第85話 裏方
後ろ髪を引かれる思いがあったが、段昂は男の後を追った。
──二度も見過ごすわけにはいかない。
諜報部としての矜恃により、彼は本来の役目を全うするに至った。
泡易の屋敷を出入りしていた男は、やはり謳国の軍人で、それも中佐であった。
地方に勤務しているとはいえ、中佐ともなれば、全軍の情報を掴むのもそれほど難しい話ではない。むしろ裁量権の関係で、中央にいる者より調べやすいとも言えた。
──間違いない。この中佐が泡易に情報を流している。
先の後越での敗戦で情報漏洩の疑いは高く、呂国の関係者と密接な中佐は、その容疑者と見られても仕方のないことであった。
然りとて、ただ女と会っていたというだけで、断言するほどの証拠がないのも事実だ。
それでも、段昂が確信するのは。
──泡易への手土産だ。
そう考えることで全てを納得できるからだ。
だが、こんな事を報告しても。
──泡易の微笑を知らぬ者には理解できまい。
段昂は、誰も得心がいくことはないとも思うのだ。
だから彼は、泡易に関する部分は伏せて、中佐の行動が疑わしいとだけ連絡することにした。
段昂からの情報で中佐は査問を受けたようだが、これといった決め手もなかったため、彼が罪に問われることはなかった。
ただ、一時的に中佐には監視がついて、準軟禁のような状態になった。その所為だろうか、そのあと監視が解かれても、彼が泡易の屋敷に向かうことはなくなった。
ともあれ、これで段昂の仕事は一段落となるはずだった。
証拠こそないものの中佐は疑わしく、十分に手柄といえた。
しかし、段昂は呂国への潜入、泡易の屋敷を見張ることを続けることにした。
諜報部は、別段それに異を唱えることはなかった。これまでも、そして今回も、そうであったように、また何かを嗅ぎ付けたのかも知れないと考えたのだ。
それだけの信頼と実績が、彼にはあった。
段昂自身も、それに誇りを感じていた。はずだった──。
周図は馬の買い付けを終えたところで顔沖に声を掛けられ、共に顔家軍の訓練を眺めることになった。
自分が見たところで、という思いもあるが、顔家当主の誘いを断るわけにもいなかった。
飄々とした顔沖の意図は推測できないので、周図は元よりそれは考えない。
「私は文官ですから素人目になってしまいますが、以前にも増して気合いの入ったように見受けられます」
「そー思います? 流石、袁家の邑を取り仕切る周図サン。見るとこ見てるね」
周図の言葉に、顔沖は煽てで返し。
「ほら、前に呼延の軍にさ、ウチの本隊が結構やられたじゃない」
「あの呼延は、私共の本拠に攻めてきた軍と同じと見られています。手強いので仕方ないことかと」
「あー。今更だけど先代のこと、お悔やみ申し上げる」
「いえ、あの時も馬を送って頂きました。こちらこそ、あらためて御礼申し上げます」
周図は慇懃に礼をした。
顔家と袁家は軍閥同士であり、売り手と買い手という関係に加え、昔からそれなりに家同士の付き合いがある間だった。一応、姻戚関係もあったりする。
以前、袁策が死んだときに、顔沖は袁家軍に馬を送ることで、香典の代わりとしたのだ。
「うん──。でさぁ、やる気が出てくれたのはいいんだけど。一方で、礼国の方では驃騎兵が割と活躍しちゃってさ、そっちは何て言うか、調子に乗ってるっていうか。早い話、増長気味だったのね」
顔沖は周図の礼を終わらせるためか、軽く返して、すぐに話を戻した。
「戦捷の者達なら無理からぬ話ではないでしょうか。倨傲の態度では困りますが、ある程度の分別があれば、味方にとって頼もしくもあるかと」
周図はそう応えた。
精兵というのは軍内で支柱的存在となり、彼らの自信は周囲に伝播し自然と味方を鼓舞する。直接軍務に携わらない周図でも、それくらいの理解はあった。
「それもそうなんだけどさ。ウチの連中のなかで内部格差みたいな、エリート意識というかさ、前から多少あったんだけどね。この前の勝ち負けで、それが悪化した感があったのよ」
対礼国は勝利、対謳国は敗北、というのが馗国の軍人の共通認識だった。
顔沖は一呼吸あけて。
「で、先日、調子こいてる驃騎兵のリーダーにお灸を据えてやったの。そしたら、えらく頑張るようになっちゃって、それが気合いの理由ってわけ」
「顔沖殿は、そのお灸のことを聞いて欲しいのでしょうか?」
「へへッ──、まぁ、そーなんだけど。面白いのに話せる相手がいなくてね、周図サンなら、まったくの無関係ってわけでもないからと思ってね」
「それはそれは」
周図はどういう意味かわからなかったが、生返事だけは避けた。
顔沖は嬉々として、第三輜重隊との出来事を話した。
「なるほど──。袁勝殿の部隊だから、無関係でないと」
「そうそう。ウチの家宰がね、恥ずかしいから関係ない人には言うなってうるさいから。周図サンならセーフだと思って」
「私としては、家宰の方の苦労に共感いたします」
「あー。周図サンもそっち側なの」
「そっちがどっちか、わかりかねますが、確かに膾炙される話とは違うかと」
周図の言葉に。
「やだ──。周図サン、ウチの家宰と同じこと言ってる」
顔沖が言うので。
「優秀な方のようですね」
と、周図は返した。
これに顔沖は笑ったが、スッと真顔になって。
「それでさ、その袁勝クンの部隊だけど。またヤバそうな任務を押しつけられてるみたいなのよ」
と、切り出し。
「僕もさ、彼の力は買ってるけどね。国軍が、あんまりにも無茶させる気なら、強引にでも引き抜こうかと思ってんのよ」
と、続けた。
顔沖の言は、第三隊が孟国での輸送に従事したこと、そして後越への先遣隊となったことを指したものだ。
これに周図は考えるようにして。
「袁勝殿は望まないかと思いますが・・」
「だろうね──。でもさ、僕としても従兄弟違いが安く使われるのは腹立たしいのよ。まぁ、こっちからも釘は刺しておくけどね」
国軍にという意味だ。
ちなみに袁勝の母は、顔沖の従妹にあたる。
「そういうわけで周図サンにはさ、もしウチで引きに抜くって事になったら、袁家とややこしくなったりしないように、ネマワシして欲しいんだよね」
顔沖は言った。
「果たせる哉、顔沖殿はつかみ所がないお方ですね。そのような事をお考えになっていたとは・・」
周図は感心するように言った。
「あー、今ならおまけも二人付いてくるって打算もあるよ。むしろ、発想としては、そっちのが先かな」
顔沖は申し訳なさそうに言った。
「先程の話にあった、騎兵の方ですか」
「そう。靡かないなら、袁勝クンごと取っちゃえってね」
顔沖はそう言って笑った。
顔家からの帰り道。
「徹頭徹尾、掴めぬ人だ」
周図は顔沖とのやり取りを振り返り、独り呟いた。




