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手紙から始まった交際・・・・だけど  作者: ロックハート
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38 会いたくて

会津にバイクで会いに行く 46年10月9日(土)~10日(日)


 自分は、社会人になっても、バイクが好きでツーリングをよくしていた。この時も彼女に会いにバイクで会津に行った。

 8日の金曜日に出発し、夕方会津に到着。素泊まりの彼女が捜してくれた宿に一泊。


 会津で彼女に再会するとき、駅前の喫茶店に入ったのだが、同じ下宿の同級生3人と共に彼女は現れた。彼女が交際している男の品定めをされている心持ちだった。実際そうであったのだろう。


 淳子が俺を彼女達に見てもらいたくて連れてきたのか、彼女達が俺を見て、淳子を冷やかしでもしたかったのかは判らないが・・・・


《普通は、二人だけで会うものじゃないかな? 電話で話しているときに、下宿の同級生を連れて行くということを聞いて、ちょっとびっくり  何で二人きりじゃないの? という疑問だらけだったよ。貴女は、俺との話題が途切れないようにしたかったのかな》


 バイクでツーリングした直後であり、薄汚れた格好であったろう。(実際、ツーリング中は車の排気ガス等で、肌を出している首周りは、黒く汚れた。)


 彼女達にコーラをごちそうしたが、実際お金は乏しかったし、僅かでも、少々この出費は痛手だった。

 彼女が 今夜はどうするの?ということで何も決めていなかった自分は、彼女が捜してくれた宿に一泊することになった。素泊まりで夕食、朝食はなく、たしか三千円だったと記憶する。宿に入ると、彼女も部屋に入り、自分はザックに入れた寝袋やら旅行用荷物を整理すると、


「寝袋はザックの上(下に)入れるのが本当よ」 


と言ってくれた。


 今日は彼女も泊まって行くのかと淡い期待があったのは正直な気持ちだった。一度部屋をでてまた戻ったら寝具が2つ並んでいるのではとも考えたがこれもばかな思い過ごしだった。

 次の朝、宿賃を精算すると三千五百円の請求だった。彼女が一緒に部屋に入って休憩した金額が上乗せされているとのことであった。これも予期せぬ出費だった。


・・・このことを彼女は、迷惑をかけたと後の手紙でいっていたのだろうか。・・・

 

 朝は会津の駅で彼女がおにぎりを持って来てくれた。記憶にあるのは、駅食堂で一緒におにぎりを食べ、これは、おかか、これは梅干し・・・・とおにぎりの中身を説明してくれたことだった。

 自分はこれまで、おかかとは、鰹節とは知らなかったと記憶する。野菜のつけたものと思い込んでいた。食べてみると、中から鰹節が出てきたことで、鰹節がおにぎりの具になることを初めて知ったような記憶がある。


 飯盛山、会津城、猪苗代湖とバスで観光地を周るデートだった。すべて自分の持ち出しだったか?

 飯盛山での参道には、エスカレータと歩道があったか。歩道を歩いたが、売店で味噌こんにゃくを二人で食べたか。


《参道を歩くか、エスカレータに乗るか二人で話したよね。歩く方を選んだけど、何をするにも二人で話して決めてすごく楽しいひと時だったね。貴女の笑顔は、格別だったよ》


 ちょうど白虎隊祭りとかで、隊士に扮した女性が剣舞をしているのをやはり二人で見た。


《剣舞の最後は互いに刺し違えての自決だったかな。隊士の墓も見て回ったけど、一人生存した隊士の後日談で、白虎隊の戦った状況がわかったんだったね。あ この話はガイドさんの説明の受け売りだけど》


《この旅行でも、俺達は手も繋がなかったね。観光に夢中で、それよりも二人での観光があまりに楽しくて並んで歩くだけで満足してたな。ちょっと残念だったね。もし手を差し伸べたら手を繋いでくれたかな》


《猪苗代湖では、磐梯山を見て、あそこが噴火で崩れたところかな なんて話したよね》


 帰りは10日の夕方暗くなってから、会津駅前の脇で別れを惜しんだ。

 面と向かっての別れは、照れくさかった。改まった会話も苦手だった。


 自分はツーリング用のズボンに着替えてから、会話が途切れ、別れには、相応しくないことを言ってしまった。

着替えたズボンをザックに入れながら


「このズボンは純毛だからザックに入れるともめてシワが着くんだよな。」


彼女は、白けた雰囲気で、


「そんなこと今言うことではないでしょ」


 確かにその通りで、自分は次の言葉が出なく


「んじゃ」


 と答えたのが別れの最後の言葉だった。


《会津は、貴方に案内してもらって、とても楽しい時間だったよ。それもすぐ過ぎてしまって、もっと一緒にいたかったよ。 帰りは、もっと話をしたかったね。でも最後はしらけさせてしまったかな。 もっと気の利いた別れの言葉でもあれば良かったけど、二人きりで向きあうと、やっぱり少し照れくさかったんだよ。今思うことは、この時もっと話を聞いてあげれば、もっともっといい思い出ができたんだろうね。でも 貴女は、またなにか気持ちにひっかかることがあったのかな?》

 

 会津から出てすぐ、やはり別れに納得いかなくて、途中また引き返せば、どこかで彼女を見つけることができるかなとも思っていた。また別れをやり直したかったが躊躇している間にも、会津は、離れるばかりでついに引き返すことはできなかった。


 この後、福島へ出て、北を目指すのだが、途中福島駅から再度無事の電話を入れた。

 一回目は、彼女は風呂に入っているとの事で、大家に取り次ぐことは断られ、数分後に再度電話して無事であることの連絡を入れた。声に元気がなかったのは、後の手紙で理由が理解できたのだった。


 会津から福島、そして岩手まで雨だった記憶があり、バイクも雨に濡れると調子が悪かった。

 岩手の一関近辺から満足に走らなくなり、家に到着する数キロは、押して帰った記憶がある。(手紙の記述では、11日の午前中か?)


今思い出している記憶では、会津に二日間逗留していたことになるが、宿に一泊した記憶しかない。この日程だと、金曜日から月曜日の午前中まで旅行していたことになる。



 猪苗代湖遊覧船に乗った時、船長がマイクでの観光案内だった。その途中の案内では、きょうはガイドさんが産休で休みですということであったが、彼女は


「ふーんそうなんだ」


とつぶやいた。

自分は、


「毎日そう言って案内してるんじゃないの?」


と答えた。

珍しく自分では感が冴えたと自画自賛である。彼女は 


「あ そうなんだ」


と答え、互いに納得して笑い、至福の時間だった。


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