65 山 二人
《二人で初めて山へ行ったのは、27才ころだったかな? 登山道へ行くときも、登山中も、下山中も、山から地元へ帰る車中も楽しかったね。交際中のドライブの様な心地だったよ》
写真の記録は残さなかったのだが、グループでと(当初は会社の後輩を誘い前日まではグループだった。前日に後輩から断りの連絡があったが、淳子には当日まで連絡せず)淳子と巌鷲山へ二人で登山。
彼女は出発時に二人だけと知って、
「いいのかな」
とつぶやいた。自分も結婚をしている。いいわけがない。
自分はあえてそれを無視してそのまま車に乗り込んだ。
姑息なことだとは、思ったが、後でいつでも聞ける彼女の声が欲しかった。彼女の普段の声を録音しようとした。
が、車で出発してから、登山口までの時間が、交際していた、かつてのドライブのような感触がして、舞い上がってしまい、録音はせずじまいだった。
登山中も休憩中も頂上でも、自分はお互いにまだ結婚前のように振る舞えた。勿論下山中も。
頂上アタック後に、昼食にしたのだが、彼女は、自分の昼食の他に、かなりの副食を持って来てくれた。自分は、男友達との登山という雰囲気で家を出たため、特に作ってくれとは頼めるはずもなく、おにぎりぐらいのものだった。
頂上直下の休憩では、彼女は、その持って来た副食を自分に勧めてくれた。記憶にはっきりあるのは彼女が持って来てくれた厚焼き卵だった。
自分は半数以上、その厚焼き玉子を食したのだった。自分は、あたかも交際中のような雰囲気であまり遠慮せずに、ありがたく食べることになったのだが、下山後に思い返すと、少々遠慮が足りなかったかもと思えた。
頂上を目指す途中、さすがに疲れて、自分は、薄茶色に枯れた、草むらに寝転び、眼をつぶって眠った。秋晴れの上天気であり、季節にそぐわない暑さでもあった。
空は雲がほとんどない、晴天で、草むらに寝転ぶには、最高の天気でもあった。この時間帯に彼女が何をしていたのかは不明である。当たり前か。
《眼を覚まして再び登り始める時、貴女は、
「疲れた、引っ張ってちょうだい」
と言ったよね。
手を繋いで引っ張ればよかったかな?でも お互いの手が拘束されると、危険だったので、あえて手は繋がなかったんだ。》
自分は、手を繋ごうかとも思ったが、ここでもまた、手を繋ぐことに躊躇した。手をつなぐと、片手がふさがり、登るのには、両者危険で邪魔だとも考えた。
自分は、山シャツを脱ぎ、袖をお互いに持ち頂上まで彼女を引っ張り登った。彼女はちょっぴり自分に甘えてくれたのではないかと思った。もしかしたら、また彼女の期待に応えることを踏み違えたのだろうか?
頂上からの帰り道、途中の山小屋で、彼女の写真を撮った。彼女は自分も写真を撮ってくれようとしたが、彼女のカメラに自分が写るのはさすがに遠慮した。勿論二人で写ることもしなかった。
初めて登山を経験したのもこの山で、山小屋に入り、彼女に昔泊まった場所やら食事の内容が散々だったことを説明した。
自分は、下山中も有頂天だった。饒舌だった。普段はしないような、下山中は絶対してはならない、登山道を勢いに任せて走った。
登山帰りでは、朝待ち合わせた、駅東側への経路ではない道で、彼女との談笑中、
「誰かに見られたら、ちょっとやばいネ」
と話題を振ってから、冗談で
「伏せ、伏せ」
というと、彼女は本気にしたらしく、シートを倒して車内で寝る格好になった。彼女が降りるまで結局そのままだった。
何処で彼女を下ろしたかは記憶が薄いが、おそらく彼女の自宅近くだったのだろう。
登山前に、前もって日焼け止めの化粧をしてねと言って誘ったのだったが、彼女は、それらしい化粧はしてきたようだったが、帽子はもってきてなかった。
自分は普段、帽子は被らないがこの時は、持っていった。彼女にその帽子を貸して登山をした。帰ってからその化粧の残り香を嗅いだことがある。なつかしい匂いでもあり、自己満足に嫌悪したことも正直な気持ちである。
なにかスポーツ(高校時代か、社会人での国体参加でもらった白い帽子だった。決して捨てることはないと思っていたが、いつのまにかその帽子は、自室からなくなっている。
《登山は、二人の共通の趣味になったけど、この時は、貴女は楽しかったかい。少なくともつまらない山行ではなかったよね。厚焼き卵はほとんど自分が食べてしまってごめん。帰りの車で貴女がシートを倒した時は、正直びっくりしたよ。冗談をまともに受けてもらって。躊躇なく写真を撮してくれようとしたけど、安全牌と思ってくれたのかな。でも行動に移しはしなかったけど、何かあってもおかしくなかったのかな?。 山小屋で写した写真は後で貰えなかったけど、正直欲しかった。でもこの後の付き合いはなかったね。》




