第99話 胴州の攻防
「ほら。食事だ」
居攸は言って椀を渡す。
「いつもすみません」
兵士は受け取りながら頭を下げ、謝意を示した。
居攸は軽く頷くと、また別の兵にも同じように椀を渡す。更にはその隣の者に、そのまた隣にも、声を掛けつつ椀を渡していった。
居攸は今、籠城戦の真っ直中である後越の首都、胴州にいる。
彼は鍾棋将軍と作戦を打ち合わせたのち、危険を承知で、再び胴州を訪れた。
名目は呂国からの目付役という立場で、後越と呂、二ヵ国の調整や将軍の相談相手として滞在する、といった感じのものだった。
事実それは与えられた任務であったが、居攸にとって、さして重要ではなかった。
「また見ているのですか?」
「ええ──」
「前に出ると危ないですよ」
「はい──」
近くの兵が声を掛けてくるが、居攸はどこか上の空だ。
兵士にとっても、それはいつものことなので、それ以上は拘らない。
胴州の城壁、その眼下に布陣する五千の謳国軍。
居攸が眺めるものはそれだ。
敵軍は輪番で攻め立ててくるが、その交代のためか、ときおり暫しの空白が生じていた。彼は、それを見計らって城郭に登り、下方の景色に目をやった。
食事を運んだり、水を配ったり。
居攸は進んでそれをやっていたが、それは全て前述の理由づくりでしかない。
何故そこまでに、居攸はそれを見たがるのか?
居攸は確信している。
──ここで歴史が動く!
北部最大の国、謳。その威勢は天下一である。
過去には西の湯国、東の文国との二正面作戦でも互角の戦いを演じていた。
仮に謳の南側が、守りと搦め手を得意とする馗国でなかったならば、忽ちに併呑され、そこから四方の国々も同じく飲み込まれ、世界は今とは全く別の姿になっていたであろう。
まさに最強の軍事国家といえるのが謳国だ。
──それが打ち破られる。
──属国として虐げてきた小国にだ!
「ハハッ・・」
居攸は想像に思わず笑いがもれる。
ありきたりで、単純な筋書きだが、小さいものが大きなものを倒すのは実に小気味がよい。ましてそれが、歴史的出来事として眼下で起きるというのであれば尚更だ。
「フフッ・・」
事が成ったとき、世界はどう動くであろうか。
──謳でも乱が起きるか、属国たちが離反するか、文国あたりが横に伸びるか・・
ひょっとしたら、何も変わらないかも知れない。
──それもまた良し。
結果が大きな事に越したことはないが、元より多くを望まぬのが居攸である。
既に、歴史に残るであろう動きの渦中。それで彼の半分は満足した。
残りはシンプルな勝利だけだ。
「もう始まります」
兵が言う。
「ああ──、戻ります」
居攸も変に我を通したりしない。戦場では自分が役立たずだとわかっている。
──掃除でもしておくか。
幸か不幸か雑用は多い。
居攸が時間を潰すには丁度良く、次の景色を見るのを楽しみに彼はそれらを熟した。
不思議なことに、斯様な居攸の振る舞いは兵達に真摯な姿として映った。
「あの人、よく働くな~」
「だな──」
居攸は知らぬ間に、後越軍の士気を維持するのに、ひそかに貢献していた。
日が沈み、本日の戦いが終わろうとしているときだった。
北方より駆け来た早馬が謳国軍に衝撃を与えた。
「まこと、後越軍に相違ないのか?」
「間違いありません。軍装は確かに後越のものでした。また、華の紋章旗があり、後越王華漢が率いていると思われます」
将軍の問いに、激走を続けてきた者は、思いのほかしっかりとした声で答えた。
というのも──。
走者は自力では歩けぬほどに疲弊しており、本来は直立を以てするところであったが、椅子に座らせられた上に、後ろから体を支えてもらう格好での報告だったのだ。
身体の困憊とは裏腹に頭の方は冴えている様が、偽らざる姿に見え、話を聞いた一同は彼の言葉を信用した。こういった心身の乖離は、しばしば極限の者にあらわれると軍人たちは知っていて、それがより現実感を持たせた結果だ。
「千の軍勢であれば、中佐も無事では済むまい」
「華漢が討ちに来たのは明白なのだから、時間を稼ぐつもりだろう。そのための早馬だ」
「しかし呂軍を止める者がいません」
「ああ。遊撃隊だけでは厳しい」
「では足止めに人数を割きますか」
「いや、目の前の敵に集中するべきだ。敵が半分なら多少強引でも通じる」
「だとしても、呂軍が到着する前に落とすのはギリギリです」
「そうなると二正面で不利になり、もたもたしてると華漢まで来るぞ」
将軍、佐官たちは、この事態にそれぞれ意見を出し合う。
彼らも自分たちが何をすべきかはわかっている。
胴州を落としてしまえば、敵が何処に何人いようと勝ちだと理解している。
さはさりながら、軍人たちの心頭に浮かぶのは──。
──流れが悪い。
対後越の戦いが始まって以来、謳軍は常に後手である。
早い話、いいようにやられっぱなしだ。
よくない負の循環が起きていて、今後良くなる見通しが立たない。そんな風に考えてしまう。
それはどこか厭戦の匂いに似ていた。
そこに──。
「やめよ」
淀んだ臭気を浄化する、喬太后の声。
一同は彼女の言葉通り発言を止め、体の向きを正面に戻した。
「確認する。勝利を収めるには胴州を落とす。これに誤りはあるか?」
「ございません」
喬太后に視線を送られた者が答える。
「後越王華漢を討つ、もしくは捕らえるのどうか?」
「華漢はこれまで潜伏していました。また身を隠されれば難しいかと」
「呂、または華漢の軍が来るまでの時間はいかほどか」
「どちらも二日、急ぎに急いでも一日半は掛かると思われます」
ここまで問答をしてから、喬太后は目を閉じ黙考に入った。
幕舎の中は静まりかえり、将軍たちは、外の兵士たちの立てる物音が気になるほどだった。
「近衛を出します」
喬太后の言葉にどよめきが起きる。
「陛下の周りを固める数十を残し、それ以外を城攻めに使います。この場合、敵の陥落は如何ほどになるか?」
彼女は続けて問うた。
「一日あれば事足りるかと」
「明日からか」
「然様にございます」
その言に喬太后は首を振り。
「遅い!」
やや怒気のこもった声で言った。
「これまでの後越の対応を鑑みなさい。敵はこちらの予測を超えてくると考えるべきところ。一日という目処は正確か。一日半という予断に油断はないか。本当に、悠長に次の日を待つ余裕はあるか?」
これには将軍たちも返答に窮した。
喬太后の言う予測を超えるは、ありのままの現実で、自分たちの見立てが正しいとは世辞にも言えない。
一同に再び沈黙の時間が訪れた。
喬太后は一度呼吸をし直すと。
「今より、夜を徹して攻めよ。そして明日の朝──、遅くとも昼までに決着を付けなさい。それが成らぬならば撤退とする」
そのように言った。
「御意」
将軍は返し、すぐさま攻撃の差配を始めた。
にわかに騒がしくなった謳軍のそれは、城の後越軍にも届いた。
両軍の兵達は、長い夜になる事を悟った。




