ある日の浴場
「はぁ~気持ちいい~」
「生き返るねぇ~」
「極楽極楽」
などと年に似合わぬことを言って至福の吐息を漏らしているのは、シェーラ、ココ、ミレーユ。学校のある日は忙しくてシャワーだけで済ませることも多いのだが、今日は週末。のんびり過ごした休日の締めくくりに、三人連れ立って浴場へとやって来たのである。
「今週忙しかったもんね~。さすがに疲れたよー」
いかにもぐったり、といった風に露天風呂の岩に寄りかかるココ。
「初めての実習もいくつかあったしね」
シェーラはその隣で、ぐぐっと伸びをしながら、色々あった各実習のことを思い出していた。
「ふむ、実習か……。調理実習は我ながら良い出来だと思ったのだが……昨日返ってきたプリントではなぜかBがつけられていた。インパクトが足りなかったかな」
ミレーユは、先日行われた調理実習の結果に満足がいかなかったらしく、危険な反省の仕方をしているようだ。ふむ、と組んだ腕の間の豊かな胸をココがつつくのも気にせず、難しい顔をしている。しかしよりインパクトのある料理についてブツブツと呟きだしたところで、見た目はともかく、あれ以上インパクトのある味にされるとこっちの身が危ない!と察知した二人が、慌ててフォローに入った。
「ううーん……インパクトは十分だったと思うよ。私は、もしかしたらだけど、ちょっとスパイスが個性的すぎたのかもって思う……」
龍のことには触れず遠慮がちにココが言う。
「なるほど、スパイスか。あれは私の故郷に伝わる秘伝のスパイスだからな。確かに好き嫌いは分かれそうだ。今度はもう少し一般に出回っているのを使うとするか」
ひとまず危険は去った、と胸を撫で下ろす二人。とは言え、油断は禁物である。シェーラはやんわり念を押しておくのを忘れない。
「うん、まあ、あまりアレンジがんばらなくても、ミレーユのは十分美味しいと思うけど」
「ははは、ありがとう。二人には次回もたくさんおすそ分けさせてもらうよ」
ミレーユの料理は余計なアレンジさえなけば美味しいのだ。それだけに、楽しみなような恐ろしいような、微妙な気持ちになるシェーラとココであった。
「実習と言えば、マラソン大会もうすぐだよねー」
これ以上料理の話が続くのもなんだか危ない気がしたので、シェーラが話題を変える。
来月の初めに中等部で行われるマラソン大会は、それまでの授業の集大成ということで、大掛かりな実習、あるいは実地訓練という意味合いの大きいイベントだ。
大会一日目が一年生、二日目が二年生、最終日の三日目が三年生で、学園の広大な敷地に広がる森を舞台に行われる。
当然、あらかじめ決められたルートを通ってゴールまで駆け抜けるだけ……と簡単にはいかず、一年生の場合は学園側が放った低レベルの魔物を倒し、ところどころに設置された障害物を乗り越えてゴールを目指すことになっている。三年生になると知能の低い魔物ではなく、高い知能・知性を持つ魔獣が放たれたりして難易度も高くなるらしいが、低難易度の単なる魔物であっても入学したばかりの一年生には厳しい戦いとなることが予想された。
もはやマラソンとは言えないような気もしなくもないサーラ魔法学園のマラソン大会は、学園祭と並ぶ大イベントであり、特に上位入賞を狙う生徒たちの気合いの入れようには並々ならぬものがある。
「そうだねぇ。上位十名には学園長からご褒美だっけ? 気になる~」
「うん、毎年変わるらしいよね。去年は学園の紋章付きの属性付与バッグだったらしいよ」
「ふむ。褒美はともかく、やるからには一位を目指したいものだな」
ミレーユの紫の瞳がきらりと光る。
「ミレーユは運動神経もいいし、魔法使うのも上手いし、ラミアンヌもいるし、一位目指せそうだよね」
マラソン大会では、召喚獣の呼び出しが認められているため、何か事情がない限りはまず全員召喚を行う。
ミレーユのパートナーである大蛇、ラミアンヌは高位の魔獣であるし、契約している分意思疎通もスムーズに行われるはずで、強力な助っ人になるだろうと思われた。
上位を狙うのはもちろん、無事制限時間内にゴールするためにも、召喚獣との連携は欠かせないのだ。
「そう言えば、シェーラは召喚まだだもんね。大会までにできるといいね」
「この前は尻尾の先が少しのぞいていたし、あと少しといったところではないかな。きっと大物だ」
「うーん、ありがと。大会までに召喚できるようにならないと、完走できる気がしないよ~」
どういうわけか、シェーラは未だ召喚に成功していない。
ココとミレーユが励ますように言ったものの、このまま一生召喚を行うことがない可能性もあるのではないかと考えているだけに、当人は内心苦笑いだ。
新月石の指輪に魔力を99.9%封じた状態でさえAランクの魔力量を持つにもかかわらず成功しないのは、月属性のせいではないかと薄々感じてはいる。しかし指輪を外すわけにもいかないし、確かめようもない。
それに、ミレーユが言ったように、召喚にチャレンジするたび魔法陣の光の中に少しだけ出現する、おそらく同一個体のものであろう白銀の耳や尻尾の先を見ると、なんだか妙な予感というか、絶対にこの場で呼び出してはならないという気がするのだ。
教師であるリージンが、シェーラただ一人が召喚に成功していないのに深く突っ込んだ指導をせずスルー気味なのも、シェーラの特殊事情が関係しているのではないかと推測された。
何はともあれ、召喚獣なしでは制限時間内にゴール出来るかも定かではない。体力もあり、魔法も威力は低いものの全属性を器用に使いこなすシェーラが上位入賞を全く考えていないのは、そうした事情があるのだった。
「完走は私も自信ないなぁ……。シェーラ、一緒にゴールまでがんばろうね! ミレーユは優勝目指してがんばって!」
シェーラの微妙な胸の内を知ってか知らずか、また謎の植物群を召喚できないかと期待しているココは、シェーラと一緒に走る(もしくは歩く)ことに決めているようだ。そして後は君に任せた!とばかりにミレーユの肩を叩いた。
「ああ、ありがとう。しかし、ココはノアを応援しなくていいのか?彼も優勝を目指しているはずだが」
「ふぇ!?」
思わぬ話の展開に、ココの顔が髪と同じ桜色、もといサーラ色に染まる。
「そうねぇ、ほら、もし優勝したらデートしてあげる(はぁと)みたいな?」
「な、なんで私がそんなこと!! ノアは準優勝でいいよ!」
「あ~、なるほど、優勝なんてしたらもっと人気でちゃいそうだもんね」
「えっ!いやそういうことじゃ……」
ココの顔はもはや茹でダコ状態だ。
「ははははは、本当にココは面白いなぁ」
「ふふふ、ほんと、からかい甲斐があるよね」
「も、もぅ~!二人ともやめてよぉー!」
結局いつもの調子でココをからかい、楽しいバスタイムは過ぎていった。
一方、男湯。
「あれ? ユーフィ?」
「あ、ノア。偶然ですね」
露天風呂の片隅で、ばったり出会ったノアとユーフィは、ちょうどよく配置された大石に隣同士で腰掛けた。
「おう。最近はシャワーだけで済ませることが多かったんだが、久しぶりに来てみた」
「僕もです。最近は授業も忙しかったですもんね」
「そうだな。マラソン大会もあるし」
ノアの真赤な瞳が燃えている。
「ああ、ノアは優勝狙ってるんですよね。トレーニングは順調ですか?」
「まあぼちぼち、かな。ユーフィは狙わないのか?」
「僕は体力ないですから。ゆっくりいきますよ」
「そうか。その魔術の腕ならいけると思ったが」
肩をすくめて答えたユーフィに対して、ノアは残念そうだ。Sランクの魔力量を持ち、ずば抜けた魔術の才をみせているユーフィのことを、さして魔力量の多くないノアは尊敬しており、当然優勝争いにも絡んでくるだろうと思っていたのだ。
「いえいえ。それより、魔術と体力でバランスがとれていると言えば、ミレーユさんですよね。彼女も優勝を狙っているみたいですよ」
ミレーユ、という現時点でわかっている限り最高のライバルの名前が出て、ノアの眉がピクリと動いた。
「ああ、そうみたいだな。ミレーユは身のこなしも魔法の扱いも、全体的に器用で早い。厄介な相手になりそうだ。……背も高いし」
最後に小声でボソッと言った部分、ミレーユを優勝争いのライバルと認識しているのにはそれも大きいのかもしれない。
「……。ところで、優勝した際のご褒美は、もう決まったんですか?」
ノアの心の声(?)を華麗にスルーして、ユーフィが天使の微笑みを浮かべる。
「ご褒美?学園長からのあれか?」
ノアは、もう決まったのか、というユーフィの言い方に疑問を持ちながらも、上位入賞者に授与されるというあれだろう、と脳内変換して聞き返した。
「いえ、そうではなく。ほら、よくあるじゃないですか、この大会で優勝できたら、俺とデートしてくれ!といった感じの」
「なっ……!で、デート!?」
「ええ。ココさんにおねだりしたらどうです?ちょうどマラソン大会の後は三連休ですし、その方がモチベーションも上がるでしょう。なんならお泊りでも」
相変わらず天使の微笑みを浮かべたままとんでもない爆弾を投下したユーフィに、ノアは思わず真っ赤になった。
「え!? あ、いや、って、泊ま……!!えっちょ、う、うわぁ!!…………っごほっごほっ……ユーフィ!!」
「あはは、いや、すみません、ノアの百面相は面白いですね。もちろんお泊りは冗談ですよ。デートはいい案だと思いますけどね」
お泊り、という単語の威力は、普段は硬派で通っている中等部一年の男子をこれまでにないほど動揺させるには十分だったようで、百面相をしたあげく頭の上のタオルが落ちかけたのをキャッチしそびれてバランスを崩したノアは、見事な温泉ダイブをキメたのである。
「何がいい案だ!あいつは別に……!」
しかし、そんなノアの微笑ましい抗議もこの天使には通用しない。
「おや、ノア、のぼせましたか? 顔が真っ赤ですけど。そろそろ上がりましょうか」
「いや、うー、ユーフィお前、おぼえてろよ!」
「ええ、おぼえてますとも。ノアのさっきのダイブも含め、色々とね」
この日、ノアは今までに感じたことのない謎の敗北感を抱きながら浴場を後にした。
タイトルの「ある日の浴場」ですが、実は「欲情」も掛かってたりして、ノアだけ(笑)
次回はマラソン大会の予定です。




