22
嵐の前の…。
4月も終わりの朝、一昨日の夜から祝日も丸々寝倒した私の体調は万全の状態まで回復していた。
昨晩は早くに寝過ぎていつもより1時間以上早起きしてしまったほどだ。
「……」
目の前には1枚のハンカチ。白地に角に小鳥の刺繍が施されている。私が津南見柑治に借りてしまった物だ。一昨日私が寝ている間にお母さんが洗濯してくれ、アイロンもかけてくれたようで、きれいに折り畳まれている。
そしてその隣、今朝うっかり早くに目が覚めてしまって作った家族のお弁当とは別に、ごくごく小さなタッパー。中身はブラウニーである。一口サイズの型を使って電子レンジでさっと作ったものだ。急に作ったので適当なラッピング用品がなく、タッパー詰めになってしまった。
ハンカチは借りたものなのだから返せばいいのだけれど、先日あれだけの醜態をさらして慰められ、体調を崩した時には看病までしてもらってしまっている。ただ返すだけというのはあまりにも礼を欠いている気がしてお菓子を作ってはみたものの、いざ持っていくと考えると、余計な事をしてしまった気がしてならない。
「やっぱりやめておこうかしら…」
いくらお礼とはいえ手作りのお菓子というのはいささかやり過ぎではないだろうか。いや、そう考えること自体自意識過剰な気もする。さりげなく、あくまで世話になったお礼として渡せば問題ないのではないか。
「そうよ。あくまでもただのお礼。深い意味はないし、あわよくば津南見に女子力の高さを見せて苦手意識を持ってもらう作戦…」
自分で言っててもツッコミを入れたくなるくらい言い訳じみている。そもそも、津南見自身の言葉によれば、私は彼の女性恐怖症の対象外らしいので、今更女子力をアピールしようが、ボーイッシュに振舞おうが、意味がないのだ。
「…そういやその問題もあったんだ…。なんでアイツ私に触れて平気なんだ?」
ゲームの中と同じように、幼い頃に出会い、しかも私がボーイッシュなままでいたのならわかる。津南見は剣道で自分と互角に戦った真梨香を男だと思って仲良くなり、性別が分かった後も友情は変わらないと言って、親友扱いする話になっていたからだ。
けれど、実際は今の真梨香は津南見と出会わないよう、剣道場の対外試合の日は悉くサボっていた。仮病を使って、心配した桃香に看病してもらい、師範にはこっぴどく怒られたし、お母さんにも拳骨を喰らったりしたけど、その甲斐あって桃香共々、津南見とは高校に入るまで会うことなくきた…はずだ。
「……少なくとも、女性恐怖症を取っ払うような強烈な出会いがあったなら私が覚えてないわけがないし……一応津南見の幼少期は女装姿とはいえゲームの中で見たことあるし…あんな顔の整った子に会ったら忘れはしないと思うのよね……」
幼少期の出会いなしに津南見が私だけ触れても平気だとする根拠が思いつかない。…ここがゲームの世界だから、津南見のそれは一種のバグだとでもいうのだろうか…。
「なんにせよ、あんまり近づくのは危険よね……」
やっぱりハンカチを返すだけにしようか。そう思い始めた時、母の葛城柚子がキッチンに入ってきた。私を見て目を丸くする。
「あら? あんた具合悪かったんじゃなかったの? ゆっくり寝ててよかったのに」
「充分熟睡させてもらったし、昨夜もあんまり早くに寝ちゃったもんだからいつもよりも更に早く目が覚めちゃったの」
「それでお弁当まで作っちゃったの? 悪いわね」
言いつつもあんまり悪そうな表情ではない。お母さんのことだから、私がもう回復したことは見ただけでわかっているのだろうし、そういう態度の方が気を遣わずに済むのでありがたい。
「お弁当はともかく、そっちは? 甘い匂いがするけど…」
「これは…その……一昨日保健室に行くとき桃香の部活の主将に連れて行ってもらった挙句看病してもらったから…お礼…なんだけど……あげない方がいいかもって……」
「あらどうして?」
「……変に馴れ馴れしいと思われたくないし……。一言お礼を言うだけでも充分かなって………」
言いよどむ私を前に、お母さんが面白いものを見たというように、ニヤっと口角を上げた。悪戯を思いついた狐のような表情は自分もよくやるけれど、される側になると、これは怖い。今後やるときは気を付けよう。
「な…何よ?」
「ん? 別に。ただ、ちょっと珍しいなと思っただけよ」
「何が?」
「真梨香がそんな風に悩むのが。いつもなら、お礼するならする、しないならしないで、迷ったりしないじゃない? その先輩の事、苦手なの?」
さすが母親だけあって鋭い…。
「苦手っていうか…………嫌い…?」
私は津南見が嫌いだ。津南見もその他の攻略対象者たちも、私から桃香を奪っていくだろう相手は皆嫌いだ。桃香を悩ませ、泣かせる輩を好きになれるはずがないのだから。そう言うと、お母さんが片眉をちょっと上げるのが見えた。
「へえ…? それも珍しいわね。……まあ、それはともかく、せっかく作ったのならお礼はちゃんとしなさい。お世話になってお礼の一つも言えない子に育てた覚えはないわよ」
「……はい」
こつん、と軽く額を小突かれて、ため息交じりに返事をする。確かに、津南見への感情は置いておいて、お礼はお礼だ。ちゃんとしなくては。
「………ところで、こっちの大きなタッパーは?」
「あ、それは生徒会の皆にお詫び。一昨日は仕事を途中で放棄しちゃったし、会長の篠谷君には帰りに送ってもらったりもしたから…」
「……そっちは迷わないのね…」
お母さんが呆れたようにぼそりと何か呟いていたけど、首を傾げて聞き返すと何でもないわと頭をぐしゃりと撫でられた。
「それより、朝食にしましょ。桃香を起こしてきてくれる?」
「はーい」
言われてみれば、もうそれなりの時間だった。桃香の朝練があるので、急いで起こさないと。お母さんに促されるまま、私は桃香の部屋へ向かった。
桃香と一緒に登校し、いつもなら校舎に入る手前で別れるのだが、今朝は桃香について剣道場に足を運んだ。お礼を渡すならさっさと渡してしまわないと、時間が経つにつれて決心が鈍りそうだったからだ。
剣道場で準備を始めている部員たちの中に、シェリムに何やら指導をしているらしい津南見がいた。思わず身構えそうになる気持ちを抑えて、入り口付近にいた部員に取り次ぎをお願いする。小走りに駆け寄って行った部員の言葉で二人がこっちを振り返った。
「マリカ!」
その瞬間、シェリムがものすごい勢いで駆け寄ってきた。私と桃香の一歩手前で止まったかと思うと、その場に膝をついて手を膝の前の床に置くと、上体を深々と伏せた。
「そのセツは大変申し訳ない事をしまシタ! どうか許して頂けないでショウカ!!」
突然の土下座に私も桃香も固まって動けない。床に額をこすりつけんばかりにしているシェリムも微動だにしない。周囲の部員たちはざわめいている。え? 何この羞恥プレイ。
「あの、ちょっと、シェ…ジャムシード君、これはいったい何の真似なの?!」
「一昨日部活の後、モモカ姫との出会いをシショウに相談しタラ、マリカが怒るのは当たり前ダと叱らレまシタ。日本人は家族を大切にスル。モモカ姫も私がマリカを軽んじたカラ怒っているのダト。誠心誠意謝罪しなけレバ、きっともう言葉も交わすことができナイだろうト」
「師匠って…津南見先輩、そんなこと言ったんですか?!」
「俺じゃない。木通先輩だ。一昨日あれから妙に木通先輩に懐いてしまってな」
「ハイ! ユタカシショウ、日本の伝統的謝罪方法を指導してくれまシタ。この姿勢で心から謝れば、きっと許してくレルだろうッテ」
木通先輩……新しいおもちゃでも見つけたような顔で唆したんだろうなあ…。シェリムは空気は読めないし、王族として甘やかされて育っているから基本的に我儘だが、根が単純で、騙されやすい。クラスでも柿崎由紀に妙な日本語を教えられたりしている…。
「ジャムシード君、流石に土下座はやり過ぎよ。…謝罪の気持ちならもう十分に伝わったから…。というか、恥ずかしいからやめてほしい」
「……許して…貰えマスか?」
「事故の事なら本当に気にしてないの。…桃香に言い寄ることについては正直今も迷惑極まりないと思ってるけど」
一瞬顔をあげて輝かせたシェリムは後半の私の言葉でシュン…と落ち込んで見せる。…なんというか、素直でわかりやすい。
「シショウが日本では恋する相手の家族を説得できナイうちは手を握ることも許されナイと言っていマシた…。それなラバ、私は姫の為マリカに認めらレル男になりマショウ」
木通先輩の話が妙にリアルなのは実体験だろうか…。それはともかく、シェリムが桃香に言い寄る前に私に認められることを目標にしてくれるのなら、私としては立派に小姑を演じればいいだけだ。木通先輩、グッジョブです。
「そう簡単に認めるつもりはないわよ?」
「望むところデス」
闘志を燃やすシェリムに渾身の女狐笑顔で答えてやる。バチバチと火花が見えそうな睨み合いを断ち切ったのは、津南見の声だった。
「それはそうと、葛城は今日は何の用だ? 身体はもういいのか?」
低めの声は戸惑いと労わりを含んでいて、アーモンド形の瞳は気遣うように揺れていた。見つめられると、昨日の失態の数々を思い出して、動揺しそうだったので、目を伏せ、極力目を合わせ無いように、小さなタッパーとハンカチを差し出した。
「あの…これ、一昨日のお礼と、お借りしたハンカチです。ちゃんと洗ってます。…先日は色々すみませんでした」
早口で一気に言い切る。津南見はと言えば、無言で立ったままハンカチもタッパーも一向に受け取ろうとしない。思わず強引に押し付けようかと顔を上げて、後悔した。真っ赤になって照れる津南見の顔は見ているこっちが恥ずかしくなるレベルで、赤面が伝染しそうになる。
「と、とにかく、これはお礼です。あくまでもお礼ですから、お礼のお返しとか、一切いりませんから!」
律義で融通の利かない津南見の事だからお礼のお礼と言って何かしら返してきそうで、そうなるとずるずるお礼合戦という名の交流が始まってしまう。とにかくそれは避けたかったので、とにかくぐいぐいと押し付ければ、やっと受け取ってくれた。そっと横目で窺えば、津南見が手の中のタッパーを感激したように見つめている。何処の乙女だというような顔をされて、見ているこっちは大変いたたまれない。
「……ありがとう。………大切にする」
「…いえ、悪くなるので早めに食べてください。……それじゃあ、桃香、部活頑張ってね」
「うん、お姉ちゃんこそ、あんまり無理しないでね」
とりあえず、ここに来た目的は果たした。桃香と離れるのは名残惜しいが、あまり長居するわけにいかない。
生徒会のミーティングにはもうちょっと時間があるから図書館にでも行こう。やっと肩の荷が下りた気分で鞄を持ち直すと桃香に声をかけて剣道場を後にした。
図書館で司書のおばさんに入れてもらい、書架を眺めていたら、後ろから両手で囲うように棚に手をつかれた。…気配を感じなかったのは勘が鈍ったのか、こいつが凄いのか…。
「……今日はおんぶお化けはしないのかしら?」
「………すっげえ心配した。様子見に行こうかと思ったけど、ビーバー先輩が駄目だっていうし、俺寮住まいでカイチョーみたいに車出してやれないし、妹ちゃんにメールで様子を聞いても教えてくんねーし」
「ちょっと待って、いつの間にうちの妹とメルアド交換してるのよ。聞いてないわよ!?」
聞き捨てならない情報に思わず振り返る。部活ルートを警戒していたけど、こいつも十分要注意だった。小林檎宇は私の剣幕に一瞬きょとんとしたものの、へらっと笑って答える。
「妹ちゃんが生徒会でのお姉さんの様子とか教えてって言うから、交換条件でお姉さんのおうちでの話聞かせてよって言って教えてもらった~。『一緒のベッドで寝た』とか『お姉ちゃんのごはん最高』とか、『お風呂上がりのお姉ちゃん可愛いけど見せてあげなーい』とか、惚気られて逐一腹立つけど」
「……桃香にはよく言って聞かせておくわ…」
…なんだろう、自分が由紀とかに妹との惚気を聞かせる分にはためらいも恥じらいもないんだけど、桃香にそれをされてると他所から聞くのはすごく恥ずかしい。やめてもらうよう桃香にお願いしよう。私も多少は……やめられないかもしれないけれど、自重しよう。多分。少なくとも、桃香にばれない程度にしよう。…多分。
「……じゃあさ、真梨センパイも俺とメアド交換しようよ。妹ちゃんのクラスでの様子とか教えるし、業務連絡にも使えるでしょ? 役員同士とか、シロ先輩とかとは交換してるでしょ?」
「それは構わないけど……濫用禁止よ?」
「しないしない。……朝昼晩ラブメールするのはOK?」
「……教えるの止めようかしら」
「あ、嘘嘘、嘘で~す。おはようとおやすみメールだけは見逃してよ? ね~?」
いまいち不安だな…。でもクラスでの桃香の様子は知りたいし………。背に腹は代えられないので、仕方なく小林とメールアドレスを交換する。まあ、あんまりくだらないメールを送ってくるようだったら、その時怒ればいいか。
と思っているとさっそくメールの着信を告げるランプが光った。開くと、『てすと~』という件名で、目の前の小林からだった。
「ね? 届いた~? 届いた~??」
「ええ、…本当に濫用しないでよ?」
「うん! 真梨センパイはめいっぱい濫用してね。愚痴でも何でも聞くし~、その日にあった事でも、妹ちゃんの事でも、何でもいいし~、……一昨日みたいに苦しくなった時もさ、できれば俺を呼んでほしい」
不意に響いた真剣な声音に顔を上げると、切れ長の目がじっとこちらを見下ろしていた。どこか悔しそうな、苦しそうな瞳。
「俺なら真梨センパイの事、運べるし、おんぶでも、お姫様抱っこでもセンパイの家までだって余裕だし、多分。仕事だって、もっと俺に回して、センパイ楽させてやるし、えっと…それから……」
「…ありがとう。その気持ちだけで充分よ」
「……俺は充分じゃないよ」
拗ねたように唇を尖らせる小林は子供みたいだ。でも今それを指摘したら余計怒らせそうな気がしたので、ちょっと背伸びして、頭を撫でるだけにした。ビクッと一瞬小林の肩が跳ね上がったけれど、大人しくされるがままになっている。カラーリングしている髪は、痛んでいるのかと思っていたけど、手入れをちゃんとしているのか、手ざわりはサラサラだ。
「小林君は頑張ってる。仕事もできるし、執行部の皆からもすごい一年が入ったって評判なのよ。もちろん私も頼りにしてるし」
「本当?! 俺、真梨センパイの役に立ってる?!」
ぱっと顔を上げた小林は散歩用のリードを見せられた犬みたいな顔をしている。いつもこうなら可愛いのだけど…。
「もちろん。今日もお仕事一緒に頑張りましょうね」
「うん、俺頑張る!!」
そう言って小林が勢い良く抱き付いてきたため、本棚で後頭部をぶつけた。……大型犬にはやっぱり待てを教えないと危ない。
生徒会室に入ると、白木さんが駆け寄ってきた。瞳を潤ませ、顔色は青褪め、どっちかっていうと彼女の方が心配だ。
「葛城さん! もう大丈夫なの?! 一昨日倒れたって聞いて…心配したんだから!!」
「ごめんなさいね。倒れたっていうのは大袈裟だけど、ちょっと寝不足がたたっちゃっただけだから。もう平気よ」
「本当に…? 無理、してない??」
「してないわ。…ありがとう」
必死な顔の白木さんが可愛らしくてつい彼女の頭も撫でていたら、錦木さんが呆れたように白木さんの襟を引っ張った。
「だから言ったでしょう。由美子は心配し過ぎだって。…葛城さんも、自己管理はちゃんとしないと。新歓パーティーが終わって少し気が抜けてるんじゃないの?」
「ええ、本当に。ごめんなさいね、一昨日は皆にも迷惑をかけたし、お詫びと言っては何だけれど、おやつにブラウニー作ってきたから、今日の活動の休憩時間にでも食べて頂戴。給湯室の冷蔵庫に入れておいたから」
「へえ、それは楽しみだね。それじゃあ、みんな揃ったことだし、ミーティング、始めようか?」
「……梧桐くん、えっと…先日は大変ご迷惑を……」
小林といい梧桐君といい、最近気配を消すのが上手すぎないか? それとも私の気が抜けてるだけ? 恐々振り返れば、梧桐君はいつも通りのビーバーによく似た人懐っこい笑みを浮かべている。……うん、怒ってらっしゃるね。
「迷惑よりは心配の方が大きかったんだけど、ともかく大丈夫そうで安心したよ。……会長と小林君を止めるの、大変だったんだよ?」
「重ね重ね申し訳……」
「ブラウニーか…あったかい紅茶とか合いそうだよね」
「本日のお茶当番は心を込めて務めさせていただきます……」
「葛城さんお茶淹れるの上手だから楽しみだな。それじゃあ、まずお仕事片付けちゃおうか?」
…生徒会用のお茶っ葉のストックの中で一番いいやつを淹れよう。木田川先生秘蔵のダージリンがあった筈。この際使わせてもらおう。私は心の中でこっそりと生徒会顧問のおじいちゃん先生に合掌しつつ、副会長の席についたのだった。
その日の朝のミーティングは恙なく終わり、教室でも、生まれ変わったかのように大人しくなったシェリムに由紀が目を丸くして驚いていたくらいで、平和に過ぎた。
問題は放課後に突然やってきた。
「失礼します。代議会の倉田です。議長から預かった書類を持ってきました」
生徒会室にノックして入ってきたのは桃香のクラスメイトで香川さんに変わってクラスの副委員長になった倉田苺さんだった。小柄で明るい栗色の髪の美少女で、桃香とも仲が良いらしい。
「ありがとう。確かにお預かりしました。…あら? これは?」
「あ、議長から葛城先輩個人宛だそうです。『借りを返す機会をやる』と伝えておくよう言われました」
…嫌な予感しかしない。やたらと装飾の凝った封筒を前に開けるのを躊躇っていると、横から伸びてきた手に奪われた。
「生徒会全体の借りなのに副会長個人宛というのは如何なものかと思います。なので、これは僕が預かります。一之宮先輩には後日『生徒会から』お返事しますとお伝えください」
「え、あ、はい…わかりました」
篠谷が輝かしくも目が潰れそうな笑顔を振りまくもんだから、純情な一年生は真っ赤になって生徒会室を出ていった。…大丈夫かな。篠谷のイケメンオーラに当てられた可哀想な後輩の心配をしていると、背後からヒヤリと冷たい気配が漂ってきた。春だというのにこの真冬のツンドラ地帯を思わせる空気を発する人間なんて、一人しか心当たりがない。
振り返ってみれば、先ほどの封筒を宛先人である私の許可もなく開封した篠谷が実に楽しげな笑顔満開で中の便箋を読んでいた。その手の中で、便箋が無残にぐしゃりと握りしめられていく。読み進めるほどに篠谷の笑顔が益々輝きを増す。……何書いたんだよ、バカ殿……。面倒なことになりそうな予感に冷汗を垂らしていたら、篠谷がしわの寄った便箋をこちらに差し出しながら微笑みかけてきた。
「まったく……双璧の思い付きにも困ったものです。ゴールデンウィークに代議会幹部で交流会と称して旅行を計画しているそうですが、それにあなたを同行させると言ってきています」
「はあ………はあ?!」
私の方はあやうく最初に倉田さんに渡された書類(重要)を握りつぶすところだった。
津南見先輩は貰ったブラウニーを大事に取って置こうと自宅の冷蔵庫に入れてお姉さんズに全部食べられるというオチが待っています。