15
桃香が泣いている。平らな画面の向こうで大きな目に大粒の涙を浮かべて。映像に動きはなく、それは一枚の静止画だった。メッセージウィンドウで台詞が表示される。
『お姉ちゃん…どうして……?!』
画面は彼女の部屋の背景イラストに切り替わる。ピンクを基調にした、リボンやレースの飾られた部屋。ベッドにはぬいぐるみ、いかにも女の子と言った可愛らしい色とアイテムで統一された、ヒロインの為の部屋。
『どうして…?……わからないよね? 君は可愛くて、女の子らしくて…ボクの気持ちなんて…わかりっこないよね…』
画面にヒロインの姉の真梨香が立ち絵で現れる。暗いオーラを背負った姿。メッセージウィンドウには狂気に満ちた笑顔のアイコンが表示される。
『こんなに小さくて、女の子女の子してるのに、女嫌いの柑治にどうやって愛されたの? あいつ女に触られたら蕁麻疹が出るって言ってたくせに、ボク以外の女の子はまともに口もきけなかったくせに、…ボクはあいつの為に女っぽくならないように、髪も…言葉も…仕草も服も……全部全部あいつの隣にいる為に!!! なのに何で?!!! ねえ、何でボクじゃなく君が愛されるの??!!! 誰よりも女の子らしいくせに…ボクにはないものも、ボクが捨てたものも全部持ってるくせに…!!!! ずるいじゃないか?!! ねえ?? ずるいよねえ???!!!』
メッセージウィンドウを埋め尽くす恨みの台詞。アイコンがヒロインの困惑した表情に切り替わる。
『お姉ちゃん! やめて!! …まさか…お姉ちゃんが柑治先輩のこと…。そんなそぶり全然……。相談した時も、笑って背中を押してくれたのに…』
『柑治が君を受け入れるなんて思わなかった…。あいつが女と付き合うなんて言う筈がないと思ってたのに…あいつが君の事をボクに相談してきたとき、あいつは何て言ったと思う? 《こんな気持ちを女に抱くようになるなんて初めてでどうしていいか分からない》…だって。笑えるだろ? 女嫌いの堅物主将の唯一の女友達だなんて己惚れていたのはボクだけで…あいつにとってボクはただの一度も女の子じゃなかったんだ……』
画面がイラストスチルに切り替わる。怯えるヒロインの頬を包むように手を添え、微笑みかける姉。壊れた人形のように頬を撫で、髪を撫でる。恐ろしさに後ずさろうとするヒロインを押さえつけ、その髪を力任せに掴んで引っ張る。
『いっ…痛い! お姉ちゃんやめて!!』
『ねえ…この髪を短く切り刻んだら…あいつなんて言うかな……? 男の子みたいに……いっそのこと丸坊主にしちゃおうか…。柔らかな頬っぺたも…ナイフで削ぎ落として…大きな丸い目はくり抜いて…あいつが好きになったところ……全部全部ボクに頂戴? ねえ桃香ぁ…お姉ちゃんのお願い……聞いてくれるだろ……?』
『ひっ……いやあああああ!!!』
ヒロインの絶叫が表示され、ドンっという効果音が響くー。
「桃香逃げて!! 超逃げてー!!!」
叫びながら、目が覚めた。ベッドからずり落ち、手を空中に伸ばしたポーズで、呆然と周りを見る。淡いブルー系の壁紙とシンプルなモノトーンの家具、間違いなく、現世の、私の部屋だ。パジャマが汗でべっとりと肌に貼りつき、不快感を増幅する。ずり落ちた時にぶつけたらしい頭がずきずきと痛む。起き上って恐る恐る鏡を見れば、今の真梨香が映り、ホッと息をつく。
「…バッドエンドルートなんて…冗談じゃないわ……」
鏡に手を突き、ゲームの真梨香と同じ、吊り上がり気味の目を隠す。
「『私』は真梨香にはならないわ…。絶対に」
ゲームの記憶。バッドエンドルートで桃香を殺そうとする真梨香を、間一髪で助けに来た津南見が止める。その後入れられた病院から真梨香が脱走、津南見は真梨香を放っておけないと、突然桃香に別れを告げ、二人はそのまま行方不明になる。最後は桃香のモノローグで、二人が一緒にいるだろうこと、二度と会えない所へいってしまったのだろうことを呟く言葉で暗転し、真っ暗な画面に血のような赤文字で『END』が表示される。それを画面の外で唖然として見ていた前世の自分。
「…あのルートは本当に真梨香と津南見を殴りたくて仕方なかったわ…」
悪夢を振り払うように鏡から目を逸らして、身支度を整える為に洗面所へ向かう。
階下のキッチンからおいしそうなお味噌汁の匂いとトントンと何かを切る音が聞こえる。今日の当番は桃香だから、朝食は純和食だろう。なんだかやっと現実に戻ってきたような気がして頬が緩む。
「桃香の事は絶対に守ってみせるからね…」
誰にともなくつぶやいた。
寝汗を軽くシャワーで流して着替え、食卓に着くと、桃香がこんがりと焼けた魚とお漬物の小鉢、シャキシャキのねぎを散らしたお味噌汁を出してくれた。最近また腕をあげたんじゃないだろうか。
「…そう言えば桃香、最近部活はどう?」
今朝の悪夢を忘れたくて無理やりお喋りでもしようとした結果、年頃の娘との話題に困った父親みたいな前振りをしてしまった…。桃香はそんな私の焦りに気づくことなく、ふわりと花のように微笑む。何ていう天使。いや、女神。もうその笑顔だけで悪夢も吹き飛ぶ。
「楽しいよ。女子部の先輩たちみんな親切だし、練習は厳しいけど、レベルが高いから身についてるなって実感があるし」
「…そう……男子部とは交流しないの?」
去年の男子部と女子部の主将同士は仲が良く、練習が別でも部活後は話をしたり食堂へ皆で行ったりしていたはずだ。しかし今年は……。
「うん…あんまり……男子部の…津南見主将は必要な事以外話さないって感じだし、男子部は休憩時間もなんだかピリピリしてて、お喋りとかできる雰囲気じゃないの」
ゲーム序盤でも、津南見はその堅物な性格と主将になったプレッシャーから軍隊かと突っ込みたくなるような厳しい態度で部員に当たっていた。女子部に対してもちょっとお喋りすればチャラチャラするなと言わんばかりの怒声が飛ぶので、最初の頃の選択肢には桃香が津南見に反発するようなものもあった。それでも、津南見の生真面目で不器用な優しさを垣間見るエピソードを経て、桃香は彼に惹かれるようになっていったのだ。
「……桃香は…どう思う? 津南見先輩の事」
訊いてしまってから直球過ぎたかと後悔する。ゲームでは真梨香が桃香と津南見の間に立ってお互いの事を知るきっかけ作りになっているのだけれど、私がいない以上、ゲームで起きた序盤のイベントは起きない。それでも一緒に部活をしていれば、何かしらの交流があってもおかしくない。もし桃香と津南見の間に特別な感情が芽生え始めていたら…。
「どうって言われても…ほとんど話したことないからわかんないよ。…あ、でもお姉ちゃんが剣道辞めちゃったのは残念がってたよ」
「そう…」
私が剣道を辞めたことを惜しんでいたのはどちらかというと前主将だった木通由孝先輩と、前女子部主将で津南見の従姉でもある瓜生舞先輩たちだ。私とは顔を合わせる度に落ち着きなく目を逸らしていたし、顔色も赤くなったり青くなったりと忙しなかった。桃香への言葉は社交辞令の一種だろう。
「他には? 部活動以外でも、仲良くなった子とか、…かっこいいなって思う子とか、いるんじゃない?」
「そんなのいないよ~。苺ちゃんや茱萸ちゃんもそうやって訊いてくるけど、私はまだよくわかんないや」
桃香の答えに安心する一方で、少し心配にもなる。少し過保護に育てすぎたか、ヒロインゆえの設定なのか、桃香は自分への好意に鈍い。痺れを切らした男どもに襲われたりしないよう、ちゃんと守ってあげないと…!
「そう、何かあったらお姉ちゃんに相談してね? 私は桃香の事、応援したいから」
「そう言うお姉ちゃんこそ、気になる人とかいないの?」
「私? …いないわね」
桃香に対してどの程度好感度を抱いているのかという意味でなら気になってはいる男は何人もいるが。
何故か桃香がじっと私の表情を探るように見つめてきたが、首を傾げると、ふうっと溜息をつかれた。…何かしたかな?
「お姉ちゃんは鈍いところあるから、本当に気を付けてよね? うっかり襲われてからじゃ遅いんだよ?」
あれ? 私が桃香に対してしてる心配と同じことを言われてるぞ? 桃香ったら、自分の事には本当に無頓着な上に私の事を誤解している節があるからなあ…益々心配になってきた。これは私がしっかり桃香の事を見ていてあげないと危ないな。
「桃香こそ。剣道が強いからって油断しちゃだめよ? 男はみんな狼なんだから」
そう言ったら、さっきのよりも盛大な溜息をつかれた。…解せない。
桃香と二人で登校して、すぐに、1年生らしき少年が桃香に走り寄ってきた。顔を真っ赤にして手紙を差し出し、押し付けるように渡すと走り去っていく。中には堂々と昼休みにどこそこで待ってると言いに来る男もいた。この分だと彼女のロッカーの所にも手紙が差し込まれているだろう。何人かは桃香の後ろから睨みを効かせるだけで退散していったが。
昨日のパーティーで桃香の愛らしいドレス姿は、どうやら校内の多数の男子生徒の心を射止めてしまったらしい。攻略キャラの他にも警戒しなくちゃいけなくなったのは誤算だった。
よく考えたら桃香は誰が見ても可愛い美少女なのだから、攻略キャラの男以外にもこうして好かれて当たり前だ。とりあえず、今来た連中の顔と名前は覚えた。詳しい評判なんかは情報通の梧桐君か親友の柿崎由紀に聞こう。
そんなことを思いながら校舎に入り、教室前の自分用のロッカーに手をかけた時、扉の隙間に差し込まれた封筒がひらりと落ちた。一瞬差し出し先を間違えてしまった奴がいたのかと考えたが、拾ってひっくり返せば宛名は私の名前になっている。
「何だろう…?」
もちろん、私だって一応は女の子なので、こんなシチュエーションでどきりとしないわけはないのだけれど、いかんせん封筒や封をしているシールがピンクの花柄とかでは、男性からの手紙だとは思い難い。
そして、女子からの手紙なら、これが初めてではない。共学で、誰もが振り返るようなイケメンが学年に数人ずつはいるような学園だというのに、年に数件はこういった女生徒からのラブレターやファンレターの類を送られる。
「…私の場合も、昨日目立ちすぎた所為はあるでしょうね…」
そう言いながら封を開け、中の便箋を取り出す。封筒と違ってシンプルな無地のそれを開く。そしてそのまま私はその場で固まった。
「………え……?!」
そこには一言『Who are you ?』とだけ書かれ、その下に、イラストが描かれていた。黒髪のショートヘアの、男の子のような顔立ちの少女。釣り目がちな切れ長の瞳。腕を組んで仁王立ちしたような立ち姿は、ゲーム『花の鎖~桜花学園奇譚』に登場する、『葛城真梨香』そのままの姿だった。
「なん…で…誰が……?」
しばらく自分の見ているものが信じられず、食い入るように便箋を見つめる。この姿の真梨香を知っているのは、私だけの筈だ。6歳で前世を思い出してしまってから、私はずっと髪を伸ばしていて、以来一度もショートヘアにはしていない。けれど想像だけで描くには、あまりにも私の記憶の中にある、『ゲームの中の真梨香』と一致しすぎている。もちろん、絵柄は違うので、できのいい二次創作っぽい絵だが、それでも服装といい、髪型といい、そっくりに描かれている。
冷汗が背中を伝う。誰が、何の目的でこんな手紙を寄越したのだろう…。
考えられるのは、私以外に、この世界がゲームの中で、元々のゲームの内容を知っている何者かが存在しているという可能性だ。私という前例がいる以上、無いとは言い切れない。
そうこうするうちに、他のクラスメイトが通りかかったので、便箋をたたんでポケットに突っ込んだ。今のところ相手の目的がわからない以上、騒ぐのは得策じゃない。こうして存在をアピールしてきた以上、近いうちに何らかの接触を図ってくる可能性が高い。それまでは下手にぼろを出さないように気を付けるしかない。
鞄から辞書や参考書をロッカーに移したのに、教室へと入る私の足取りも気分も、重たくなってしまっていた。
その日の放課後、私は生徒会室で、パーティー当日追加で使用した備品や消耗品のリストのチェックをしていた。毎年なんだかんだで追加の計上が必要になってしまうのだ。それも踏まえて予算は組んであるのだけれど、今回はサプライズの企画があったので、追加予算の申請が必要になる。もちろん、篠谷と梧桐君の事前の根回しにより、職員室や理事会の認可が下りていて、後は最終的な計上を帳簿に付けて提出するだけなのだが。
数字的な部分は会計の加賀谷がチェック済みだし、私の方では書類の間違いがないか、提出枚数が足りているかの最終的な確認をするのみとなっている。
今現在、篠谷は職員室へ報告に、加賀谷は代議会室へお使い。書記の香川さんと庶務の梧桐くんは会議室で研修会の指導にそれぞれ出ていて、生徒会室には私しかいない。
人目もない気安さから、行儀が悪いと思いつつ、頬杖をついて追加予算の計上書を摘み上げ、しげしげと眺めていた。
「…それにしても、流石お金持ち学校だけあって、学生の行事なのに予算の桁が全然違うわ…」
去年予算関係の書類を見た時は目を疑ったものだ。実際の行事の規模を見て納得はしたけれど、それでもこんなお金をかけた行事が年間何件も催されるという事実にはいまだに慣れない。
「もうちょっと学生が手作りしました感のある行事があっても良さそうなのに…」
そんなことを呟いていたら、生徒会室のドアがノックされた。慌てて居住まいを正す。
「はい、どうぞ」
「忙しい所を済まない、今度うちの武道場で他校と合同練習をするから更衣室として本校舎の空き教室を借りたいんだが…」
用件を言いながら入ってきた津南見柑治に、私は無言で固まってしまった。書類から顔を上げた津南見の方も、室内に私しかいなかったと気付くや、ビシリと音が聞こえそうな様子で凍り付く。
「か…葛城……一人…なのか…? その、篠谷や他の役員は……?」
「出払ってます…。えっと…空き教室の利用申請でしたら承ります。書類を頂いてよろしいですか?」
なんとか平静を装って書類を受け取る。昨夜の事はなかったものとして振舞おう。生真面目で堅物な津南見の事だから、後輩が奇行を晒していたとしても男友達との笑い話になどはしないだろう。
そう考えて、受け取った書類を無言で確認する。不備はない。そのまま受理して手続きに回せると判断し、顔を上げたところ、津南見が咳払いを一つして、話しかけてきた。
「なあ、葛城、昨夜の事なんだが…」
人が無かったことにしようとしてる傍からこのやろう。思わず手の中のペンがみしりと音を立てる。それでも顔だけは愛想よく返す。
「津南見先輩、昨晩はお見苦しい所をお見せしてすみませんでした。できれば何も聞かずきれいさっぱり忘れてください」
そう言って、この話は早々にお終いにしようとしたのに、なぜか、津南見が食い下がってきた。
「見苦しくなんかなかったと思うぞ。…その…よく似合っていた…と、思う」
「そんな無理して褒めて頂かなくていいですよ。私はああいうひらひらした可愛らしい意匠が似合うタイプじゃありませんし、妹だったらきっと完璧に着こなしていたんでしょうけれど」
「俺は服飾の事はよくわからないが、昨夜のお前は綺麗だったと思う。…その…月明かりに照らされて…天女かと思った…」
「……は……?」
思わず頭が真っ白になった。津南見が…堅物で女嫌いと評判で、その実ただの女性恐怖症のヘタレが、女にお世辞を言った…だと…??! 言われた内容の恥ずかしさよりも、その事実の方が衝撃的過ぎた。
津南見の顔はトマトのように真っ赤で、今にも湯気が出そうだ。そんなに恥ずかしがるくらいなら言わなきゃよかったのに。こっちまでなんだか顔が熱くなる。
「先輩……お世辞とからしくないですよ? とにかくもう本当に、忘れてください。無理ならせめて誰にも言わないで頂きたいんですけど…。パーティーでも着なかったドレスを家で着てはしゃいでいたなんて痛々しい子みたいで…」
改めて口に出すと本当に痛い子だな。見られたのが篠谷辺りだったら一生ネチネチ笑いものにされるに違いないし、一之宮だったら全身全霊でバカにしてくるだろう。
「…まあ、見られたのが先輩で良かったとは思いますけど」
「葛城…?! お前…何言って……いや、いい。わかった、誰にも言わない。約束する」
納得してくれたようで安心した。生真面目だけはこいつの評価に値する美点だ。約束したからには絶対誰にも言わないでくれるだろう。そういう意味では、見られたのが津南見で助かった。
「ありがとうございます。…それじゃあこの書類は確かに受理しました。手続きが済んだらご連絡します。部活、頑張ってくださいね」
「葛城…ちょっといいか?」
話も済んだし、一安心だと思って仕事の話に戻した途端、机に両手をつくようにして津南見がこちらを覗きこんできた。顔の近さに思わずどきりとする。動揺を悟らせないように平静を装って椅子を引く。
「何でしょうか?」
「ずっと…お前に聞きたいことがあった。こんな機会はめったにないから、今聞いてもいいか?」
ゾクリ、と背筋に氷の塊が入れられたような、嫌な予感がした。この言葉を聞いてはいけない。不用意に二人きりになったりするんじゃなかった。津南見と……接点を持つべきじゃなかった…。
「あの、私急用を思い出して…」
「お前のその髪、初めて見た時からその長さだよな? ……短くしていたこととか…無かったよな?」
足元の床が急に無くなったような気がした。ポケットの中の手紙の事を思い出す。あり得ない筈の、ショートヘアの自分。目の前の津南見が知るはずのない、もう一人の葛城真梨香。ゴクリと喉が鳴る。
「…いやだなあ…なんですそれ? 私はずっとロングにしかしたことないですよ?」
声が震える。本当は6歳まではショートだったし、それから今の長さに伸びるまでは少しかかったけど、そこはノーカンでいいだろう。
津南見と真梨香が出会う筈だった、小学生の時の剣道場の練習試合は悉くサボっていた甲斐があって出会わずに済んでいたし、中等部の試合で見かけていたとしても、女性恐怖症の津南見が女子の試合をまともに見ていたとは思えない。
どちらにせよ、津南見が見た私は初対面から今に至るまで、ロングヘアーでどう見ても女にしか見えない容姿と言葉遣いをしていて、彼のもっとも苦手とするであろう女性像そのものだったはずだ。
「ああ、そうだよな。…すまん、おかしなことを言った。何でかお前を最初に見た時から、その長い髪に違和感を感じてしまっていてな…あ、いや、似合わないという意味ではないぞ。……その、似合っていると思う。…ただ、お前を見るたびに…何というか、髪の短い姿が目に浮かぶんだ」
「……何、言ってるんですか…。私はこの髪型気に入ってるんで…。その……短い髪の私なんて私じゃないというか……」
言いながら、また少しだけ椅子を引いて下がる。とにかく津南見と距離を取りたかった。できることならこの場から逃げ出してしまいたい。いつもなら津南見をこんなに怖いなどとは思わない。最近は機会が減ってはいたが、去年までは生徒会の用事で話すことも多かったのだから。
今朝の夢とポケットの手紙の存在が、鉛のように心を重くする。アレは私じゃない。アレは私じゃない。
津南見がなぜゲームの真梨香のイメージを覚えているのかとか、ひょっとしてこいつも私と同じように前世でゲームをやってたんじゃないかとか色々考えるけど、考えをまとめる余裕もない。
「先輩の気のせいじゃないですか? よく似た別人と重なって見えたとか、そんな感じの…」
どうにかしてこの会話を終わらせて、津南見に帰ってもらいたい。もしくは出払ってる他の役員に帰ってきてほしい。今この時ばかりは篠谷でも諸手を挙げて歓迎する気分だ。今なら帰ってきてくれたらうっかり抱き付いてしまうかもしれない。…嫌がらせにしかならないとは思うけど。
「先輩…お話がそれだけなら、もういいですか? 仕事、立て込んでいて…空き教室の件は承りましたし、先輩もこれから部活でしょう? 主将が遅れたらほかの部員に示しがつきませんよ?」
「そ…う、か。いきなりすまなかったな。…なあ、今度の合同練習、良かったらお前も見に来ないか? 参加しろとは言わないが、葛城妹の方も練習試合には出る予定だぞ」
「……見物だけなら、考えておきます」
桃香の活躍は言われなくても見たい。けど、津南見がいる場所には近づきたくない。相反する気持ちを抑えて、愛想だけ取り繕う。
とりあえず、今後は二度と津南見と二人きりにならないよう気を付けよう。…何がというわけじゃないが、危ない気がする。
引きつりそうになる表情を必死で抑えて、生徒会室を出ていく津南見を見送った。ドアの閉まる音に、一気に体中の力が抜けた。机に突っ伏して、盛大にため息を吐く。無意識に息を止めていたらしく、新鮮な空気が灰に流れ込んできた。
「何だったんだいったい…」
思わず素の口調に戻ってしまう。額に当たる机の感触がひんやりしていて気持ちがいい。頭を物理的に冷やしつつ、津南見の話を思い返す。冷静になってあいつの言葉を反芻してみると、どうやら私のように明確にゲームの記憶がある様子ではなかった。それでも、ゲーム本来の真梨香の姿を無意識にイメージしてしまうという事はなにかしら、この世界ではイレギュラーな存在なのかもしれない。
ふとポケットから例の手紙を出す。この手紙の送り主は津南見よりももっと明確に、ゲームの事を知っている。ゲームの真梨香とは違う私に対して『Who are you ?』と送ってきているのがその証拠のように思う。ただ目的が分からない。私の正体を暴いたところで、他の誰がそれを信じるだろう。この世界がゲームの世界で、私が前世の記憶があって、この世界のシナリオに反した行動をしているだなんて、私自身ですら信じられない気持ちがあるのだから。
「目的があるとしたら…仲間探し…とか?」
私と同じように、前世でこのゲームをプレイして、この世界にその記憶を持って転生した人間がいるとして、ゲームとは明らかに違う容姿や行動をしている人間がいたら、それは同じように転生した人間かもしれないと考えるだろう。同じような境遇にいる人間がこの世界にどのくらいいるのかはわからないが、私なら、会ってみたいと思うかもしれない。
ただし、相手もそう思っているとは限らない。特に私はフラグを折るような行動をしているので、ゲーム世界のシナリオ通りに事が進むのを望んでいる人間からすれば、随分な反逆行為だろう。
「これだけの手がかりじゃわかんないな~。諦めて向こうから動きがあるのを待つしかないのかな…」
手紙を折りたたんで再びポケットにしまう。とりあえずはぐだぐだと悩んでいても仕方のないことだ。手紙の主は相手の動き待ち、津南見には今後できるだけ近寄らない、近づく場合も二人きりにはならない、ひとまずそう心に決めて、気持ちを切り替え、仕事を再開した。
篠谷が職員室から戻ってきたのはその5分ほど後のことだった。
会長惜しかったね。もう少し早く帰ってきたら弱った真梨香に抱き付いてもらえるイベントが発生してたかもしれなかったよ!(しません)