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その日の夕食会には薔薇姫の姿はなかった。
一之宮が極度の緊張から体調を崩した事を説明していたが、本当のところはわからない。幸いなことにあの茶番を他の生徒たちは素直に受け入れているものが大勢らしく、陰口を聞くものはほとんどいないようだった。育ちのいい人間が多くて助かった。
あのカメラ小僧の友人たちも吉嶺の機転により夕食会前には確保し、事情の聞き取りと証拠の差し押さえが終了している。
これでひとまずは私がこの旅行に呼ばれた裏向きの理由であった校内の隠し撮りグループの洗い出しという目的は達成したと言える。あとは生徒会と代議会が協調体制にあることをアピールするという表向きの仕事が完遂されれば終了だ。
まだ夕食会の途中だが、少し風に当たりたくてテラスに出てきた。初夏とはいえ高原の風は涼しい。短い旅行だったが色々とありすぎて疲れた。無事に終わったから良いけれど、と考えて薔薇姫のすれ違いざまの言葉を思い出す。
「…個人的な問題はむしろ増えたような気もするわね……」
溜息と共に呟きが零れる。
薔薇姫の様子からしてこのまま引き下がるとは思えない。流石にこの旅行中はもう仕掛けては来ないと思うけど…。甜瓜先輩に向かって本気で怒っていた一之宮の顔を思い出し、ぶるっと震える。
「……何であんなに怒ってたんだろう…?」
思えばお茶会では終始一之宮の様子はおかしかった。急に人の腕を引っ張ったり、普段なら怒らないだろうことで激怒したり……。
「ま~りセ~ンパイ!」
考え事は背中から飛びついて来た小林によって霧散した。本来なら教育的指導に裏拳でもお見舞いするところだったけれど、今日のところはやめておく。
今回の旅行中、小林の機転には助けられっぱなしだった。強引な手段で旅行に潜り込んだと知った時には正直頭が痛かったが、結果としては来てもらって良かったと思う。
「小林君、今回は色々ありがとう。正直助かったわ」
「マジ?! 今俺褒められた??!」
「私だってちゃんと頑張った子は褒めるわよ。特に今回は色々な事が起きたし、私だけでは対処しきれなかった事もいっぱいあったもの。お礼ぐらい言わせて頂戴」
そう言うと、小林は少し顔を赤らめながら私から目を逸らし、少しの間何かブツブツ言っていたけど、やがてぐっと表情を引き締めたかと思うと、こちらに向き直った。
「あの…さ、褒めてくれるんだったら、俺、ご褒美が欲しいな~…なんて……」
茶化したような言い方をしているが、眼は期待に輝いていて、撫でられるのを待っている犬みたいだ。ただ、ご褒美と言われてもな…。私があげられるものなんて手製のお菓子ぐらいだけど…。
「…一応聞くけど、何がいいの? お金がかかるようなものは駄目よ」
学食の奢り程度でも、特待生である私には痛い出費だ。…自販機のジュースくらいなら…何とか……。
「そ~いうんじゃなくって、さ…。その……この旅行終わった次の休みに俺とデートしてくんない?」
予想外の言葉にぽかんとしてしまった。デートって…誰とだ? 桃香とデートさせてくれっていうお願いなら即却下なんだけど…。
「え……っと…?」
「いや、デートって言っちゃうとアレだけど、一緒に買い物に付き合ってくれないかなって……。そう、母さん! 母さんに母の日のプレゼント買いたいんだけど、何あげていいか分かんなくて。真梨センパイに一緒に選んでもらいたいな~なんて……駄目?」
意図を測りかねて首を傾げると、慌てた様子で説明された。ああ、確かに最近では女子同士でも買い物に行くのをデートって言ったりするもんね。大袈裟な反応返されたら困ってしまうだろう。悪い事をした。
「お母様へのプレゼント…」
「そう、うちの母さん少し雰囲気真梨センパイに似てるし、アクセとか身に着ける物選ぶのに真梨センパイモデルになってくれたらすごく助かる」
……小林のお母さんって事はいわゆる姐さんというやつではないだろうか…雰囲気似てるって言われるとすごい複雑なんですが……。
少し考える。私との買い物が小林にとってご褒美だとはあまり思えない。買い物以外に何か目的があるんじゃないだろうか。例えば……。
「あ、もちろん二人きりが嫌なら妹ちゃん付きでもいいし」
黙ったまま考え込む私に小林が慌てたように付け加える。
……やっぱりそれが目的か。だしにされた事に少なからず落胆する気持ちがあったが、小林なりに必死で桃香との絆を深めようとしているのだと思うと、頭ごなしに否定するのは気が引けた。でもたしかその日は……。
「……桃香は次の週末は部活の練習試合だから来られないわよ。……それでも良ければ買い物には付き合うわ。私も母の日のプレゼントを買いたいし」
「え!? マジで??! あ、全然オッケーです!! むしろ大歓迎!!」
この機会に小林と桃香の現在の親密度を探っておきたい。クラスメートである二人には私の知らない所で好感度が上がって行っている可能性がある。
まさか是と応えられるとは思っていなかったのか、目を丸くした小林が喰い気味に返してくる。桃香が目的だと見破られて慌てているようにも見えた。とりあえず日にちと待ち合わせの時間などを簡単に確認していると、小林が何か決意を秘めた表情でこちらを見つめて、口を開いた。
「……あのさ、俺、ずっと真梨センパイに秘密にしてたことあって……。ただ、他の人には聞かれたくないから、この日に話したい。」
「………秘密って…?」
「今はまだちょっと言えない。万が一にも学校の奴らには聞かれたくないし。真梨センパイにだけは、話しておきたいんだ」
それは小林の名前が偽名だったり本当は実家が極道だったりという、実はすでに知ってるけど、知らないことにしているアレだろうか……。どうしよう…話されても困るような………。もしかして、桃香にばれた時の為に姉である私に先に話して根回ししておくつもり、とか…? それならいっそ聞かない方が…。でも買い物承諾しちゃったしなぁ……。
困った事になったと思いながら顔を上げると、小林が見たこともないような不安げな表情をしていた。その顔を見て気付いた。小林は秘密を話すことを怖いと思っている。それはそうだ。普通に考えて実家がヤクザだなんて一般人に言ったらドン引きされる。もしかしたら過去にそれが原因で辛いことがあったのかもしれない。そういう家に生まれたのは小林自身には何の非もないのに。
小林個人のことは良い奴だと思っている。桃香の事さえなければ、家の事情など関係なく友人になれる相手だと思う。
「……わかった。話を聞くわ。ちゃんと聞く。だからそんな顔しないで」
気が付くとそう答えて赤みを帯びた黒い頭を撫でていた。小林が驚いた顔をした後、ホッとしたように笑った。その顔に一瞬ドキッとしたけれど、顔に出さないように撫でていた頭を軽くぽんっと叩く。
「さ、戻りましょう。食事会が終われば明日には学園に帰れるわ」
「は~い。…真梨センパイ、約束だからね」
「はいはい」
さっきまでと打って変わってものすごく上機嫌にはしゃいだ様子の小林を連れて食事会場に戻ると、頬を膨らませた桃香と、好奇心で目を輝かせた倉田さん、ホッとした様子の香川さんが待っていた。
「どこに行ってたんですか? そろそろ閉会前に生徒会代表と代議会議長で簡単にスピーチしないといけない所です」
「ごめんなさい。出番の前に夜風に当たりたくて」
「…小林君、お姉ちゃん迎えに行くって言ってたけど、遅くなかった?」
「お二人で何か話されてたんですか?」
むぅ…とした桃香も可愛いけど、誤解されるのは避けたい。桃香が一定以上の好意を小林に抱いているならなおさらだ。
「ついでだからカイチョーとビーバー先輩に報告メールしてたんだよ~。明日には無事帰るよ~って」
助け舟を出してくれた小林を桃香がじとーっと見つめていたが、小林がニコニコと微笑み返すと、無言で目を逸らした。それが照れているようにも見えてちょっと気が気じゃない。
「……今回だけだからね」
「………恩に着るよ」
なにやら二人でしかわからない会話もしてる…。これは本気で小林ルートの覚悟をしておいた方が良いのかもしれない…。……愛娘を嫁に出すお父さんの気持ちってこんななのかな……。桃香は幸せになって欲しいけど、ギリギリまでは邪魔したい。百万が一許すとしても、最後に小林は一回殴りたい。
歯ぎしりしたい気持ちで二人のやり取りを眺めていたら、吉嶺が呼びに来た。
「葛城さん、そろそろ前の方に…って、明らかに八つ当たり的な殺気に満ちた目で俺を睨むの止めてくれる?」
……こいつじゃなかっただけマシか。
「…溜息つきながらホッとしないで。良くわかんないけど傷つくよ?」
「別に何でもありません」
「そう? ならいいけど。それより、これは他の人にはまだ言ってないんだけど、今回掴まった盗撮犯はどうも君に見せたブログの犯人とは別物みたいだ。全部の写真をチェックしたけどあのブログに使われたものは一枚もなかったよ」
「……そう、ですか」
「そう言うわけだから、まだ気は抜かない方が良いよ」
吉嶺の言葉に漠然とした不安を感じつつも、スピーチの為表情を取り繕った。あのブログの事については旅行から帰ってから考えよう。この旅行でのイベントらしきものは終わったし、次は体育祭イベントまでの猶予期間になる。その間に調べるしかない。
そう考えながら私は、スピーチの為の壇上へと上がっていった。
「……!!?」
飛び起きて辺りを見回す。見慣れないけれど、見覚えのある部屋。ホテルの部屋だ。明日はもう帰るだけという事もあって、桃香も私も早めに寝ることにしたのだ。隣のベッドでは桃香が熟睡している。時計を見るとまだ夜中にもなっていない。夜更かしが好きな生徒の中には今頃まだ集まって騒いでいる者もいそうな時間だ。
内容は覚えていないが嫌な夢を見た。汗で寝間着代わりのTシャツが肌に貼りつく。冷蔵庫からミネラルウォーターを出して飲んでいたら、ドアの方でカサリと音がした。
「何かしら…?!」
見ると、ドアの下の隙間から紙が差し込まれている。拾い上げて裏返すと、ホテルのテラスで小林の頭を撫でている私の写真だった。私の斜め後ろからの構図。遠くからズームしているのか、暗くて画像も荒いが、間違いない。ブログの写真と同じだ。
咄嗟に握りしめて部屋を飛び出す。廊下には誰の姿もなかったが、微かに走り去る足音がしたので考える間もなく追って走り出した。
「はぁっ…はぁ……見失ったか………」
足音の主を追いかけているうちに外に出てしまい、気が付くと林の中まで来てしまっていた。それにしても逃げ足の速い……やっぱり剣道やめてから身体が鈍っているのだろうか。遠目に見えた人影も林の中で見失ってしまった。
肩で息をしながら辺りを見回す。夢中になっていたとはいえ深追いしすぎたかもしれない。林に隠れてホテルの灯りがよく見えない。自分が来た方角も微妙に分からなくなっていた。
「方角的にはこっちで合ってるはず……」
恐る恐る来た道と思われる方向に向いて歩き出す。暗い林を風が吹き抜け木々をざわめかせる。その音が妙に不気味に聞こえ、足が止まってしまった。ここへ来る途中にバスで聞かされた怪談を唐突に思い出してしまったのだ。
「いやいやいや…アレはただの噂で…しかも別荘地の方だし……ホテルの周りは関係な……」
思わず声に出して自分に言い聞かせる。が、その声がもう震えてて説得力に欠けている。とにかくこの不気味な林を早く抜け出したくて足を踏み出した時、低く不気味な声が響いた。冷静に考えれば梟か何かの声なのだけれど、恐怖でガチガチだった私には完全に悪魔か幽霊の声にしか聞こえなかった。
「きゃぁぁぁぁあぁああ!!!」
普段ならおそらく出そうと思っても出ないような悲鳴が喉から飛び出して、その場に蹲る。灯りになるようなものを持ってこなかったことも恐怖に拍車をかけた。殆ど暗闇と言ってよい状態で、風邪の音も木々のざわめきも、不気味な意思を持っているように聞こえて仕方がない。
「やだ…もう帰りたい……」
泣きたい気分で、実際に視界が少しぼやける。その時林の奥からゆらゆらと光る何かが近付いてくるのが見えて、今度こそ完全に腰が抜けてしまった。
「ひっ………!!!」
がさがさと草を踏み分ける音が近付いてきて、私は咄嗟に顔を伏せて傍らの木にしがみつく。
ガサリと藪をかき分けて光が目の前まで来た気配がして…………。
「………葛城…?! こんなところで何してるんだ?」
「……………………へ?」
聞き覚えのある低めの声がして顔を上げると、ペンライトを持った津南見柑治がアーモンド形の瞳を丸く見開いて立っていた。
お待たせ(?)してたかどうかわかりませんが、次回、津南見先輩のターンです。