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いつもより短めです。
夕食会の会場は高級中華料理を提供するレストランで、ゆったり配置されたテーブルには既にほとんどの生徒が席についていた。その中を一番奥のテーブルに向かって進む。既に双璧や他のメンバーは席についている。
「遅かったな。俺と同席するのに身だしなみでも整えていたというなら感心だが…」
「見ての通り普段のままの姿で失礼します。一之宮先輩に折り入ってお願いがあるんですけど」
一之宮の軽口もそこそこに、本題を切り出す。
「テーブルのメンバーを交代させていただきたいんですけど」
この言葉にテーブルに着いていた他のメンバーがざわめく。代議会幹部と生徒会代表の固められたテーブルから人を外せという事は、交流会に於いてその人物は不要と宣言するようなものだ。
甜瓜先輩などは既に般若のような顔になっているし、南天先輩も渋い表情だ。生徒会メンバーの方は比較的落ち着いている。…というか、代議会員ばかりの交流会で生徒会メンバーを分散させるのは得策ではないと分かっているのだろう。
「交代って……もしかして…あたし、お邪魔でしたか……?」
倉田さんに至っては顔面蒼白だった。このテーブルメンバーでは唯一代議会幹部でも生徒会でもない、いや、桃香もだけど。倉田さんは外されるのが自分だと確信しているような表情だ。そのふわふわの頭を軽く撫でて、一之宮に向き直る。訝しげな表情の一之宮に、めいいっぱいの笑顔をしてみせた。
「吉嶺先輩を、別のテーブルにしてください」
そのテーブルの人間どころか、食堂内の他のテーブルにもざわめきが広がる。代議会幹部の中でも副議長を外せというのは誰しもが予想外だったのだろう。当の吉嶺でさえ、虚をつかれた顔をしている。普段何事にも動じない、底の見えないにやけ顔をしているので、そう言う顔をされるとちょっと気分がいい。
「橘平に席を外せって言うのか? こいつは…」
「元々交流会の目的は生徒会となじみの薄い代議会幹部の方との交流が目的の筈です。吉嶺先輩はそれなりに見知った仲ですし、一之宮先輩がいれば、正直吉嶺先輩は必要ないかなって」
笑顔で言ってのけてはいるが、内心冷や冷やである。吉嶺が代議会のナンバーツーであり、一之宮の片腕であることは周知の事実だし、公の場では常にセットで行動するのも単に幼馴染というだけではなく、吉嶺の家が一之宮家を主家とする間柄でもあるためだ。その片腕の存在を衆目の場で不要と宣言するのは一之宮自身への反目とも取られかねない。
一之宮を怒らせた場合、席を追われるのは私の方だ。最初は桃香が一之宮に意見すると言って聞かなかったのだが、それだけは何とか思いとどまってもらった。そんなことをして桃香が悪い意味で目立ってしまったら、双璧ルートまっしぐらどころか、今日この場からでも甜瓜先輩率いる一之宮親衛隊からの桃香いじめコースに突入してしまう。
「………交代と言っていたが、橘平の代わりに誰を入れる気だ? 主要な幹部は他には…」
「茶道部部長、檀優子先輩です。先ほどホテル内でお会いして意気投合しまして、文化部長会でも中心的な方ですし、ぜひお食事会の間もお話しさせていただきたいと思います」
怒るかと身構えていたけれど、一之宮は思いのほか冷静にこちらの意図を尋ねてきた。檀先輩の名前を出した時も、テーブル内の他のメンバーが再びざわつく中で一人黙考する姿勢を見せている。視界の端で吉嶺の眉が少しだけ動いたのが見えたが、表情まではうかがい知れなかった。
「……わかった。橘平、お前は12班のテーブルへ行け」
「石榴?! こんな女のわがままを聞くつもりなの?!」
一之宮の出した答えに真っ向から噛みついたのは甜瓜先輩だ。これは吉嶺に肩入れしたとか言う問題じゃなく、私の提案で一之宮が動くのが腹立たしいんだろうなと思う。当の吉嶺は真意の見えない笑顔を浮かべたままだ。怒るか悔しがるかしてくれるならまだ可愛げもあるのに。
「葛城さん、要か不要かでメンバーを決めるのなら、俺じゃなくても外して構わない人間はいると思うけど?」
吉嶺の言葉に再び倉田さんが肩をびくつかせる。こんな小さな子を怯えさせてるんじゃない。
「このメンバーで吉嶺先輩が一番不要に見えたものですから。他にどなたが不要なのか、私には分かりかねます」
胡散臭い笑顔にはこちらも飛び切りの女狐スマイルを返す。一般代議員より不要と宣言されたのに、吉嶺の表情は揺らがない。それよりどこか益々嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。この状況を嬉しがってるとしたら、ちょっと本気で気持ち悪いんだが。
「仕方ないなぁ。俺としてはもっと葛城さんたちとお話ししたかったんだけど。今日のところは譲るよ。優子によろしく」
そう言って立ち上がった吉嶺がすれ違いざまに耳元でぼそりと何事か囁きかけてきた。
「…ところで、君はやっぱり石榴狙いなのかな?」
「は? 仰っている意味が分かりません」
「そう? 君にはわかると思うけど…じゃあね」
そのまま歩き去る吉嶺を何となく見送っていたら、食堂の入り口が少しざわめいた。桃香が華奢な少女の手を取って一緒に食堂に入ってきたのだ。急いできたのだろう、頬を少し紅潮させ、息を切らせている美少女に、周囲の生徒が感嘆の声を上げる。
「え?! あれ檀先輩?!」
「すご、印象が変わったね」
「何か優しそう…って言うか可愛い」
「前は凛々しいって言うか、少し厳しそうに見えたけど、素は可愛い系だったんだな…」
檀先輩は言っていた通り、吉嶺の為にしていた美人系メイクをやめた。で、折角なので私と桃香でメイクさせてもらったのだ。普段ほとんどすっぴんの桃香と私だが、必要最低限のメイク道具は持っているし、今回の旅行でも、必要になるかと思って持ってきていた。檀先輩の素の顔だちを活かした清楚系美少女メイクは我ながら渾身の出来栄えだ。
振られて吉嶺好みのメイクを止めたからと言って、以前よりも見劣りするようになったなどと言わせてなるものか。振った男に逃がした魚の真の価値を見せつけてやるのだ。そしてもうひと押し……こればっかりは檀先輩の意地と頑張りにかかってるんだけど……。
「君…優子か……見違えたね」
「橘平……」
吉嶺が驚いたように声をかけているが、私にはそれが振りだけだとわかる。自分が振った相手を今更惜しいなどと言う男じゃない。それよりも、自分をテーブルから追い出した事への意趣返しのつもりなのだろう。檀先輩が自分の態度で傷つくのを見るつもりなのだ。
一瞬、目を逸らそうとした檀先輩の背を、桃香がそっと支えるのが見えた。檀先輩がちょっとだけ俯いて息を整える。次に顔を上げた時、彼女は誰もが見惚れる様な笑顔を見せた。
「吉嶺君、葛城さんが無理をお願いしてごめんなさい。せっかく仲良くなれたから、どうしても一緒に食事もしたくって…。吉嶺君も機会があれば葛城さんと話してみるといいわ。…あなたも、仲良くなれるといいわね」
心からの笑顔に見えるあたり、檀先輩は女優だなぁと思う。吉嶺みたいな男への一番の意趣返しは、傷ついて見せることでも、傷を隠して強がることでもない、ただ普通に、振られたことすら感じさせない程幸せそうに笑って見せることだ、と提案したのは桃香だ。この短期間であの複雑怪奇なチャラロンゲの対抗策を講じるとは、我が妹ながら恐ろしい。「ついでに自分の方がお姉ちゃんと仲良くなったわよざまぁ、ってアピールするともっといいと思う」とか言ってたけど、あれはどういう意味だろう?
謎の付加アピールはともかく、効果は覿面だったらしく、吉嶺が珍しく固まっている横をすれ違って、桃香と檀先輩がこちらへ小走りに駆け寄ってきた。思わず小さくハイタッチなどしていると、一之宮が目ざとく気づいていたらしい。
「なるほどな。そういうことか…。女は怖いな」
「……今更決定を無効にはしないですよね?」
とりあえず、女狐スマイルで誤魔化してみる。一之宮は溜息を吐いて椅子の背もたれに体重を預けた。
「いや、今回の件は橘平に原因があるからな。檀や他の女への対処もあいつにしては悪手ばかり打っている気がしていた。少し頭を冷やした方がいいだろう」
「……やっぱり先輩少し変わりましたね。正直、吉嶺先輩贔屓にされたらどうしようかと思ってました」
「身内を庇って道理をへし折るような真似をしたら、今度こそ見限られるからな」
「そうですね。いくら我慢強い人が多いとはいえ、限度ってものがありますからねぇ」
実際、親衛隊の中でも枇杷木先輩あたりはよく我慢してると思う。彼女の場合は我慢とは思ってないのかもしれないけど。心の底からそう思って同意したのに、なぜか一之宮には不本意そうに溜息を深々とつかれた。
「…見限られる以前の問題もあったな……」
「……?」
どういう意味だろう?
ある意味本当のとばっちりは左遷された副議長と中華を囲む羽目になった12班の皆様かも。