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ご無沙汰しておりましてすみません。あ、あとあけましておめでとうございます(遅すぎ)
カフェから部屋に戻る途中、吉嶺の話の意味を考えていた。本来、吉嶺が取り巻きを一方的に切り捨てるイベントは彼のルートが確定し、桃香と恋人同士になる2学期中旬以降の筈だ。
早すぎる上にこのイベントに達するまでの桃香のフラグは何一つ立っていない。にもかかわらず、吉嶺は取り巻きである檀優子先輩と別れたという…。檀先輩だけじゃない、吉嶺のあの様子だと他の取り巻きの女生徒も同じように切り捨てている可能性がある。ただ…取り巻き筆頭の郁子野先輩だけは元々女子大生で、学内での遭遇率が低いので、例外である可能性もあるけど……。
そんなことをつらつら考えながら歩いていた所為か、廊下の角を曲がったところで前方から走ってきたらしい女生徒とぶつかってしまった。華奢な相手がよろけるのを咄嗟に支える。
「…どこを見てるのよっ! って……あなた…?!」
「え? 檀先輩?!」
ぶつかった相手はちょうど考え事の中に登場していた檀優子先輩その人だった。更に驚いたことに、先輩の目は真っ赤で、泣きはらした跡が一目瞭然だった。思わずその顔を見つめてしまったが、檀先輩は気まずそうに顔を背け、私の手を振りほどこうとする。
「離して! じろじろ見てるんじゃないわよ!!」
思わず腕を掴んで引き留める。このタイミングで泣いているなんて、吉嶺の件と無関係の筈がない。
それに、このまま彼女が進行方向、私が来た廊下の方へ進んだ場合、この状態の顔で吉嶺と遭遇する可能性がある。それはきっと檀先輩の本意じゃない筈だ。
「待ってください、檀先輩、えっと…あの……すぐ近くが私の部屋なんで来てください!」
咄嗟に口から出たのはそんな言葉だった。檀先輩の眼が驚きで真ん丸になる。
「何…言ってるの……?」
「あ、えっと……目の周り、腫れてますし、うちで顔洗って冷やしていきませんか…?」
我ながらヘタな誘い文句だと思う。それでも彼女をこのまま放ってはおけなかった。慰めることはできなくても、せめて、泣き顔をこれ以上人に見られたくないだろうという気持ちは察せられたから。
反発するかと思われた檀先輩は、私の間抜けな発言に毒気を抜かれたのか、黙ってついてきてくれた。部屋に入ると桃香が驚いた顔をしたが、察しの良い我が妹はすばやく洗面台でタオルを濡らしてきて、部屋備え付けの冷蔵庫から氷を取り出すと簡易的なアイスバッグを用意してくれた。
「先輩、冷やす前に顔、洗いますか?」
檀先輩は普段きっちりメイクしているのだが、今はそれも涙でぼろぼろだ。荷物からクレンジングを取り出して渡すと、ちょっと不思議そうな顔をされたが、何も言わず洗面所へと入っていった。数分後、すっぴんになって戻ってきた檀先輩は少し落ち着いた様子でアイスバッグを受け取ると眼元に当てた。それを見守りながら彼女を座らせたソファの正面、ベッドの端に腰を下ろす。
「………」
「…………」
「……………ちょっと」
「はい?」
声をかけられたので返事をしたら何故か真っ赤な顔で睨まれた。普段はメイクばっちりで大人っぽいキャリア美人タイプの檀先輩だがすっぴんは意外と年相応で可愛らしい。そんな感想が顔に出ていたのか、彼女の顔をまじまじと見つめてしまった所為か、先輩は更に顔を真っ赤にしてしまった。
「何で何も訊かないのよ!!?」
「ああ…。確かに色々と窺いたいのは山々ですが、泣いている女性に無理やり事情を聞くのはマナーに反すると思いますし、何よりまず先輩の涙を止めたいと思ったので」
「な……あ、あなた………っ」
問われたことに正直に答えたら、檀先輩は口をパクパクさせながら固まってしまった。顔がこれ以上ないくらい真っ赤になっているのは怒っているように見えるけれど…。何か癇に障ってしまったのだろうか…?
「お姉ちゃん、無差別テロは良くないと思うの」
「…桃香、何の話?」
妹から呆れた視線まで貰ってしまった。意味は分からないけど、私の言葉が先輩の何かしらの琴線に触れてしまったらしい。気を付けよう。
とりあえず、檀先輩の様子から、事情を尋ねても差し支えなさそうだと判断できたので、単刀直入に訊いてみることにした。
「檀先輩…えっと……不躾で申し訳ないのですが、泣いていたのって、吉嶺先輩の所為ですよね?」
「……橘平が話したの?」
「夕飯の班分けの事でちょっと…」
正直に話すと、檀先輩はすん、と鼻をすすって頷いた。
「昨日いきなり言われたのよ。『もう君たちとの遊びは終わりにしようと思うんだ』って…冗談かと思ってたら、今日はもう目も合わせてもくれないし、夕飯のテーブルも急にグループ変更って、それも人から伝言で伝えられて……メールもLINEも無視されて……」
「理由は訊いてみたんですか?」
私の問いかけに対して先輩は力なく首を横に振る。
「…そんな縋るような真似できないわ。元々橘平とは恋も遊びと割り切ってお互い束縛しないのが暗黙のルールだったんだもの。文句を言う権利なんて……」
「……あるに決まってるじゃないですか」
弱々しい檀先輩の言葉を遮るように反論する。先輩が驚いた顔でこちらを見上げて私の顔を見てさらにギョッとするのが分かる。今の私の顔は自分で言うのもなんだが相当に凶悪な表情になっているだろう。漫画だったら特大の青筋が額に浮かんでいるところだ。
怒りにふつふつと頭が煮えたぎるような気持ちになる。吉嶺が遊び人だというのも、侍らせているたくさんの女性の誰とも本気にはならないというのも前々から噂にはなっていたし、取り巻きの女性はそれを承知で割り切って傍にいるのだという話も有名だった。だからと言って、こんな風に切り捨てられて、傷つかない筈がないのだ。
「そんな馬鹿馬鹿しい暗黙のルールなんてものを自分に好意を持ってる女性に適用させてる時点で吉嶺先輩は人間として最低です。その上自分の都合で相手を切り捨てておいて謝罪の一つもないだなんて、檀先輩はあの男を殴って罵倒して土下座させた上に頭を踏みつけるぐらいして然るべきです」
吉嶺への怒りのままに言い切ると、檀先輩のは目を丸くしてぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
「こと、この件に関しては檀先輩には一切非がないんです。説明責任も果たさず避けて回ったり、夕飯のテーブルを職権乱用して引き離したり、みっともない真似をしているのはあっちなんですから、檀先輩は堂々と、吉嶺橘平を糾弾する権利があります!!」
「みっともないって…橘平が…? っていうか、あなた今上級生を呼び捨てに…」
「敬意を表するに値しない男なんて呼び捨てで充分です。むしろ名前を呼ぶのすら煩わしい。あんな最低なチャラロンゲ男はあのちょんまげごと毟って禿にでもなればいいんですよ」
吉嶺の様な男が大事な桃香の恋人候補だなんて、全く持って腹立たしい。あのチャラロンゲ男に目にものを見せてやりたいと、怒りに鼻息を荒くしていたら、檀先輩がぷっと吹き出した。そのまま顔を伏せて肩を震わせているけど、これは…また泣き出した…訳じゃないよな……?
「っ…ふふっ……あなたって、変な人ね。私はあなたに随分嫌な態度取ってきていたのに、私の事でそんな風に本気で怒ったりして…変よ。おかしいわ」
変だのおかしいだの繰り返されるのは複雑な気分だが、檀先輩の様子が落ち着いているならまあ、悪くはないか。
「私としてはただの本音のつもりなんですけど」
「……だからこそ変よ。普通は他人の、それもどちらかと言ったら敵対していたような人間の為にそんなに本気で怒ったりしないわ」
「そうですね…。何というか、檀先輩方は他人のような気がしないというか…」
ゲームの中で報われない恋に苦しむライバルキャラという意味では『真梨香』の身内みたいなものだ。沢渡花梨や胡桃澤嘉穂のように、話してみると案外気が合うんじゃないかと思ってしまう。
「生まれも育ちも真っ赤な他人よ。……でも、ありがとう。正直、あのまま廊下にいたら他の人にみっともないところを見られていただろうし、助かったわ」
う…わぁ……。ツンがデレる瞬間を目の当たりにしちゃったよ。檀先輩が少し恥ずかしげに目を伏せて頬染めて消え入りそうな声でぼそぼそとお礼を言う様はまさにツンデレ萌えにはたまらないだろうな、という可愛らしさで。元がキツめの美人メイクだっただけにすっぴんは清楚でギャップがすごい。
こんな可愛い子を振るとか、吉嶺の目は単なる飾りか、アクリル玉でも詰まっているに違いない。
思わず抱きしめて撫でまわしたくなったが、相手は一応先輩だ。胡桃澤のように遠慮もなしにもふるわけにはいくまい。
ちょっと迷った結果、先輩の正面に膝をついて、その手を取った。驚く先輩の顔を見上げる。
「先輩が、少しでも元気になってくれたなら嬉しいです。今気づいたんですけど、檀先輩、すっぴんの方が可愛いですよ。お化粧で隠すなんてもったいないです」
「っ?!! あ…あなたねぇっ!! そういうことをサラッと言うんじゃないわよ!!!」
折角なのですっぴんもしくはナチュラルメイク美少女に大変身で吉嶺の事はすっぱり忘れて幸せになって欲しいと思って提案すると、湯気でも出そうなほど真っ赤になって怒られてしまった。
……やっぱりそんなにすぐには切り替えられないよな。無神経な事を言ってしまった…。
「すいません…気を付けます」
「そ…そこまでシュンとしないでよ。私がいじめたみたいじゃないの…。……化粧は…自分でも背伸びしてるのはわかってたから…もうちょっと薄くしようかとは思うわ。それに、もう橘平の好みに合わせる必要は無くなったし……」
少し寂しそうなのはやっぱりまだ完全には吹っ切れてないからだろう。この後の夕食会では吉嶺がテーブルを離したのが他の生徒にも知られて噂されてしまうんじゃないだろうか…。
「先輩…この後……」
「私たちと一緒に夕飯、食べませんか?」
いっそのこと食事会を欠席してルームサービスで済ませてはどうかと提案しようとしたら、桃香に遮られた。一瞬桃香も同じことを考えたのかと思ったんだけれど、どうやら違うらしい。振り返って見た桃香の顔は、最高に可愛らしい笑顔で……ものすごぉく、怒っていらっしゃった。
最終兵器:妹、起動…?