42
「………」
左右をいかつい男に囲まれて乗る高級車の乗り心地はと聞かれたら今度から自信をもって最悪と答えることにしよう。……今のところそんな質問をされる予定はないが。
ショッピングモールを出た車は思っていたよりも安全運転で国道を走っている。不思議な事に私も榛くんも手足などは特に縛られたり拘束されることなく後部座席に座らされていた。もちろん鞄は取り上げられているので携帯その他諸々は取り出すこともできないのだけれど。
映画やドラマでは隙を突いて車外に飛び出すなんていうのを見るけれど、現実にそれをしたら私だけでなく榛くんが怪我をする可能性が高いので得策ではない。今のところ、危害を加えられそうな雰囲気ではなく、黒服の男たちの対応は丁寧で、物腰は低くさえある。
「……どこへ向かってるんですか?」
「…すみませんもうすぐ着きますので……」
尋ねているのは時間ではなくて場所なんだけど…。それ以上は喋るつもりはないのか、黒服は全員黙ってしまった。仕方なく、傍らの榛くんの頭を撫でて気を落ち着かせる。榛くんはこんな状況にもかかわらず、泣き叫ぶこともなく、こちらを見上げてくる。
「まりねえちゃ…おけがだいじょぶ?」
「…大したことは無いわ。……湿布も貰ったし…」
そう、この誘拐犯は私たちを縛ったりしないどころか怪我の手当てまでしてくれている。どうにもこうにも、金銭目当てとか、怨恨めいたものを感じなくて、調子が狂う。湿布を貼った足首をさすりながら、今後どうするかを思案する。転んだ拍子に靴は脱げてしまったのか片方無くなってしまった。この先で降ろされる場所が砂利道などではないことを祈りたい。
取り上げられた鞄には携帯が入っているが、車が出てすぐに盛大に着信が鳴っていたので電源を切られてしまった。…どうにかして隙を見て鞄を取り戻すことができれば……。
そんなことを考えているうちに、車は高層マンションとおぼしき建物の駐車場へと入っていった。駐車場に入るにも厳重なゲートがあり、並ぶ車は高級車揃い。よく考えたら今乗せられている車も内装からして高級外車の類だ。金銭目当ての誘拐と言うわけではないのか……?
「…着きました。申し訳ありませんが、大人しくついてきてください。建物自体は防音ですし、今の時間は他の住人も留守が多いので、騒いでも無駄です」
「………」
言われなくとも両サイドがっちり挟まれて、榛くんとの距離も空けられた状態では抵抗する方が危険である。エントランスを抜け、エレベーターで連れて行かれたのはまさかの最上階。しかも見たところワンフロアで1世帯らしい。エレベーターを降りてすぐに玄関へと続くドアがあり、その奥のリビングへと案内された。
そこにはソファの前でそわそわと落ち着きなくうろうろする長身の男性が待っていた。高級そうなスーツに身を包み、柔らかそうなヘーゼルナッツのような色の髪がふわふわと揺れている。目じりも眉もおっとりと垂れ下がった顔は気の弱そうな顔立ちをさらに強調し、私達が部屋に入ってきたことにビクリと肩を震わせた。
「旦那様、榛さまをお連れいたしました」
黒服の声にこちらを振り返った男性を見て、榛くんが目を見開いて叫んだ。
「パパ?!!」
……とてとてと駆け寄る榛くんを涙目で抱き止める男性。前後の状況を無視すれば感動的な光景に、私は半眼で隣に立つ黒服を睨んで説明を促した。
「……こちらは黒樫誠様といいまして、菅原榛様の実のお父上です。…その…榛様の母上である菅原菜種様の元ご夫君です」
「………つまり…離婚後会わせてもらえないでいた榛くんのパパさんが、榛くんに会いたい一心で、この誘拐を企てたと……?」
「……申し訳ございません………」
深々と頭を下げられて、頭痛がしてきた。いくら奥さんが子供と合わせないように画策してきたからって、自分の子供を誘拐する父親がどこにいるというのか。いや、此処にいたわ。榛くんを抱きしめて頬ずりする様は子煩悩な優しい父親にしか見えないが、問題はそこじゃない。
「はぁ…とりあえず携帯を返してください。菅原先輩に連絡を取らないと」
「えぇ?! な、棗君に知られたらまた榛と引き離されてしまう!!」
黒樫さんが青褪めて榛くんをぎゅっと抱きしめる。
「…そりゃ、今日の事は怒られるでしょうし、場合によっては先輩のご家族も交えて揉めると思いますけど、菅原先輩なら相談すれば今後榛くんと会う機会を融通してくれると思いますよ」
「棗君が?!」
心底意外そうな顔をされてこっちが驚く。お姉さんの目を盗んで榛くんを遊ばせようとする菅原先輩なら、ちゃんと相談すれば黒樫さんと榛くんが会えるよう協力してくれるだろうに。
「無理だよ! 棗君は見ての通り非情なエリートで、菅原家を乗っ取るべくご当主に取り入って会社の事も牛耳り始めているって…」
「……それ、奥さ…元奥さんの言葉ですよね…鵜呑みにするんですか?」
「ぼ、僕も少し変だなとは思ったんだよ。でも棗君が菅原の経営に携わり始めてるっていうのは事実だし、菜種に隠れて榛と遊んだりしているのはいざというとき菜種に対して人質にするのかと…」
「あの人の良い先輩がそんなことするわけ……今なんて?」
おどおどと言い募る黒樫さんの言葉に気になった事があって口をはさむ。
「え? ああ…棗君が榛を人質に…」
「するわけないし! その前です!! 先輩が菅原の経営に携わってるって……」
「業界では有名な話だよ。 パーティーの席で菅原のご当主が彼を同行させて顔つなぎも進めているし、重役会の会食にも同席させている」
そんなことしてたのか…菅原先輩……。先輩に限らず、篠谷や一之宮先輩も、今の年齢から父親が経営する企業の業務に多少なりとも関わったりしていると噂には聞いていたが、それでは菜種さんとやらが危機感を抱くのも頷ける。先輩のお父さんの可愛がりようを見ていたら、妾の子を後継ぎに推しているように見えるだろうし、出戻りである菜種さんは自分の立場を危ぶんでいるのかもしれない。
「……黒樫さん、菅原先輩がおうちを継ぐか継がないかは先輩の決めることだし、私には分かりませんけど、先輩は、子どもに会いたがっているお父さんを無碍に扱う人じゃないです。それだけは断言できます」
「けど……彼は………」
「顔だけ見たらクールビューティーですけど、あれで後輩からは結構おちょくられてますし、人情味あるいじられキャラですよ。…もちろん、仕事もできるし尊敬もしてますけど」
まだ信じられないという顔をする黒樫さん。どんだけ菜種さんからあることないこと吹き込まれているのか…。菜種さん自身も本気でそう信じ込んでいるというのがまた問題なのかもしれない。
「……本当だろうか…? 榛に会うのを許してくれるだろうか………菜種には内緒で…」
「そもそも今日榛くんと遊んでいるのも菜種さんには内緒らしいので、普通に相談していれば普通に仲間に入れてくれたと思いますよ」
うるうると期待に満ちた涙目で見上げられたが、正直いい歳のおじさんがそんな表情しても可愛くはない。それよりも、早い所このおじさんを説得して先輩に連絡をさせないと……。
いやな予感がしてたまらない。先輩だけならまだ大事にはならないかもしれないんだけれど、今回の現場には、厄介なツテを持った奴がいるのだ…。いや、でも他の子の目もあるし…そんな自分からばらす様な真似は………。
祈るような気持ちで目の前の泣きそうなおじさんを説得する算段を練っていると、リビングのドアが開いて慌てた様子の黒服が飛び込んできた。
「旦那様!! 大変です!! ならず者がエントランスに!!」
「何だって?!」
「慶堂会東部連合、姫林檎郎会長のご子息の関係者がここにいるだろうから出せと騒いでいます!!」
……考えうる最悪のパターンに、頭痛がひどくなった気がする。これなら普通に警察に通報してくれていた方がマシだった。黒樫さんはますます榛君に会えなくなるだろうけど。
「姫林って…あの……?! そんなところの若君の関係者って……」
まあ、確実に私という事になるんだけど、現時点で私は小林から家庭の事情のカミングアウトを受けていないので、名乗り出るわけにもいかない。しかもどうやら伝言ゲーム的に情報が不正確に回ってしまった所為か、小林の実家の怖いお兄さんたちは黒樫さんをと言うより、私を掴まえに来ている気がしてならない。小林はいったい何をどう伝えたのだろう…。
見た目通り気の弱いらしい黒樫さんは腰を抜かさんばかりにブルブル震えているし、黒服の人達も困惑している。その視線がゆっくりとこちらに集中する。そりゃあそうだろう。姫林組の息子の関係者などと言われて、この場で消去法に問えば答えは私しかいなくなる。問題は、私は姫林? 誰それ? 聞いたことないわという態度でいなければならないという事…。集まる視線に至極真面目に首を傾げて見せる。
「…? 何ですか?」
「君は……棗君の後輩…なんだよね?」
「はい、生徒会で、菅原先輩が会長だった時、その下について働かせていただきました。今でも風紀委員長と生徒会役員としてお世話になっています」
「姫林…?」
「誰ですか? それ。私は葛城真梨香といいますが」
怪訝そうな顔をされるが、知らないものは知らない…ことになっている。小林がカミングアウトしてきた後だったら誤魔化さずに済んだのだろうけど、今は知らぬ存ぜぬで通すしかない。
「旦那様、如何いたしますか? あまり騒がれては流石に周辺住民の方にもご迷惑が……」
迷惑ていうか普通に通報レベルの事してるのに、どうにもこのぽやぽやしたおじさんとその部下たちは危機感に欠ける。
「とりあえず、外の人達の事はわかりませんが、菅原先輩が警察に通報していた場合、黒樫さんは親子とはいえ誘拐の罪に問われることになると思います。先に菅原先輩に連絡して誤解を解きませんか?」
先輩への連絡ついでに小林に現状をそれとなく伝えてみよう。
「しかし……」
「菅原先輩は黒樫さんに同情的です。こんなアホな事さえしなかったら普通に榛くんに会わせてくれたと思います。ともかく、大事になる前に……もうなってる気もしますけど、先輩に連絡をしましょう」
渋る黒樫さんを説得していたら、黒服の一人が私の鞄を持ってきてくれた。話の分かる人で助かる。携帯を出して電源を入れた途端、激しく着信が鳴り響いた。
「菅原先輩?!」
『葛城!! 今何処だ?!! 無事なのか?!!』
電話を取った瞬間、菅原先輩の声が周囲にも聞こえる勢いで響き渡った。思わず耳から携帯を離す。
「無事です。榛くんは怪我一つありません。実は……」
激昂気味の菅原先輩を宥めながら事情を説明する。最初は信じられないというようにしきりに大丈夫なのかと繰り返していた先輩も、事情が呑み込めてくると言葉少なになり、最後には無言になった。
「……と、いうわけで、今黒樫さんのマンションにいるんですけど、どういうわけかマンションの前にえっと…」
『……葛城、少し、黒樫さんに代わってもらえるか?』
電話の向こうから菅原先輩のめったに聞けない低い声が聞こえてきて、私は即座に状況説明を打ち切って黒樫さんに電話を渡した。
「え…? 僕???」
「はい、菅原先輩が」
そう言って黒樫さんが電話を受け取ると、榛くんを引き寄せて、その耳を塞いだ。心もち黒樫さんから距離を取る。
『何やってんだアンタはぁぁあああああああ!!!!!!』
途端に電話が割れるんじゃないかという勢いで響き渡った怒鳴り声に耳を塞げなかった私は肩を竦める。ちらりと黒樫さんを見れば完全に腰を抜かしているが、電話から手を離さない、と言うより離せない様子で、聞こえてくる怒声に必死でごめんなさいごめんなさいと謝っている。そのうち電話に向かって土下座しそうな勢いだが、まあ、自業自得と言う奴だろう。
普段は温厚で、後輩の無茶にも苦笑いで受け入れたりする菅原先輩だが、怒ると怖いのである。生徒会長時代、その下について働いていた私は何度か怒られたことがあるし、人が怒られるところも見たことがある。この分だとしばらくは黒樫さんへのお説教タイムになりそうだ。
「あの……エントランスにいる人たちって…具体的に誰を探してるとかって……」
黒服の人に尋ねると、エントランスで騒いでいるのは柄物の派手なシャツを着た若いチンピラ風の男と、スーツに坊主頭のいかつい男だそうで、私の記憶が確かなら、ゲーム中で小林のルートに登場してきた姫林組の若手コンビだと思われた。忠義に厚く、小林の父親、姫林組組長さんに心酔していて、よく勘違いをしては小林とヒロインの良い雰囲気をぶち壊すオチ担当だったと思う。
ゲーム中でコメディキャラだったからと言って、現実でその筋の人間とお近づきになりたいとは思わないけど、事態を収拾するためには顔を出して誤解を解くしかなさそうである。
「それが…若の女がここにいるだろう、大人しく出せ…と」
………うわ~出ていくのやだな~~~……。なにがどう伝わったら私が小林の女って事になるんだ…。
「姫林という人は知りませんけど、誤解なら説明すればわかってくれるかもしれませんから、取りあえず行ってみますね。……エントランスまで案内してもらっていいですか?」
「は、はい!」
あからさまにホッとした様子の黒服に連れられて、エントランスの共用ロビーに出ると、ゲームの中で見た二人組をリアル3D化したらこんな感じだろうかというようなテンプレな強面おにいさんがこちらを振り返った。
「…アンタが若の女か?」
「……違いま…」
坊主頭の言葉に応えようとしたとき、エントランスに当の小林檎宇が飛び込んできた。
「お前ら! 場所を突き止めたら動くなって言ってただろ!! …げ、センパ……」
二人に向かって怒鳴ったところで私に気づいてしまったという顔をした。こっちへ向かってきているならもう少し上で待機していればよかったかもしれないが、こうなっては仕方ない。
「小林君…?! よくここが分かったわね。その方々はお知合いかしら?」
「センパイ怪我とかしてない? 駐車場にセンパイの靴落ちてるし、急いで途中まで携帯の電波サーチして…でも電源切られたからあちこち伝手を頼ってそれっぽい車が居たって聞いて行き先調べさせて…足大丈夫?! 何か他にいやらしいことされたり…センパイ拉致った奴すぐボコにするから!!」
「……少し黙りなさい」
駆け寄ってきて怪我がないかと私の周りをくるくる回りながらあちこち触って確かめようとする大型犬の眉間に手刀を叩きこむ。
「若!? てめぇ…若になんて事を…」
「このお方を誰だと思ってやがる……?」
ギョッとしてこちらへと駆け寄ってくる強面おにいさんたちに、小林がぎっと睨みを利かせて止める。
「うるせぇ!! てめぇらはだぁってろ!!! …センパイ、本当に大丈夫そうで安心した。そういや榛坊は? 先輩だけがこっちに来たって事は榛坊は人質に取られてるの?」
「…榛くんは無事だし、人質にもとられてないわ。中で詳しく説明したいんだけど……」
そう言って小林の後ろで所在なさげにしているおにいさん二人に目をやると、小林は気まずそうな顔をして、二人を振り返った。
「おい、おめぇら、こっちはもう大丈夫だから、戻ってろ。親父と…お袋にはあとで連絡するって言っとけ。………センパイ、全部、後で説明するから」
最後の言葉はこっちに向かって言われたが、小林は二人の方を向いたまま、目を合わそうとはしなかった。
部屋に戻ると、黒樫さんは部下に持たせた私の携帯に向かって土下座していた。お説教も佳境に入っているらしい。
「あ、のっぽのおにいちゃん!!」
榛くんが小林に気づいて駆け寄ってくる。
「榛坊、無事だったか~? 泣いたりしてないか~~?」
「ぼく、おとこのこだから、なかないよ! まりおねえちゃ、まもるの!!」
「おお~! 頼もしいな~。眼鏡先輩も褒めてくれるぞ~!」
「なつめおにいちゃ、いまパパにすごくおこだよ?」
「…パパ…?」
榛くんの言葉に小林が土下座姿勢の黒樫さんを見て、榛くんを見て、最後にこっちを見た。
「……らしいわよ。つまり、今回の騒動は子供会いたさに榛くんのお父さんが暴走したって事みたい」
「はぁ~~?? マジか~。信っじらんねぇ~~~!!!」
「まあ、本人はこんな大事になると思ってもいなかったみたいね。先輩にああやって怒られてるし、今後は先輩のご実家とちゃんと話し合うでしょ」
榛くんを撫でながら脱力してしゃがみこんだ小林のパーカーの背中はぐっしょりと汗で色が変わっている。きっと必死でここまで走ってきてくれたのだろう。労いの気持ちを込めて赤みを帯びた黒髪を撫でてやると。ぴくり、と肩が震えた。そのままじっとしているので、こちらもそのまま撫でつづける。
「……多分、助けに来てくれるって信じてたわ」
「………眼鏡先輩が? それとも俺が…?」
「今ここで私が撫でているのは誰かしら?」
無言で顔を伏せる小林の耳が真っ赤に染まっているのが見えて、今日くらいは手放しでほめてやるかと、頭を撫でる手に力を込めた。
その後、菅原先輩たちを黒樫さんの部下が迎えに行って、リビングに全員集合となった。飛び込んできた香川さんと倉田さんからは両側からギュッと抱き付かれ、半泣きの彼女たちに無事を喜ばれた。
「先輩ご無事で良かったです!!」
「駐車場で靴を拾った時はゾッとしたんですからね~~!!」
「……葛城」
菅原先輩が険しい表情で私の前に立った。その手が降り上げられ、パンっと乾いた音が頬で弾けた。
「ちょ!? 菅原先輩!!」
「うそ?! ここは無事を喜んで抱きしめるシーンじゃないですかぁ??!」
「センパイに何すんだよ!??」
後輩3人がぎょっとして口々に抗議申し立てを行う中、私はジンジンと熱を帯び始める頬に手を当てて、菅原先輩を見上げた。驚かなかったわけじゃないけど、不思議と叩かれたことに対しての反発的感情は湧いてこない。むしろ叩いたのに私より痛そうな表情の菅原先輩が気になった。
「菅原先輩……」
「何で…、何で人を呼ばなかった!?? 榛が攫われそうになったからって、一人で助けられるとでも思ったのか?!! 今回は俺の身内の不始末だったから無事だったものの、もっと恐ろしい誘拐犯だったら? こんな足の捻挫どころじゃない目に会わされていたかもしれないんだぞ!??」
菅原先輩の言葉には私への心配と、自分の身内の事に私を巻き込んでしまったという後悔が浮かんでいて、今更ながらに自分の行動を反省した。攫われそうになった榛くんを見て咄嗟に飛び出してしまったけど、あの場ですぐに人を呼び、車のナンバーや特徴を先輩たちに知らせるべきだった。鞄の中には桃香に渡された防犯ブザーだってあったのに、頭に血がのぼって、無茶な事をした。
「……ごめんなさい」
するりと零れ出た言葉に、菅原先輩の厳しい表情が緩む。大きな手が頭に乗って、クシャリと撫でられた。
「……あまり心配させるな。……無事で良かった」
「先輩……本当に、お父さんみたい…………」
「お前な……」
懐かしさと切なさに痛む胸をそっと押し隠して笑えば、菅原先輩はいつもの苦笑いを見せて、髪がぐしゃぐしゃになる程撫でてくれた。