15 交換ノート 冬から新年
この頃彼女から交換ノートの申し込みがあり、大学ノートで、10数回の交換をしたと思う。
中学3年の2月末まで続き、最後は彼女からの返事がなく、ノートは彼女の手元に残った。 自分が返事を書く順番だったか、それとも不幸の事を書いたノートを貰った返事を書く順番だったか、不幸を知ってから返事をどう書けば解らず、大分時間がかかったが、そのことを自分は彼女に
“何があっても変わらない貴女でいて下さい”
と書いた記憶がある。その後のノートは返って来なかった。
何の連絡も理由も聞かされないうちに交換ノートが返って来なくなったのは、
《貴女は当時流行していた男女交際をすべて試したかったの? 本当の理由はなんだったのかな》
中学校生活の、お互いの日記のようなことや、考えを交換したと記憶する。
彼女は、一生懸命話題を捜してノートに書いてくれたが、自分は、話題がなく、ノートの交換は少々重荷だった。交換ノートは、今思い出すとも、決して楽しい会話ではなかったね。
《流行と言えば、やはり学習雑誌の読者投稿欄か、特集記事で、あなたの乗っている船が遭難してボートにあと一人しか乗せられない場合、家族が漂流してた場合誰を乗せる? とか複数乗せることができる時に、誰から先に乗せる? なんて究極の選択的な記事があってね。俺は、こんな時に家族と貴女が漂流してた時あなたから先に乗せたらいいか、家族が先かとか 真剣に悩んでいたよ。
こんなことでも貴女との関係を想像することが楽しかったり、悩むことが男女交際の定番だと思っていたんだ。今から思えば顔が赤くなるような中二病っぷりだよね》
この頃の自分は、何につけても、投げやりな行動をとることが多く、クラスメイトにも悪態を着くことが度々だった。それがまた自分自身を嫌悪することになり、自暴自棄になっていた。
自分が自殺の願望を手紙に書いた時は、次の日曜日に突然自宅に来て炬燵に入りながら話し合って慰めてくれたこともあった。部屋には家族がいて抽象的なことしか話せなかった。
話ができない分、炬燵の中の足は、忙しかった。炭火の方に足を持って行き、近づけ過ぎて、足を炭火から避けようとした時に彼女の足に偶然触れる事が出来ないか何度か繰り返したが、そこに彼女の足はなかった。
時々
「あちっ」
と声を出すのだが、静かな部屋で、彼女の怪訝な表情だけが印象に残っただけだった。
《馬鹿だね》
やっと会話した事は、
「そんなこと(死にたいとか)考えたことない?」
「ううん・・・・」
とかの話しか出来ず、そのまま自宅、軒先に出てからしばらく話し込んでいた。




