過去編 真梨香 1年の夏 1
私が桜花学園高等部に入学して、2か月が瞬く間に過ぎた。
前世でプレイしたゲームの世界に転生して、シナリオに逆らって入った生徒会。目指すのは、ゲームヒロインである妹の桃香が、誰からも傷つけられない学園生活だ。
「菅原会長、来週から招集される体育祭実行委員会の概要説明の資料、チェックお願いします」
「ああ、そこに置いておいてくれ、それから葛城、このファイルを資料室に返却、帰りに職員室に寄って木田川先生からチェックの終わった分を貰ってきてくれ」
「はい」
生徒会は今、来月に迫った体育祭に向けて、実行委員会を招集するための準備に入っていた。各クラスから2名ずつ選出される体育祭実行委員会は組分けや競技のプログラム作成、競技ごとの出場者の名簿作りから前日当日のテント設営に至るまで、様々な雑務をこなす。
生徒会と執行部は全体の指揮と事務処理面でのサポートが中心になる。その為、実行委員召集前の下準備がかなり詰まっているのだ。
菅原会長の指示に従って走り回る。執行部に入った当初は、沢渡の下に付いて書類作業を多くこなしていたが、最近はこうして会長の指示で動き回ることが増えている。今日のような使い走りから、時には各委員会の委員長や部長会の部長相手の折衝まで任されることもある。
委員長職、部長職に就いているのはもれなく内部生の3年生だ。1年生で、特待生、更には入学してすぐに2年総代の一之宮と揉めたことで顔も名前も知られてしまっている、そんな私が交渉相手と知ると、各委員長サマ方は初めは揃って門前払いを喰らわせてくださった。
「はあ? 1年生じゃ話にならない。菅原か五葉松に直接来るよう伝えろ」
「内容も確認せずに話になるか決めないでください。この件は今、私が確認してくるよう言われているんです。とにかく今すぐ書類を確認してください」
書類に目を通してハンコを貰ってくるだけの用事でもこの有様である。複雑な交渉ともなると、それこそ役員を呼べコールが響き渡る。クレーマーか。
ここで役員に変わってもらい、スムーズに話を進めるのは簡単だが、そうなれば彼らは二度と私とは話をしてくれなくなるだろう。血管が切れそうな駄々を聞き流しながら、根気強く交渉する。
その成果もあってか最近ではようやく話を聞いてくれる人が増えた。特に体育会系の部活の部長や体力系の委員会では根性があると気に入られたみたいだ。
「おお、葛城、今日も頑張ってるな! 飴いるか?」
「職員室にお使い? それならついでにこれを顧問の柳先生に持っていてもらえないかしら?」
何となく子分扱いされてる気がしなくもないが、まあいい。結果オーライだ。
逆に頑ななのが文化系の部活の部長や女子が中心の委員会の委員長たちだ。これについては、特待生だからという以上に、別の理由が絡んでくる。
「ちょっとあなた」
職員室の帰り、声をかけてきたのは確か、茶道部の2年生だ。一之宮か吉嶺、どちらかの取り巻きだったことは覚えているが、あの二人はだいたい一緒にいて、取り巻きもそれぞれにぞろぞろ引き連れているので、どっちの取り巻きか区別がつきにくい。
「何でしょう? 先輩」
「最近、ちょっと調子に乗ってるんじゃないかしら? 生徒会の小間使いの癖に代議会のやり方にあれこれケチをつけているそうじゃない」
先だって、代議会によるパーティー行事の服装規定で、打開策を打ったことはまだ表向きには知られていない。けれど、その後、生徒会執行部に特待生の人員が増え、代議会への意見をまとめるときも特待生の視点からの意見が採用されるようになった。
生徒会は直接的に代議会の決定を覆す権限はないが、役員が会議に出て意見を言うことができる。そこに特待生の意見が反映されることで、代議会の中にも少しずつだが特待生への歩み寄りを見せる生徒が出てきているらしい。
そして、私はそういった特待生の急先鋒のように上級生の間で認識されている。
その所為か、ちょいちょい2年の双璧に絡まれる。そのたびに一之宮を煙に巻き、吉嶺は徹底して避けていたら、取り巻きの女性たちの間で、双璧二人の気を引くためにわざと突っかかって来る生意気女、という烙印を押されてしまっているらしい。その点はおおいに訂正して回りたい。
ちなみにその情報を教えてくれたのは、入学初日に図書室で遭遇した一之宮の取り巻きの一人、枇杷木夕夏先輩だ。夕夏先輩は私が一之宮を嫌っていることを理解してくれた上で、何かと気にかけてくれている。本当にバカ殿如きにはもったいない女性である。
「代議会は生徒の意見を代表し、話し合うための組織です。生徒が意見を言うことに制限があるとは思えませんが」
「! そうやって屁理屈をこねるのが生意気だって言うのよ! 学園に寄生している貧乏人の分際で、学園のやり方に意見するなんておこがましいと思わないの?!」
まあ、確かに学費もその他の学用品購入代も学園からの奨学金で賄われている特待生は寄生していると言われればそうかもしれない。けれど、別にそのお金をこの女生徒個人が払ってるわけでもないので、意見されるいわれもない。
「特待生も学園の生徒です。学力やスポーツ、芸事において、優れた技能を学園に提供することで報酬を得ているにすぎません。そして、特待生であるからこそ、一般生徒よりも学習環境に対し高い理想を持っています。それを学園に反映させることは桜花学園全体の学習環境をよりよくすることだと思います」
私は別に特待生と内部生の立場を逆転させたいわけでもない。特待生が蔑まれるような環境さえ改善できれば、妹を襲う脅威が一つ減る。限りなく自分本位だが、結果として学園全体の環境改善になるのなら、それを目指したい。
「う、うるさいわね! そういうところが生意気だっていうのよ!!」
カッとなったその先輩が手を振り上げる。振り下ろされたそれを難なく受け止めると、先輩の顔が般若のように歪んだ。痛くなるような掴み方をしたつもりはないけど、大丈夫かな?
「ちょっと! なんで受け止めるのよ!?」
「いや、殴られたら痛いですし」
いくらか弱い女性の平手でも、爪が当たれば立派な凶器だ。好きこのんで叩かれたいと思うほどマゾヒストじゃない。先輩は掴まれた手を振りほどこうともがいているけど、いま急に離したら転びそうだ。
「離しなさいよ!」
「先輩、落ち着いてください。暴れたら転びますよ」
言った傍から足を縺れさせた先輩を慌てて支える。驚いて呆然とする先輩をまっすぐ立たせてから、手を離した。
「怪我がなくて良かったです。…先輩から見ると生意気と思われても仕方がないかもしれません。でも、私は目指している目標があるので、譲れません。だから、平手を甘んじて受けることも、嘲笑に屈することもしません。…受けて、立ちます」
まっすぐに、切り込むように先輩を見つめる。竹刀の切っ先を喉元に突きつけるような気分だ。先輩は青褪めて震えている。あまりやりすぎると逆効果だな。適当なところで気を緩め、安心させるように、微笑んで見せた。
「できることなら、先輩にも理解していただきたいと、そう、思っています」
青褪めていた先輩の頬に血の気が戻った。…というか、戻りすぎた? 今度は赤くなっている気がする。大丈夫だろうか? 少し心配にはなったが、今は急いでいるところだったことを思い出す。
「それじゃあ、失礼します」
よくわからないが大人しくなってくれた先輩を置いて、私は生徒会室へ駆け戻った。
「遅かったですね? どこまで行っていたんです?」
戻るなり篠谷に嫌味を言われた。上級生に絡まれていたとは言えないので、素直に謝って、書類を菅原会長に渡す。
「ああ、ありがとう。確認するからちょっと待ってくれ。………? 葛城、実行委員会の日程表は入ってなかったか? もう木田川先生のチェックは済んでいると思うんだが」
「え? 職員室で受け取った時はありましたよ?」
慌てて菅原会長が持っていた書類の枚数を確認する。確かに職員室で確認した時より1枚足りない。
どこかで落としたのか。その場合可能性が高いのは一か所しかない。
「すみません。ちょっと探してきます」
生徒会室を出るとき、外から戻ってきた沢渡にぶつかりそうになる。
「あ、沢渡さんすみません! 大丈夫でしたか?!」
「え、ええ。どうなさいましたの?」
「ちょっとお使いの途中で書類を一枚落としてしまったみたいで、探してきます!」
そう言って先程双璧の取り巻きの先輩と話した廊下まで戻ったけれど、書類は見つからなかった。もしかしたら彼女に拾われたのかもしれない。茶道部部室や茶室にも行ってみたけれど、先輩は見つからない。せめて名前聞いておくんだったと後悔しても遅い。
結局書類は見つからず、私は肩を落として生徒会室に戻るしかなかった。菅原会長に報告し、謝罪する。
「……葛城、今回の書類はまだ、作り直しも効くものだったからいいが、お前が普段届けたり回収したりする書類には予算や学園の運営にかかわる重要な書類も含まれる。取り扱いには充分注意しなければならない。…わかるな?」
普段は気さくな菅原会長が厳しい顔つきをしている。彼の言うとおり、私の仕事は多くの重要書類を取り扱う。ここ最近委員会との折衝も任されるようになり、書類を運ぶだけの作業に対して油断が生じていたことは否めない。
それこそあの先輩に言われた通り、『調子に乗っていた』のだ。
「すみませんでした。今後2度と無いよう、細心の注意を払います」
深く頭を下げる私に、沢渡が出力しなおした日程表を持ってきた。
「こちら、今出しなおして参りましたから、木田川先生にもう一度確認印をいただいて来てください。大丈夫ですわ。次からは気を付けてくださいね」
優しい言葉に、更に自分が情けなくなる。
「沢渡さん、ありがとうございました。会長、すぐに職員室へ向かいます」
「ああ、今度こそ頼んだぞ」
まっすぐに顔を上げて書類を受け取ると、菅原会長も力強く頷いてくれた。
その表情に背中を押され、私は今度こそ慎重に書類を持って職員室へ走った。
多少のトラブルはあったものの、その日の生徒会活動も無事終了し、鞄を手に生徒会室を後にする。一人で歩きながら会長に言われたことを反芻する。今日無くした書類は、たまたま重要性は低く、再提出が容易なものだった。けれど、私がその書類と一緒に運んだ書類にははるかに重要で、紛失すればそれこそ大問題になるような書類だってあった。今回は運が良かっただけだ。
溜息を吐きたい気分で歩いていると、ポケットの携帯が震えた。着信画面を見て、今度こそ本当にため息が出る。
メールを知らせるその画面には『杏』とだけ表示されている。烏森杏一郎からのメールだ。
先だっての面談の折り、連絡先交換に承諾したものの、アドレスのやり取りをする前に応接室から逃げ出してしまった私は、そのまま有耶無耶にならないかな、なんて期待していた。
けれど、向こうはそんなつもりはなかったらしく、翌日栗山先生を通じて、名刺を渡された。『鵜飼杏一郎』の名前と非常勤講師の肩書の入った名刺の裏にはどうやらプライベート用とおぼしき携帯番号とメールアドレスが手書きで記されていた。
仕方なく受け取り、鞄の内ポケットに入れて放置すること3日。栗山先生に懇願された。
「頼むから、杏一郎に連絡入れてあげてくれないかな。葛城さんに名刺を渡した当日から『連絡が来ない。お前本当に渡してくれたんだろうな? 』とか、『番号を書き損じていたのかもしれない。もう一度渡してくれ。』とか言われて、更に昨日くらいからは『真梨香は私の事を嫌っているのだろうか? 』とか『従兄として頼る気になれない程烏森が憎いのだろうか? 』とか言い出して、あの無表情で盛大に落ち込んで見せてくるから、なんだか可哀想になっちゃうんだよ」
栗山先生の前で無表情に落ち込む杏一郎の顔が容易に想像できてしまい、流石に申し訳なくなったのと、このままでは栗山先生の胃に穴が開くと思ったことで、渋々ながら、メールを送ったのが面会から5日目。
それ以来、朝夕2回、挨拶とその日の他愛もない出来事を報告しあうようなメールが毎日届くようになってしまった。万が一着信画面を人に見られてもいいように、名前の漢字一文字だけを登録している。浮気を隠している人みたいで嫌だが、仕方がない。
その日も、今日は暑かったがお前は大丈夫か? とか、帰り道は一人で大丈夫なのか? とか簡潔だがこちらを気遣う文面が綴られていた。
文面自体は特に問題ないのだが、なぜか毎回文末に顔文字が入っている。しかもその顔文字が中々表情豊かで、文章がいつもの話す時と同じで簡素なのに反して感情を的確に表現している為、杏一郎が目の前で話すのと同じように、無表情なのに感情が伝わってくると言う不思議現象を味わわされる。
食事の誘いをなんだかんだと理由を付けて、当分は難しいと返事をした時も、『そうか…』という一言の後ろに、盛大にしょんぼりした顔文字を付けて返され、散歩を断られた犬の幻影が見えた。
いっそのこと絵文字も入ったデコメールなら顔文字が目立たなくて気にならないのに、文体は話す時とほぼ同じでシンプル。装飾も顔文字だけというスタイルの所為でよけいに顔文字が目立ってしまっている。
いい年した男が大真面目な無表情でこれを打っているのかと思うと、どうしていいのかわからず、女子高生とのメールだから精一杯盛っているのかと思って栗山先生にもそれとなく聞いてみたが、どうやら昔から彼の私的なメールはそのスタイルであるらしい。知っていたなら適当なところで止めてあげて欲しかったです。先生。
「…う~ん、『暑さには強いので、夏の方が身体的には過ごしやすいです。帰り道はそれほど遠くもないので心配しなくても大丈夫です。』…送信、と」
すっかりメル友みたいになってしまっている。できることならもう少し距離を置きたいが、無視するのも申し訳なくて、何となく続いてしまっている。
「……『生徒会の仕事でミスをしてしまい、少し落ち込んでいます。杏一郎さんは落ち込んだときはどうやって浮上していますか?』…やっぱりこんなこと聞いても仕方ないよね……あ」
書きかけのメールを削除しようとしてうっかり送信してしまった。こんな弱音を吐いたりしたら、またおかしな気遣いをされてしまうんじゃないかと慌てるが、今更間違いメールですとも言えずあわあわしていたら、驚くほどの速さで返信が来た。
「…『落ち込んでいるならしっかりと落ち込んで、自分のしたミスを忘れないよう心に刻め。その方が再発を防げる。ただし、明日までは引きずるな。』……」
てっきり慰めるような言葉が返ってくるのかと思ったので、意外な気持ちになったが、突き放したような言葉がストンと胸に落ちた。文末にはガッツポーズの顔文字。無表情な杏一郎の顔と、全く一致しないのに、不思議と背中を押してもらった気分になって、笑いが零れた。
「……『ありがとうございます。』…と、送信」
お礼を送ってから、私は帰路に就いた。
明日からは書類の持ち運び方法をもうちょっと厳重にする方法を考えてこよう。杏一郎の言うとおり、反省すべき点はとことん反省して、再発を防ぐ努力を最大限すること。失敗を引きずりすぎて、別の失敗を引き寄せないようにすることが大事だ。
こころなしか、足取りが軽く、溜息はもう出なかった。
忙しく走り回った準備期間を経て、体育祭実行委員が招集された。各クラス2名ずつ選出され、南校舎の大会議室に集められる。かなり広い作りになっているので、マイクを使う必要があり、執行部員が数人で会議室の手配を行う。
私がマイクと資料画像を映すためのスクリーンの準備をしていると、長身の影が近づいてきた。
「やあ、頑張ってるね。葛城真梨香ちゃん」
2年の吉嶺橘平だ。代議会所属、つまりクラス委員であるはずの彼がなぜここにいるのだろう? 思わず眉間にしわが寄りそうになるのを理性で抑え込み、当たり障りない笑顔を作る。
「吉嶺先輩はなぜここに? 2年B組の実行委員は別の方だったと記憶していますけど」
「そうなんだけどね。どうも体調を崩してしまったみたいで、今日だけ代わりに来たんだ。ちょっと早く着いちゃったけど、君に会えるなんてラッキーだったな」
そう言って隣に立って私の手元を興味深げに覗きこんでいる。正直邪魔なのでどっかに行ってほしい。
「そうでしたか。欠席のご連絡をいただければ、もう一人の方だけでも今回は事足りると思うので、吉嶺先輩はおかえりいただいても大丈夫ですよ」
「真梨香ちゃんは配線のセッティングの手際がいいよね。機械に強いのって女の子にしては珍しいよね」
暗に帰れと言ったのに華麗にスルーして会話に持ち込んで来ようとする。何気に名前でも呼ばれているのも不愉快だ。
「申し訳ありませんが、名前は苗字でお願いします」
「何で? 可愛い名前だと思うよ。真梨香ちゃん」
絶対に、わざとだ。ムキになって嫌がっても相手を喜ばせるだけなので、無視することにする。黙々とセッティングを終えたころ菅原会長が来た。私の隣に立つ吉嶺を見て首をかしげる。
「葛城、お疲れさん。…何で吉嶺がいるんだ?」
「うちのクラスの粗樫が体調崩しちゃったから、代わりに来たんだ。かまわないだろ?」
「それは…まあ…」
菅原会長がちらりと私を見る。新入生歓迎パーティーの一件以来、私が双璧の二人を苦手にしているのを知っているので、気遣ってくれているのだろう。会長と他の役員は実行委員会の会議の議事進行を司るので、この後の会議に出なくてはならないが、私は役員ではないので、仕事が終われば退室しても構わない。
「会長、セッティングは終了したので、失礼します」
「え? もう帰っちゃうの? せっかくだから会議見ていきなよ」
「…吉嶺。お前は会議の主催じゃないんだから、そういうことを勝手に言うんじゃない。葛城、ご苦労だった。生徒会室に戻って、他の執行部員が戻ったら解散してくれ」
菅原会長の言葉に甘えて、私は先輩二人に挨拶するとその場を後にした。
吉嶺の目的はわからないが、私との接触が目的だったとするなら、うまく避けられたという事だろう。一之宮を言い負かした1年生に興味を持ってしまっているようだが、早い処飽きてほしい。
そう考えながら生徒会室へ戻った私が、吉嶺がなぜ今日に限って実行委員会に出席したのかを知るのは翌日の事となる。
「………やられた」
朝のホームルームで体育祭実行委員の棈くんから配られた体育祭の組分け表を見て、私は呻いた。
体育祭は全学年を赤青白のトリコロールカラーの組に分けて3組対抗で競う。2,3年生はクラス分けの際、進路や選択授業の他、部活動の偏りが無いように分けられている為、くじ引きで組分けをするのだが、1年生はクラスが別れた後に部活動が決まるので、どうしても運動部員の所属クラスに偏りが出る。その為実行委員会の会議で各組による有望クラスの争奪戦が行われるのだ。
それが実行委員会初日の主な議題となる。私の所属する1年D組はA組と共に赤組。2年にB組とF組、3年にC組とE組を擁している。そう、吉嶺の所属する2年B組と同じ組だ。
運動部員の人数でみると、それほど有望クラスとは言えないD組を、交渉事に関しては3年よりも高い能力を持つ吉嶺が好きこのんで取る理由があるとは思えない。それをあえて取ったという事は…。
「葛城さん、ちょっといいかな?」
もう一人の実行委員である楠さんが声をかけてきた。嫌な予感しかしない。
「組対抗競技なんだけど、葛城さん、入ってもらえないかな? うちのクラス運動部員少なくて…。葛城さん体育得意だったよね?」
組対抗競技は各組の全学年から選出された精鋭メンバーによる合同競技で、点数配分も多い花形競技だ。リレー、障害物競走、応援合戦、二人三脚の4種目あり、参加者は放課後の特別練習に参加しなくてはならない。
吉嶺の目的は組分けでD組を同じ組に入れること、組対抗競技に私を引っ張り出すことだったのだ。特別練習に出れば、接触は避けようがない。これまでうまく逃げ回ってきたのに、ここに来て距離を詰められるとは思っていなかった。…ていうか、私を掴まえるためだけにそこまでするか?! 普通?!
一之宮の一件で興味を持たれたにしても、ちょっと尋常じゃない。徹底して逃げ回ったことで逆に興味を引かれてしまったのだろうか。ゲーム中に出てきた会話や行動なら好感度を下げる選択を選べるのに、現実だとこんなに厄介な奴だなんて…。ゲーム中でも厄介だったけど!
断ろうにも楠さんの言うとおり、うちのクラスは運動部員が少ない。中学で剣道をやっていたことは知られていなくても、日々の体育の授業で運動が得意なことはばれている。楠さんの眼は期待に満ちていて、非常に断りづらい。ああ、こんなことなら体育の点数はペーパーテストだけに頼って実技は手を抜いておけばよかった。
「……わかったわ…。競技は選べるのかしら?」
「今日の放課後参加者全員集まってから決めるって。引き受けてくれてありがとう。人数ギリギリだったの」
楠さんが心底ほっとしたような顔をしてくれたのがせめてもの救いだ。
とにかくこれで吉嶺との接触は避けられなくなった。こうなったら覚悟を決めて一刻も早く飽きて興味を失ってもらえるよう振舞わなければ。
放課後、赤組の選抜メンバーの集合場所に行くと、案の定、吉嶺橘平がにこやかに出迎えてきた。
「やあ、真梨香ちゃん。先日はどうも」
「……吉嶺先輩、以前もお願いしましたけれど、私の事は苗字で呼んでください。下の名前で呼ばれるのは好きじゃありませんので」
言っても無駄かもしれないが、主張はしておく。
「そうなんだ? 可愛い名前だと思うけどな。真梨香ちゃん」
名前呼び止める気ないな、こいつ。額に青筋が浮かぶような気持ちになる。名前で呼ぶ間は無視しようか…。
「…特に親しくもない人からは名前で呼ばれるのが苦手でして…」
「なるほど、じゃあこれから親しくなれば問題ないね」
問題ありだよ。大ありだよ。親しくなりたくないって言ってるのにわからないんだろうか? わかっててあえて言ってるんだろうか? 確実に後者だろうけど!
「先輩と不用意に親しくすると、怖いお姉さま方がいらっしゃるので…」
「ああ、そういえば先日俺の友達の一人が失礼したらしいね? 彼女たちには君に手を出さないようお願いしておいたから大丈夫だよ」
それは余計に火に油を注ぐだけだろう。むしろわざわざそんなこと『お願い』したら私の事を特別だって宣伝するようなものじゃないか。勘弁してほしい。
「あ、そうだ。これ、君から菅原に返しておいてくれないか?」
「!!」
反論を口にしようとした瞬間、遮るように差し出されたのは、先日私がなくした日程表だった。やっぱりあの時の先輩が拾って、あろうことかこいつに渡していたのか。
日程には体育祭実行委員会の会合日程と議題についても載っている。こいつが昨日の会合初日に実行委員と交代したのはこれを見たからだ、と気づいた。
そしてその書類をわざわざ私に返したという事は、昨日の会合の事といい、今日の選抜メンバー決定の事といい、自分の掌の上だと知らしめるつもりなのだろう。書類を返すだけなら昨日菅原会長に直接返せば良かったのだから。
「…お預かりします」
動揺するそぶりを見せれば多分喜ばせてしまうのだろう。なるべく平静を装って書類を受け取る。反応の薄い私を見ればつまらなさそうにするかと様子を窺うが、ニコニコとした笑顔のままで、変化がみられない。ゲームだと選択肢の度に効果音と画面エフェクトがかかるのに、現実は全く反応が読めない。
正直、早くもくじけそうだった。心の中で桃香の可愛い笑顔を思い浮かべて、気力を振り絞る。
「ところで、吉嶺先輩は競技は何を希望するつもりなんですか?」
「真梨香ちゃんと一緒に二人三脚」
「却下します。私はリレーを希望しようと思っていますので」
まったくもって冗談じゃない。放課後練習で絡まれるのも不愉快なのに、何が悲しくて密着して走る二人三脚などしなくてはならないんだ。そう言って断った私に吉嶺は信じられないことを平然と言ってのけた。
「あ、メンバー表にもう君の名前書いちゃった」
てへぺろと効果音が付きそうな腹立たしい笑顔で言われ、軽く殺意が芽生える。慌てて選抜メンバーをまとめている3年生のリーダーの所へ行き、抗議したが、私が吉嶺と話している間に他のメンバーはすべて埋まってしまったらしく、変更はできないと告げられた。
最初からそれが目的で話しかけてきていたのだ。今更気づかされて青褪める私の肩に、殺したいほど馴れ馴れしい男の腕が絡み、甘い声で囁きかけてきた。
「そういうわけで、体育祭まで、仲良くしようね。真梨香ちゃん」
背中にゾワリと悪寒が走り、鳥肌が立つ。叫び声をあげて投げ飛ばしたい衝動を抑えて、睨み付けるに止めた自分の理性を褒めてやりたい。
「……本番までに足を踏み砕かれないよう気を付けて頂いた方がいいと思いますよ」
物騒な宣言は負け惜しみだ。今回の私は完全に後手後手に回ってしまった。吉嶺が厄介な相手だとわかっていながらまんまと罠に嵌ってしまったのだ。これ以上の深みには嵌るまい。その為にも、冷静さだけは失うわけにはいかなかった。
お姉ちゃん惨敗。巻き返しなるか?!
2/6 番外編置き場作りました。節分ネタの短いの、置いてます。
→N8839BY