図書室にて
すっかり遅くなってしまいました……>_<
白騎士演武祭を見物に行ってから、はや一週間。「試験まであと一週間です!」という教師の喝が効いたのか、ほとんどの生徒は皆速やかに寮の自室に帰り、学園はいつもより静かな放課後を迎えていた。
「テスト、かぁ」
そんな中で一人、シェーラは毎朝薙刀の自主稽古に使っている少し寮から離れたお気に入りの場所で、考えごとをする時の定位置になりつつある、ちょうどよく曲がりくねった木に腰掛け呟いた。
サーラ魔法学園では魔法実習・魔法講義・治癒学・召喚学・世界学・世界語・数学・体育・家庭科の九つの科目が教授され、もちろんそれぞれに試験がある。中等部では、時間内に体育館内を十周する体育と、初級魔法の発動とコントロールをチェックする魔法実習の二つを除いて、全て筆記試験だ。
シェーラは元々皇家の人間として、座学に関しては幼い頃から最高レベルの教育をみっちり施されてきた上、こちらの数学は前世の進度より大体一学年遅れる程度、つまり前世でいうところの小学六年生レベルでしかない。ブランクはあるものの一応大学受験に向けて勉強していた白崎ましろ、現シェーラ・ジン・メル・ライラにとって、今回の試験は楽々クリアできるものであり……つまるところ暇であった。
もちろん、油断大敵と毎日勉強はしている。が、一通りどころかもう十遍も試験範囲をさらったとなると、皆が部屋に籠っているからと言って同じように毎日勉強するのは辛いものがあった。
そこで時々、実技試験がある魔法実習に向けて人目につかないこの場所で初級魔法の練習をしているのだが、それももうお手の物。かといって派手な、というか威力の調節不能でいまいちコントロールに自信のないオリジナル詠唱魔法の方は練習できないので、こうしてテストまでの時間の有効利用について考えていたのだ。
(みんなが頑張ってるのに、私だけぼーっと過ごすっていう気にはなれないけど、正直、勉強はこれ以上やりようがないのよねぇ……。実技も、体育は毎回授業で体育館10周してるからまず落ちることはないと思うし、初級魔法も普通にやれば心配なさそうだし。うーん、あと一週間、何して過ごそう)
ココとミレーユ、ノアは苦戦しているようで毎日眠たそうな顔をして登校してくるから「どう?進んでる? たまには息抜きにお茶でもどうかしら」なんて誘えるはずもない。そしてユーフィはーーーー
(あれ、そういえば、最近ユーフィってどこに……?)
ふと思い返せば、放課後まっすぐ寮に向かうノアや他のクラスメイトと別れて、ここのところ毎日どこかへ通っている様子だったユーフィ。一応シェーラもまずは皆と一緒に寮の自室へと帰っていたので行き先を特に気にすることもなかったが、一体どこへ向かっていたのか。
(ユーフィなら試験対策は完璧だと思うし、何してるのかな。ええと、あっちの階段を上がっていくということは……)
「図書室?」
サーラ魔法学園の敷地内には、本館と、その東西に聳える円塔、そしてそれぞれの塔の裏手に男子寮と女子寮がある。
生徒達の教室は、本館二階の東側半分が中等部一年、西側半分が中等部二年となっており、中央の螺旋階段とその両隣にある学年教員室および会議室とお手洗いを挟んで、対称をなすように建物の端の方から一組、二組、と五組まで続いている。
また、南側の校庭や北側の演習場からの出入りがしやすいよう、直接二階へ上がれる外階段が南側北側それぞれ東西の端に設けられており、一年二組であるシェーラ達は、寮へ帰るのに教室から近い南東の外階段を利用していた。しかし数日前、ユーフィは「僕はちょっと上に」と言って中央の螺旋階段の方へと歩いて行き、以来帰りのホームルームが終わると足早にそちらの方へと通っているのだ。
本館の三階には東側半分に中等部三年の教室、西側半分に中等部用の保健室や調理室、多目的室等があり、東西の端からは渡り廊下へと出られるようになっていて、それぞれ東塔西塔の三階へと繋がっている。
シェーラの思い至った「図書室」とは、生徒の立ち入りが許された西塔の三階から六階までのことで、西塔は通常、小ホールとなっている一階からの出入りを許されていないため、図書室に入るには三階から行くしかないという構造になっている。
(上の階で他にユーフィが行きそうな場所も思いつかないし、きっと三階から西塔に通ってたのね。私も行ってみようっと)
前世のましろが図書館に通い詰めていたことからすると考えられないことだが、シェーラが図書室へ行くのは入学してすぐ行われた学内の施設見学以来のことだ。
というのも、必要な本はオランジ村に残っているフランを通して手に入れていたし、放課後はココやミレーユとのおしゃべりに忙しく、また本館三階には中等部三年生がうろうろしていてよく絡まれるのだ。美少女の受難である。調理室を使うのに三階へ上がる際に度々苦労していたシェーラにとって、図書室への道のりは険しかった。
しかし、今はテスト期間。一年生と同様上級生たちも皆寮へと一目散に帰って校内がほぼ無人となる貴重な時期だ。図書室内で許されているのは本の閲覧のみで筆記用具を用いての自習は禁止だから、わざわざ行く人も少ないだろう。
そう考えると、図書室で過ごすというのはなかなかに素敵な暇の潰し方かもしれない。シェーラはご機嫌で校舎へと戻り、西塔へと向かった。
(本当に全然が人が居ない……!これなら落ち着いて読めそうね)
入口で学生のチェックを済ませ、無事図書室内へと足を踏み入れたシェーラは、久々に本棚に囲まれ目を輝かせた。
この空間には不思議な魅力、魔力のようなものがある。床から天井までびっしりと並ぶ本たち、満ちるインクの匂い、かすかに聞こえるページをめくる音。しかしそれも、集中しだすと何も聞こえない。自分だけの世界が無限に続く。本を読むということが、何か神聖な儀式であるかのように思える場所。
(うん。やっぱり私、ここが好きだわ)
すぅっと息を吸い込み、久しぶりの高揚感に頬を緩めたシェーラは、
ひとまず今いる三階から六階までをざっと見て回ることにした。
三階と四階は授業内容に関連した学術書、五階は趣味の本や小説があり、六階にはジンドラード皇国についての本と月の魔術師関係の本が特に集められいる。
(さすがに月の魔術師様が創立しただけあって、それ関連の本が充実してるわね)
そういえば幼い頃に繰り返し読んだ月の魔術師のシリーズ絵本はあるだろうかと、シェーラが絵本コーナーを探して本棚の林の奥へと進んでゆくと、突き当たりの壁に向かって設けられた席にユーフィの後ろ姿が見えた。
「ユーフィ」
「ん?シェーラですか、驚きましたよ。試験勉強はもういいんですか」
言葉ほどには驚いたという様子もなく、ユーフィは微笑みを浮かべてシェーラに応えた。
「ええまあ、貴方と同じくね。私も早くここに気づけばよかったわ」
「それはそれは。ではこれからしばらくはご一緒できそうですね」
「そうね。それで、何を読んでいたの?ユーフィのことだから、てっきり三階で難しい本でも読んでるかと思ったのだけど。それって……」
ユーフィが開いていたのは、絵が紙面のほとんどを占める大きめの本。それも、シェーラがよく知っているものだ。
「ええ。見ての通り、月の魔術師のシリーズ絵本ですよ」
「やっぱり! 小さい頃は夢中で読んだわ。名作よね。でもどうして? なんだかちょっと意外」
「まあ、初心にかえってといいますか……久しぶりに活躍が見たくなりまして」
「あら。実は私も、ふと懐かしくなって探してたの。読み終わったの、見せてもらってもいい?」
机の上には、読み終わったと思しき絵本が山積みにされていた。月の魔術師のシリーズ絵本は、図鑑や図録といった方がよいくらいの分厚さで、こうして積み上げてあるとなかなかのボリュームだ。
「もちろんです。今最後の十一巻を読んでいるところなので、こちらをどうぞ」
「ありがとう。ん?このシリーズって全部で十巻じゃなかった?」
最後に読んだのは数年前だが、切りのいい数字だし、お気に入りのシリーズである。記憶違いはないだろうと首をかしげると、ユーフィが珍しく若干興奮した様子で、開いている十一巻の表紙を見せた。
「それが、三十年ぶりの新刊が出たんですよ。旅に一時期同行していた商人の手記が最近発見されて、それを元に今年中に十三巻まで出すみたいです」
「そうなの!? 今になって新資料が出てくるなんて……その手記は本になっていないのかしら」
「それが、色々あって手記の詳しい内容公開が来年以降に先送りにされたらしいんですよね。つまり現時点では、この絵本が最新情報です」
絵本とはいえ、その内容は国とサーラ魔法学園の共同研究チーム監修の折紙付き。わかりやすい表現にはしても、基本的に脚色はしないというのがシリーズの方針であり、子ども向けだからと侮れない。
そもそも、書籍がシェーラの前世ほど大量に流通しておらず、「ある本が世界中で読まれる」ということ自体が稀なこの世界で、長年にわたってこれほど世界中で読まれている本は他にないだろう。
国が監修に首を突っ込み、予算を投じて世界中にこの絵本を輸出しているのも、打算的な言い方をすれば、月の魔術師を利用してジンドラード皇国の権威を高めるためなのだ。元になる資料は必ずしも全部公開されるわけではないので、特に他国のファンや研究者にとっては絵本であってもありがたい。
「えーっ!それは早く読みたいわね……よし、おしゃべりはやめにして、読書に集中しましょう! 隣、いいかしら」
「どうぞ」
目をキラキラとさせ、猛然と、と言っていいほどの勢いでページをめくりはじめたシェーラを見てユーフィは可笑しそうに目を細めると、自分も再び静かに本を開いた。




