過去編 真梨香 1年の春 4
ほんのり格闘モドキなシーンがあります。
新入生歓迎パーティーから数日たった。今のところ、私が引き起こした騒ぎの影響は、表立っては出ていない。吉嶺橘平辺りは私のクラスと名前を知っていたから訪ねてきたりするかもしれないと警戒していたが、それもない。
生徒会執行部では1年生は本格的に研修を受け、日々の書類整理などを叩きこまれている。
新入生歓迎パーティーが終わればしばらくは大きな行事はないので、その間に新人を使い物になるまで育ててしまおうという意図だろう。煩雑な雑務の多い生徒会執行部ではまず指示系統の確立と、書類作成の書式を徹底的に叩きこまれる。
普段はおっとりと優しい五葉松先輩や沢渡も、この研修では鬼と化す。
「橡君、この書類は何ですの? 先日も注意いたしましたでしょう。形式をそろえて決まった書式で作成してくださらないとこれでは理事会への提出ができません。今日中に作り直してくださらない?」
「葛城さん、書類は提出先ごとに分類して、役員に渡すようにしてください。予算・決算関係のチェックは篠谷君を通して行うので先にそちらへ、各委員会からの要望書は私に、風紀と監査からの報告書は会長にお願いします」
リテイクの嵐と叱責が飛び交う生徒会は新社会人の研修現場とあまり変わらない気がする。それでも、仕事を覚え、業務の流れを覚えると、この仕事が学校全体を支えているのだという事も見えてきて、中々にやりがいがある。
まあ、人によっては馴染めない場合もあるようだが。
「お言葉ですが沢渡さん、この書類は僕が思うにこの書式の方が見やすく、作成方法も効率的です。より良いものや考えは取り入れてこそ、生徒会の質も向上するのではないでしょうか?」
橡圭介はああやってよく自分の考えや企画を通そうと役員相手に意見している。もちろん、意見をすることは良いことで、よりよい生徒会運営の為に変えるべきところは変えていかなくてはいけないのだが…。
「橡君、なぜこの書類が過去の形式を引き継いで、同じ書式で作成しなければならないか、よくお考えになって。わたくしは理事会に提出する書類だと申し上げましたわね? これまでの書類と同じ書式で作成していただけないと、理事会の方が比較し、確認する際に解説が必要になります。効率化や物事の改善もよろしいですけれど、何の為の書類か、誰が見るものかまで考えて作成するという事をお考えになってくださいませ」
こんな調子で書類をやり直しさせられているので、最近では役員のいないところで不満や愚痴を爆発させているらしい。この様子ではあと1か月持たないかもしれないなあ。私は処理済みの書類を提出先ごとに分類しながらその様子を眺めていた。
私自身はこういった事務作業は前世で経験済みでもあったので、そこまで戸惑うこともなく、指導を受け入れていた。組織の下にいて、そこから学園全体を変えるのならば基礎を固めるのに労力を惜しんではならない。実績のない下っ端がどれだけより良い学園づくりの為と訴えたところで、それを実行するだけの力が伴わないうちはただの妄言だ。
組織内で着実に実績を作りつつ、各部への折衝や書類提出で顔を出すことで人脈を広げる。営業の基本は顔と名前を相手に覚えてもらうこと。企画も改革も、まずは自分の立ち位置を確立してからの話だ。
「会長、こちら会長に提出するように言われた分です。確認をお願いします」
分類した書類をそれぞれの担当役員に持っていく。菅原会長は一通り書類の種類を確認すると、これから決裁するのだろう書類の山にそれらの束をポンと置いた。
「ああ、こっちで間違いない。葛城はなんでもそつなくこなしてくれるな。手がかからなくて助かるよ。中学でも生徒会とかやっていたのか?」
「いえ、中学では部活動に専念していたので…」
「そうか? でも書類作成とか慣れているみたいだったぞ。この調子で頑張ってくれ」
そう言って会長はクールな顔立ちからは想像しがたいやわらいだ笑みを浮かべると、わしゃ、と私の頭を撫でた。予想外の行為に、返事をしようとしていた私の口が体ごと硬直する。頭の上に載せられた菅原の手は大きく、ちょっと重い。
固まってしまった私にどうしたのかと顔を覗きこんできた菅原が思いのほか近い距離から見つめてきたので、慌てて硬直を解いて飛び退いた。
「だ、大丈夫か?! 何か気に障ったか?」
「いえ! 平気です。ちょっと小さい頃父に褒められた時と同じだったもので、菅原会長がお父さんみたいだとかそんな感慨に耽っていたわけではありませんから!!」
顔が熱くなるのを必死でなだめながら言い訳したものだからちょっと本音が漏れてしまった。うら若き高校生の身で1歳下の後輩からお父さん呼ばわりされた菅原はショックを受けた顔をしている。
「お父さん……」
ああ、さすがに申し訳ない。フォローしようにも、会長はちょっと大人っぽいからとか、うちの父が童顔で、生きてた頃は見た目が会長と同年代だったとか、全くフォローにならないことしか浮かばない。
そんなことをおろおろ考えていると、後ろから頭を痛いくらいに掴まれた。振り返ると篠谷が眩しすぎて目が潰れる系の笑顔で立っていた。何で怒ってんの?
「葛城さん、こちらの書類はチェックが終わりましたので、職員室にいる木田川先生から承認印をもらってきてください。あと、髪が乱れていますので、直してくることをお勧めしますよ」
「…髪が乱れているのは今頭を掴まれてるせいじゃ…」
「すぐに、お願いしますね」
「……はい」
有無を言わせぬ口調で生徒会室から放り出されてしまった。……うるさかったからかな?
篠谷の態度に軽く疑問を覚えつつも、私は職員室へ急ぐことにした。
忙しくも充実した日々を過ごして迎えた週末、桃香は部活動の為学校に出かけていて、暇を持て余した私は、家から少し離れたところにある区立図書館に出かけた。
新入生歓迎パーティーで仲良くなった梧桐君が歴史に造詣が深く、面白い本をいくつか紹介してくれたのだ。学園の図書館で探そうかとも思ったのだが、その場合休み明けまで我慢しなくてはならない。
思い立ったが吉日ということで、私は普段着のTシャツにジーンズ、髪は背中でひとまとめにくくってサイズ大き目のパーカーを羽織ると家を出た。
久々の図書館は新刊も入っていて、思わず長時間入り浸ってしまった。梧桐君おすすめの本も見つかり、窓際の席でゆっくり読むことができた。
フランス革命時の王妃について昨今新たな歴史的解釈や評価がされているという研究を解説したその本は、目からうろこの内容で、貴族の傲慢の象徴と言われてきた名言や行動も、異なる説や解釈があり、改めて歴史の奥深さを学ぶことができた。
梧桐君の本の趣味も興味深いな。また面白い本があったら教えてもらおう。
本に夢中になっているうちにすっかり遅くなってしまった。図書館を出るころは茜色だった空が家の近くに着くころには紫色に変わっていた。近道をしようと公園を突っ切ろうとしたとき、誰かが争う声が聞こえて、思わず足を止めた。
声のする方へ駆け寄ると、高校生くらいの茶髪の男子二人が振り袖姿の少女を植込みの影に連れ込もうとしているところだった。
「あなたたち、そこで何をしているの?!」
携帯を出しながら声を上げるとこちらに気づいた男たちが舌打ちをした。
「べっつに~。この子とちょっと遊ぼうと思っただけで、何ならお姉ちゃんも混ざる?」
「そうなの? すでに通報はしてしまったのだけど、申し開きは警察の方相手にしてもらえるかしら?」
もちろん嘘である。この程度で怯んで立ち去ってくれる相手ならいいのだが…。
「はあ?! ふざけんなよちょっと遊んでただけだって言ってんだろ?!」
男のうち一人がこちらへ向かってきた。一人ずつ来てくれるならまあいいか。素人相手なら竹刀も木刀も必要ない。やるべきことは相手を打ち据えることじゃなく、動きを読んで相手の体勢を崩すことだけでいい。
こちらへ向かってきた男が腕を掴もうと手を伸ばしてくるのを払い、さっと避けると背後から背中を押す。ついでに足も払っておく。男は勢いのついたまま顔面から地面に倒れこんだ。それを見たもうひとりがあわててこちらへ向かってくる。自由の身になった少女に逃げるように合図したけれど、足を押さえて蹲っている。どうやら無理やり植え込みに連れ込まれそうになったとき、抵抗して足首を捻ってしまっているようだ。
「いたいけな女の子に怪我をさせたとなれば容赦はいらなかったわね」
足元で倒れていた一人目の背中に体重を乗せて踏みにじるとその体勢から向かってきた二人目の腕を掴み、相手の勢いを利用して投げ飛ばした。見様見真似の投げ技だが案外うまくいった。中学の体育で護身術と称して柔道や合気道をやたら熱心に指導してくる先生がいたことも幸いだった。
無様に転がる二人を携帯で写真を撮っておく。身分証とかは持ってないだろうな…。まあ、顔が写ってるからいいか。
「さて、そろそろ通報から時間もたったし、警察が来てくれるけど、大人しく補導されてくれる?」
私がそう言ってにっこり笑って見せた時、タイミング良く近くの通りでパトカーのサイレンが聞こえてきた。交通の取り締まりか何かだろうか? 男たちはあわてて立ち上がると、脱兎のごとく駆け出して行ってしまった。
それを見送り、ふっと緊張を解いてから、蹲った少女の処へ向かった。
「大丈夫? 立てるかしら?」
見ると振り袖の肩のあたりが裂けている。…あの男ども、もうちょっと痛めつけてやるべきだった。眉間にしわが寄るのを感じながら来ていたパーカーを脱いで肩からかけてやる。
「お姉さん、かっこいい。正義の味方みたい」
瞳を潤ませてこちらを見上げたその少女は人形のように整った顔立ちをしていた。艶やかな黒髪は一部が結い上げられ、残りは背中に流されている。肌は日に当たったことがないんじゃないかというくらい白く、肌理が細かい。顎の線や腕などは折れそうなほど細く、華奢な体つきをしている。
「足首以外に怪我はないかしら? 歩くのがつらいようだったら、いちどあっちのベンチまでおぶっていくわ」
「え…でも…」
「いいから。お姉さんのいう事を聞きなさい」
そう言って、肩にかけたパーカーが落ちないように腕を通してもらって、背中を向け、負ぶさるように言うと、おずおずと、遠慮がちに、肩に腕が回された。パーカーはかなり大きかったので、袖が余ってしまい、肩に回された手の先からお化けのように垂れ下がっていた。
意外と重かったその少女をベンチまで運び、近くの自販機でホットのココアとミルクティーを買って戻る。少女はココアを選ぶと、暫く暖かさを確かめるように手の中で缶を転がした。
「…助けてくれてありがとうございました」
「気にしないで、たまたま通りかかっただけだから。そんなことより、君、結構いいところのお嬢様に見えるけど、何でこんなところにいたの?」
問いかけに少女の肩がピクリと震える。
「家が…嫌で…」
まさかの家出だった。さてどうしたものか…。あまり人様の家の事情に踏み込むのは遠慮したいし、かといって放っておいたらこんな可愛い子はさっきみたいなことになりかねない。
「何が嫌かとかは聞かないけど、危ないから帰った方がいいのは確かよ。さっきみたいなのもいるし」
「……」
無言の態度からは拒絶とかは感じないので、彼女自身、怖い目にあったことで帰りたい気持ちになっているのかもしれない。
「………お姉さんは」
「…なあに?」
黒目がちな瞳がじっとこちらを見上げてくる。座っている体勢ではよくわからないが、目線が近いので、思っていたよりは身長があるのかもしれない。
「お姉さんは、違う家に生まれたかったって思ったことないですか?」
少女の声は震えていて、真剣な響きを持っていた。私はその目を見て、深呼吸を一つ、手の中のミルクティーを一口飲んだ。
「……あるわよ。違う家に、というか、自分じゃない自分に生まれたかったこと」
『真梨香』じゃなければ良かったのに。前世の記憶を取り戻して、熱を出し、回復してから最初に思ったこと。
よりにもよって、一番大好きな少女を傷つける役割を背負った存在に自分が成ってしまった事。他のキャラなら、いっそ名もないモブなら良かった。そう思って自分を否定し続けた。
「でも、『成ってしまった自分』を受け入れて、その上で『成りたい自分』に成るしかないって、思ったの」
「……『成りたい自分』……?」
「そう、今の私ができること、やりたいこと、そこにたどり着くためにしなきゃいけないこと、いっぱい考えて、私は『私』のまま、理想の自分を目指すことにしたの」
桃香を妬み、傷つける存在ではなく、桃香を愛し、慈しみ、守る姉になること。それが私が決めた私自身の目標だから。
「…昔、家出じゃないけど、私も逃げようとしたことがあるわ。『私』が『葛城真梨香』じゃなくなれば、すべてがうまくいくんじゃないかって。…でも、そんな私を掴まえてくれて、逃げることを許さないでくれて、戦う私を肯定してくれた人がいるから…。私は『私』のまま、戦うことにしたの」
「自分のまま…戦う…」
うまく話せた自信はない。私自身、未だに自分に言い聞かせている気持でもあるから。ただ、偽らざる本音を、訥々と語った。少女はしばらく黙って考え込んでいたが、何かを決めたような顔をしたと思ったら、ココアのプルトップを開け、一気に飲み干した。
「お姉さん、帰ります」
「……うん…」
よかった。どうやら家出はやめてくれるようだ。
「携帯は持ってる?おうちに連絡して迎えに来てもらった方がいいわ。足も怪我しているのだし」
「はい…それが、さっき向こうの通りにあったコンビニで落としてきてしまったみたいで…。探しに行くにしてもこの足じゃあ…」
「コンビニ? それならちょっと聞いてきてあげるから、ここにいて。さっきの連中みたいなのが来たら大声を上げるのよ」
ちょっと心配だけれど、背負ってコンビニまで往復するより私が走った方が速い。少女に、気を付けて待つように言い含めて、コンビニまで走った。
けれど、少女の言っていたコンビニには携帯の落し物はなく、周囲を探してもみたが、それらしいものは落ちていなかった。あまり時間がたちすぎると心配するかもしれないと思い、一度公園に戻ることにした。
公園に戻った私が目にしたのは、ココアの缶で押さえられた一枚の置手紙だった。
『携帯は袖の中にありました。迎えが来てしまったので帰ります。パーカーはいつか洗って返します。代わりにこれを持っておいてください』
手紙には彼女が髪につけていた簪が添えられていた。パーカーの質草にしては高級品過ぎるだろ。飾り部分が桜の花びらの絵が入った七宝焼きの簪。散る花びらのような装飾がしゃらりと音を立てた。
ココアの缶とこの簪がなければ幽霊にでもあったのかというくらい、跡形もなく少女は消えていた。私がいない間にさらわれたとかではないことを祈るけれど…。
なんとなく狐につままれたような気分になりながら、家路についた。
週が明けて登校した朝、緊急の代議会が招集されるという連絡が各クラスのクラス委員宛に回された。どうも嫌な予感がする。その予感は放課後になって的中した。
代議会の会議には生徒会から役員が出席する事になっているが、議決内容については代議会議員であるクラス委員や部長会の意見が優先される。
役員が代議会に出席している間は執行部員は通常業務の書類整理や生徒会室の掃除などをして過ごした。何人かの執行部員は先に帰宅していったが、私は会議の内容と結果が聞きたくて、残った。
空がうす暗くなるころ、役員の皆が生徒会室に戻ってきた。疲れている様子だったので、給湯室でお茶を淹れてくる。
「会長、代議会では何が話し合われたんですか?」
まずどうしても気になっていることを尋ねる。今回の代議会は2年の総代が議案を提出したと噂で聞いた。それだけでもう嫌な予感を裏付けるに足りる。尋ねた私の顔を見て、会長も少し渋い顔をした。
「葛城達にはあまり良くない知らせになる。…代議会は行事規範に行事ごとの服装規定についての明文化を提案し、可決された」
「…行事ごとの…服装規定の明文化…」
「平たく言うと、これまで、暗黙のルールとして『学校内での特別行事については相応しい服装で』とだけ、それも口頭で伝えられていたものを、正式な規則として文書にする。その中には当然、学内で行われるパーティー行事も含まれる。ちなみに、パーティーでは略礼服以上の礼服に相当する盛装をすべし。制服は平服とみなされる為これを認めない、だそうだ」
…バカ殿は本当に余計な真似をしてくれたようである。誰だよあいつに権力とかカリスマとか持たせてるの。
「それは…たとえば経済的な事由で規定に則した服装が困難な生徒はどうするかという事については…?」
「服装自体の質は問わないそうだから、価格の安いものでもとにかく用意するように、とのことだ。…元々代議会メンバーは経済的に豊かな内部生が中心に組織されているからな。その辺りの事はほとんど考慮されなかった」
「外部生や特待生にはそれでも負担が大きく、場合によっては行事への参加も難しくなる生徒も出てくるかもしれないと申し上げたのですが、聞き入れていただけませんでしたわ」
詳しく話を聞くと、代議会で一之宮は行事の中でも特にパーティーでの盛装、礼服での出席義務について熱弁をふるったのだそうだ。
『桜花学園の卒業生の多くは高い富と名声を得ており、社会への貢献度も高い。そういった世界に立つ人材を育成する学園においては学内行事も学習の一環ととらえるべきである。パーティーは将来我々が立つであろう社交の場において、身に着けておくべきマナーや話術、センスを磨くための学びの場だ。社会に出て、宴席に学生服では出席はできない。礼服のマナーや着こなしを身につけることも桜花学園の生徒として学ぶべきスキルだ。よって、学内行事における服装規定を定める事をここに提案する』
…と言っていたらしい。しかも行事規範というのは日常の学校生活の縛る校則と違い、特定の行事について記す規則なので、可決については代議会のみで可能なのだ。これが校則としての提案であれば、決定までに全校生徒を対象にした全校投票による3分の2以上の賛成を必要とするのに。
行事規範に限定して議案を提出してきたことといい、演説の言い回しといい、一之宮に入れ知恵をしたのは吉嶺に間違いないだろう。一之宮のカリスマ性や人気、権力に吉嶺の作戦が加わると非常に厄介だという事を改めて思い知らされた。
この規則により、私も、そして私に影響されて次は制服でパーティーに出ると言ってくれていた特待生の子たちも、礼服、ドレスを用意せざるを得なくなった。
内部生はもちろん、一般の外部入学で入り、桜花の学費を支払うことができている多くの外部生も、この規定はそれほど負担にはならないだろう。
けれど、特待生はそうはいかない。安物の礼服でパーティーに出れば、周囲からは浮き、場合によっては嘲笑される。かといって外部生だけパーティー行事には不参加というわけにもいかない。
「この規則がまかり通ってしまえば、今以上に特待生に対する差別や意識の齟齬が必ず出ます。…撤回は…できないんでしょうか?」
「代議会で可決してしまった以上、難しいですね。服の質や価格は問わないとしている時点で、特待生が全く参加できないわけでもないと言い訳が立ってしまっていますしね」
篠谷が溜息をついてその日の代議会の議事録のコピーを差し出してきた。議題の中心はパーティーでの礼服の規定についてだったが、そのほか、いくつかの学校行事についての服装規定も明文化する旨が書かれていた。修学旅行や社会見学については制服着用、体育祭、キャンプなどの運動行事については体操服とジャージ、部活動の遠征についてもユニフォームと学校指定のジャージを着用するなどと言ったことが書かれていたが、そもそも修学旅行や体育祭でそれ以外の服装をすることなどないから、この部分はおまけみたいなものだ。
服の質や価格は問わないと言っても、実際高級品に身を包み慣れたお金持ちが多い中で、安物、質の悪いものを身に着けていれば目立つ。嫌でも特待生とそうでないものの間に格差が生まれ、特待生は嘲笑の的になるだろう。
一之宮はそうまでして私に仕返しがしたいのか。個人的な恨みを晴らすのに学校を巻き込まないでほしい。
「……制服…ジャージ……。学びの為の服装………!」
ひとつだけ、打開策が思いついた。無茶な理屈だ。でも、可能性があるならやるしかない。
「会長、この行事規範の全校生への告知は明日ですよね? 告知後、全校生徒を対象にアンケートを取りたいのですが、可能ですか?」
「あ? ああ、それは大丈夫だが、特待生以外からは強い反対意見は期待できないぞ」
「反対意見は必要ありません。桜花の内部生、外部生を含めた、『平均的な桜花学園生』が礼服として用意する服装の平均的な価格を調査します」
一度決まってしまったものが撤回が難しいというなら、逆にドレスコードのラインを明確にしてしまった方がいい。最低限、揃えなければならないラインがはっきりすれば、『上』に話が通しやすい。
「アンケートの内容はすぐに作ります。沢渡さん、草案ができたらチェックをお願いできますか?」
「ええ、それは構いませんけれど…。どうなさるおつもりですの?」
「パーティーで社交術を学ぶため、学習の為に礼服着用を義務化するというのなら、礼服も立派な『学用品』という事になります。特待生への奨学金の使用範囲として理事会に承認を取りつけます」
私の提案に、役員4人が愕然とした顔になる。そりゃもう、屁理屈以外の何物でもないものね。私自身、無茶だとは思う。
「困難なのは承知の上です。しかし今回の規範は明らかに特待生に不利な環境を作り出す要因になります。学園側が能力の優れた学生をこれからも集めたいと思うのであれば、特待生が不当な差別を受ける環境を黙認はできないんじゃないかと期待します」
理事会相手に半ば脅しをかけるようなものだ。失敗すれば私自身学園にいられなくなる可能性だってある。
「理事会に承認を取りつけると言っても、生徒と学園の経営者側は基本的に直接は関わり合いにはなってないわ。生徒会で作成している予算だのの書面も先生たちの職員会議と教頭、校長の確認を得て理事会に回されているから私たちは直接は関わらないし」
「特待生の待遇についての申請だって、基本的には学園事務課を通してのやり取りだろ? 奨学金の使用範囲の拡大なんて大事、簡単に通せるとは思えないぞ」
五葉松先輩と菅原会長がそれぞれに懸念材料を口にする。二人の言うとおり、特待生は学費免除、入寮についての優遇措置、奨学金の使用申請や使用記録などの契約事項について、学園事務課とのやり取りのみですべてを行っている。
奨学金の使用範囲はあらかじめ決められていて、必要に応じて引き出しの申請書を出し、領収書などを添付した使用報告書を提出することが義務付けられている。
その使用範囲を拡大しようというのだから、事務課ではなく、直接、理事会と交渉をしなくてはならない。
「理事会への交渉については一応、考えがあります。…詳しくお教えできないのですが、理事会関係者に直接連絡できる人物を知っています。…なので、相手を説得するためのデータを集めさせてください」
できれば使いたくなかったコネだが、私のせいで他の特待生に迷惑をかけるのも、来年、桃香が困った立場に追い詰められるのも、御免こうむりたい。その為なら、背に腹は代えられない。
深々と頭を下げて懇願した私に、役員の四人は、困惑しながらも、協力を約束してくれた。
作中の「フランス王妃が~」の辺りは以前「パンがなければ~」の表現を用いた時に、読者の方からいただいた講釈が面白かったので、ちょっぴり使わせていただきました。歴史の真相とか勉強するの楽しいです。ありがとうございました。
1/29 一部誤字と言い回しを修正しました。