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吉嶺はさっきまで一之宮が座っていた椅子に腰を下ろすと、店員を呼んで紅茶を注文した。
「君も何か飲むかい? 石榴と違って俺は奢らないけど」
「吉嶺先輩に奢っていただくくらいでしたら、そこの湖の水でも汲んで来て一気飲みします」
にっこり笑って返せば、言うと思った、と笑って返された。…この余裕ぶった反応、気持ち悪いな…。
何の話か分からないけど、吉嶺の様子からして一之宮絡みだろう。昨晩言われた謎な台詞の事もあるし……。
「それで、お話というのは…?」
「これ見てくれるかな?」
吉嶺が取り出したのは数枚の写真。何の気なしに目を通して、一瞬呼吸を忘れた。どう見ても隠し撮りにしか見えない数枚の写真にはすべて私が写っていた。それだけならまだいい。いや、良くはないけど、例の盗撮犯がなぜか私をターゲットにしたのだろうと思える。けれど、写真に写っていたのは私だけではなかった。篠谷、菅原先輩、小林、津南見、一之宮、吉嶺、シェリム、加賀谷、そして杏一郎まで……『花の鎖』に於ける攻略キャラと、私のツーショットばかりだったのだ。
「これは…?!」
動揺を隠して尋ねる。普通に考えれば例の隠し撮り犯がばら撒いた『商品』なのだろうけれど、それにしては被写体が偏りすぎている。
「例の隠し撮り写真の販売サイトの後釜らしきページ探していて、偶然見つけてね。プリントアウトしてきたんだ」
「…私が写っている写真ばかりなのはわざと選んでの事ですか?」
「いや、そのページはなぜか君の写真…君と誰かのツーショットばかりしか置いてなかったんだ」
吉嶺の言葉に背筋がゾッとする。それ、私完全にストーキングされてるって事じゃないか?!
写真をまじまじと見る。篠谷との写真には新入生歓迎パーティーの席で彼のお祖父さんに挨拶してハグされた時の写真や、生徒会の仕事で廊下を一緒に歩いているところが写っていた。菅原先輩のは多分仕事の事で褒められて頭を撫でられているところ、津南見は4月に食堂でハンカチを突き返した時の写真に先日体調を崩して保健室に連れていかれた時の写真まであった。どこから見ていたというんだろう……。それ以外にも、全く記憶にないシーンもある。多分廊下ですれ違いざまに二言三言挨拶を交わした程度の場面も含まれているのだろう。
「この写真の傾向から見ると、犯人は君に相当執着している、とみて間違いない。…心当たりは?」
「あったらこんなに呑気に写真撮られてないわね…」
動揺を無理に押し隠そうとしたせいか、敬語が外れてしまった。吉嶺は気にした風もなく、写真の中から一枚を抜き出す。
「…不思議なのはさ、これだけ君の写真ばっかりなのに、全部君の後ろ姿や斜め後ろ、横顔ばかりで、君の顔にピントを合わせている写真が殆どないことなんだよね」
「……」
それは私も感じてはいた。そして、だからこそ余計に、あることを思ったのだ。
「……まるでイベントスチルだわ…」
「葛城さん? 今何か言ったかい?」
「いえ…何も」
つい声に出てしまっていたらしい。咳払いで適当に誤魔化して、写真を一枚手に取る。菅原先輩が私の頭を撫でている写真は、菅原先輩の顔にピントが合わせられ、私は後姿だ。遠くから望遠で撮影しているらしいという事以外特に手がかりは見当たらない。
…やっぱり似ている。『花の鎖』で桃香が菅原に初めて頭を撫でられるというイベントで表示される一枚絵に。
乙女ゲームのイベントスチルはゲーム攻略の醍醐味と言ってもいい要素の一つだ。ただし、私はゲームプレイ中、あることが不満だった。それは、ヒロインである桃香の顔が意図的に後ろ向きだったり、微妙に見切れていたりで、可愛い桃香の顔を堪能できなかったことだ。
乙女ゲームは基本的にプレイする人間がヒロインに感情移入して成りきることを想定しているためか、ヒロインの視点で見た景色や、相手の表情にピントが合わせられる。その為、イベントスチルもヒロインの存在は極力主張しすぎない演出がなされるのだ。桃香至上主義プレイをしていた私にしてみれば、大変に遺憾であった。
……っと、そんな回想に浸っている場合じゃなかった。今現在の問題はこの写真だ。1枚や2枚なら偶然と思えるが、これだけそろうと意図的なものしか感じない。つまりは誰かが私をヒロインに見立てた乙女ゲームスチルもどきを撮り集めているのだ。
私以外に、この世界を、『花の鎖』のゲームの世界だと知っている人間がいる。
最初の思ったのは、ロッカーに入っていた、『葛城真梨香』のイラストと手紙の事だった。ゲームの設定上の葛城真梨香の姿を知る者がいる。今回の写真の撮影者と、あの手紙の人物はもしかすると同一人物ではないだろうか。何となく直感でそう思った。
「………目的は何でしょう?」
「この撮影者の? そう言えば写真の販売にしては値札もなくて、ただ貼り付けただけって感じだったなぁ…」
「いえ、吉嶺先輩の目的は何かと尋ねました」
私が言葉を重ねて問うと、吉嶺は気持ち悪いくらい最上の微笑みを浮かべた。
「本当に君は期待以上だなぁ。……そうだねぇ、この撮影者をおびき出す為、俺と付き合う振りをするっていうのはどうかな?」
「そうやってはぐらかすのはやめてください。そもそも、囮になるために恋人のふりをするなんて、漫画や小説ではベタな手法ですが、実際にはリスクばかり大きくて大した利がありません。一度噂になってしまえば、後からあれは振りだったと言っても誤解を解くのはほぼ不可能です。例え噂でも、先輩と交際歴があると周囲に思われるのは不愉快ですので、お断りします。……で? 本当の目的は何ですか?」
まったくもって回りくどい。吉嶺の冗談交じりの会話や本音を見せない態度はゲーム中でも散々苛々させられたのだ。画面越しでなかったら殴りたいと常々思っていたものだから、いざ画面無しの世界で会話しているといつ本当に殴ってしまうかわからない。できるだけ会話をぶった切って要点だけを話させたい。お互いの為にも。
「…つれないなぁ。……まぁ、付き合う云々は冗談だよ。俺は君の事が嫌いだしね」
「知ってます。詮索好きのおせっかいに痛すぎる腹を探られたくないですもんね。 そろそろ真面目に本題に入ってくれませんか? いいかげん部屋に戻らないと心配をかけます」
「ああ、君の妹さん、過保護だもんねぇ。昨日からずっと目が合うたびに睨まれてるからね」
それは吉嶺が檀先輩にした非道な所業の所為だと思う。あれの所為で桃香の吉嶺への好感度はマイナスだろうから、私としてはひとまず安心なのだけれど。
「それじゃあ、本題。その写真のサイトにね、面白いことが書いてあったんだ」
「……面白いこと…?」
何だろう、吉嶺の視線が探るような光を帯びた気がして背筋がぞわぞわする。
「そう、色々ね。『新規イベント発生』とか、『逆ハールート有かも』とか、ああ、後は『葛城真梨香、一之宮石榴を順調に攻略中』…とかね。意味、わかるかい?」
…………意味っていうか…………。色々頭が痛い。まず、誰が見るともしれないネット上にそういう世界の秘密的な事を書きこんでしまうのも、たとえ鍵付きのページだったとしても不用意だし、なぜか私が彼らを攻略していると勘違いされているのかも盛大に突っ込みたい。これで意味が分かると言おうものなら、私が前世の記憶を持っていることから説明しなくてはならなくなる。正直それではただの痛い子である。
「……意味は分かりませんけど、勝手な想像を押し付けられているのは気持ち悪いですね」
「想像なんだ。…攻略って、要するに石榴を落とそうとしてるってことだよね? その気はないの?」
「あるように見えますか?」
「表面上は見えない。……でも、結果として石榴は君に会って変わってしまった。良い変化かもしれないけれど、それが君があいつを弄ぶために意図的に起こしている行動の結果なら見逃せない」
吉嶺の表情が真面目なものに変わる。家同士が主従の関係にあることを差し置いても、吉嶺は一之宮の事を気にかけている。一之宮ルートの桃香に対しても似たような釘を射すシーンがあったなと思い出しつつ、私は手を振りかぶった。
スッパァァァアアン!!!
派手な音を立てて吉嶺の頭をてっぺんからはたき倒す。掌がひりひり痛んだが、頭を叩かれた挙句テーブルに額を打ち付けた吉嶺の方がダメージはデカいだろう。
「ひとつ、いいですか? 一之宮先輩が変わったのが私の所為かどうかは置いておいても、良い変化をしたというなら、それはあの人自身そうなるだけの素養があったという事です。それをずっと傍にいた吉嶺先輩が諌めなかったからおかしな方向に増長していたんじゃないですか?! それどころか一緒に女侍らせてヘラヘラして、今更私なんかに釘を射す暇があったらもっと他に、以前に、やるべきことあったでしょう!!」
「君……」
「正直私は初対面からアンタはもちろん、一之宮先輩の事も大嫌いでしたけど、最近の一之宮先輩は確かに良い方向に変わりました。以前ほど嫌いじゃありません。だからと言って落とすとか攻略と言われてもあり得ませんし、私はそう言う対象には成り得ません。無用の心配をしてる暇があったら真面目に盗撮犯を追うか一之宮先輩をフォローする方に力を注いでください」
一息に喋ったので息が切れた。少し肩で息をしながら立ち上がる。吉嶺の本題が、私が一之宮を誑かしていないかという心配なら本当に無駄の一言に尽きる。彼らが恋する相手は一人だけ。この世界はそう言う世界だ。運命は残酷なまでに強固で、変えられるのはほんの表層だけ。…せめて、桃香が傷つくことなくいられるように……嫉妬と強すぎる執着から逸らすことぐらいしかできないのだ……。
「用がそれだけでしたら失礼します。……写真の件はこちらでも気を付けるようにします。私を追っかけているなら、掴まえる機会もあるでしょうから」
「葛城さん、ちょっと待ってよ。…何でそんな風に言い切れるんだい? …それに」
「私が、『葛城真梨香』にしかなれないからです。葛城真梨香は…恋は似合いません」
彼女の恋は人を傷つけるだけしかできないから。彼女の嫉妬は桃香を傷つけるから。桃香から最も遠ざけたい人物なのに、私が桃香から離れられないから。私が桃香を傷つけないためには、私から恋を切り離すのが一番いい。
「吉嶺先輩、安心してください。私は一之宮先輩に恋はしませんし、一之宮先輩が私に恋することもあり得ません。ご心配でしたら、しばらく距離も起きましょう。仕事上縁を切るのは無理でしょうけど、必要以上には近づきません」
吉嶺にそれだけ言ってカフェを後にした。ふと、手に1枚だけ写真を持ってきてしまっていたのに気付く。珍しく私の顔にピントが合っていた写真だ。笑っている。いつ撮られた物かもわからないくらい記憶にない表情。こんなに気の抜けた表情を……。視線の先にいるのは………。
私は、ぐしゃり、と写真を握りつぶした。そのまま丸めて廊下にあったゴミ箱に捨てようとして…思いとどまった。誰かが偶然拾いでもしたらいけない。そのままポケットに突っ込む。
「私は…葛城真梨香だもの」
ひとりごちて、部屋に戻ると、桃香はまだ戻ってきていなかった。ベッドサイドに放り出していた携帯が着信を告げて点滅している。
「……篠谷君かしら?」
手に取ろうとしたとき、部屋のドアがノックされた。こんな時間に誰だろう? 桃香なら勝手に入ってくるだろうし……。
「……誰?」
「俺だよ~」
ドア越しに小林の声が聞こえた。ドアスコープを覗けば小林がひらひらと手を振るのが見えた。
「こんな時間に何の用? 悪いけど今桃香はいないわよ」
「妹ちゃんいないの? それじゃあ部屋には入らない方が良いね。俺怒られちゃう。あのさ、朝食一緒にどうかと思って。朝はブッフェスタイルだから昨日みたいに肩凝る面子じゃなくて、身内で楽しく食べようよ~」
なるほど、桃香を誘いに来たのか。まぁ、朝ごはんくらいはみんなで仲良くというのは悪くない。……二人きりにはさせないけど。
「そうね。桃香にも伝えておくわ。あとでレストランの入り口で待ち合わせましょう」
「……まぁ、そうなるだろうとは思ってたけど。……いいよ。じゃあ後でね」
待ち合わせの時間を決めて、小林の気配がドアから遠ざかる。私は携帯をベッドに放り投げ、シャワールームに向かった。
「桃香が返ってくる前に汗、流しちゃおう」
冷たい水を頭から浴びたい気分だった。
…おねえちゃんのやみがちらほらと。