第78話 馬上の空論?
──俺もどうして読みが甘い。
袁勝は、事情を知れば百鈴が断ると思った、自分の浅慮を反省した。
同時に、百鈴の不敵な返答を。
──おもしろい。
と、思ってしまっている自分にも驚いていた。
返事を聞いた際の彼の思いも寄らぬという表情は、百鈴に限って向けられたものではなく、袁勝自身の心胆にも及んでいたのだ。
当初、袁勝から見て百鈴は、刺刺しい雰囲気を持つ者だった。
そこには輜重隊に配属となった事への不満と、諦めのような、どこか自暴自棄な部分が垣間見えた。
しかし、馬豹とよく交わり立ち合いなどもするようになって、棘が程良く抜けた結果。生来のわかり易さが良い方向で作用し、皆の気持ちを纏める働きをし出した。
ひとたび百鈴が気合いを入れれば、それが自然と伝播し、隊全体が意気を持つような感じになる事が屡屡あった。
今では彼女は、ある種、第三輜重隊のムードメーカーのような存在になっていた。
──俺も影響を受けたか。
袁勝は、自分にも百鈴の情調が伝わったのだと臆断した。
練兵場へ移動したところで。
「時間が掛かっても困りますし、十合までとしたいのですが・・」
百鈴がそう言った。
十回馳せ違ったら、勝負が付かなくても終わりという意味だ。
「ああ、いいよ。そっちにも都合があるだろうし」
顔沖が軽く返す。
──?
袁勝は百鈴の声に、何か異質なものを感じた。
おかしな所はないが、それゆえに、妙であった。
彼女の日頃のわかり易さを、この時は感じなかったのだ。
「よろしくお願いします」
百鈴があらためて文翼に挨拶する。
「こちらこそよろしく」
文翼も返す。
袁勝は文翼から静かな闘気のようなものを感じた。
だからこそ、やはり、おかしかった。
──大人し過ぎる。
百鈴は自分から喧嘩を売りに行くような好戦的な人間である。戦場に於いては、その剥き出しの闘争心で敵を気圧すほどだ。
それなのに、先程、袁勝に見せた不敵さが、今は鳴りを潜めている。
百鈴と文翼は棒を取り、用意された馬に乗った。
どちらの馬も、名馬の域には届かないが、なかなかの良馬であると袁勝は見た。
両者は互いに距離を取り準備をする。
周囲には第三隊の隊員の他、顔沖と同じ卓に着いていた者達、そして多くの顔家軍の兵が見守っている状態だ。
いつもの訓練でも使っていると思しき大きな旗を持つ者がいて、それを振って開始の合図とするようだ。
「大尉、あれは仕掛けますね」
馬豹が小さく言う。
「だろうな・・」
袁勝も賛同を示す。
これは二人だけではなく、輜重隊の者は皆、同じような予測を持った。
彼らがそのような思考に至ったのは、百鈴の棒の持ち方を見たからだ。
百鈴は普段よくやる短めのスタイルではなく、ごく普通の槍として棒を持っていたのだ。
──既に始まっていたか。
袁勝はここに来て、違和感の正体を理解した。
百鈴の言動は九分九厘、何かしらの誘導を狙ったものであろう。
一同が、この勝負の始まりを望んだためか──。
周囲の音がスッと消え、直後。
バサッ!
旗が大きく振られ、百鈴と文翼が馬腹を蹴る。
両者はすぐにその速度を上げた。
──馬術は互角。
袁勝から見てまだまだだった百鈴のそれは、この一年で大いに成長していた。
注目の一合目。
二騎が搗ち合うその直前。
百鈴はシュッと棒を後ろに捨てるかのように素早く引くと、左右の持ち手の順手と逆手の上下を入れ替え、且つ棒の前部分、槍で言えば穂先に当たる方を持つ格好になった。
そして次の瞬間、百鈴は唸るような振り下ろしを放った。
──斧槍のつもりか!?
槍でも薙刀でもない、斬るというより断ち割りにいく動きのそれは、文翼が突き出した棒の持ち手に強烈な一撃を叩きつけ、彼の体勢を崩した。
刹那、百鈴の棒は相手のそれを踏み台にしたように軌道を変え、一転疾く伸びて、文翼の肩を鋭く突き打った。
「なるほど──、それで十合か」
「とことん慮外な者です」
袁勝の言葉に馬豹が応じる。
十合まで粘って終わりなどとは微塵も考えてはおらず、百鈴は端から一合で終わらせるつもりだったのだろう。
彼女は引き分けの含みを持たせることで、相手に無意識の二択を迫った。
百鈴の言葉に乗って合を重ねて様子を見るか、長引かせる余地など与えず速攻するか。
おそらく、あらためてした挨拶で、百鈴は文翼の戦意の度合いを測り、彼が一合目に力を入れてくる事を察したに違いない。
いや──。
文翼は輜重隊を侮っていたから、時間を稼いで勝負を持ち越そうとする意図は、逆に彼の神経を逆撫でしたはずである。となれば、速攻を狙うように仕向けられたとも言える。
百鈴の振り下ろしは様子見の相手には通じない。文翼が仕留めに来たからこそ成立した。しかし彼女の事だから、きっと逆のパターンの対処も用意していただろう。
なんにせよ、百鈴は立ち合う前から相手を翻弄していた──。袁勝はそのように捉えた。
勝負は百鈴の勝ちであった。しかしながら──。
「待て! 今のはおかしい!」
文翼が声を荒げる。
「あれでは槍の穂先を手に持つことになる。そんなことは不可能で、実戦ではありえない動きだ。振り下ろしの後に続けて突きを放つ動きも、本物の武器ならば難しいはずだ!」
彼はそう言った。
これに百鈴は。
「これは実戦ではありませんから」
と、返す。
「はぁッ!? 話にならない、実際を考えずに立ち合うことに何の意味がある」
「この立ち合いに意味なんてないと思いますが」
百鈴は言って馬を下り、棒を返して。
「終わりました」
と、顔沖に告げた。
「ふざけるなッ──」
文翼が尚も言い募ろうとしたが。
「文翼、それ以上は見苦しいよ。流石に僕も恥ずかしいから、やめてもらえるかな」
顔沖が、それまでとは少し違った音で文翼に言って、これには文翼も黙らざるを得なかった。
ここで袁勝が。
「顔沖殿、我等はこれで失礼させて頂きます。帰って雑務も残っておりますので」
そのように言い。
「ああ──。なんか悪いね、変なことになっちゃって・・」
顔沖は頭を掻いて返した。
「いえ。食事、ごちそうさまでした」
「懲りずにまた来てよ」
「それは任務次第ですね」
「大丈夫。僕の方から指名するから」
顔沖は笑って言い。
「では──」
袁勝は深々と頭を下げて、隊員たちを引き連れてその場を後にした。
第三輜重隊は、どこか逃げるような早さで準備を終え、九門への帰路に就いた。
帰りは空の荷車であったから、馬豹、百鈴は騎乗せず、隊員たちも雑談しながら進んでいる。
誰かが。
「曹長はあれを躱せましたか?」
馬豹に聞いたようだ。
「当然だ」
彼女の自信たっぷりな声が聞こえ、それで少し盛り上がっていた。
袁勝は馬上の背中越しにそれを聞きながら、独り、顔をほころばせた。




