第84話 斟酌
謳国軍にとって後越での敗北は誤算であった。
四千の軍が、たかだか二千数百しか兵のいない国から逃げ戻ってきた事実は、軍関係者に衝撃を与えた。
何が悪かった等々──、細細とした作戦の話は置いておくとして。
こちらを手玉にとり、三分の一とはいえ壊滅させた、後越軍の指揮官の存在は無視できないものとして認知された。
「かつては、後越に鍾棋ありと謂われた名将です。三十年近く前に軍を退き、何処かで隠棲していたようですが、こたび後越軍に将軍として復帰したとのことです」
于鏡は、先の後越攻めに関する情報を、呼延吹に報告しているところだ。敗因となった待ち伏せを語り終え、今、敵軍を指揮していた者に話は移った。
「挟み撃ちは、その鍾棋将軍が考えたものと?」
「おそらく──」
呼延吹の確認に、確信に近い推測で答える。
「なるほど、知将と呼ばれる種類の軍人というわけですね」
「はい。ですが、そればかりではない、と考えられております」
于鏡は一拍あけて。
「これはかつての鍾棋を知る者と、先日の戦いで生き残った者の話とも合致するのですが──。鍾棋に率いられた軍の兵は、不利で厳しい状況であっても、みな疲れを知らぬように、その戦意を失わないというのです」
聞いた呼延吹は眉宇をあげ。
「それはもしや、集団に作用するというスキルを持っていると」
「はい。昔から薄ら噂はあったようですが、此度の敗戦で、ほぼ間違いないだろうという結論になったようです」
于鏡の言葉に。
「あの──、双剣の百鈴の部隊も集団のスキルという話でしたが、あれと比べた場合・・」
呼延吹は憂いを見せて言う。
「呼延吹様、あれほどの力があれば、端から挟み撃ちなどするはずもありません」
「ああ、たしかに──」
「鍾棋のスキルは、味方を意気軒昂にするものだと見られています。力が増す類いではないとの見立てです。また、かの部隊に関しては、あくまでそうではないかという臆測です」
「特佐殿は懐疑的ですか」
かの部隊こと、第三輜重隊の強さがスキルに拠るものという考えにだ。
「いえ──。私も、呼延枹様が指摘されたようにスキルの可能性は高いと見ております。しかし、袁家軍の邑での戦闘や、その後の撤退時の攻防など考えますと、インターバルなど無いように思えてなりません。単純にスキルだと決めてかかるのは危険だと感じております」
于鏡も、過去に確認された集団スキルの資料を調べてみたが、類推される効果時間は二十分ほどで、そのインターバルは数時間でなければおかしかった。
これに呼延吹は考え込むようにして。
「今の今まで、双剣の技は彼女のスキルと思っていましたが──。あれが素の力である可能性もあると、失念していたことに気付きました」
「ふむ。それは確かに仰る通りですね。私も無意識に思い込んでいたところがありました。ならば、他に何らかのスキルを一つ二つ所持していてもおかしくはない、という事になります」
于鏡も同じく考える仕草をとりながら返した。
呼延吹は噛みしめるように頷くと。
「すみません、話がそれました──。ところで特佐殿は、鍾棋将軍は如何にして此方の進軍情報を知り得たとお考えですか? 全体を三軍に分けたことと、それぞれの通る道を特定していなければ、なかなか立てられぬ計略のように思います」
そのように問うた。
「滅多なことは申せませんが、情報の部類から考えますに、謳国軍内部、それも上位の権限を持つ者からでなくては難しいかと・・」
「やはり、そうなりますか・・」
「はい。ですが、その辺りは既に諜報部が動いているかと思われます。随分前から後越や呂に潜入しているようですから」
于鏡は言いながら。
──段昂はどうしただろうか。
知り合いの現在を気にかけた。
「では、情報の引き締めが終わるまでは動かぬという事でしょうか。あまり時間をかけると、馗国攻めに差し障るように思えます」
呼延吹の危惧は尤もなことであった。
「実は、その事で是非お耳に入れておきたい話があります」
于鏡の様子に、呼延吹は少し緊張した。
「耳聡い者からの仄聞でしかありませんが──。太后様は、国王陛下と共に次なる馗国攻めに参加される意思があるとの事です・・」
王を総大将とする軍、つまり親征を行うという意味だ。
「なっ──!?」
聞いた呼延吹は目を丸くして驚いたが、暫し考えて。
「陛下を認めぬ者達が動くと考えているのでしょうか・・」
ひり出すように言葉にした。
「事実であれば、そうでありましょう」
「しかし反逆するだけの兵力を集めることは難しいと思います」
「謳国では、そうでしょう」
于鏡がここまで言ったとき、呼延吹は理解した。
──属国の軍を利用するのか。
謳国は八つの属国を持ち、いずれも零細国家であったが千や二千の兵は所持している。
今度の呂国、後越国の反旗に同調する国はなかったが、潜在的には、彼らに近い不満を持っているとも推測できた。
仮に反乱を企てる者がいたとして、その者が属国に対して、これまでよりも良い条件での関係を約束すれば、彼らの助力を取り付けることができるのではないだろうか。
となれば、馗国攻めで手薄となった国内で乱を起こし、王城を攻め、国王に取って代わることも不可能ではないかも知れない。
普通に考えれば、幼君である国王に親征などできるはずもなく、彼が立派になるまで国内の掌握に努めれば済む話である。
しかしながら、馗国への南征は謳国の悲願であり、かの国が疲弊した現在を黙過することは、謳国軍人としては我慢ならぬところがあった。
王の安全と悲願の達成、この二つを実現するための手段が親征だった。
考え込む呼延吹に于鏡が続ける。
「此度の敗戦を太后様は重く見ており、大軍を以て圧倒する事をお考えのようです。ついては、馗国攻めに先立つ演習の意味合いで、陛下と共に軍に参加されるおつもりとか・・」
馗国に親征するとなれば長距離になるが、まずは近場で慣れようというのだ。
「それでは、第二陣は思いのほか早く編制されそうですね」
「はい・・」
于鏡の返事は重かった。
彼としては親征に反対なのだろう。だがそれを言える立場ではない。
今こうして呼延吹にこの話をするのは、もしかしたら、彼女に喬太后を止めてほしいのではないか。
呼延吹としも于鏡の憂慮はわかった。
さはさりながら、同時に母、喬太后の苦労にも共感するのだ。
呼延吹は今、総勢五百の軍の頂点である。于鏡によく助けてもらっているが、それでも、それなりに気苦労がある。多くの者の意見をくんで、纏め、決断する。それだけのことが、どうにも大変なのだ。
僅か五百の組織ですら、そうなのだから。
大国、謳の舵取りともなれば、その心労は計り知れない。
自分が母に、反対の意見を言うのは容易いだろう。
だが、それで何か対案が出せるかといえば難しい。
母の決断を覆すだけの方策がなければ、自分に説得などできない。
呼延吹はそのように思い至った。
「特佐殿。私には無理そうです」
呼延吹は言った。
「いえ。ご配慮、勿体ないことです」
于鏡には、ひと言で彼女の意中が伝わったようだ。
「特佐殿。私達も、次なる編制に入る事はできませんか?」
母を止めることができぬのであれば、自分が、母と弟を守ればいい。呼延吹の思考はそれだ。
于鏡はそれに頷くと。
「やってみます」
そう返事をした。
頼りがいのある、いつもの彼の声だった。




