第80話 はさみ鍾棋
敵は四千以上の大軍であった。
たかだか二千数百しか兵のいない後越であったが、それでも籠城戦を決め込めば、なんとか守り切れる兵力差だった。
但しそれは、兵糧があればの話だ。
当然の事ながら相手も委細わかっている事で、攻め落とすというよりも囲い殺すための軍であり、此方から降伏せざるを得ない状況にもっていく作戦と思われた。
華漢の予測よりも謳国軍の動きは早かった。
もし事前に情報を得ていなければ、何の準備も出来ずにあたふたしたかも知れない。
──呂国はどうやって調べたのか?
華漢は疑問に思う。
此度の謳国軍の規模、進行ルートと予定、それらは呂国から齎された情報で、これまでのところ全て正しいものであった。
──謳国軍の内部に協力者がいるか。
普通に考えればその可能性が高いが、情報の内容が内容だけに、その出所は割と高位にある者と思われた。ならば、それ程の者に如何にして協力を取り付けたのか、という新たな疑問もまた生じた。
──あの居攸あたりが巧くやったのかも知れん。
華漢は、どこか不気味な気配を持つ男を思い浮かべた。
居攸は馗国との交渉も成功させ、兵糧の援助を取り付けていた。
いくら伝手があるといっても容易ならぬ事であり、かの男の能弁さは華漢も身を以て知るところであるから、その舌先三寸で誰かを手懐けたのかと想像した。
「華漢殿、王の旗が見当たらんのだが・・」
鍾棋が来て言う。
「あー、持ってきてはおりませぬ」
華漢はそう応えた。
「なんと──。華漢殿がいるとなれば兵の士気も高揚するはず、なにゆえ存在を隠されるか?」
「俺がいるとなると、そっちが目立ってしまうでしょう。今回は機先を制するのは勿論ですが、ついでに鍾棋将軍の存在を内外に知らしめようかと思ったのです。後越に鍾棋あり、とは既に引退した者達しか知りますまい。ですが、この作戦がうまく行けば再び英名を呼び起こすはずです」
「なるほど──。政治をする者の発想ですな。敵に真っ先に突っ込んでいた若武者とは違いますな」
鍾棋は髭を触りながら言った。
「ハハッ、そんな事もありました。まぁ、あの頃の無茶のお陰で、今でもそれなりに血気ある者として名が通っております」
華漢は頭を掻くように返した。
華漢と鍾棋は軍勢を率いて埋伏していた。
謳国軍は全軍を三つに分けて進んでいる。
移動中に攻撃される事も考慮に入れているのか、待ち伏せの危険が高い道は通らない方針のようだった。無論それも事前に知らされている。
後越軍は、三隊のうちの一つを叩き、謳国の進軍を遅らせることが狙いだ。
警戒し、避けているとはいえ、どうしても狭隘な場所というのはある。
本来なら、そのような場所にこそ伏兵を置くべきなのだが、華漢たちは今回、あえてそれらを外して開けた地形で勝負をするつもりだ。
とはいえ、隠れる所がないと埋伏も糞もないので、やや遠くから一気に迫る形になる。
「謳国軍およそ千二百、谷間を抜けたところです」
偵察の兵が報告する。
華漢は頷くと。
「では将軍、よろしくお願いいたします」
「うむ──。華漢殿はあまり前に出ぬようにな」
鍾棋は一応、釘を刺した。
華漢は何も言わず、ニッと笑った。
鍾棋は騎乗すると。
「これより謳国軍を強襲する。敵軍まで駆けゆき、そのまま一気呵成に突撃する。おのおの気合いを入れよ!」
一拍開けて。
「進発!!」
それで後越軍は速やかに動き出した。
──何もなかったか。
謳国軍を率いている大佐は思った。
此度の軍事行動は後越国を降伏させる事にある。それも迅速にだ。
四千の軍は三軍に分かれ、行軍速度を落とさぬように移動して来た。場所によっては大軍だと、ままならない事もあるからだ。
それでもやはり狭い場所はあり、そのような所では、いつ奇襲されるとも知れず。大佐は警戒を厳にして移動していたのだ。
今、そのやや不利な地形を抜け、開けた所に出てきた。
──ここまで来れば安心だ。
大佐でなくても、その思いを持った者は多かった。
そんなとき。
前方から土煙をあげながら駆けてくる集団があらわれた。その数、およそ八百。
突然の事とはいえ。
──はっ? 今頃奇襲か!?
完全に時宜を外したそれに。
──後越が時勢を読めぬわけだ・・
眼前の軍勢と、無謀とも思える独立を言い出した国の姿を重ねて蔑んだ。
「しかも正面からとは、向こうは用兵を知らぬと見える」
大佐は言うと、すぐに迎撃態勢を取らせた。
後越軍が駆けてきた流れのまま謳国軍にぶつかる。
その勢いは強烈で、謳国軍の前衛は大きく押し込まれた。
然りとて謳国軍に焦りはない。
「最初の一撃を凌げば、あとは疲れて此方のものだ。勢いが止まったら押し返してくれよう」
大佐の言は、軍の指揮者たちが等しく持つ見方だった。
しかし──。
〔 胆大進勝 〕
後越軍の勢いは衰えない。
疲れも見せず、果敢に前へ前へと邁進してくる。
「馬鹿な! なぜこうも押される!?」
ここに来て、大佐にも若干の焦燥が生じた。だが、冷静さを失ってはいない。
──敵の圧力は予想以上だ。不本意だが、まぁイイだろう。
──問題は、この攻めが強引過ぎる事だ。ここまでして押し込む理由は何だ?
そこまで考え、背後が気になった。
そこは自分たちが警戒しながら通ってきた手狭な場所。
このまま押され続ければ、その場所に追い込まれるような格好となる。但しそれは、攻撃に耐えるという意味に於いてはそれほど悪くなく、狭いがゆえに、相手も攻めにくくなるはずだった。そうなれば、ここまでの勢いも全て消え、持久戦の様相を呈してくる。
にもかかわらず、敵はぐいぐいと押してくる。
──もしや、出遅れたのか?
大佐は思った。
自分たちの事ではない。敵の話だ。
自分たちが通ってきた場所には、やはり伏兵がいたのではないか。
予定では、正面の軍が出口を塞ぎ、背後から伏兵が攻める算段になっていたのではないか。
ところが、こちらが思いのほか早く移動したため、正面の軍が間に合わなかったのではないか。
敵の強引な前進は自分たちを引かせ、当初の作戦通りの構図に持ち込もうという思惑なのではないか。
だとすると正面の敵が寡兵で、それでも尚、攻め寄せることの説明もつく。
ならば下がることはできない。
そしてぐずぐずしていると、背後から突かれる虞もある。
「押せぇ! 押し返せぇ!」
大佐は挟撃の可能性を感じ、前方の敵を押し分けて、その背後に位置取ることを考えた。
「いけぇ! 突破するのだ! とにかく前に進め!」
今度は一転、謳国軍の方が強引に前に出る形となり、後越は逆に守勢の構えをとった。
──駆け引きしている暇はない。
守勢の相手を突破するのは難しく、普通は波状に攻めたり引いたりしながら崩していく。だが現状、時間的余裕がないと思われた。
「構わず進め、突き抜けるのだ!」
大佐は犠牲を覚悟で強行突破を試みた。
それは巧く行き、謳国軍は多少数を減らしながらも正面から来た後越軍を貫き、反転して攻撃の構えをとった。
──相手もいい加減疲れたはずだ。
地形的に、伏兵で隠れていられるのは精々三百。それらが合流しても兵力は互角以下。
となれば正面切っての力の勝負となるが、今し方、謳国軍は後越軍を突き破ったことで、兵の士気は大いに高揚しており。反対に、後越の方は作戦が頓挫したことによる焦りと不安が生まれているだろう。加えて、これまでの強引な攻めの反動が来ていると推測できた。
「よし! ここからじっくりやるぞ。それで勝てる!」
大佐は確信に近い意気込みを口にした。
この状況なら、最早、謳国軍は攻めを急ぐ必要はない。寧ろ、この場に千近くの後越軍を釘付けにすることで、他の二軍を間接的に助けることができる。また、そのまま二軍が合流し城攻めに移行すれば、すんなりと降伏まで持って行けるかも知れない。
斯様な予測が立ったときだった。
謳国軍の背後から、喊声と共に後越軍七百が突撃してきた。
「なっ!? 此方に伏兵だと?」
大佐は一瞬混乱したが。
「くそっ・・ 嵌められたか」
自分が敵の策に掛かったのだと理解した。
後越軍は謳国軍を上回る兵力で叩きに来た。しかし正面から当たれば持久策を取られ、他の二軍が先に城へ迫ってしまう虞があった。
そこで地形と警戒心理を利用し、正面から半分の軍で殊更強く攻め、謳国軍の背後に伏兵がいるように装った。
謳国軍は挟撃のリスクを考えて後越軍と位置を入れ替えたが、それは隠しておいた、もう半分の後越軍との間に入るということであった。
謳国軍は挟み撃ちを回避しようとした結果、却って、その死地に飛び込んでしまったのだ。
前後から兵力に勝る相手に激しく攻め立てられ、謳国軍は程無くして瓦解した。
その知らせは、分かれていた二軍にも伝わり、彼らは各個撃破の可能性を考え、一度戻り合流することにした。
ともあれ。この一戦を以て、呂、後越の独立戦争の火蓋は切られた。




