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書き直し第二弾です。

葛城かつらぎさん、今日の生徒会執行部研修会なんですけど、配布用の資料を運ぶので手伝ってもらえませんか?」


 篠谷しのや侑李ゆうりが放課後の2年A組教室に現れたことで、女生徒がざわめいている。生徒会の用事などで互いの教室を行き来することはあるので、そのうち慣れるだろうとは思うのだけど、微妙に居心地が悪い。


「わかりました。すぐ仕度するので待っていてください」

「篠谷君、あたしたちも手伝おうか?」


 何人かの女子は積極的に声をかけている。去年もこういう光景見たなあ。彼女たちが荷物運びを手伝ってくれるなら私は先に会議室開けて空気の入れ替えとかしてようかな…。そんなことを考えていたら篠谷と目が合った。


「…せっかくの申し出なのですが、関係者にしか見せられない書類とかもあるので…。それにか弱い女性に重たいものを持たせるわけにはいきませんから」


 ……ひょっとして喧嘩を売られてるのかな? 思わず半眼で睨み付けるが、当の本人は群がる女生徒たちに爽やかな似非紳士微笑を浮かべている。


「やだ、篠谷君優しー! やっぱり紳士の国の血が入ってると違うねー!!」


 その優しい篠谷君に女性扱いされなかったクラスメイトが後ろにいるんですけど? …置いて先に行っちゃおうかな。そう思い始めたころ、やっと篠谷が女生徒たちから離れてこちらへやってきた。


「準備できましたか? 行きますよ」


 教室を出て並んで歩く。すれ違う生徒たち、主に女性の視線が痛い。できればもっと離れて歩いてくれないだろうか。そうは思っても、この状態から変に距離を空けるのも不自然だ。ほんの少し歩く速度を上げてみたが、相手も同じ速さですぐに並ばれた。…というか、多少早足になったのに、こいつはゆったり歩いている。歩幅が大きいからか、くそう…。これだからイケメンは…!



 生徒会室に着き、鞄を置く。資料室に前日のうちにコピーしておいた資料の山を抱えようとしたところで横から伸びた手がすべて掻っ攫ってしまう。


「……資料運びを手伝えと仰っていませんでしたか?」


 篠谷一人で運ぶんなら私呼ぶ必要なかったよね? 私が女生徒のいらん嫉妬の視線を浴びる必要もなかったよね? 空を切った手を振りつつ問えば、篠谷は呆れたような視線を投げてよこした。…? え? 私変な事言ってないよね??


「資料を運ぶので手伝って欲しいとは言いましたが、資料を運ぶのを手伝えとは言ってませんよ。あなたも曲がりなりにも女性なんですから、重たいものを持たせるわけがないでしょう?」

「え? でもそれじゃあ何を手伝えと…?」

「見ての通り僕は手がふさがっていますので、ここを出た後生徒会室の鍵を掛けるのと、運んだ先で会議室の鍵を開けるのをお願いします」


 …なるほど、確かに篠谷の両手はふさがっていて、これではドアの鍵を閉められない。けれど全く方法がないわけではない、ドアを出て資料を一度下ろせば済む話だ。


「…篠谷会長って案外要領が悪いんですね」

「……まったくです。自分でも驚いてますよ」


 いつもの軽口のつもりで言った言葉に驚くくらい素直な肯定の言葉が返ってきて思わず篠谷の顔を凝視してしまう。私は単純に資料を運ぶ方法の事を言ったのだけれど、篠谷はなんだか別の意味で受け取っているような気がする。

 いつも自信満々に黒々しい笑みを浮かべている篠谷が自嘲するように笑ったので、戸惑ってしまった。多分だけれど、今のは私が余計な事を言ったんだと思う。

 普段は嫌味しか言わないし、ネチネチと粘着質だし、桃香いもうとに言い寄ってくる(予定)の嫌な奴だけれども、悪い奴じゃない、と思わなくもない。妹の事さえなけりゃ優秀な生徒会長として一緒に戦う戦友くらいには認められたかもしれないのに。


「…まあ、会長のフォローをするのが副会長わたしの仕事ですし、このくらいでしたらお安い御用です。前も言ったかもしれませんが、会長はなんでも一人でこなそうとしすぎです。もっと人を頼るところは頼ってください」

「……なんでも一人でこなそうとするなんてあなたにだけは言われたくありませんが、まあ、せいぜいこき使わせてもらいますよ」


 憎まれ口が出るくらいには浮上したみたいだ。犬猿の仲の私に弱いところを見せたのが恥ずかしいのか耳が少し赤い。…意地っ張りめ。


「それじゃあ会議室までの間くらいは資料半分持ちますよ」

「いえ、それは結構です」


 結局篠谷は会議室まで私に資料を持たせようとはしなかった。……ほんっとーに、意地っ張りなんだから。



 会議室に着き、空気を入れ替え、資料を配るための準備をしていると、突然、肩に衝撃と重量がのしかかってきた。この感覚は以前にも覚えがある。


「……小林こばやし檎宇ごう君、重いのでどいてほしいのだけれど」


 背中に伸し掛かるおんぶお化けこと小林にとりあえずやんわりと注意してみる。まあ一回じゃ聞かないだろうな、と思っていたら小林が返事をするよりも早く、強制的に引っぺがされた。


「1年A組、小林檎宇君、女性に軽々しく抱き付くものではありませんよ? それと、集合時間はまだの筈ですが?」

真梨まりセンパイに会いたくて早く来ちゃった」


 てへっとでも言いそうな態度で小林が答えた瞬間、室内の空気が音を立てて凍り付いたような錯覚を覚えた。私は背筋がぞくりとして冷気の源をたどり、目を逸らした。

 赤道直下の南国をも氷漬けにしそうな絶対零度の微笑みを浮かべていらっしゃる。何でかはわからないけれど、篠谷はすごく怒っているようだ。…私なんかしたっけ? 睨まれてる気がするんだけど…。


「……『真梨センパイ』…ですか。僕の知らないうちに随分と仲良くなったみたいですね」

「え、いや別に仲良くは…」

「そうなんだ~。俺たち超仲良し~。ね~!」


 ね~! っじゃない!仲良くなった覚えはないし今も別に仲良くはしてない!! なんだかおかしな誤解を受けているようなのでぶんぶんと頭を振って否定する。


「仲良くはないです。小林君もふざけないで!!」

「え~? 別にふざけてないし~。真梨センパイと俺の仲じゃん~?」

「赤の他人、ただの先輩後輩と言う仲にしかなった覚えはないわよ」

「真梨センパイ冷たい~」


 小林は人の腕を掴んでぶんぶん振り回すし、篠谷の絶対零度な微笑みがますます輝いてる気がするし、何だこの状況。


「葛城さん、あなた確か親しくもない男性に下の名前で呼ばれるのは絶対に嫌だと仰っていましたよね? その為僕に呼ばれるのも断固拒否するとまで宣言していたはずですよね?」


 似非臭い笑顔のままで篠谷が詰ってくる。そういえば去年の今頃そんな会話を交わした気がする。でもたしかあの時は…。


「確かに言いましたし、名前で呼ばれるの苦手ですけど、断固拒否したのは篠谷君がいやらしい声で名前を呼んだりしたからです! その上人をからかうようなことを言うからですよ」

「いやらしく呼んだつもりはありません。じゃあ今なら普通に呼べば名前で呼んでもいいんですか?」

「駄目です」

「何でですか? そこの後輩には呼ばせているのに」

「小林君にも別に許可したわけじゃありません。お姉さん呼びを止めるように言ったらああなっただけです!」


 言い合いが子供の喧嘩の様相を呈してきた頃、他の生徒会メンバーが来て、結局この時の争いについては有耶無耶になった。けれど、篠谷が離れ際に「この件は後日きっちり話し合いましょう」と宣言していきやがったので、おそらく数日かけてネチネチ言われるに違いない。粘着王子め。



 そうして始まった生徒会執行部員1年生の第一回研修会は始まってすぐに生徒の間に動揺とざわめきが広がっていた。理由は明白で、1年生の執行部員志願者の半数以上を占める内部生にとっては、生徒会の新役員、会計と書記は中等部で生徒会長と副会長であった加賀谷かがたにそう胡桃澤くるみざわ嘉穂かほが就任するものと思われていたはずだ。にもかかわらず、会議室には胡桃澤の姿はない。その代り、本来書記が座る席には一人の1年生、その隣には何故かもう一人2年生が座しているのだ。


「では次に、今期の生徒会役員を紹介していきます。僕と副会長については入学式やオリエンテーリングで挨拶をさせていただきましたので、自己紹介などは割愛させていただきます。今日はこのたび新たに役員として指名を受けてくれた新役員3名を紹介します。彼らは正式な就任は新入生歓迎パーティーの時に開会式の壇上で就任式を行いますが、既に業務には参加してもらっています」


 篠谷の言葉にざわめきが大きくなる。例年、生徒会役員は会長、副会長、会計、書記の4名のみだ。会長と副会長は選挙で、会計と書記は指名で選ばれる。とはいえこの何年もの間、初等部の児童会役員が中等部でも役員を歴任し、そのまま高等部でも役員に就任、というのが慣習化していたので、選挙も指名もほぼ形骸化していた。

 そんな中、前書記であった沢渡が学園を去り、学園の伝統を重視する内部生とは何かと対立の多い特待生の私が副会長に就任、更に新生徒会では書記就任が目されていた胡桃澤が役員指名をされず、この場にもいない。

 異例尽くめの出来事に、動揺を隠せないもの、隣の者とひそやかに情報交換するもの、何かを考え込むような様子を見せるもの、興味なさげな顔をするもの、様々だ。


「まず、今期の生徒会運営に当たって、新たな取り組みや行事の企画をすでに計画していまして、その為、役員の業務補佐や新人への指導などを管轄してもらう役職として新たに庶務の役員職を定めました。…新たに定めたとはいえ、過去桜花学園に置いて、大きな変革のあった年には臨時で設置されることもあった正式な役職です。今後、君たちの業務についても彼が指導を大きく受け持つことになります」


 篠谷の言葉に促されるように、役員席の一番端に座っていた2年の男子生徒が立ち上がる。少し緊張しているんじゃないかと心配していたが、気負った様子はなく、小柄な体躯にビーバーに似た愛嬌のある笑顔を見せている。


「只今篠谷会長からご紹介に預かりました、生徒会庶務の2年F組、梧桐あおぎり宗太そうたです。まあ、指導とか管轄というと偉そうに聞こえますが、ちょっとだけ権限のある雑用係みたいなものです。新人の皆さんが何か失敗をしたり、業務が遅れたりしたときは一緒に会長副会長に怒られる役職だと思ってください」


 冗談を絡めた自己紹介は場の雰囲気を和ませてくれた。そんな彼の隣に座っていた、1年の少女が篠谷に促されて立ち上がる。銀縁の眼鏡に黒髪ショートヘアのクールな美少女は落ち着いて見えたが、その肩は微かに震えていた。


「続いて、書記を紹介します」

「皆様、はじめましての方も多いかと思います。このたび生徒会書記に就任することになりました、1年A組の香川かがわ茱萸ぐみです。中等部ではずっと代議会に参加していましたので生徒会での仕事には不慣れな部分も多いかと思います。皆様と共に精進していくつもりですので、よろしくお願いします」


 何とか自己紹介を済ませ、椅子に腰を下ろした香川はほっと息をついている。桃香のクラスのクラス委員長であった彼女は本来なら代議会に入る人間だ。それを説得の末、生徒会書記への指名を受けてもらったのだ。1年A組のクラス委員長は現在副委員長が委員長になり、副委員長には桃香の友達の倉田くらたいちごと言う少女が就任することになった。

 今回の指名に当たってはこれまでの、生徒会役員は特定の生徒が決まって指名されるという構図が崩れてしまったため、選考にはかなり時間がかかった。

 結果、生徒会ではなく代議会で総代やそれに近い役職を経験していて、人柄などの評価も高かった彼女に書記就任をお願いすることにした。このお願いについては彼女自身より、彼女を代議会の人材として評価していた3年双璧の二人の方が厄介だった。結果として生徒会は代議会に一つ大きな借りを作ってしまった事になるが、今はその事は考えないようにしよう。


「最後に会計を紹介します。…桑」


 篠谷の声に加賀谷がはっとして立ち上がる。


「生徒会会計になります、1年B組の加賀谷桑です。僕は中等部でも生徒会役員を務めていましたが、高等部では一人の新米役員として、改めて先輩方のご指導を受け、職務を果たしていくつもりです。また、皆さんとは役員と執行部員と言う立場ではありますが、同じ新人として、対等な立場で励んでいきたいと思っていますのでよろしくお願いします」


 そつのない挨拶に生徒たち(主に女生徒から)拍手が響いた。加賀谷はそれに反応することなく静かに座った。その様子だけを見ればクールな美少年という評価にふさわしいが、その脳みそがこの場にはいない一人の少女の事でいっぱいいっぱいになっているのはファンの子たちは知らない方が幸せだろう。

 壇上では篠谷が年間行事の予定とそれに伴う基本的な生徒会の業務を説明し始めた。私は研修の進行具合にだけ意識を残すと、教室内の生徒を観察することにした。執行部員の構成は約半数が内部生、残りのほとんどが外部受験組、特待生はほとんどいない。これは特待生の多くはスポーツや芸術など、自分たちのスキルに応じた部活動に所属していること、学業奨学生は自分の学習のペースを掴んでから執行部入りしてくることが多いため、2学期以降の志願者が多いことなどによる。


「…ねえ、やっぱりそうだって…」


 か細い囁きを耳が拾ったのは偶然だった。声のした方を顔を向けることなく眼だけで確認する。内部生の少女2,3人、どうやら仲の良いグループらしい。


「…何したか知らないけど、役員降ろされるなんてよっぽどだよ…」

「……ね~。でもさ、私正直胡桃澤さんって苦手だったからこれで良かったかも」

「我儘お姫様って感じでうるさかったしね」

「ね、加賀谷くんにも近づきやすくなったしね」


 ほのかな悪意を含んだ囁きは本人たちは無自覚なのだろうが意外と音量が大きく、私の耳にも届いている。私に聞こえているという事は隣の少年については推して知るべしだ。加賀谷が今にも立ち上がりそうな気配がしたのでその足を思いっきり踏みつけてとどまらせる。机に突っ伏して悶絶しているが、ここで彼を出しゃばらせるわけにはいかない。


「…っ…何…するんですか?!」

「大人しく座ってなさい」


 痛みに顔を歪めながら小声で抗議してくる加賀谷に小声で返す。納得できないという表情の加賀谷に、理由を説明する。


「ここで君が不用意に胡桃澤を庇うとあの子の立場が余計悪くなるだけよ。それに、今のはたまたまこちらへも聞こえたけれど、あの子たち以外にもいるわ」


 会議室内をそれとなく見渡せば、そこかしこで似たような噂話の花が咲き始めている。胡桃澤の役員職剥奪の真相は表沙汰にはなっていないまでも、彼女が何かしら重大な過失を犯し、職を追われたと言うのはここにいる1年生たちも気づいているということだ。


「何も知らないのに勝手な事ばかり…」

「何も知らないからこそ、この程度で済んでるのよ」


 え、と顔をこちらに向ける加賀谷少年に、資料を見ているふりでもするように言って、声を更に落とす。


「1年生は昨年度の高等部での事件を知らない。あの時は目撃者もほとんどいなかったからすぐに関係者には緘口令が敷かれて、後処理も学園上層部が内々で行ったから、2、3年でもよっぽどがない限りは真相までは伝わってはいない。それでも胡桃澤が生徒会から外されたという事実は色々と想像力を働かせるには充分な火種だわ」

「それは…でも…見ず知らずの人間にあんな風に貶められるのは…」

「見ず知らずだからまだこの程度なのよ。本当に大変なのはこれからよ」


 悔しそうに黙り込む加賀谷をよそに、私は篠谷に目くばせを送る。


「……以上が基本的な年間行事の概要になりますが、僕の話はどうもあまり面白くなかったようですね? 一応君たちの業務に関する重要なお話をさせてもらっているつもりなので、もっと集中して聞いてくれると嬉しいです」


 篠谷が切りのいいところでチクリと忠告する。あくまでも胡桃澤を必要以上に庇うことなく、研修会に集中しろと言う態度で。絶対零度の怒気をちらつかせる生徒会長のブリザードスマイルに、ざわついていた会議室内の空気が一気に引き締まった。…こういう所はしっかりとカリスマを発揮してくれるので助かるなあ。

 その後は一応パッと見には問題もなく第一回の研修会は終了した。


「それでは今日は解散します。役員は片付けがあるので残ってください」


 篠谷の言葉にひとり、ふたりと会議室を出ていき、最後には新生徒会役員だけが残った。


「真梨センパーイ、俺も片付け手伝う~」


 …もう一人いた。何故か小林も残って、手伝うと言いつつ私の背中に伸し掛かろうとしたので今度はすばやく避けた。そう何度も潰されてたまるか。小林は不満げにパーカーの袖をぶらぶらさせている。


「小林君は…梧桐君と香川さんと一緒にこの資料を生徒会室に運んで頂戴。梧桐君、私たちは少し話をしてからあとから行くわ」

「わかった。小林君は運び終わったら帰していいんだよね?」

「むしろ強制的に帰らせておいて」

「ええ~!真梨センパイ一緒に帰ろうよ~」


 小林が子供のように袖をぶんぶん振って駄々をこねる。正直、殴って根本から躾しなおしたい。


「まだ役員は仕事があるの。っていうか君は寮生でしょう?帰り道なんてないも同然じゃない」

「そこは俺がセンパイを家まで送るんだよ~あの辺夜は危ないからね~」

「葛城さんでしたら同じ役員の僕が送りますから大丈夫ですよ。君は寮の門限があるでしょう。遅れたら寮長の菅原先輩の胃に穴が開いてしまいます」

「……どちらにも送ってもらうつもりはないのだけど…?」


 なんだかよく分からないが、篠谷と小林の相性が良くないらしい。今後の仕事に影響が出なければいいけど。私を挟んで睨みあう二人を引き離し、小林を梧桐君の方に押し出す。


「とにかく、小林君は今日は荷物を運んでくれたら帰ってちょうだい。明日からビシバシ働いてもらうから」

「う~ん…わかった。今日は帰るね」


 ごねるかと思った小林は意外とあっさり引き下がった。これでやっとこっちの話ができる、と篠谷達に向き直ろうとしたところ、後ろから肩を引き寄せられた。危うく転びそうになるのを固い胸板に受け止められる。耳元を吐息がくすぐった。


「…明日から、俺も頑張っちゃうから、よろしくね。…真梨香まりかセンパイ」


 普段のテンションとは異なる低めに抑えられた声が色気を伴って耳に響く。慌てて振り返ると小林はもうこちらには背を向けて手をひらひらと振りながら遠ざかっていくところだった。思わず耳に手を当てる。…熱い。畜生、イケボイスの無駄遣いしやがって…。


「…あんにゃろう」


 思わず物騒な口調が口からこぼれたが、幸い聞かれずに済んだらしい。というか、それどころじゃなかった。


「……無駄話は終わったようですね? そろそろこちらのお話を始めさせていただいても構いませんかねえ…?」


 篠谷から凍るような冷気が漂ってくる。確かに小林を帰すのに余計に時間を食った事は認めるけど、怒りすぎじゃない? 耳に残った熱も一気に冷める勢いで篠谷に愛想笑いを返す。


「そうね、念のため、会議室周囲に人気がないかだけ確認してくるわ」

「僕が行きます」


 加賀谷があわてて駆けて行ったけど、篠谷の雰囲気に怯えて逃げたんじゃないよな? できれば私の方が逃げたかった。目の前に胡散臭い腹黒笑顔が迫ってくる。


「…葛城さん、先ほどは小林君に何を言われたんですか? 何かただならぬ様子でしたけれど?」

「…たいしたことは。明日から頑張って働くと宣言していましたので、限界までこき使おうと思います」

「彼の指導は梧桐君がやってくれますので、あなたはあなたの仕事に集中してください。役員として新人なのはあなたも同様なんですから」

「…はあい」


 確かに、私も昨年度までは平の執行部員でしかなかったので、副会長になった今、仕事量も権限も責任も膨大に膨れていて、前副会長の五葉松ごようまつ先輩に時間の許す限り指導を受けている状況だ。

 そうこうするうちに加賀谷が戻ってきた。


「あの…片付け、じゃないんですよね? 僕らが残ったのって…」

「そうね、残ってもらったのは、加賀谷君には今後の事について心得ておいてもらいたいことがあるからよ」


 篠谷と私に挟まれ、チビ…じゃなかった、成長途上の少年は居心地悪そうに見上げてきた。


「1年生の執行部員の胡桃澤に対する反応はさっき見た通り、真相を知らないが故の憶測が中心。だから基本的には仕事に支障がない限りは下手に庇ったり、口を出さないようにして頂戴。君はなんかうっかりボロを出しそうに見えるから」

「そんなことは……ない、と、思います…けど、分かりました」

「問題はここからなんだけど、2,3年生の執行部員の中で、昨年の事件の真相を知っている人間が数人いるわ。一人は庶務の梧桐君。そして……」


 私が言いかけた時、廊下で誰かが言い争うような声が聞こえた。加賀谷がその声に素早く反応する。


「今の…嘉穂の声だ!」


 さすが胡桃澤教信者。あの大きさでよくわかるな。慌てて会議室を飛び出していこうとする加賀谷を掴まえ、一緒に声のした方へと見に行く。声は会議室のすぐそばの階段の踊り場からだった。廊下の角に隠れて様子を窺うと数人の女生徒が固まっているのが見えた。中心には加賀谷の言う通り胡桃澤がいた。


「桑を待ってるだけだって言ったじゃないですか」

「どうだか、生徒会に未練があって覗きに来たんでしょ?! ここはあんたなんかがいていい所じゃないのよ!!」


 胡桃澤と揉めているのは2年生の執行部員だ。手に書類ケースを持っているところを見ると、木田川先生辺りから篠谷か私にお使いを頼まれたのだろう。


「ほんと、あ~んなこと仕出かしておいてよく平気な顔で学校に来られるわよね? アタシなら学校やめちゃう~」


 蔑みと侮蔑の籠った声に胡桃澤がはっとする。胡桃澤を囲む女子たちの中心にいるのは2年生のつがまなみ、いじめ事件の被害者グループの一人だが、事件の際、抵抗することなく、橡たちに恭順した為に難を逃れた少女だ。

 事件後は白木さんら他の被害者少女たちと一緒に生徒会執行部に入って働いてくれているのだが、行動に軽薄さが目立ち、周囲との衝突も多い。

 今も、事件に無関係の筈の少女数人が周りにいるのに、胡桃澤に事件の事をほのめかすような絡み方をしている。


「アンタの所為で白木しらきさんも錦木にしきぎさんも大変な目にあったのよ。土下座くらいして欲しいわよね~」


 そう言いながら胡桃澤の肩を突き飛ばす。小柄な胡桃澤がよろけてしりもちをつくのを見て、加賀谷が飛び出そうとしたとき、低めの落ち着いた声がその場に割り込んできた。


「私がどうかした? 栂さん、あなた書類を一枚職員室に忘れてたわよ。木田川先生が困ってらしたわ」


 ショートレイヤーの髪に細く切れ長の目をした少女が階段を上ってくるところだった。錦木にしきぎ奏子かなこ白木しらき由美子ゆみこと共に、いじめ事件で最後まで橡たちに抵抗し、結果として酷い怪我を負わされた少女だ。事件後も加害者家族からの示談の申し出に最後まで抵抗し、橡たちの徹底した断罪を訴えていた。最終的には他の被害者や家族の説得に応じて示談を受け入れたと聞いている。

 錦木さんは踊り場まで上がってくると、胡桃澤をちらりと一瞥したのち、何も存在しなかったというように視線を逸らした。


「書類を届けるときは必ず枚数を確認するようにって葛城さんからも言われていたでしょう? 気を付けてね」


 胡桃澤を無視して栂さんに話しかける錦木さんに、栂さんは一瞬つまらなそうに唇を尖らせたものの、すぐに愛想よく笑って書類を受け取る。


「ごめ~ん、でもちゃんと落とさないようにって渡された書類ケースは愛用してるんだよ? 執行部員にお揃いで支給されたやつ」


 自慢げにかざしながら視線は胡桃澤を窺っている。お揃いを強調した辺り、胡桃澤に聞かせるためにわざと口にしたようだ。錦木さんが溜息をつく。


「ケースだけ持ち歩いても肝心の書類を忘れたら意味がないでしょう? それより、急ぎだって言われたんだから行きましょ」


 徹頭徹尾、胡桃澤を無視して錦木さんが少女たちを促す。胡桃澤が俯いて唇を噛みしめるのが見えた。


「…加賀谷君、胡桃澤を連れ出して。君たち車で送り迎えされてるんでしょう? 彼女を運転手さんに預けたら生徒会室に行って待ってて」


 加賀谷の耳元で素早く囁くと、少年は黙って頷いて、飛び出していった。


「嘉穂! お待たせ。悪いけどもう少しかかりそうだから、いったん車まで送るよ」


 少し棒読みではあるが、今ちょうど通りかかりましたという態度で胡桃澤に駆け寄る加賀谷に、栂さんとその取り巻きの少女たちが気まずそうに顔を見合わせる。錦木さんだけは特に動揺することもなく加賀谷に声をかけた。


「加賀谷君、葛城さんたちはまだ会議室にいるかしら?」

「いえ、もう鍵を閉めているところでしたからすぐにこっちに来ると思います」

「……そう、行き違いにならなくてよかったわ」


 その会話を聞きながら、私はさも今来たばかりという風を装って、彼らの前に顔を出した。


「あら? 錦木さんに栂さん、どうかしたの?」

「葛城さん、ちょうどよかったわ、木田川先生から急ぎで確認してほしいって書類を預かってきたの。見てもらえる?」

「ありがとう。貸してくれる?」


 書類を受け取りながら視界の端で加賀谷が胡桃澤を立たせてその場を後にするのを確認する。二人の気配が遠退いたとき、錦木さんがふっと息を吐くのが見えた。


「…なるほど、書類は受け取りました。一度生徒会室に戻ってから処理するから、錦木さんたち執行部の皆はもう上がってもらって大丈夫です。お疲れ様でした」

「お疲れ様でした。……葛城さん、あとで、ちょっといいかしら?」


 錦木さんが栂さんの目を盗むように小声で話しかけてきたので、無言で頷く。待ち合わせ場所についてはメールでやり取りするよう眼だけで確認すると、錦木さんはそのまま踵を返して階段を下りていった。その後を栂さんが取り巻きたちと一緒に追いかけていく。

 彼女たちの姿が見えなくなるまでたったまま見送ると、無意識に深く息を吐いた。会議室の戸締りを終えた篠谷が来るまで、私はその場に立ち止まっていた。

まだまだ先は長いので、ゆっくりやっていきます。

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