マラソン大会3
予定より更新が遅れてしまいました……。申し訳ないです。書き上げた分が長かったので二つに分割します。新キャラ登場は今晩投稿する28話にずれ込みました(>_<)
「ふむ。美しいな」
日の光を受けてきらめく水面を見つめて、ミレーユが呟いた。
目の前に横たわる大きな池は、向こう岸まで300メートルほどありそうだ。魚型の魔物がうようよと泳いでさえいなければ水に入って渡ってもよさそうだが、もちろんそんなことは出来ない。ここまで下り坂を一気に駆け抜けてきた一行は、どうやって早く確実に渡るか頭を悩ませていた。
「おい! 誰か土属性が使えるやついるか? 俺と組んでさっさと渡ろうぜ」
ひらめいた!とばかりに一人の男子生徒がそう呼びかけると、三人が名乗り出た。池の底を土属性の魔法で隆起させ、そこを歩いて渡る算段のようだ。彼らが満足に扱えるのは今のところ低級までの魔法であり、一度に影響を及ぼせる大地の総体積と有効範囲は限られている。それで足場を作って向こう岸まで渡り切るとなると、とても一人では不可能だ。そこで、何人かでローテションを組もうということを思いついたのだろう。彼らは順番を決めると、意気揚々と池へと向かう。
「土属性は使えないし、これはきっと舟でも作れってことよね」
そしてこうなることを学園側は予測していたのか、一人が口にした通り池の手前には大量の丸太やロープが積まれていた。
「時間はかかりそうだが、仕方ないか……」
土属性の使えない他の生徒たちが皆諦めて木材の山へと向かう中、そこに混じっていたノアを何か企んでいる顔のミレーユが呼び止めた。
「ノア、さっき先陣をきってくれたお礼をしよう。ちょっとこっちへ」
「なんだ? 何かいい案でもあるのか」
他の生徒からは見えにくい、木材の山とは反対の方へと引っ張られていったノアが小声でミレーユに尋ねると、ミレーユは自信ありげな笑みを浮かべて、ノアの耳元に囁いた。
「実はね、私はここに放たれている魚に見覚えがあるんだ」
「本当か!」
大きな声をあげたノアを、しっ!と制して、ミレーユが頷く。
「うん。私の国、サンドールのとある湖に住んでいる魔物で間違いない」
「ということは、対策もあるわけだな?」
「まあね。この魚型の魔物ーーソラトキウオには、天敵がいるんだ。なんだと思う?ーーーー蛇だよ」
にやりと笑ったミレーユは、そう言ってラミアンヌの顎を愛おしそうにするりと撫でた。
「ラミアンヌよりはかなり小さいが、その湖に棲んでいる蛇の魔獣がいてね。そいつの姿をみるとソラトキウオたちは一目散に逃げ出すのさ。実際、さっきラミアンヌが水面を覗き込んだらその辺りから魚の影が消えたしね。そして、私の可愛いラミアンヌは陸だけでなく水中行動も可能な素晴らしい子だ。つまり、ラミアンヌだけならこの池を渡るのに何も問題はないんだ」
「なるほど。それはわかったが、俺たちはどうなる? 上にでも乗るのか?」
確かにラミアンヌは二人が乗っても動けそうではあるが、水の中の魔物が少しでも水面に飛び出してきたらやられてしまいそうだ。ノアが怪訝そう見ると、ミレーユは、
「いや、ラミアンヌは水の中を泳ぐからそれはないよ」
と答え、一拍置いて
「ふふふ。どうだいノア。少しの間、食べられてみる気はないかな」
と某歌劇団スマイルで怪しい誘いを持ち掛けたのだった。
「た、食べられる!? それってどういう……」
突然、大蛇に食べられろと言われたノアが思わず素っ頓狂な声をあげたのも無理はない。
「どうもこうも、そのままの意味だよ。まあ、時間も惜しいことだし、説明するよりやってみる方が早い。さ、私の後に続いて来てくれ」
しかしミレーユは動じず、大きな羊でも飲み込めそうな大口を開けたラミアンヌの中にさっさと入ってゆく。
「お、おい!!……仕方ない、腹を括るか」
残されたノアは少し躊躇ったが、ミレーユの姿が完全に見えなくなると、意を決して入ることにしたようだ。
「ラミアンヌ、本当に食べてくれるなよ……」
とラミアンヌに言い置いて、恐る恐る生温かい暗闇の中へと入っていった。
さて、ミレーユの声を頼りに暗闇を少し進んだところで、何か周りの空気が変わったと感じた次の瞬間、突然の眩しさに目を覆ったノアがゆっくり目を開くと、そこには驚きの光景が広がっていた。
「ようこそ。私の秘密の部屋へ!」
豪奢な織の絨毯が敷かれた床に、蛇の姿を脚に彫った大きな木のテーブルとお揃いの椅子。変わった柄の布が被せられた大きなソファー。後ろには本棚に食器棚、小さなキッチン。よくわからない不思議な生き物の像、などなど。シェーラが見れば東南アジアを思い起こしそうな雰囲気の、いかにもミレーユらしい(少し怪しげな)趣味で纏められた小さな部屋。そこに、いたずらっぽい笑みを浮かべたミレーユが両手を広げて歓迎のポーズをとって立っていたのだ。
「な、なんだここ! ラミアンヌの腹の中なんじゃないのか!?」
「そうだよ。まあ、立ち話もなんだからそこへ座って」
ラミアンヌの中に入っていったはずが謎の部屋へと来ていたノアが、驚きに開いた口が塞がらないままミレーユに言われて椅子に腰座ると、ミレーユはその向かいに腰を下ろした。
「さて、ここは正真正銘、ラミアンヌの中さ。私も最初は驚いたけどね。ラミアンヌがなんでも飲み込むものだから、一体どうなってるのかと思って調べたら、こうなっていたんだ」
「こうなっていたんだって……これ、世界七不思議の一つでもおかしくないぞ?」
神話や伝説の世界じゃあるまいし、というノアに対して
「ふむ。世界七不思議か、まさしくそうかもしれないな」
とミレーユは言うと、テーブルの上に置かれた金色の蛇の置物の頭を撫でた。
「七不思議というより伝説に近いが、私の国にはね、こんな話があるんだーー」
曰く、まだ月の大狐が世界を闊歩していた時代、その尾に飛びついた不届きものの魚を追い払った褒美として、加護を受けた金色の大蛇は、その身の中に小さな世界を授けられた。
そして長い長い時が流れたある日、山の麓の小さな村に住んでいた一人の若い男が山へ狩に入った。しかしどうしたことか、途中で道に迷ってしまった。男が途方に暮れていると、金色の大蛇がやって来て、まるでついて来いとでも言うかのような仕草をする。男が不思議に思いながらついて行くと、そこにはより一層大きな金色に輝く蛇がいて、あっと言う間に男は丸呑みにされてしまった。そして喰われたかと思われた男が目を覚ますと、どうやらどこか屋敷の中にいるようであった。男は困惑したが、屋敷の中を見て回り、部屋の一つにたくさんの御馳走と酒が置いてあるのを見つけた。空腹だった男はその美味しそうな匂いに我慢ができず、ついにそれを平らげてしまった。そしてそのうちに酒が回って眠くなり、ふとまた気がつくと、山と村の境に横になっていた。その男の手に握られていた金色の盃は、それに注げばどんな酒でも非常な美酒になるという不思議な盃だったという。
「ーーというわけで、ラミアンヌはただのオオコガネヘビじゃない。伝説そのものの大蛇かどうかはともかく、それに近い存在なことは確かだ。古い文献には、ラミアンヌ程ではないようだけど、身体の内部に特殊な空間を持っていたとされる大蛇の記録もいくつかある。もしかすると太古の昔、蛇型の魔獣はそういった性質を持っていたのかもしれないね」
「とすると、ラミアンヌは先祖返りってことになるのか……すごい話だな」
月の大狐の加護を受けたという伝説の大蛇、その性質をラミアンヌが受け継いでいるとすれば大変なことだ。現実とは到底思えないような話だが、現にその中にいる以上は信じるしかない。
「うん。公表して私の可愛いラミアンヌが狙われるといけないから、今のところは秘密にしておくつもりだけどね」
半ば呆然としながら話を聞いていたノアだったが、狙われる、という単語に現実世界での危険性を感じとると、ハッとして鋭い視線をミレーユに向けた。
「……俺に話してもよかったのか?」
ミレーユとはココやシェーラとの繋がりで多少話すこともあるが、特別親しいというわけでもない。今回のマラソン大会で前より少し距離が縮まったかという程度だ。
それがなぜ自分にこんな重大な秘密を打ち明けたのか。もし自分が喋ったらどうするつもりなのか。ノアは真剣な表情でミレーユの言葉を待つ。
対してミレーユは相変わらず飄々とした様子で、しかしその紫の瞳で真っ直ぐノアを見つめると、ふっ、と小さな笑いを漏らして言った。
「私の実家は商いをしていてね、小さい頃から手伝っていたんだ。人を見る目には自信があるつもりだよ。ノアは、私の認めた戦友さ。それに、私の大事な親友の騎士さまでもあるしね」
「……誰のだよ。 で、あいつらには話したのか?」
嬉しさ半分、色々と照れ臭くなったノアはわざとぶっきらぼうに返事をし、ミレーユはそんなノアを面白そうに見て笑った。
「ははは、ノアは本当にいい男だね。ああ、それで、そうそう、この前二人に言おうと思って、『ちょっとラミアンヌに食べられてみないか』と誘ったんだけど断られてしまってね。ココは涙目で逃げていくしシェーラは怯えるしで、まだ話せていないんだ」
「そりゃ、『ちょっと食べられてみないか』なんて言われたら、普通断るだろ……」
自分が言われた時の衝撃を思い出すノア。
「だけど、そっちの方が中に入った時の驚きが大きいじゃないか! それに、ここなら秘密を話したところで誰かに知られる心配もないだろうし。外から見ればただ人が食べられているだけだからね」
まるで人が蛇に食べらていても何の問題もないとでも言うかのような口ぶりだ。
「それもどうかと思うが……まあいいか。それで、そこに扉が見えるんだが、その先にも部屋があるのか?」
それ以上突っ込んでも無駄だと悟ったノアは、部屋の奥にある扉へと話題を変えることにした。
「いや、部屋はこの一つだけだよ。前にしばらく歩いてみたんだけど、どうにも終わりが見えなくてね。あまり広いのも落ち着かないし、とりあえず扉をつけてみたんだ」
シェーラやココも来るようになったら伝説みたいに色々と部屋を作ってみてもいいかもしれない、と想像を膨らませ、ミレーユの瞳が輝く。この部屋を一人で作り上げたミレーユならば、たとえ伝説の屋敷でも再現できるだろう。
「そうか、本当に不思議な空間なんだな。ラミアンヌの中でありながらそうではない、ということか」
「そうだね。一応扉をつける前に色々検証してみたんだが、この壁も、ラミアンヌの体内組織とは関係ないらしくてね。完全に別空間みたいだ」
「はぁ、なんだか衝撃が大きすぎて頭が追いつかねーな」
「ふふふ、まあ来るならいつでも歓迎するよ」
常識外の事態を改めて認識したノアが、大きくため息を吐いて頭を抱えるーーとその時部屋が僅かに揺れ、ミレーユが立ち上がった。
「……さて、ラミアンヌが無事に到着したようだ」
ラミアンヌの口から二人が外へ出たのは、ちょうど土魔法で頑張っていた四人組の一人が僅かな足場を踏み外し、それに動揺してもう一人も池に落ちたところで、群れをなして迫るソラトキウオに吸い付かれたその二人の悲鳴にノアとミレーユは顔を見合わせたが、ノアたちがたどり着いた川岸で待機していたらしい教師の契約獣四頭が救出に向かうのを見て、自分達の勝負へと意識が戻ったようだ。
「ありがとう、助かった。だが、これから先はお互い手出し無用でいこう。優勝は渡さないからな」
「ふむ、そうだね。私も渡さないよ」
これから始まる本当の優勝争いを前にして、二人の瞳がかち合った。




