過去編 真梨香 1年の秋 1
秋になった。生徒会は只今文化祭の準備で大忙しである。書類の多さや手続きの煩雑さは体育祭以上で、連日閉門ギリギリまでの作業を余儀なくされる。各クラスや部活から提出される書類も多岐に渡り、出店場所の申請や機材の貸し出し表、作業用の空き教室や特別教室の使用申請、講堂での演目の時間割作りなど、おそらく一年で一番忙しいんじゃなかろうか。
「沢渡さん、作業用の教室の使用申請なんですけど、同じ日付で書類がダブってるのが何枚かあるんですけど…」
「ああ、それは文化祭実行委員の子が書き損じてしまったものですわ。こちらで処分いたしますので、貸してくださいませ」
沢渡は渡された書類を高速で正規の書類と書き損じに仕分けると、正規分を返してくる。
「こちらは正しい申請書ですので後でまとめて木田川先生に提出して下さい」
「はい。…こうしてみると桜花学園って広い分、結構普段は使われていない教室があるんですね。…なんで音響設備の整った教室があちこちに3つも4つもあるんですか?!」
「何でも昔、吹奏楽部と合唱部と放送部が仲が悪くて、互いに音がうるさくて練習できないと学園側に申し立てて作らせたらしいですわ。あと、一番小さなスタジオルームは何代か前の生徒が軽音部を設立して、録音と練習用に多大な寄付と共に作らせたとか…」
いつの時代にも一之宮みたいなアホがいるんだな。っていうか、音響ルームの他に普通に音楽室とか放送室があるのになぜさらに練習用の部屋なぞ作らせたのか当時の文化部会に問い詰めたい。
寄付金を積んでそういうことがまかり通ってしまうと言うのは私立のセレブ校ならではなのか、この学校だけなのか、ここがゲーム世界だからなのかは不明だけれど、庶民には到底ついていけない理屈だ。
結局、現在は音響ルームは普段ほぼ使われておらず、今回のように文化祭で使用するほかはクラスで事前に申請を出してLHRを映画鑑賞会にするなど、特別な授業の時に使用するのみとなっている。
こういった空き教室や普段使わない特別教室は通常は鍵がかかっており、事前に使用申請を出して、鍵を借り、使用後は鍵を返却する決まりになっている。申請は生徒会を通してチェックされた後、毎週使用スケジュールが作られ、鍵を管理する職員室に提出されている。文化祭時期はこのスケジュールがほぼ毎日更新される。各クラスや部活から、作業教室を変えたい、緊急で広い場所が必要になったなど、急な変更が相次ぐためだ。そのたびに実行委員は生徒会室に申請のために駆け込んでくる。書き損じが多数出るのも仕方のないことかもしれない。
「そういえば、役員の方々って、文化祭当日は見て回れないしクラスの出し物にも参加できないって聞いたんですけど、本当ですか?」
LHRでクラスの出し物の相談をしているとき、篠谷が言っていたのを思い出して尋ねる。文化祭は2日間に渡って行われ、期間中実行委員は交代で校内巡回を行うが、巡回当番以外の時間はクラスに参加したり、文化祭を見て回ることもできるのに対し、生徒会役員はずっと生徒会室に詰めていなければならないらしい。
「ええ、何かあった時にすぐ指示が出せるように、場合によってはトラブルの現場に役員が出向く必要もありますし、そうなると留守番役と最低2人は居なくてはなりませんわ」
「でもそれなら2人ずつで交代にすればいいのでは?」
「トラブルは大抵2、3件同時に発生するものですわ」
という事は沢渡も篠谷も、先輩方も、文化祭を回ってみたことないのか。せっかくのお祭りなのにそれはつまらないんじゃないだろうか。
「……沢渡さん、生徒会室に詰めておくのは執行部員じゃダメなんですか?」
「え? でもあなた方もクラスの出し物や見て回る時間がございますでしょう?」
「ですから、役員と執行部員みんなで交代で生徒会室に詰めておいて、役員の皆さんも少しは文化祭回りませんか? せっかくこうして頑張っているのに、完成したところを自分で見られないなんて良くないですよ。」
ね? と言い募ると沢渡は迷うようなそぶりを見せる。役員としての責任もあるだろうけど、本音の部分では回りたいに違いない。
「会長と五葉松先輩にも掛け合うだけ掛け合ってみましょう? ね?!」
その後、菅原会長を説き伏せ、役員2人と執行部員3名が交代で生徒会室に詰め、役員の休憩時間と自由行動時間を確保することになった。
ちなみに組み合わせは執行部員たちで画策した結果、会長と副会長、篠谷と沢渡が一緒に休憩に入れるようにした。五葉松先輩が菅原先輩を、沢渡が篠谷を好きなのは執行部員全員の暗黙の了解事項だ。これを機に2組のカップルが成立してくれれば私としても桃香を守りやすくなって万々歳だ。
しかし組み合わせを役員に告げたところ、会長と篠谷は難色を示した。
「…組み合わせとしては役員の2年と1年で組んだ方が何かあった時の対処がしやすいんじゃないか?」
「執行部員の組み合わせももう少し変えた方がいいでしょう。……葛城さん、不満そうですが何か意見でも?」
この空気の読めない朴念仁どもめ。五葉松先輩と沢渡が目に見えてテンション下がっちゃったじゃないか。ここは何としても執行部推薦の組み合わせで休憩を取ってもらわなくては!
「役員は同学年で組んだ方が慣れてる分動きやすいと思います。1年の役員2人には2年の執行部員がついてフォローすればいいですし、2年役員には1年生をつかせてください、私も梧桐くんも普段から会長の直下で動いていますから、その方がやりやすいです!」
力説したら篠谷に睨まれた。
「僕の下ではやりにくいとでも?」
「些細なミスを小姑のようにあげつらう会計さまと一緒にいたのでは電卓をへし折りたくなりますので。…電卓ではなくて本人をへし折ってもいいのでしたら別ですけれど」
負けじと睨み返す。仕事中の篠谷は確かに優秀で文句のつけようがないのだが、細かい計算ミスや書き損じを見つけると鬼の首を取ったかのようにネチネチと嫌味を言ってくるので、一緒に仕事をすると十中八九確実に喧嘩になるのだ。
「おや、てっきり指導を受けたくてミスを量産しているのかと思っていました」
「量産というほどはミスしておりませんが、一つのミスに対して指導に時間をかけすぎている所為で記憶に障害をきたしているんじゃないですか?」
現に今現在、こうして喧嘩になっている。しかも、元々の話からだいぶ軸がぶれている。そうは思っても、嫌味を言われるとついつい対抗してしまうのだ。もはや条件反射と言っていい。
「まあ、二人ともそのくらいにしておけ。確かに葛城の意見にも一理ある。亜紀、花梨、このタイムスケジュールで不都合はあるか?」
会長が適当なところで話を戻してくれなければ、本当にへし折っていたかもしれない。もちろん、電卓ではない方を。
「大丈夫よ。…文化祭を見て回れるなんて思ってなかったから嬉しいわ。葛城さん、ありがとう」
五葉松先輩が笑ってくれたので、提案してよかった。あとは当日二人が一緒に文化祭を回ってくれるよう祈るしかない。ホッとしながら沢渡を見ると、ぼんやりとした顔で俯いている。
…? 篠谷と一緒の当番になれたのに、嬉しくないのかな? そんなことを考えていたら顔を上げた沢渡と一瞬だけ目が合った。
「…え?」
ほんの一瞬だけだったが、睨まれたように見えたけど、気のせいだろうか…。沢渡はすぐに目を逸らすと、当番の話で盛り上がっている役員の輪に入っていつも通りの柔和な笑顔で会話に加わっていた。
「わたくし、文化祭を見て回るのは初めてですわ。侑李は中等部の時に高等部の文化祭にこっそり忍び込んだりなさってましたわよね?」
「…花梨、その話はちょっと…」
思い出話に興じる幼馴染の図は見目の麗しさも加わって、素晴らしく目の保養だ。こんな美少女が幼馴染だなんて篠谷は爆発するべきだと思う。
「…気になる?」
役員たちの楽しげの様子を眺めていたら梧桐君に声をかけられた。ビーバーを思わせる愛嬌のある顔が、何かを期待するようにニヤニヤとしている。
「そうね…。五葉松先輩と沢渡さんが頑張ってくれるといいな、と思うわ。」
「……駄目だこりゃ。」
何故かあきれた様子で首を横に振られた。何でだ。
そんなこんなで迎えた文化祭当日。
「……何で…何でここにいるのよ!?? 篠谷君!!!」
先ほど交代時間になり、会長や五葉松先輩と共に生徒会室に落ち着いたというのに、これから休憩のはずの篠谷が居座っている。沢渡と一緒にさっき一回出て行って、てっきり二人で文化祭を回るのかと思っていたら、5分もしないうちに戻ってきたのだ。それからずっと椅子に座って不機嫌そうにパンフレットを眺めている。パンフ睨むぐらいなら回って来いよ。沢渡に誘われなかったのかよ。頭の中で色々な文句がぐるぐるするが、目の前の事実は変わらない。執行部の役員文化祭デート作戦は半分は失敗に終わったという事だ。
ちなみに、菅原会長は五葉松先輩とちゃんと文化祭を見て回ったらしいが、こちらはこちらで思ったほどの進展はなかったようだ。菅原会長は恋愛方面は疎い鈍感男だからなー。まあでも五葉松先輩は嬉しそうにしていたから、いいか。
問題はこの目の前のアホだ。どうしてくれよう。邪魔だと言って追い出すか…? しかし今のところ生徒会室に控えているだけで特にすることがないから、邪魔とまでは言いにくい。っていうか、沢渡はどうしてるんだろう?
「篠谷君、沢渡さんはどうしたの?」
「…さあ? 文化祭を見て回っているんじゃないですか?」
…駄目だ。こいつ殴りたい。
「不慣れな女の子を一人で歩かせているの? 紳士の風上にも置けないわね」
「……案内を申し出ましたが断られました。…どなたかと約束があるんじゃないですか?」
篠谷の返事に耳を疑う。沢渡が篠谷の誘いを断ったの?! 逆じゃなくて?! 沢渡が篠谷の事を好きなのは執行部全員暗黙の了解にするほどあからさまだ。気づいていないのは目の前のアホ王子とのほほん会長くらいだ。その沢渡がせっかくのチャンスに篠谷の誘いを断るだなんて何かあったのかな?
「…時に葛城さんたち執行部員は役員の当番の間に3交代しますよね? 次の休憩時間のご予定は?」
役員と執行部員の人数比の関係上そうせざるを得なかったのだが、やっぱり執行部員の方が休憩長いのは不公平な気もするな。まあ、当の役員がそれでいいって言ったからしょうがないんだけど。
「次ですか? 由紀に案内してもらう予定です。運動部の先輩方からもぜひ見に来てくれと言われていますし。」
「……そうですか…」
心なしか篠谷が大人しくなったような? まあいいか。それより沢渡が心配だ。不慣れな文化祭を一人で出歩いたりして、変な男子に絡まれたりしていなければいいけど…。後でちょっと探しに行こうかな。
結局休憩時間に探してみても沢渡は見つけられなかった。
仕方なく由紀とあちこち見て回る。桜花の文化祭は私が公立の中学や前世で体験したものとは雰囲気が違う。飲食系の出店にしても、生徒自身が手作りをするという事は殆どなく、外注で用意する焼き菓子などがメイン。紅茶などはさすがに自分たちで淹れているが、こっちはこっちで逆に本格的なアフタヌーンティーとか淹れていたりする。ペットボトルのお茶を紙コップでとかいう発想はないらしい。メニューも焼きそばとかたこ焼きなんかは影も形もない。
「展示の方も想像とはかなり違ってる。お化け屋敷とか無いのね。」
「そうだね。お茶とかお花は部活動の方で出展してるし、クラス発表はテーマ研究の展示とかが中心になっちゃうんだよね」
もっと面白みのある企画を出せばいいのに、と由紀も苦笑気味だ。ちなみに私たちのクラスである1年D組はあらかじめ用意したクッキーにアイシングで注文された絵を描いて販売するという企画のお菓子屋さんになっている。
自クラスの出し物を思い出した途端溜息を零した私を見て由紀が思い出したように噴出した。
「いや、午前中の当番は実に面白かったよ。才色兼備の真梨香様にも苦手なものはあったんだなって…」
「…言わないでちょうだい」
勉強は嫌いじゃないし、今の体に生を受けてからは運動も得意になった。けれど、芸術的センスにおいて、前世の私も真梨香も持ち合わせがなかったようである。午前中の当番で私の描いたミュータント(猫のつもりだった)は注文者のお子様を泣かせ、あえなく描き手交代を余儀なくされた。
画材がアイシングだったことも仕上がりの不気味さに一役買ったんだと思う。不定形な輪郭から滴り落ちるカラフルなアイシングが溶けて混ざり合った様は確実に地球外の何かにしか見えなかった。鉛筆デッサンならもう少しはマシに描けると思うんだけど…。
件の失敗クッキーは私自身の手で責任をもって始末した。土台のクッキーは高級パティスリーのものだし、アイシングの材料も良いものを使っていたので、味は美味しかった。味は。とにかく篠谷が生徒会の当番中で見られなくて済んだことだけは幸いだ。見られていたら絶対この先ずっとネタにされるに違いない。
「後半の当番の時はお会計係として頑張らせてもらうから、お絵かきは勘弁して頂戴。」
「あれはあれでインパクトあって面白かったけどね。最後に私にだけなにか一枚描いてよ」
「いやよ。由紀絶対面白がって篠谷君に見せるつもりでしょう? ぜっっっっったいあいつにだけは見せないって言うんなら描くけど…」
「見せない見せない。弟へのお土産にするよ。」
「やめなさいよ。泣いちゃうわよ。弟君…」
「泣いて怯えるところも可愛いんだよ。それにそういうことをしてもすぐにケロッとして『おねーちゃ、だいしゅきー』って走り寄ってくるのがまた堪らないんだよね。」
気持ちはすごく分かるけど、あんまりやると幼児虐待とかになりかねないからやめてあげてほしい。というか、私の絵って虐待道具になる程…?
密かにショックを受けていると、前方から派手な集団がやってくるのが見えた。2年双璧と取り巻き軍団だ。目が合うと面倒くさそうなので即座に方向転換したのだが、一之宮石榴に気づかれてしまった。
「おい、1年D組、葛城真梨香! 人の顔を見た瞬間に背を向けるとは失礼じゃないか?」
廊下で大声を出さないでほしい。廊下を行きかう招待客の方々も何事かと振り返ってるじゃないか。舌打ちしたい気分をこらえて双璧たちの方へ向き直る。
体育祭以来、吉嶺橘平は私に絡んでこなくはなったが、一之宮は相変わらず顔を合わせるたびに何かと因縁を付けてくる。
「あら、一之宮先輩、何か御用ですか? 私はさっき入った教室に忘れ物を思い出したので急いで戻らないといけないのですけど?」
にっこり笑ってその場を立ち去ろうとしたのに、肩を掴まれ、引き留められた。
「まあ待て。ちょうどよかった。ちょっとお前に話があって探していた。」
「私の方には一之宮先輩に用なんてないんですけど…」
うんざりした気分で吉嶺を見る。視線でこのバカ殿をどうにかしろよ、と訴えてみるが、苦笑いと共に手を合わされた。『ごめんね』のポーズなのか、『合掌』のポーズなのか、どちらにせよ役に立たない。
「…大事な話だ。いいから来い。生徒会と…お前自身の進退にもかかわる問題だ。おい、ちょっとこいつを借りていくぞ」
後半の台詞は由紀に向かって投げられた。そのまま引っ張られそうになって、慌てて踏みとどまる。
「あまり勝手な事ばかり言わないでください。私の進退って、なんで先輩方にそんな事を…」
「不平不満は後で聞いてやる。とにかく来い。」
そのまま廊下で引っ張り合いに発展しそうになったところを間に入ったのは吉嶺だった。
「二人とも落ち着いて。葛城さん、悪いとは思うけど、今少しだけ付き合って。…多分、君が思ってる以上に事態は重いんだ」
普段ちゃらんぽらんな態度を崩さない吉嶺のいつになく真面目な様子に、肩の力が抜ける。
「……くだらない話だったら二人まとめてぶっ飛ばしますよ?」
「怖いけど、その点は保証するよ。…ここじゃ何だから、移動しよう。人払いができる場所に。」
心配そうな由紀と別れ、双璧の二人についていく。彼らは彼らで取り巻きの女生徒たちを、あとで待ち合わせるからとその場で解散させた。そうして連れてこられたのは茶道部の茶室だ。茶道部自体は現在中庭で野点を行っているので、茶室は無人だった。周囲に雰囲気作りのための小規模な庭木と小さな池が作られた茶室は文化祭の喧騒から少し離れている。畳に向かい合わせに正座する。
「…それで? お話とは何でしょうか?」
「……お前、生徒会で役員になるつもりはあるか?」
一之宮の唐突な問いに一瞬何を言っているのかわからなかった。生徒会役員っていうと菅原会長や篠谷みたいな会計の事だろうか…? しかしすでに役員なら揃っている。
「仰っている意味がよく…」
「今、一部の特待生と外部生の間で、お前を生徒会役員、それも次期副会長か会長に推す動きがある」
初耳だ。確かに私は特待生の中で生徒会執行部に所属して、外部生や特待生の環境改善に意見するグループでは中心人物として扱われている。けれどそれはあくまでも生徒会執行部員として役員の下について意見をまとめるという立場に過ぎない。そして私が役員にならなくとも、今の役員は外部生や特待生の意見に耳を傾けてくれている。改めて私が役員に立つ必要を感じない。
「……現在の生徒会役員に不満を抱くグループがいる、という事ですか?」
「平たく言うとそういう事だ。中には内部生でも現生徒会役員を引き摺り下ろすためならってお前の支持に回ろうとしている奴もいるらしい」
「今の生徒会役員は中等部からずっと生徒会役員を務めてきた精鋭で、内部生からも外部生からも絶大な支持を受けています。そう簡単にその地位が揺らぐことなどないと思いますが…」
吉嶺が差し出した茶碗を作法など知らないので無造作に受け取り、一口含む。濃い抹茶の苦みとほのかな甘みに波立った心が少しだけ凪ぐ。
「お前を役員にと支持する層のほとんどはお前の意見がどうというよりは、現体制への不満から現状を転覆させたいと思っている連中、いわば過激派だな。」
「わあ、心の底から遠慮したい支持層ですね。私はそんな連中の傀儡になるつもりなど毛頭ございませんよ。」
「…だろうな。お前を御せる奴などそうそういないだろう」
「その言われ様はそれで腹が立ちますが…それで、わざわざそれをご忠告に?」
私が置いた茶碗を一之宮が完璧な所作で回し、口にした。こういう所を見ると、ちゃんとお坊ちゃんに見えるんだけどな。
「お前、生徒会を辞めて代議会に来ないか? クラス代表というよりは、1年総代として。たとえ1年でも総代ともなれば3年もその意見を無視はできない。更に俺たちと組めばお前の言う平等な学園生活の実現も難しくない」
おそらく私が一度吉嶺の誘いを断っているのは聞いているのだろう。今まで代議会に参加したことのない人間をいきなり学年の総代に指名するなど、普通はあり得ない。それほどまでに手駒としての私を過大評価しているのか、もしくは何かの企みか。
「今まで生徒会にいた人間がいきなり代議会で学年総代に就いたりしたら反発が大きいでしょう? それに私は…」
「生徒会は学園の平等化に本気で取り組んでいると思うか?」
「え? …それは……もちろん…」
現生徒会役員は私たちの意見にも熱心に耳を傾けてくれているし、代議会でも積極的に発言してくれていると聞く。だからこそ少しずつだが外部生寄りの意見を持つ内部生も出てき始めているのではないか。
「確かに意見を持ってきている。発言もしている。……これを見ろ」
「代議会の議事録…? これが何か………!?!」
「意見は出している。代議会3年の内部生の意見に反論もしている。しかし、反論内容が骨抜きで実態に則したものとは言えない。これではすぐに論破され、通らない。この状況を打破するためにはこのやり取りを更にお前たちに分析させて、理論武装を再構築して挑む必要があるだろう。しかし、生徒会でそういった2次、3次の対策を練ったことは?」
…ない。執行部員が知らされるのは大まかな結果だけ。もちろん、自分たちの意見の弱いところは指摘され、次の対策につなげる。けれど、なぜその提案をしたのか、外部生がどう感じ、何を不便と思い、内部生と外部生の意識のギャップがどこにあるのかという部分については意見の強化を求められなかった。
それは多分、生徒会役員にも、完全には理解しきれないでいたからではないか。生粋の内部生である彼らには、外部生が、特待生が何を辛いと感じ、何処に劣等感を覚えているのかが真には理解できなかったからじゃないか。理解できないまま、表面の理論だけで意見を出す。論破されても心情的には内部生の意見の方が理解できてしまうから碌な反論ができない。
無言で議事録を見つめる私の様子から、返事を察したのか、一之宮が溜息をつく。
「こういう意見は、結局本人たちが直接訴えるのが一番説得力があると俺は思う。そしてそれができるのは今の外部生ではお前だけだろう、とも。だが生徒会で執行部にいる限り、お前は分厚いフィルター越しにしか意見を述べられない。代議会に来れば、フィルターはなしだ。お前は、直接戦える」
顔を上げると、鋭く野性味の強い瞳に見据えられる。生徒会では鈍らにしかならない私を真に剣として使ってやるとその眼が訴えている。心が揺らぐ。目を閉じて、考える。私がやりたいこと、成し遂げたいこと、生徒会のメンバー、私についてきてくれている執行部のメンバー、私が守りたい、最愛の、妹……。
目を開け、眼の前の茶碗を掴み、中身を一気に煽る。タンっと乱暴なしぐさで茶碗を置き、口元を拭う。およそ女性らしさのかけらもない粗野な仕草に双璧二人が目を丸くしている。
「一之宮先輩、吉嶺先輩。せっかくですが、お誘いはお断りします。…ですが、この現状を教えてくださったことは感謝します。生徒会役員の、私たちへの理解が浅いと言うなら、益々私は生徒会で彼らに外部生、特待生の現状を、心情を理解してもらわなくてはなりません。4人の人間に理解してもらえない人間が、代議会で何十人も、更には学園中の何百人もの内部生に理解してもらえるはずがないんです。」
「…葛城…お前……」
「フィルターがあると言うなら切り開くまでです。私と役員の間も、役員と代議会の間にも、何重にもそれがあるのだとしても、切り裂いて見せます」
我ながら大口を叩いたものだと思う。でも私がここまで来たのは生徒会でやってきたからこそでもある。それを捨てて楽な道に走ることはできない。そう言って見返すと、見た目だけなら極上の美形が、盛大に破顔した。文字通りお腹を抱え、肩を震わせての大爆笑である。その後ろで吉嶺も後ろを向いて震えている。あの震え方は確実に笑っているのだろう。
「…っ…いいだろう。やってみろ。だが、俺としては代議会の手駒にお前が欲しいという気持ちは変わらない。執行部で行き詰ったらいつでも召し抱えてやる」
「そうならないよう努力します」
目じりに涙まで浮かべてヒーヒー笑いながら請われても正直嬉しくない。思っていたよりもマシな人間だったとしても、双璧2人は私生活に問題がありすぎるので、彼らの下に付くのも遠慮したい。
もう話は終わりという事でいいのだろうと、立ち上がると、吉嶺がついてきた。
「そこまで送るよ」
「いえ、お構いなく」
断ったのについてこられた。しかもまだくすくす笑っている。半眼で睨み付けるとごめんごめんと謝罪感ゼロの謝罪をされた。
茶道部の茶室を出ると、少し離れたところに特別教室棟が見える。文化祭準備期間には練習場や作業場所として解放されていたが、本番である今日は鍵がかかっているはずだ。
「……?」
筈だったのだが、今誰かが特別教室棟の窓辺にいたような気がした。
「葛城さん、どうかした?」
「今、あそこの窓に人影が…」
指さした先の窓にはカーテンが閉められている。おそらく位置からして音響室の一つだろう。中規模の部屋で確かいくつかの部活やクラスが練習場に利用していたはずだ。誰かが忘れ物でも取りに入ったのだろうか? でも鍵が掛かっているはずで…。
「気のせいじゃない?今日は特別教室棟は使う予定が入っていなかったはずだよ」
「……ですよね」
しばらく見ていたがカーテンが動く気配もないし、やはり無人なのだろう。私はそのまま吉嶺にクラスまで送ってもらった。
教室に戻ると、なぜか氷山の幻を背負った篠谷がいて、双璧と行動を共にしたことでまた妙な噂になったらどうするのかとこんこんと説教された。どうしよう、こいつの下に残ったことを早くも後悔しそうになってる。
「あなたのような女性でも、不名誉な噂が立つのは良くありません。今後はもう少し自分が周囲からどう見られているか、自覚して行動してください」
「篠谷君は私の母親でもないのによくまあそんな心配ばかりできますね。ご自分こそもう少し周りの目を気になさったらいかがかと思いますよ」
沢渡の好意の視線とかね。
……そういえば、結局沢渡は篠谷と文化祭を回らなかったのか。どこに行ったんだろう? 私は粘着王子の嫌味ブリザードを聞き流しながら、そんなことを考えていた。
異変に気付いたのは文化祭が終わって、生徒会で全校生徒へ実施したアンケートの集計作業に明け暮れているときだった。
「……これも白紙…。梧桐君、そっちは?」
「こっちもです。文化祭について、次回以降に実施希望の企画だとか、期間中のトラブルとか、内部生のアンケートは埋まっているのに、特待生の一部の生徒ばかりが白紙で提出しています」
生徒会で実施するアンケートは2種類あり、一つは記名式、もう一つは無記名で行うのだが、記名式のアンケートは基本的に簡単な次回への要望や感想を、無記名の方は記名では書きにくい事柄を何でもいいから書いてほしい、と分けているのだが、そのどちらも一定の枚数が白紙で出されているのだ。記名版と無記名版の白紙枚数がほぼ同じ、という事でどうやら同じ人間が白紙で提出したらしいのだが…。
「特待生の中でも学業奨励者の女子ばかり、というのが気になるわね。」
「前は積極的にアンケートにもこたえてくれていたし、協力的な子たちだったと思うんだけど…」
気になったので調べたところ、該当者のうち数人はここの所学校を休みがちで、アンケートの日も欠席していたことが分かった。白紙だったのは書く人間がいなかったからか、とその場ではおさまったものの、後日出席してきた彼女たちに接触を試みたところ、断られた。それどころか、今後一切生徒会に関わらないとまで言われたのだ。
「いったい、どういうこと…?」
私や梧桐君の困惑をよそに、その日から、じわじわと彼女たちのように、生徒会への意見協力を拒む特待生が増え始めたのだ。