う。

 食事と密談を終え、教室に戻った私は、柿崎かきざき由紀をはじめ、クラスメイトに質問攻めにされたが、ちょっと前世について調べてるなどと言うわけにもいかず、言葉を濁し続けた。



 放課後、重い足取りで生徒会室に向かう。梧桐君、怒ってるだろうなぁ…朝のお勤めサボっちゃったわけだし…。恐々と生徒会室のドアに向かって進んでいたら、その少し手前の給湯室のドアが開いて、腕を掴まれたかと思うとものすごい力で引っ張り込まれた。


 給湯室は生徒会が仕事の合間に飲むお茶やコーヒーを用意する為のスペースだが、お金持ち学校だけあって結構な大きさのシステムキッチンが据え付けられている。戸棚と冷蔵庫も完備され、役員や執行部員の他、顧問の先生までがおやつを持ち込んで保管しているのだ。

 普段の授業時間帯は鍵がかけられ、放課後、生徒会が活動を始める時間に会長か顧問の先生が鍵を開けることになっている。しかし室内にいたのは生徒会長でも、顧問の木田川先生でもなかった。


「……どういうこと?」


 シンクを背に追い詰められた私を、小林こばやし檎宇ごうが見下ろしてくる。声には苛立ちがありありと籠り、切れ長の瞳は怒りに燃えている。逃げようにも、小林が両手で囲うようにシンクの縁を掴んでいるため、逃げ場がない。

 俗にいう壁ドン状態だ。いや、この場合はシンクドン…? 流しドン?? キッチンドン???

 アホな現実逃避をしていたら、小林が更に身を乗り出してきた。思わず後退って、背後のシンクに乗り上げそうになる。


「ちょ…小林君……近い、ちか…」

「昨日は檎宇って呼んでくれたのに、もう呼んでくれねーの?」


 耳元で吐息交じりに囁かれ、ゾクリと肌が粟立つ。ぴったりと身を寄せてくるのを押し返そうと引き締まった胸板に手を突っ張れば、その手を掴まれ、昨日と同じように指先をぺろりと舐められた。思わぬ攻撃に頭が沸騰しそうになる。


「ちょ! 今日はミルクティーも零れてないでしょ!!?」

「うん、ミルクティーの味はしない。でもセンパイの指、甘い気がする」


 そんな筈があってたまるか。人の指を飴細工か何かのようにいうんじゃない。人間の肌は汗でしょっぱくはなっても甘くはならない。力任せに振りほどいて手を引っ込めると、今度こそ密着せんばかりに身を寄せられた。思わずのけぞる。背筋がぷるぷるしそうだ。


「センパイのことだから、あのロンゲ先輩に何か弱みでも握られたのかと思ってたけど、違うっぽいし、昨日の俺の話が関係あるんだよね? やっぱり俺なんかに付きまとわれたら迷惑だった?」

「違うわ。迷惑なんかじゃないけど……」

「けど…?」


 小林に懐かれるのは嫌じゃない。家の事とか関係なしに、後輩としては可愛いとさえ思っている。けれど、それでも、小林の気持ちが後輩としてのそれ以上であるなら、受け入れることはできない。


「小林君の事は…後輩として、いい子だと思ってはいるけど……それは…」

「恋じゃぁ、ない?」


 寂しげな声に絆されまいと唇を噛みしめ、頷く。桃香との間に恋愛フラグさえ立てなければ、小林個人には幸せになって欲しいと思う。けれど……その相手は葛城真梨香わたしだけは、駄目なのだ。


「小林君には……私よりきっと」

「センパイ以外の女なんていらないって言っても?!」


 私の言葉を遮るように小林が叫ぶ。その表情を見るのが怖くて、俯いた。濃い臙脂色のネクタイが目に入って、そっと目も閉じる。視界を埋める濃い赤の光景が目の裏に蘇る。たった一つの約束も。


「私は……葛城かつらぎ真梨香まりかなのよ…」

「知ってるよ?」


 唐突な私の呟きに小林が戸惑ったような声で返してくる。そっとのけぞっていた体を起こし、正面に立ちはだかる身体を押し返せば、小林は意外にもあっさりと離れた。目を開け、顔を上げれば、心配そうな、困惑してるような表情で、彼が自分の感情よりも私への心配を優先してくれているのがわかる。そんな優しい彼に、私は限りなく自己中心的で、酷い事を言おうとしている。小林に見限られるのはきっと辛くて寂しい。でも、見限って貰わなければならない。彼の為にも。


「葛城真梨香は、恋なんてしないの。…私のなりたい真梨香わたしでいるためには、恋なんて邪魔でしかないの。私の言葉で変われたって、恩を感じてくれているなら、真梨香わたしの邪魔はしないで頂戴」


 口角を上げて、狐っぽく笑ってみせる。冷たく、突き放した微笑みを意識して浮かべる。案の定、小林の顔がさっと青褪めた。自分を変えたきっかけになったらしい私の言葉の言葉尻を捉えて拒絶されたのだ。きっとすごく傷つけた。申し訳なさに痛む胸の内を隠して更に深く笑んでみせる。


「それが……センパイの返事?」

「ええ」

「本心…なの?」

「そうよ」


 震える声で問われ、言葉少なに返す。少しずつ、小林が後退って、ドアのところまで行くと、踵を返して給湯室を出ていった。走り去る足音が遠ざかって、緊張の糸が切れたのか、私はその場に座り込んだ。


「………ごめん……なさい…………」


 消え入りそうな声と共に、ポロリと落ちた水滴が床に小さな丸を描いた。 



 数分経って、生徒会室に行くと、梧桐君から、小林が執行部の仕事を休むと言って寮に帰ったと告げられた。今朝の事については極めてあっさりとした小言を言われただけで終わった。正直拍子抜けだったが、お説教の時間も惜しいほど仕事がひっ迫していたのもあったのだろう。


「代議会の人と仲良くするのはいいけど、生徒会の仕事を疎かにはしないでね? はい、これ今日中に終わらせないと駄目な奴だから」


 デスクに積み上げられた副会長の確認必須の書類の山に、私は溜息をついて、仕事にとりかかったのだった。


 この時、私は小林の事や今朝のことで少なからず動揺を引き摺っていたようだ。いつもなら誰よりも確実に、しつこいくらいに問い詰めて詰問してくるであろう存在が、沈黙を保っていたことに、ついぞ気づかずにいた。

 閉門ギリギリまで仕事に追われ、クタクタの私は、校門を出たところで、いつものように声をかけてきた彼によって、車の中に押し込まれ、人生何度目かの拉致気分を味わう羽目になったのだった。

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