24 このままではだめになる
もう次の新年です
昭和45年1月 路子から年賀状をもらう。
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明けまして
おめでとう
ございます。
昨年中はお世話になり
ました。(二十六日から一月十五日まで、「ささ苑」
でアルバイトしてます買いに来てネ
アツカマシイカナ? )
今年も昨年同様よろし
くお願いします。(迷惑ダナンテ
イワナイデネ!)
1970 元旦
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路子の年賀状に書かれている お世話になりました。昨年同様 などという 付き合いは
実質 なかったと記憶する。年賀状の定番文字といえば、それまでだが・・・
当時自分もアルバイトをしていて、“買いに来てね”は、無視することになった。
昭和45年1月 淳子から年賀状をもらう。
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新年おめでとう
ございます。
今年はいよいよ三年ですね。
お互いに悔いのないようがんばりましょう。
本年もよろしくおねがいします。
一九七〇年 元旦
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この時はまだ交際中断の話はなかったが実際は悔いの残る一年となった。
通学中バイクで車に追突し、1m位下の農業用の堰に落ちたことがある。
幸いどこもけがもしなかったが堰のなかで一時呆然と立っていた。
軽く追突したのだが、バイクから前方に投げ出されて、空中を飛んだ。ずいぶん長い間空中にいたような感じだったが、実際はそうでもなかったのだろう。
この時 やはり通学中の敬子に見られた。ちらっと横目で見て通り過ぎたが、他人のふりだった。実に恥ずかしい光景だったと自覚した。
当然淳子に知られる事となり、後で淳子にだいじょうぶだった?と聞かれる。
高校3年になったときの日曜日、彼女に呼び出されて。彼女から思いがけない告白を聞かされた。
やはり近所の川沿いの道端だった。自分は、久々のデートだと単純に思っていたのだが・・・
・・・自宅近くの橋のたもとで・・・
短大受験のため一年間は会わないようにしようと申し入れがあった。私もそれを、理解ある風に、了解した。覆す理由もなく了解するしかなかった。
淳子のためになることならと自分を納得させた。
《貴女の意にそぐわない事は、もうできなくなってしまってたよ。俺と会わないことに決めたのは、悔いのない一年にしようと決心したことの手段だったのかい》
「私、進学するよ」
「うん」
「私このままじゃだめになると思う」
「ん?」
「このまま付き合っていると、あなたが気になって勉強が手につかなくなる」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「受験勉強の間、会わないようにしましょ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「受験勉強の間だよね」
「うん」
「わかった じゃーね」
《自分は、傷心のまま分かれたけど、貴女は平気だったのですか?》
会わないことになると、不思議と気持ちは楽になったが、彼女を忘れることなどできるはずもなく、頭から離れなかった。高校の同級生からも付き合っている女子がいることをからかわれることになるのだが、中断中とは言うわけもなかったし、また再開できるものと思っていた。合格したら当然連絡があるものとも思っていた。
ここから、ほぼ一年間の交際中断が始まり、彼女が短大合格を知るまで、(通学中見かけることもあったがほぼ無視状態)改めて顔をあわせることも、連絡をすることもなかった。通学もなるべく会わない道を選び、朝の時間も変えた。
しかし、下校の時間は知るよしもなく、友人と合わせて下校すると
《でも下校中に、偶然見かけたこともあったよね。自分はずいぶん切ない気持ちだっけど、貴女はどうだった?》
路子からは
電話があったか
「二人で会いたいな」
「うーん」
路子は、二人で会うことを避けているのを察したか
「健太郎くんの同級生誰か連れてきて。私も女の子連れて行くから」
「考えてみる」
路子から、俺に会いたいとの電話だったか。直接の話だったか・・・
電話では路子と連絡しあっていたのかもしれない。
俺の高校クラスメイトを紹介しようと一時は、クラスを見回したが自分からみて、交際できるようなクラスメイトは、見つけられなかった。どれも、子供っぽかったり、高校女子受けするようなやつとは見えなかった。
淳子と付き合っていた自分からすれば、一歩進んでいた様な気がしていてついに紹介するようなことはなかった。路子の友達に、変な男を紹介できない とも正直考えていた。
しかし 後から耳にした、クラスメイト二人は、同じ女を遊び友達にして、自分より進んでいたと事を知り、逆に自分が遅れていることを、実感してしまった。一番異性が気になる年代ではあったのだが・・・・




