初めての友達
北の森に来てから、五ヶ月が過ぎた。シェーラは、今は公爵家傍流の少女、シェーラ・ライラ・ザードとして生活している。
このジンドラード皇国では、自分の名・父方の家名・母方の家名、と名乗るのが通例だ。シェーラの本来の名前は、「シェーラ・ジン・メル・ライラ」だが、「ジン」は、月の大狐の名前をとったもので、皇家の人間だけが名乗る。「メル」は家名としての皇家の名であり、父から受け継いだもの。「ライラ」は母から受け継いだファンドール公爵家の家名だ。××公爵家などといった場合の家名××と、名乗る時に使う家名とは多くの場合一致しないので非常にややこしく、これを覚えるのもこの国の上流階級に必須の教養の一つとなっている。
今仮に名乗っている「シェーラ・ライラ・ザード」も、聞く人が聞けばファーンドール公爵家の血筋とすぐにわかるだろうが、一般の国民は「ファンドール」の家名しか知らないのが普通なので、名乗っただけで知られることはない。実際、シェーラの新居があるオランジ村でも、シェーラのことは、どこかのお嬢さんが自然を求めて越してきた、くらいにしか思われていなかった。
「シェーラちゃん、今日もお手伝いかい?偉いねぇ」
「こんにちは! 薬草を切らしてしまったので、リーシェさんのところへ行くんです」
「おお、そうかいそうかい。気をつけて行くんだよ」
「はぁーい」
森の最奥にあるこのオランジ村は、二十世帯ほどが暮らす小さな村だ。馬で一時間の隣村からやってくる他に他所から人がくることは滅多になく、シェーラとフランも最初は警戒された。しかしフランはさすが元侍女頭なだけあって人付き合いが上手かったし、この辺りでは珍しい白に近い金髪に、鮮やかな碧眼という華やかな容姿を持つシェーラの笑顔は、皇宮でもそうであったように、すぐに村人達を虜にした。
「こんにちはー!リーシェさん居ますかー?」
「おお、シェーラちゃんかい。ちょっと待っておくれ」
少しして、様々な瓶詰めの薬草が所狭しと並べられた店の奥から店主リーシェが姿を現した。
「こんにちは、シェーラちゃん。今日はどうしたんだい?」
「虫除けがもう切れそうなので、また一週間分もらえますか?」
「虫除け一週間分ね。ええっとー……ありゃ、こりゃ倉に行って、調合してこないと足りないね。ちょっと時間がかかるから、よかったら上がっていっておくれ。今ちょうど草餅ができたところでね」
「わぁ! いいんですか? 」
「ああ、もちろんさ。ココ!お客さんだよー!」
「なぁにーおばあちゃん?」
パタパタと音がして、奥からひょっこり顔を出したのは、サーラと同じ桜色の髪をショートボブにした可愛らしい少女だった。
「紹介するよ。私の孫で、ココと言うんだ。シェーラちゃんと同じ年で普段は隣村に住んでいるんだが、今は村の学校が夏休みだからね。三日前からこっちへ遊びに来ているのさ。休み中はここにいるから、遊んでやっておくれ」
「シェーラ・ライラ・ザードです。三月に越してきたの。よろしくね」
「ココ・ミル・レントです。ココでいいよ!よろしくねー」
「うん!じゃあ私もシェーラで。夏休みって、いつまでなの?」
「九月に入るまでは夏休みだよ。だからあと一ヶ月ちょっとはおばあちゃんち。シェーラは、学校行ってないの?」
「うん。一緒に暮らしてるお手伝いのフランさんに教えてもらってるの」
「お手伝いさん!わー!シェーラってもしかしてすごいお嬢様だったりする? 」
「いや、そんなすごいお嬢様なんかじゃないよ。前は皇都にいたんだけど、両親の仕事の都合でしばらく私一人になっちゃって。でも皇都に一人は色々心配だから、のんびりしたこっちにって話になったの」
「そうなんだぁ。ねぇ、シェーラの家ってどこ?」
「東の外れの崖の上だよ」
「あ!あのサーラの木かぁ。 ねぇ今度遊びに行ってもいい?」
「うん!来て来てー!」
「これこれ二人とも、こんなところで立ち話しとらんで、中へ入りなさい。餅が冷めてしまうよ」
「「はーい」」
草餅を食べながら話すうち、シェーラとココはすっかり打ち解けた。ココの家は隣村でも薬屋をやっていてよく手伝っていること、ココには治癒術の才能があり、村の学校を出た後は森の手前の街ロンドにあるサーラ魔法学園へ行きたいと思っていることなど、クリッとした茶色の瞳を輝かせて話すココは、同い年の子どもがいないこの村での話相手を見つけてとても嬉しそうだった。一方のシェーラも、二度目の人生で初めて友達が出来たことに感激していた。
「サーラ魔法学園? 私もお父様から入るように言われてるの!ココと一緒に通えたら嬉しいなー」
「えっそうなの? やったぁ! 村の学校からは進学する人いなくて、寂しいと思ってたんだぁ。シェーラも魔力強いんだね。属性はなんだった?私は土だよー」
「えっ属性?えーっと、なんだったかな……」
(そうだ、結局私の属性はよくわからないままだった……ど、どうしよう)
「えーっこの前測ったばっかりだよ? シェーラってしっかりしてそうだけど意外と忘れんぼさんなんだねぇ。あはは」
「う、うんそうなのー! えへへ」
(た、助かったー!初めての魔力測定の結果を忘れるっていうのはかなり不自然な気もするけど……ココはいい子だなぁ……)
「まあ、また入学試験の時に魔力測定あるもんね!それまでにもっと魔力増やしたいけど、どうしたらいいのかなぁ。村の学校は教科書読むだけで全然魔法使ったりしないし……早く使ってみたいな~」
「うーん、やっぱり使った分増えやすいとは言うけど、私たちの年だとまだ使うには早いって言われるもんねー。治癒術は普段使わないの?」
「んー、お母さんとおばあちゃんは薬屋やってるしちょっと使えるんだけど、薬草混ぜる時に使うくらいで、ほんとにちょっとだから、それ以上のことは教えられないんだって。私はまだ薬草の種類とかあまり知らないからほとんどいじらせてもらえないし、全然使ってないよ~」
「そっかぁ。でも治癒術は使える人少ないし、色々出来るようになったらすごいよね!」
「うん。おばあちゃんから才能あるって言われた時はとっても嬉しかったよー! いっぱい魔法覚えて、園芸師になりたいんだぁ」
「園芸師?」
「えっとね、大きな公園とか、偉い人のお庭を作る仕事。あと、木のお医者さんみたいなこともするんだよ」
「なんか、ココに似合いそうだね」
「えっそうかなぁ?ありがとう!」
三十分くらい話すうち、調合を終えたリーシェが草餅のおかわりを持って戻ってきた。その後シェーラはココと二時間ほどお喋りに興じ、明日今度はシェーラの家でお茶をすることを約束して、リーシェの薬草屋を後にした。
「フラン、ただいま。リーシェさんところで草餅をご馳走になったら遅くなっちゃった、ごめんなさい」
「お帰りなさいませ、シェーラ様。今日はリーシェさんのところにいらしたのですね。何かいいことでもありましたか?」
「あら、わかる? 実はね、リーシェさんのお孫さんが来ていて、ココっていうんだけど、友達になったの!夏休み中はこっちにいるんですって」
「まあ、シェーラ様にお友達が!それはようございました」
「明日遊びに来ることになっているから、よろしくね」
「かしこまりました。シェーラ様が初めてお友達を呼ばれるんですもの、このフラン、精一杯おもてなしさせていただきます」
「たしか昨日採った山苺があったわね。 それでパイなんてどう?」
「わたくしも今それを考えておりました」
「ふふっじゃあ決まりね。私も手伝うわ」
その日の夕食は、ココがどんな子でどんな話をしたかという話題で盛り上がり、皇宮に居た頃に負けない賑やかな夜となった。