89 後悔の喫茶店
一回目の市民登山の時に教えられた、淳子が通っているという喫茶店に行ってみた。
ちょうど勤め先の業績が悪くなりかけのころか。オーナー会社が変更とか、R&Dが引っ越しとか、自分の業務が忙しくなったり、反対に阻害されることもあり、どちらにしても、残業が増え帰宅が不定期になる。
電話をすることも、次第に間隔が空き顔を見ることの少なくなり、それでもなんとかあがいてみた。仕事がつらい時期と重なり、どんな形でも顔が見たくなった。
以前聞いた、散歩の途中、喫茶店に寄るということを思い出し、行ってみたら会えるかもと思い始めた。たまに電話するときにも毎日喫茶店に行っている事を伝えられた。
一回目
個人的に会う用事などあるわけがなかったのだが、それでも俺は、顔が見たかった。彼女が何度かクラス会で話す
「私、夕方には、近くを散歩してるんだ。毎日ね。 そして近くの店でコーヒーを飲むのが日課ね」
と、散歩とコーヒーの話は、何度か聞いていた。
《初めて行った時から、すぐに逢えるとは思っていなかったけど、そしてもし会えたとしても、二人で話が出来るなんてことは、考えてもいなかった。でもできたらいいなとも。彼女の地元でもあり、二人で会えるなんて事はありえなかったよね》
それでも彼女の散歩の時間が、判らず、休みの時は、日中、会社からの帰りの時は、夕方から宵に掛けて不定期に通ってみた。
入り口のドアの付近で、入ってくる彼女が見える位置にて待つ。それでも、窓際で目立たないように。喫茶店は、趣味で集めたらしいレコードを演奏する店だった。アンプやスピーカも凝ったメーカのようで、ラジオ少年だった時分から、少しはオーディオにも興味がある。特にアンプは真空管で、オーナーの凝りようが伺える。
勝手に思った残念だったことは、スピーカーの凝りように比べて、喫茶店自体の作りがオーディオを聞く仕様ではないような気がしたのは、俺だけか?
散歩の時間と、喫茶店に行く時間が合わなかったのだろう。数回行っても会うことはできなかった。
初めて通い始めた時期から、10数回目か。はたして彼女は一人で喫茶店にきた。ドアから入って来た時は、気がつかない様で、すぐカウンターへ。店主との話し方で、やはり馴染みの店らしい事が伺えた。
彼女の顔を見られたことで、目的は、果たしたが・・・・
偶然を装った風に、店置きの雑誌に熱中してはいたが、流石に後悔した。会いたいがために来ていた喫茶店通いは、目的が見え見えではないか。当時ストーカーという言葉はないが、まさにその行為ではないか と。
和やかに話す、カウンターの彼女と、知り合い、そしてマスターの会話に耳を傾けつつ、さてどうしたものか、一応の目的は、果たしたが、店を後にするには、精算するためにレジに行かなくてはならない。
レジはカウンターの近くにあり、声を出さなくてはならないし、勿論彼女の近くに行くことになる。当然彼女に気付かれることになるだろう。その時は、どうすれば・・・
あくまでも自然に、音楽を聞きに来た風に、なるべくレジに長い間とどまりたくなくて、小銭で。 と思いつつ席を立った。
それでも、後ろから近づく背の高い男に気がつかないはずはない。そして財布から小銭を出して精算すると、自分に視線を向ける彼女。
「あら こんにちは しばらく」
「あ どうも しばらくだね」
お互いに、一言ずつ 言葉を交わして、店を後にした。どうしても動きや表情にぎこちなさが残るが、店を後にして、車に戻り発車した。
何度も自分に話してくれた、散歩の後のコーヒータイム。その目的はなんだったのだろう。目的があったかどうかも知る由もなく、ただの世間話だったのかもしれない。クラス会で自分が席にいない時も、話題にしていたのかもしれないし、自分が席にいた時だけ、情報として伝えてくれたのかもしれない。
それならば、お互いに目的は果たしたと言える。
その後の数回も、彼女が一人で喫茶店に来た。すぐに店の入り口で挨拶する。入ってきた時は、
「こんにちわ」
程度で、帰り際で、もう 二言、三言会話することが多くなる。
彼女一人で店に来ることに、安心したことで、いつも一人で来るものと思い始めたが、決してこちらから話しかけることはしなかったし、席も同じにしなかった。ここは彼女のテリトリーと自覚することは、忘れなかった。
ジャズの好きな孤独な客として、いつも振る舞い他の客とは接触することはなかった。
そんな時、帰り際に、淳子から、山岳会同級生の女、幸子の話題が出た。
「山岳会の忘年会に行くの?」
初めて参加した、市民登山で、少しは技量を認められたか、それとも、幸子から何か情報があったか、山岳会の忘年会に誘われていた。
「うん 行くつもりだけど、貴女は?」
「行かない。泊まりが雑魚寝じゃあね」
「そうだね。寝袋の雑魚寝じゃあ 寒いし」
「幸ちゃんと三人で忘年会しよ」
「ああ いいね」
社交辞令か、本音か 淳子から 忘年会の話題を振られたが、結局 実現しなかった。彼女から話題が出たのだから、あとで誘いがあるのかと期待したのだが、それもなく、自分が席を設けるべきだったかな? と思いついた時には、年の瀬も近かった。
《ほんとに三人で忘年会しようと思っていたのかな。ただの社交辞令。 まさか二人で忘年会は、言い出せるわけがないだろうから、 三人で は、俺と会いたいがための、三人と言い出したのかな? だったらまた俺は、察してやれなかったのだろうか》
《俺が貴女に逢いたいから店に顔を出していたのは感じていましたか? でも 貴女から何度も告げられた、散歩の後のコーヒーを覚えていたからだよ。俺の勝手だけど、貴女も、会いたいと思っていてくれていたんだよね。俺に会いたくなかったら絶対言わないよね。それに、店には来ないで と言えば済むことだし。貴女の考え通りの行動を俺は取ったということですか? そうなら、滑稽にも見える わかりやすい行動ですね。 でも逢えても交わす言葉は、一言二言で、決して店内では、それらしい振りは見せなかったね でもそれでいいと思っていたよ》
年が明け、新年
また喫茶店に行ってみた。駐車場は、雪で覆われ、車のタイヤ後も少なく、足跡もない。彼女はまだ来ていない事を確認する。流石に後から入店する事は、避けたかった。あくまでも、偶然か、または、自分に会うかも知れないということを知っていて、入ってくると理解したかった。
このごろは、仕事を持ち帰ることが少しあって、パソコンを持って入った。店の奥で、スピーカーの前に席をとり、好きな曲をかけてもらい、パソコンを起動する。勿論目的は仕事ではない。
いつものように、あ 少し違ったが 彼女は店に入ってきた。店の奥で、パソコンを覗いていた自分は、チラ見で姿勢を保つ。彼女は、気付いていなかったかもしれない。
会うだけ、見るだけで目的を果たした結果、曲の終わりで、席を立ってレジへ。
当然、彼女に気付かれることになるのだが、一言挨拶をすると。
自分に視線を向ける、隣で座っている男に、声を掛けられた。予想もしないことで面食らって、その後 あ 先手を取られた と感じる。
その声は、「お世話になってます。写真は、見ています。 会うのは初めてですが」と挨拶された。それは彼女の家族であることは明白。彼女に子供はいなかったはず。
「どうも」 と頭を下げ、店を後にした。この後、一瞬も店に留まりたくない心境だった。
そして、この挨拶は、俺は、お前を知っているぞ という メッセージと理解した。
彼女は、山や? クラス会での自分との写真を家族に見せている。そして自分を、その他大勢ではなく、おそらく顔を覚えられる程度に話をしているのだろう。
自分の勝手な思い込みと、その思い込みゆえの来店を後悔した。もうこの店には、来てはいけないとも自覚した。




