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2030年10月1日火曜日、午後4時前。
生徒会室内にある四角くつなげた長机。その黒板に向かって右側の辺に当たる場所が、放課後のあたしの自席だ。
『2030年11月1日 午前9時。只今より修悠学園全敷地を、我ら生徒会執行部、及びその同志の支配下に置く!』
目の前のプリントの裏にそこまで書いてニンマリ。
「ふむ……。我ながら、なかなかいい宣戦布告じゃない」
思わずそう口に出してしまったあたしの頭に、何やら固い物がコツンとぶつかった。
拾い上げてみると、それはただの消しゴムである。ぶつかった場所は大して痛くもないのだが、これ見よがしにさすりながらそれを投げ返すと、今度は同じ方向から声が飛んできた。
「神楽谷、仕事しろ」
「へ?」
声の主は無言のまま、背後の黒板を親指で指す。
「あー、はいはい」
仕方なしにあたしは席を立った。先程ラクガキしていたプリントを持って、そのまま黒板の前に進み出る。
あたしこと神楽谷 未咲は、東京都内でも5本の指に入ると言われる私立の進学校、修悠学園の2年7組に在籍している。ついでに……というかありがたいことに、本年度の生徒会副会長という役職まで頂いた。
何やらあたしのファンクラブができているという噂を耳にしたが、どうやら今回の副会長当選は、そのファンクラブの面々を中心に支持層が広がったおかげらしい。天狗になるつもりはないが、よく言えば「面倒見がいい」、悪く言えば「おせっかい」なあたしの性格が、いい方向に作用した結果だろうと勝手に分析してみたりして。
で、あたしと一緒に役員選挙に当選した、本年度の生徒会執行部は以下のメンバーである。
まずは神宮寺 戒斗、通称「神宮寺」。あたしと同じ2年7組在籍の、本年度生徒会会長。小ざっぱりと整えられた黒髪、ノーフレームの眼鏡に切れ長の眼が特徴の、秀才タイプのイケメン。外見が「秀才っぽい」だけではなく、実際の学業の方も定期テストでは常に学年トップの優秀さ。
ただし「冷静沈着が服着てる」と言われるほどの生真面目っぷりで、ぶっちゃけ面白みのカケラもない。ついでに言うと常に仏頂面で、喋り方はどこか上から目線な物言い。バカ笑いとかしてるのも見たことがない。もうちょっとユーモアとか理解できるようになればモテそうなのに……(いや、今でもファンは結構いるらしいが)。
ちなみに、先程あたしに消しゴムを投げてきたのはコイツである。
次に弦木 陵士、通称「リョージ」。2年3組在籍、あたしと同じく本年度の生徒会副会長。整髪料でラフな感じに整えた茶髪にだらしなく着崩した制服という、ちょっとチャラい感じの男。顔はまぁ割といい方だろう。制服の着崩しと大人の言うことを話半分にしか聞かない為か、生徒会執行部に在籍していながら、問題児として教師陣に目をつけられている、ある意味稀な人間。
表裏のないサバサバした性格なので、男女問わず(ついでに学校も問わず)同世代やちょっと上に人気がある。
余談だが、あたしとは中学以来の友人……というか悪友。お互い似たような雰囲気を嗅ぎ取ったからか、中学時代はよくつるんで遅くまで遊んだものだ。
最後が御子紫 朱里、通称「アカリ」。本年度の生徒会執行部唯一の1年生(1年5組在籍)で、役職は会計。栗色のふわふわロングヘアーと細めの黒カチューシャ、ちょっと垂れ気味の大きな瞳、そして本人の意思とは無関係にその存在を主張している大きなバストがトレードマークの、かわいらしい女の子だ。
当然、男子生徒からの人気は高いが、本人曰く
「男女問わず、バストのことには触れられたくありません」
だそうで。……まぁそりゃ当然か。
ちなみに外見通りのほんわか天然さんだが、計算能力と金銭感覚はあたしたち執行部の上級生が舌を巻くほどしっかりしている。
またパソコン関係にめっぽう強く、生徒会執行部運営の情報発信サイトでは、管理人も務めてくれている。
なお、本年度の生徒会執行部には書記がいない。選挙の際に立候補がなかったのだ。他の役職なら推薦での候補者を待ったのだろうが、
「副会長が2人いるから、書記ぐらいどちらかが兼任すればいいか」
という前年度生徒会長の意向により(うちの生徒会選挙は、前年度の執行部がそのまま選挙管理委員会となるのだ)、そのまま書記不在の執行部になってしまった。
で、書記の仕事は現在あたしが兼務している。先程神宮寺が「仕事しろ」と言ったのは、「書記として会議内容を黒板に書け」という意味である。
何はともあれ、神宮寺はあたしが黒板前にスタンバイしたのを確認すると、ちらと時計を見遣ってから口を開いた。
「それでは只今より会議を始める。本日は10月最初の会議なので、各自9月の総括を頼む。まずは渉外担当」
言われて、先程あたしが座っていた席の向かい側で、リョージが立ち上がる。ヤツは同世代からの人気を背景に、近隣の学校と独自のネットワークを築いていた。神宮寺はそこに目をつけ、リョージを渉外担当――すなわち他校との窓口――に据えたのだ。
余談だが我が校の生徒会執行部では、代々2人の副会長に、渉外の仕事と、生徒が主体となる校内各団体との折衝の仕事を分担させている。リョージが渉外担当なので、必然的にあたしが校内各団体との折衝窓口になるわけだが、神宮寺はあたしのファンクラブがあるという噂も把握しているらしく、敢えてあたしを校内団体との窓口に任じた節がある。こういった冷静な状況判断と適切な人員配置は、いけ好かん神宮寺でも一目置いてやってもいいかな、と思うところだ。
――閑話休題。
リョージの報告が終わり、次にあたし、続いてアカリ、と粛々と会議は進んでいく。誰の報告にも取り立てて議論すべき案件はなく、そのまま残る一人、教師やPTA等大人との窓口である神宮寺の番になった。
「それでは先月の学校全体や教師陣の動きについてだが、2年生の歴史担当だった鳥伊 啓一先生が、先月の20日をもって退職された」
鳥伊先生とは、神宮寺の言った通り、あたしたち2年生の歴史の担当教諭で、且つうちのクラス、2年7組の担任、さらには本年度の生徒会執行部の顧問でもあり、誰に対しても誠心誠意ぶつかってくれる、生徒想いの先生だ。――否、先生「だった」と言うべきか。辞めてしまったのだから。
……そして、あたしの恋愛感情にも似た憧れの対象だったのだが……。
「ちょっと。それ言わなきゃいけないこと?」
黒板に筆記する手を止めて、あたしは顔だけを神宮寺の方に向ける。するとヤツはこちらを見もせずに、さらりと言ってのけた。
「厳然たる事実だ。何か問題でもあるか?」
「そうだけど……!」
あたしはキッと神宮寺の背中を睨みつける。その視線を感じたか、ヤツも顔だけで振り返った。
「問題がないなら続けるぞ。筆記に戻れ」
「――――っ」
「神楽谷」
口調や声音こそ何も変わらないが、眼鏡の奥の眼をスッと細めて神宮寺が言う。ヤツがこういう態度を取るのは、たいてい本気で相手を説得、もしくは論破しようとする時だ。こういう時のヤツには、相手が逆らうことを絶対許さないような、圧倒的な威圧感がある。女子にしては気が強いあたしでも、さすがにこういう時の神宮寺には逆らえない。
「……わかったわよ」
小さな溜息と共にそう言うと、あたしは黒板に向き直る。それを待って、神宮寺も再び口を開いた。
「校内で既に噂が広まっているので、今さら隠しても仕方ないだろう。
先日我が校の生徒が、万引き未遂で店側に拘束される騒ぎがあった。幸い未遂の為大事には至らなかったが、この一件が一部の保護者から問題視され、詳細は省くが責任をとって鳥伊先生が辞めることになったわけだ」
うぅ、イライラする……。
言いたいことは色々あるが、あたしはそれらを全て飲み込んで、黒板に「9/20 鳥伊先生退職」とだけ書いた。ここで言いたいことをぶちまけても、おそらく先程同様、神宮寺に言い負かされるのがオチだろう。ヤツの言う通り、鳥伊先生――とりいっちが辞めたことは紛れもない事実。今さら何をどう言ったところで、なかったことにはできないのだ。
が、そんなあたしの心中などお構いなしに、神宮寺はその先を続ける。
「みんなも知っての通り、鳥伊先生は生徒から絶大な人気があった。それだけに、今回の一件で多くの生徒が動揺したり、学校側に反感を抱いていると見られる。昨日もいわゆる学校裏サイトの類に、教師陣――特に校長や教頭を名指しで中傷する書き込みがあったらしいからな。
そこで教師陣からの指示なのだが、これ以上動揺や反感が広まらないよう、生徒会の方で手を打ってほしい、とのことだ」
「つまりあれか、オレたちで騒動の火消しをやれってことか?」
「そういうことらしい」
いかにも面倒くさそうに声を上げたリョージに対して、こちらも多少面倒くさそうに返事する神宮寺。あたしはこみ上げてきた怒りを抑えることができずに、再び振り返った。
「何それ? 自分たちで騒動の火種作っといて、鎮火はあたしらに押し付けようっての? ふざけんじゃないわよ」
「俺に言うな。教師陣は教師陣で、神経擦り減らしてるんだろう。そうでなくても、例のいじめ問題をどう対処したものか、考えあぐねているようだし……」
神宮寺のその言葉で、あたしの中の何かがブチ切れた。
「はぁ?! 対処もなにも、あんなのただの言いがかりじゃないっ!」
ドンッ!
「ひっ」
我知らず、あたしは拳で黒板を殴りつけていた。音にびっくりしたのだろうか、アカリが小さく悲鳴を上げてこちらを見ている。神宮寺とリョージの視線も、あたしに向けられている。
そんな3人を見返して、あたしは一気にまくし立てた。
「そもそもさっき神宮寺が言ってた『万引き未遂を問題視した保護者』って、八岐の母親でしょ? 万引きした本人の母親が、それを問題視するってどーゆーことよ? とりいっちが辞めたことが事実だってんなら、アイツが万引きしたことだって、れっきとした事実じゃない! それでなんでとりいっちが辞めなきゃなんないのよ?! おかしいって、絶対!」
「落ちつけよ、ミサキ……」
「うっさい! リョージは黙ってて! あたしはこの陰険メガネ野郎に、ひと言文句言ってやらなきゃ気が済まないのよっ!!」
「お、おい……」
「ミサキ先輩……」
うろたえたリョージとアカリの声音に、あたしはハッと我に返った。
まくしたてていたので、目に入っている物がきちんと認識できていなかったのかもしれない。ふと見れば、先程まで黒板を背にしていたはずの神宮寺が、あたしと向き合う形で立っている。そこはかとなく怒りを帯びた眼を細めて。
……あ、ヤバ……。またやっちゃった……。
どうやらあたしは、神宮寺の逆鱗に触れてしまったらしい。普段冷静な人間がキレると手に負えないとゆーのはよくある話だが、神宮寺もどうやらその類のようで、以前あたしがヤツを怒らせた時には、言葉でもって完膚なきまでに叩きのめされた。リョージ、アカリにとりいっちが加わって、やっとなんとかヤツを止められたが、そうじゃなかったら高校生にもなって学校で泣きだすところだった。
神宮寺は華麗な動作で眼鏡を外す。ヤツの端正な顔立ちが露わになった。
「ほぉ。その『陰険メガネ野郎』ってのは俺のことか? そうなんだな、神楽谷?」
肯定も否定もできず、あたしはただ黙りこくった。まるで冷たい針か何かで射されているような視線を感じる。ヘビに睨まれたカエルってのは、こういう気分なんだろうか……などと関係ないことを考えてみた。そうやって無関係なことを考えたりしていないと、はっきり言って精神的に耐えられない。
が、あたしはその居心地の悪さから、1分と経たないうちに解放された。神宮寺は再び華麗な手つきで眼鏡をかけ直すと、改めてあたしを正面から見据える。その眼には、先程の射すようなチクチクとした怒りの色は見られない。
ヤツは大きく溜息をつくと言った。
「まったく、お前はどこまでも子供っぽいヤツだな、神楽谷。感情や気持ちをコントロールするってことを知らんのか」
「……あんたには、あたしの気持ちなんかわかんないわよ……」
半ばふてくされ気味に、あたしはそう吐き出した。あわや神宮寺をキレさせたかと思ったことでトーンダウンはしたが、それでもやはり、胸の中にモヤモヤとした怒りは渦巻いている。
神宮寺は小さく首を左右に振ると口を開いた。
「お前の気持ちもわからんではない。俺だって、あの場にいたんだからな」
「じゃあ――!」
「まぁ聞け。確かに八岐の万引き未遂は事実であり、にも関わらず彼の母親が散々ごねたおかげで、店からも御咎めなしってのは、正直俺も納得できない。例の『7組にいじめがある』って母親の発言が、事実無根なのも知ってる。俺も7組だからな。その事実無根ないじめ問題の責任を被って、鳥伊先生が退職されたのも、はっきり言って釈然としないのはお前と一緒だ。
だがな、神楽谷。同じクラスだからこそ、あの現場に居合わせたからこそ敢えて言うが、鳥伊先生の退職の件、お前にも一因はあるんじゃないのか?」
「う……」
痛いところを突かれて、あたしは沈黙せざるを得なかった。
「神宮寺先輩、今のはさすがに言い過ぎです」
「だな。おい神宮寺、ミサキに謝れよ」
あたしがとりいっちに恋愛感情のような物を抱いていたのは、ここにいる全員――神宮寺も含めて――が知っている。ゆえに、アカリとリョージは助け船を出してくれたのだが、今のあたしにとっては、それすらも申し訳なく思える。
「ありがとね、二人とも。けど神宮寺の言うことも間違ってないからさ」
「でもミサキ先輩……」
なおも言い募るアカリに、あたしは無言で笑いかけてみせる。
そして同時に、神宮寺の言う「一因」についてのあれこれを思い返してみた――