第96話 追走する者
偵察の兵がもたらしたのは、呂軍に備えていた謳軍が西に向かって移動してるというものだった。
数は四百ほどで、陣内には百も残っていないとみられた。
華漢は即決した。
「鍾棋将軍には悪いが作戦を変える。囮役は俺がやる。呂軍には本隊を叩いて貰う」
言うと素早く綴って印を押した。
後越国王の御璽だ。
すぐに早馬に護衛も付け送り出す。
「よし。俺たちは動いた敵を追う」
それで後越軍の隠伏は終了した。
いみじくも迅速果断を体現する者こそ、華漢という人であり、兵達は斯様な彼の姿に、畏敬と憧憬の念を併せ持った。
行軍中──。
「謳軍の目的は何でしょう?」
側近の疑問に。
「さあな。行けば分かるだろ」
華漢は笑って返したが。
──輜重隊がいる。
彼は、敵の狙いが袁勝たちにあると看破した。
謳国軍が北からの呂軍を哨戒するように、森に潜む後越軍も、その謳軍を監視していた。
それで先日、百名ほどの部隊が敗走してきたのを確認していた。
詳しい状況は不明だが、方角と時分から、呂国へ兵糧を運んでいる部隊と接触したと判断した。華漢は袁勝たちを知る者であるから、さもありなんというわけだ。
──戦機がめぐってきた。
当初の予定は、呂軍と警戒の任に当たる謳軍が対峙している間に、華漢ら後越軍が敵本隊へ奇襲を仕掛けるというものだった。存在を完全に隠すため、距離をおして、あえて呂国に潜んだ。
今、謳軍は西に移動し、これを打ち倒せば──。
千七百の呂軍を阻む戦力はなくなり、彼らは胴州へ着くことができる。遊撃隊が五百残ってはいるが、流石に多勢に無勢で、呂の進軍に支障はないだろう。
──潘会殿もやる気十分だ。
若き呂国の王。
見た目から受ける印象より、遙かに果敢な男だとはわかっていた。そうでなければ独立戦争など持ちかけないからだ。
それでも尚、実際に会った彼は、華漢をして、これ程までと思わせる執念めいた闘志を持っていた。
王の意気は将兵にも伝播する。
結果、呂軍の士気は極めて高かった。
したがって華漢は、自分に代わって呂が本隊を攻撃することに、不安どころか大きな期待を寄せていた。
しばらくの後、華漢たちは戦塵の気配を見つけた。
──俺も負けてられぬな。
思った華漢は。
「俺の旗をしっかり上げてくれよ」
言って、件の方向に軍を進めた。
歩兵の内、三百は本隊に合流させることにした。
現在起きている状況から、任務の遂行は不可能だと判断したからだ。
「特佐殿、そちらは任せました」
「はい。呼延吹様もご無理はなされませんよう」
「ええ。中佐を止めたのち、すぐに引き上げます」
呼延吹は止めると言ったが、実態は救出に近いものだろうとの予感を持った。
それは于鏡も同じであるからこそ、彼はあえて戒めを言葉にしたのだ。
「では行ってきます」
「ご武運を」
于鏡の言葉に頷くと。
「進発する!」
呼延吹は言って騎兵百、歩兵百の部隊は出発した。
言うまでもないが、彼らは輜重隊を討ちに行った中佐率いる四百を追い、止めるために動く予定だ。
「私が止める側になるとは・・」
呼延吹は過去の自分を想起し、皮肉なものを感じた。同時に──。
──あの部隊ともか。
一度は無視すると決めただけに、このような事態となった、その巡り合わせに因縁を思わずにはいられなかった。
砂塵は二つあった。
ひとつは戟塵のそれであり、おそらく中佐の軍と例の部隊の戦闘が起きていると思われた。
「あれは何か?」
「位置から考えますと呂軍ではないでしょうか」
問うたわけではないが、近侍する呼延吹の親衛隊の者が答えた。当然、もう一方の事だ。
「大軍です。千はいるかと思われます」
「戦闘速度で移動しています。このままでは中佐の軍が大打撃を受けるかと」
他の者も次々に具申した。
──ままならぬものだ。
呼延吹は全軍を率いてこなかった事を歯痒んだ。
然りとて、感傷に浸っている暇はない。
「騎馬隊は先行する。歩兵は乱れたところを各個撃破せよ。訓練通りだ、よいな!」
呼延吹は返事を待たず。
「続け!!」
大喝して速度を上げた。
謳軍は素早く迎撃態勢をとった。
「まいったな──、敵は強いぞ」
言葉とは裏腹に華漢の声は楽しげだ。
「馗国の兵がいたら味方だから、助けてやれよ。というか手を出せば返り討ちだぞ、あれは」
あと幾許かで戦闘になるというのに、彼の調子は、それを感じさせない。
後越の兵達はその様を見て自然と心を落ち着かせた。
「さて。頑張るとするか」
華漢は剣を抜き。
「いくぞ!!」
気合いの一声を放った。




