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 早朝の高原の空気は澄んでいる。鳥の声なども爽やかで、ジョギングにはもってこいだ。

 旅行中は部活がないとはいえ、筋トレは日々の積み重ねだ。そう言って朝早くから走りに行くという桃香ももかに付き合って湖畔を走ってきた。他にも何人も走っている生徒がいたのは同じように真面目で部活熱心な方の、運動部の連中だろう。


「ふぅ…」


 さすがに現役ではない身は桃香と同じペースでは走れなくなっている。一足先に戻らせてもらうことにした。

 ホテルの中は人気が殆どなく、静かだ。運動部連中はまだ走っているし、文化部、一般代議員はまだ寝ているだろう。タオルで滴る汗を拭いながらロビーを通り抜けようとして、カフェに一人で座っている人物が目に入った。


一之宮いちのみや先輩、朝、早いんですね」

「既にひとっ走りしてきたやつに言われてもな…。あのちっこいのは?」

「…人の妹をちっこいちっこい言わないでいただけますか? 確かに桃香は小さくて可愛いですけど」

「……可愛い…か……?」


 何で疑問形なんだろう。最高に可愛いのに。まぁでも、ここで桃香を可愛いと思われてもそれはそれで困るか……。考えているうちに一之宮は店員に声をかけていたらしく、彼の正面の席に湯気の立つカフェオレが運ばれてきた。


「まあ、折角だから座れ。朝食までまだ時間があるが、カフェの一杯ぐらいは付き合えるだろう?」

「……ありがたく頂きます」


 椅子についてカフェオレを一口啜る。ミルク多めで、自然な甘さに頬が緩む。視線を感じて顔を上げると、一之宮がじっとこちらを見ていた。人が飲み食いするのをじろじろ見るのは行儀が悪いと思う。そう注意しようとしたが、それよりも先に一之宮が口を開いた。


「昨日、うちのバカどもが迷惑をかけたらしいな。…すまなかった」

「……どうして知ってるんですか?」


 昨日の件は小林とも話して、取り合えずは薔薇姫を泳がせようという事になった。一応、篠谷と梧桐君には電話で報告したけど。


『……そうですね…。その方々とはぜひ僕の方で、直接、しっかりと、お話させていただきたいです。代議会議長のお手を煩わせる必要は無いと思いますよ』

『そっかぁ~、無償で労働してくれるんなら、死ぬほど過酷な懲役…じゃなかった、作業分担を考えておくね』


 二人とも、電波越しに携帯が凍り付くんじゃないかというような声だったなぁ…。思い出してブルッと震えていると、一之宮は何か誤解したらしく、珍しく心配そうな痛ましげな表情をされた。


「あいつらは即刻部長の任を降ろし、退部処分にする。ついでにこちらで徹底的に懲らしめておくから、もう安心していいぞ」

「え? いえ、その必要は…というか、そもそも一之宮先輩はどこで昨日の件をお聞きになったんですか?」

「昨晩、白樺しらかば柳原やなぎはらが自己申告してきた。生意気な生徒会副会長の鼻っ柱を折りたくて部員を集めて仕掛けたが、お前とお前の所の1年に返り討ちにあったと言っていた」


 ……あくまでも白樺先輩と柳原先輩の主導という形に収めようとしたのか…。ただ、一之宮の言い方を聞く限り、彼はそれを真に受ける様な事はしていない様子ではあるが…。


「…今のところは実際に騒ぎを起こした本人が思い付きによる行動で、他の部員たちには関わりがないと頑なに主張しているからな…」


 部活の仲間や後輩を庇っていると言えば聞こえはいいが、彼らが本当に隠したがっているのは別の人物だろう。


「……いずれは親衛隊を解散させようと思っている」

「そうですか………え?」


 夕食のメニューでも決めるかのような口調で言われたので一瞬反応が遅れた。目を剥いた私の顔を見て一之宮が苦笑する。


「…以前から考えてはいた。……口に出したのは初めてだがな。解散、というと大げさだが、元々あいつらは私的な集団だしな。公的な立場や仕事には立ち入らせないようにするべきだった。好意で仕事を手伝ってくれていたとはいえ、少し増長させ過ぎた」

「……純粋に手伝いをしたいって子もいるのでは?」


 枇杷木びわき先輩の顔が浮かぶ。


「俺個人の手伝いではなく、代議会全体の人員増強を行う。仕事がしたい奴はそっちに回ってもらう」


 一之宮が言いたいことはわかる。仕事とプライベートは分けるべきだし、これまでそれをなぁなぁにしてきたツケが回ってきたのは確かだろうとも思う。けれど、いきなり手のひらを返すように切り捨てられれば、いらない反発を生みはしないだろうか…。


「…まぁ、すぐにというわけじゃない。元々俺の怠惰が生んだ歪みだ。それを正してからの話だな。………ただ、お前には話しておきたかった」

「…何故私に……?」

「お前は俺を甘やかさないからな。お前に誓ったとなれば俺も身が引き締まる。お前の評価は容赦もないが嘘もないからな」


 なんだか過大評価されてしまっている気がしてならない。そんな信頼を寄せられるようなことは何一つした覚えがないのに…。


「…少々買い被りすぎではないかと。私だって目が曇ることもあります。……むしろ酷いエゴイストかもしれませんよ?」

「なに、別にお前に何かしろと言ってるわけじゃない。俺の気分の問題だからな」


 よくわからないが、一之宮がそれでやる気が出るというなら、応援するべきなのかもしれない。


「……先輩個人としては、彼女たちの事をどう思ってるんですか?」


 少々踏み込み過ぎた質問かもしれない。それでも、一之宮と親衛隊の関係性は今後、桃香の学園生活にも影響してくる。もし一之宮が桃香に恋をして、親衛隊との間に軋轢が生じた場合、彼女たちの怒りの矛先が向かうのは桃香だからだ。


「…古い仲だと初等部の頃からの付き合いだからな…。気心は知れている。そういう意味では気が楽なのだろうとは思う…。常に俺を支え、肯定し、甘やかす。…そう求めたのは俺だし、それに応えた者を責めるのはお門違いも甚だしいと思うだろうが…時々それがどうにも重たくてな。…今思うと最低な真似も色々してしまったと思う」

「そうですね」


 まぁ、出会いからしてアレだったしな。率直に頷いてしまったが、一之宮は怒るでもなく少し懐かしそうに笑った。


「お前に出会った頃が一番最悪だった。天狗になって、世の中は自分中心に回せるものだと思っていたからな」

「そんな感じでしたね。…でも先輩は変わられましたよ。……いい意味で」


 その表情が思っていた以上に穏やかで、つい嬉しい気持ちになって、本音が口をついて出た。一之宮の変化は周囲にとっても、私にとっても悪くない。今の彼なら、万が一の場合も桃香を苦しませることなく、恋ができるかもしれない。個人的には桃香が誰と付き合っても寂しいのだけれど、桃香が幸せになるのなら、応援できる相手がいい。


「……そういう表情かおを見せられると…ぐらつくな」

「はい?」

葛城かつらぎ……いつか…」

「あっれぇ~~?! 二人とも朝早いね? 石榴ざくろ薔子しょうこさんが探してたよ?」


 一之宮が何か言いかけた時、カフェの入り口から、吉嶺よしみね橘平きっぺいが入ってきた。いつもはハーフアップにしている髪を、今朝は下ろしている。人によっては色っぽいと取るのかもしれないが、私から見ると不審さが上昇しただけにしか見えない。ニコニコと、微笑みを浮かべているが、胡散臭さで篠谷をはるかに上回る。


「彼女、最近不機嫌だから早く行った方が良いんじゃない?」

「……そうだな。…それじゃあ、葛城」

「はい。カフェオレ、ありがとうございました」


 席を立ってカフェを出ていく一之宮を見送る。先ほど何か言いかけていたようだけれど、その言葉は、タイミングを図ったように現れた人物によって遮られた。私はそっと溜息を吐いて、ぐっと気を引き締め直した。いつの間にかすぐ隣まで来ていた男に、向き直る。


「……何か、お話がありそうですね? 吉嶺先輩」

「そうだね。お互いにね。葛城さん」


 頭の中で試合開始を告げる審判の声が聞こえた気がした。

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