事件 1
9月最後の水曜日。
私立新脩学園では、中等部高等部合同体育祭が行われていた。
昨日の嵐がウソのように晴れ渡った空の下、グラウンドでは熱気に溢れる若い歓声が響いている。
その喧騒から100mも離れていない場所に、美術棟――この古ぼけた2階建て木造校舎をこの学校ではそう呼んでいた――がある。
その誰もいない筈の2階の1室から、激しい息遣いと何かを争っているような物音がする。
「何故分からないのかな?」
白衣を着た背の高い痩せぎすの男が、口元に笑みを浮かべながら生徒らしい私服の少年に問いかける。
少年は、男の手にある物を奪おうと必死に手を伸ばすが、身長差に於いても体重差に於いても凌駕できるものは何もない。体力の差を測るまでもなく、劣っているのは少年の方である。
「……っ!!!」
シャツを破かれ殴られ、僅かな隙を見つけて逃れようとするその肩を掴み、白い首筋へ注射針が深々と突き立てられた時の悲鳴を、男は冷酷な笑みを浮かべて聞いた。
少年の体が崩れる様に床へ伸び、その背中まで伸びた髪が床に川のような蒼い筋を幾重にも作る。
男に組み敷かれ悔しそうに睨みつける少年だったが、体内へ入れられた薬物の反応か、次第に体を紅潮させ切ない表情に変わっていく。
「……っ……」
先程の憎しみに満ちた眼差しはもう消えてしまったかのように、体を捩らせ男の愛撫を大人しく受け入れる少年に、男は満足そうな笑みを漏らす。
「お前は、私のものだ」
その言葉に一瞬、鋭い目を向ける態度さえ心地よいのか、男は濃厚な接吻で応える。少年の体に残された数多の傷痕を指で辿り、ソレを刻印した時のことを思い浮かべるように、ねっとりと執拗に。
遠くから、体育祭の歓声がまるで別世界の音のように聞こえてくる。
視界の大部分を占める男の後ろにある窓の向こうに青く澄み切った空を見つけて、儚げに抵抗していた少年が、逃れられない状況にいつしか諦めたように目を閉じ任せてしまう。
「……分かっているんだろう?」
男は、返事など望んでいないのにそんな事を問い掛け、少年の反応を愉しんでいるかのようだ。