第87話 差し置く
泡易の元から情報が入ってこなくなった。
理由は明白で、例の中佐が彼女の所へ行かなくなったからだ。
調べてみたところ、謳国軍も情報の引き締めを行っているようで、中佐は挙動を不審がられて査問を受けた模様だ。
潘会としては、中佐からもう少し情報を引き出したかったが、それは叶わぬ事となった。
──緒戦を制したから良しとするか。
ともあれ、こうなってしまうと泡易の扱いに困った。
彼女は中佐を釣るための餌だったわけだが、肝心の彼が来ないのであれば泡易は、ただ浪費するだけの女でしかなかった。
──この先も利用価値はあるとは思う。
然りとて、既に戦時下であり、現状役に立たぬ者に施すほど余裕もない。
居攸の手前、無下にするわけにもいかないが、これ以上の贅沢をさせる義理もなく、潘会は早々に泡易のいる屋敷も引き払ってしまおうと考えていた。
そんな折、泡易から謳国軍の第二陣に関する情報が入った。
それは謳国の王と、その母、喬太后が次の編制に参加するというもので、規模は六千、標的はまたしても後越というものだった。
内容もさることながら、潘会が不思議だったのは。
──どこからの情報だ?
潘会は最初、中佐が手紙でも寄越したのかと想像した。
しかし、一度、目を付けられた者が、何の制約もなく文など出せるかは甚だ疑問であり。こと泡易に耽溺している男として中佐を見ると、手紙を送ることでは、その渇望を満たすことにはならないと思えた。
なぜなら、泡易に溺れる理由は彼女の笑顔にほかならない。泡易に会いたいがために情報を流していたと言っていいだろう。手紙では意味がないのだ。
「一体、どういう経緯で知り得たものか?」
潘会は使いの者に問うた。
「それが、中佐が来なくなってから別の男が来るようになったとか。その者からの情報という事なのですが・・」
使いは単なる伝言役ではない。泡易を監督する立場も与えてあり、どのような情報が有益であるかなど、これまでも指示を出してきた者だ。
その彼が、どうしてだか言い淀む。
潘会は急かさずに次の言葉を待った。
「男は自ら、中佐を密告したのは自分だと泡易に告げたというのです」
──なんだと!?
流石の潘会も目を見開かなくてはならなかった。
中佐の情報漏洩ばかりでなく、泡易の存在すら知った上での密告ということになる。だが、呂国が調べた限りでは、謳国に中佐と泡易の関係までは露呈していないはずだ。
であるなら、件の男は泡易の関するあれこれを省略、もしくは隠して告発したことになる。
──いや、密告というのは嘘であろう。
男は何らかの手掛かりを元に中佐のことを調べたに違いない。泡易を知るのであれば、おそらく彼女から潘会の所へ情報が流れているのも承知だ。そうでなければ情報を持って接触などしては来ない。
この事から。
──諜報に関わる者か。
潘会はそう推断した。
「私としましては、にわかには信じられず、また男の意図も想像できかねまして──。これを如何に報告しようかと思っていた次第です」
当惑の表情の使いに。
「フッハハハ──」
笑声を響かせる潘会。それにより使いの者は益々とまどった。
「いや──、なんでもない。ところで、泡易は男に対してどうしているのか?」
「本人が言うには、中佐と同じように接しているとの事です」
「そうか、ならばそれでよいが──」
潘会はここで暫し考え。
「そうだな、泡易の屋敷近くに連絡の者を常駐させよ。これよりは其方がいちいち言わずとも、向こうの方から情報が入ってくるはずだ。すぐに知らせが来る態勢を整えよ」
そのように指示した。
居攸としては、後越が謳軍を一度退けたのは嬉しい誤算だった。
進軍ルートの情報はあったから、奇襲をかけて足止めぐらいはしてほしいものだと考えていたのだが、期待を大きく超えた結果であった。
──外の情報ばかりに気を取られていたな。
居攸は、後越の将軍になった鍾棋という老人に関心を寄せていなかった自分を恥じた。
──大駒が一つ増えた。
その認識は居攸だけのものではない。
謳国軍としても同様の判断だと思われた。
だからこそ彼らの進軍先は、また後越となったと居攸は見ている。
それは別の言い方をすれば──。
「呂国が舐められている」
そういうことだろう。
血気ある者として知られる国王華漢、ありもせぬ伏兵で敵を翻弄した知将鍾棋、それらに比べれば呂国の王である潘会は只の若造に過ぎないと見られているのだろう。
後越さえ落とせば、呂はおのずから降伏すると考えられていてもおかしくはない。
それは居攸とて感じるところだ。
実際に会った者として、やはり華漢に惹かれる部分はあった。彼は年相応の落ち着いた雰囲気に包まれてはいたが、内面は熱く、まっすぐな男であるとの印象をもった。それは居攸をして憧憬を抱かせるカラッとした陽の気で、自分にはないものという意味で魅力的だった。
だが同時に。
──この人物は自分を拾ったりしないだろう。
とも思う。
その点、呂の潘会は陰の気で、自分に近いと居攸は思っていた。
それは今にして考えると、かつての萩淮もそうだったように感じる。
──違う者に憧れても、求めるものは似通うものか。
彼らによって自分が重用されるのは、本質的な部分で似た傾向があるからではないか、居攸はそのように分析していた。
なんにせよ、謳国が此方を侮ってくれているのは悪くない。この状況は利用できるはずだ。
──ここは早速、駒の活用といくか。
居攸は後越に行き、鍾棋将軍と打ち合わせる事を考えた。
「ああ、兵糧の状況も確認しておかなくてはな・・」
先遣隊の荷が届いた知らせは来ていた。今後、後越から呂に輸送することもある。その辺りの話も再度確認しておこうと思った。
「さあ、忙しくなるぞ」
居攸は無自覚に笑いながら言葉を放った。
そのような居攸の姿は、周囲に嬉々として仕事をしているように映った。
もともと歴史を動かすという事に愉悦を感じていた居攸だったが、今はどのようにして勝ちを掴むかという部分に、楽しみをもっていた。
本人の自覚を余所に、居攸の勝利に対する懇望は大きかったようだ。
その所為か、やはり彼の視線は外に向き、内側の話は無意識に慮外となった。




