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「葛城、この後遊戯室でゲームでもしないか?」
食事会を終え、食堂を出たところで、男子生徒二人に声をかけられた。サッカー部主将と柔道部主将だった筈だ。運動部の部長とはそれなりに親しくはしてきたが、この二人とは殆ど話したことが無かったと思う。
「せっかくの代議会と生徒会の交流の機会だろ?親睦を深めようぜ、副会長さん」
茶髪のサッカー部主将、白樺先輩は爽やかに笑いかけてくる。柔道部主将の柳原先輩も、やけに親しげだ。
「前から葛城とはじっくり話がしてみたいと思っていたんだ」
「折角だから後ろの、妹さん? も一緒にどうかな?」
「……私も桃香もこの後先約があるんですが…そうですね。私でよろしければお相手します」
「ちょっと、お姉ちゃん?!」
桃香が慌てた様子で袖を引っ張ってくるのを振り返って、何か言いたげな瞳に、頷いて見せた。
「桃香、私は生徒会の用ができたから、そう、伝えてくれるかしら?」
「………わかった…」
桃香は悔しそうに唇を噛みしめて頷いて、小走りに駆け去っていった。少し痛む胸を抑えながら見送る。
「妹さんはだめか…残念だなぁ」
「まあ先約があるんならしょうがないな。葛城は招待に応じてくれたんだ。いいじゃないか」
背後の呑気そうな声に、軽く深呼吸して、意識して口角を吊り上げる。生徒会副会長、葛城真梨香らしい、狐顔を意識して作ると、にっこりと、効果音でも着けたいくらいの笑顔で二人の方を振り返った。
「お待たせしました。では参りましょうか?」
遊戯室には高級ホテルらしく、ビリヤード台やカードゲームに興じるためのテーブル、ダーツスペースなどがある。流石に卓球台や田舎のゲームセンターにあるようなゲーム機の類はない。
「とりあえず、カードはどうかな?」
まあ、ビリヤードとダーツはやったことがないから妥当な線だろう。テーブルスペースに案内され、椅子に座る。
「ただカードで遊ぶのもつまらないから、どうせだから賭けをしないか? 負けた方が勝った方の言うことを聞くとかそういうの。部室の掃除とか、ちょっとした罰ゲーム、とか」
白樺先輩がカードをシャッフルしながらニコニコとそんな提案をしてきた。柳原先輩が面白そうだな、と乗っかってくる。いつの間にか、彼らの後ろに数人のギャラリーが増えていた。代議員の中でサッカー部、柔道部所属の生徒なのだろう、体格がよく、上背がある。
「そうですねぇ…」
少し考えているそぶりを見せていると、遊戯室のドアが壊れそうな勢いで開かれたかと思うと、小林檎宇がひょっこりと入ってきた。
「やっほ~センパ~~イ、なんか面白そうなことしてるって聞いたから俺も混ぜてよ~~」
「あら小林君、そうね、先輩方、折角ですから、代議会運動部対生徒会という事でチーム戦にしませんか?」
「え? あ…いや……彼は………」
「あんな風体ですが、彼も一応は生徒会執行部員ですし、賭けるにしても、2対2の方が公平でしょう?」
ニコニコと、あくまでも何も気づいていない顔で微笑んで見せれば、白樺先輩と柳原先輩が互いに目くばせし合い、何事かコソコソと相談をし始めた。その間に、小林が私の隣に座って、こちらも小声で囁きかけてくる。
「…遅くなってごめん」
「いいえ、むしろグッドタイミングよ。急いで来てくれたんでしょう? 少し息が上がってるわ」
桃香は私の意図を正確に汲んでくれたらしい。生徒会の人間で、この旅行参加者では数少ない男子である小林を呼んでくれたのだ。うちの妹は賢い。
「…あんまり無茶しないでよ。妹ちゃんから聞いたとき、超焦ったんだから」
「……桃香、怒ってた?」
「超絶おこだったよ。…俺もちょっと怒ってるからね」
「はいはい、お説教は後で存分に聞くから。とりあえず今は…」
相談を終えたらしい白樺先輩たちがテーブルに戻ってくる。その取り繕った笑みに、下卑た企みが見え隠れしているのを見て、目を細めた。
「……薔薇園の衛兵さんたちに少しお灸を据えないとね」
小一時間後、私と小林の前には2枚の証文が置かれていた。
「負け10回分、今後の学校行事での舞台設営その他雑用に於いて、サッカー部と柔道部は労働力を提供し、奉仕する、と。はい、確かに~」
書類内容を確認した小林がしたり顔でそれを封筒に入れて懐にしまう。
「クッソ…イカサマだ! お前、なんか汚い手を使っただろう?!!」
白樺先輩がさっきまでの爽やか風な表情をかなぐり捨てて怒鳴る。柳原先輩もいかつい顔を凄ませて、小林の胸倉に掴みかかろうとした。小林は動じることなくその太い腕を掴んで、冷たい顔で見下ろした。
「イカサマって、先輩たちが後ろの人達使ってカードすり替えようとしてたこと? タイミングのはかり方下手過ぎ。結局俺の目が気になってすり替えできなかったみたいだし? イカサマなんてど素人が付け焼刃でできるもんじゃないよ」
軽く触れているようにしか見えないが相当な力で腕を掴んでいるらしく、柳原先輩の顔は苦痛に歪んで脂汗が浮いている。放っておいたら骨の一本は犠牲になりそうだ。
「小林君、離してあげなさい」
「はぁ~~い」
小林がぱっと手を離すと柳原先輩はよろけてその場に尻餅をつく。青褪めて腕を抑えているところを見ると、思った以上に痛かったようだ。小林は見た目以上に怪力であるらしい。
「さて、白樺先輩、柳原先輩、確認までにお伺いしますけれど、薔薇姫様…甜瓜先輩になんて頼まれたんですか?」
両先輩の肩がビクリと揺れる。薔薇姫こと甜瓜薔子先輩には少なくない数の男性心棒者がいる。彼らは甜瓜先輩に傅き、彼女を文字通りお姫様と扱うのだ。彼女の命令ならどんな汚れ仕事も引き受ける。実際ゲームの中でも彼女の命令で桃香が襲われそうになったこともある。
そんな先輩たちが私と普通に仲良く遊びたいなどと言う筈がない。もちろん桃香も一緒にだなんて論外である。生徒会というなら香川さんもいるが、彼女は女子だし、可愛いから危ない。そういう意味では小林が勝手にこの旅行に潜り込んできていたのは結果として助かったと言える。
「まぁ、だいたいソーゾーは付くけど。……真梨センパイに手ぇ出したら………殺すよ?」
小林が低くどすの利いた声で凄む。流石に本職に囲まれて育った人間らしく、迫力満点だ。後ろに座って聞いていてもぞわっと来たのだから、真正面からにらまれた方は堪らないだろう。白樺先輩と柳原先輩、更にその後ろの男子生徒たちも顔面蒼白、今にも気を失いそうだ。
だがまあ、わが身に起こりそうになったことを思えば、ちょっと同情はできない。
「お話していただけないのでしたら仕方ありません。この件は一之宮先輩にご報告させていただきますね」
私の一言で青褪めていた男子生徒たちの顔色が土気色にグレードダウンした。もはや死相が浮かんで見える勢いだ。
「そ、それだけは…!!」
「一之宮に知られたら部活停止……いや、廃部だってありうる!!……頼む!!」
床に額を擦りつけ、必死の土下座だ。人柄が丸くなったとはいえ、一之宮が代議会の絶対君主である事実は変わらない。不祥事が知られれば彼らの言う通り廃部も十分に考えられる。
「えぇ~~? ど~しよっかな~~~」
小林は言葉とは裏腹に彼らの頼みを聞く気が欠片も感じられない棒読みでぐりぐりと白樺先輩の頭頂部を突いている。そこ、押し過ぎるとお腹下すんじゃなかったっけ? まぁ、いいか。
「そう言われても、証文通り、サッカー部と柔道部の人員を使役させていただくにあたって、代議会議長に話を通さないわけにもいきませんし…」
「ぜ、善意のボランティアとでも言えばいいだろ……いや、言って下さい、お願いします!!」
私の言葉に顔を上げて怒鳴りかけた柳原先輩は小林に凄まれて途中から敬語になってしまった。…いったいどんな顔で凄んだのやら…。
「……仕方ありませんね、……それではサッカー部と柔道部は生徒会の任意の元、学校行事運営の雑用を15回ボランティアで引き受けてくださるという事で今回の事は手打ちとしましょうか?」
止めに会心の女狐笑顔で小首を傾げてみせる。小林が素早く証文の回数の所を書き直す。
「なっ……!!? ………い、いや、それでいい…じゃなかった…それで構いません。ありがとうございます!!!」
再び床に頭を擦りつけはじめた彼らを置いて、小林と連れ立って遊戯室を後にした。
遊戯室を離れ、廊下の角を曲がってから、やっと肩の力を抜いて壁にもたれかかる。流石に疲れた……。甜瓜先輩がこれで諦めるとは思えないけれど、多少の牽制くらいにはなるだろう。ついでに学校行事の力仕事用の労働力も手に入れた。戦績としてはまぁ悪くない……。
「小林君もご苦労様。助かっ…」
「真梨センパイ」
助っ人として十二分に働いてくれた小林を労おうと顔を上げた瞬間、強く引き寄せられ、気が付くとぎゅうぎゅうと抱きすくめられていた。
「…ほんとマジ心配させないで。妹ちゃんに呼ばれた時、死ぬほど焦ったんだからね」
耳元で低い声で囁かれ、熱い吐息がかかる。
「ちょ…えっと…心配をかけたのは謝るわ…だから、離して……」
「やだ。こんなに心配させる人、一秒だって目が離せないよ。ねぇ…真梨センパイ……俺………」
「お姉ちゃんから離れなさぁーーーーーーい!!!!!!」
鼻と鼻が触れ合いそうな距離で熱っぽく覗きこまれたような気がした瞬間、横合いから飛んできた何かが小林の側頭部に直撃した。パコーンという軽い音からして怪我などはしていないと思うが、小林はよろけ、腕の力が緩んだので、私はそっと彼から距離を取った。見ると床に見覚えのあるスニーカーが転がっている。どうやら飛来物の正体であるらしい。飛んできた方角を振り返ると、桃香が投球後のフォームのまま、ぜいぜいと肩で息をしていた。
「桃香!?」
駆け寄ると激しい勢いでタックルされ、そのまま抱き付かれた。流石に痛い。ちょっと夕飯の中華がせり上がりそうになった。けれど、桃香の必死な表情を見たら痛みも吹っ飛んだ。どうやらものすごく心配をさせてしまったらしい。大きな瞳がうるうると涙目で、華奢な肩は小刻みに震えていた。
「お姉ちゃんのバカ!! 心配したんだから!!! 何もされてない?! 大丈夫??!」
「え、ええ、ごめんなさい。私は大丈夫だから。…小林君も来てくれたし。桃香が呼んでくれたおかげよ」
「それも安心できないっていうか、むしろ一番危ないんだけど! ……ほんとはすごく呼ぶのやだったけど、お姉ちゃんの指示だったから、仕方なく……」
「ありがとう。桃香なら私の意図に気づいてくれるって信じてたわ」
拗ねた表情も可愛い桃香の頭を撫で撫でする。その間に、小林が桃香のスニーカーを拾って歩み寄ってきた。
「妹ちゃん、危ないよ~。真梨センパイに当たったらどうするつもりだったのさ~」
「私がお姉ちゃんにぶつけるわけないでしょ! 小林君こそ、どさくさに紛れてお姉ちゃんにおかしな真似しないで」
「おかしな真似はしてないよ~。妹ちゃんはそろそろお姉ちゃん離れした方がいいんじゃな~い~?」
「お姉ちゃんみたいな危なっかしい人、一秒だって目を離せるわけないじゃない」
「それは同感だけど~」
目の前でなんだか某猫とネズミの様に仲良く喧嘩し始めた二人に、疎外感を感じる。食堂でも感じたことだが、この二人は結構仲が良い。やっぱりクラスでいつも一緒というアドバンテージが小林にあるからだろうか…。
……何となく面白くない。先ほど不用意に熱を持たされた耳朶が今は冷たく感じる。
「………二人しておんなじこと言って……仲良いのね…」
拗ねた気分で呟くと、二人は黙って顔を見合わせると、息ピッタリに、こちらを振り返った。二人して、眩しすぎる笑顔だ。
………あ、拙い。どうやら失言したっぽい……?
「…そう言えば、無茶をしたお姉ちゃんにはいっぱい言わなきゃいけないことがあったんだわ」
「…マジで~? 俺も真梨センパイにはたっくさん言いたいことあんだよね~~」
そうして私は最愛の妹と、大型犬の様な後輩のダブルコンボでお説教をされ、解放されたのは、消灯間際だった……。
雉も鳴かずば撃たれまい…。