第76話 旨意
──喬太后。噂通りの人物のようだな。
謳国から突きつけられた最後通牒を知り、居攸は思った。
呂国も後越国も派兵の要求を受け入れるつもりはない。よって、これよりは独立戦争という形に移行することになる。
──また、歴史が動く。
それも自分の手によってだ。
居攸はそのことに愉悦を感ぜずにはいられなかった。
──今度は勝ちたいものだ。
居攸は思う。
彼にとって事の成否は大した問題ではない。
先の戦も、居攸が萩家軍を離反させたことが発端となって、結果的に東の国々のパワーバランスを大きく変様させた。これ以上ない程の歴史的な出来事であり、その切っ掛けを自分が作ったことに居攸は満足していた。
しかれども、萩家が敗れ、当主萩淮が死んだことは、居攸にとって思いのほかショックで。
──もっと強く止めるべきだったか・・
萩淮の死に、後悔のようなものを感じていた。
これは居攸本人にとっても意外なことで、情が移ったのかとも考えたが、どうにもしっくりこず。
彼なりの答えとして、負け戦は面白くないからだ、という結論に達した。
──どうせなら、勝って終わった方が気分がよかろう。
今回居攸は、単に時代を動かしたそれではなく、勝利に導いたキーマンになる事を欲した。
潘会と泡易の出会いは偶然であった──。
だがそれが偶さかを装ったものだというのは、すぐに察した。
なぜなら、泡易が推挙した男、居攸が恐ろしく弁の立つ者であり、各国の情勢なども深く精通していたからだ。彼が只者でないのは明らかで。
──この男が筋書きを書いたな。
潘会は、居攸が自分を売り込むために、泡易を使っているのだと看破した。
しかしそれでも、潘会は二人を遠ざけようとはしなかった。
いや、彼が何かする前に、居攸の方から全て計画だったと打ち明けてきたのだ。
それだけでも大胆不敵であったが、居攸が萩家と礼国を結びつけ、萩家軍を馗国から離反させたことも包み隠さず語った。
──邪気に満ちた人間だ。
聞いた潘会は思ったが、同時に、どういうわけか高揚感に似たものも抱いた。
何が自分の琴線に触れたのか謎だったが、その理解よりも前に。
──この二人を手放しては勿体ない。
潘会の直感が、居攸と泡易をとどめておくことを訴え、彼はそれに従った。
潘会は思う。
全てをわかった自分でさえ、泡易の妖艶さに抗うのは難しい。笑顔を向けられると心が掻き乱される。一度見てしまうと、もう一度見たいという欲が出てくる。
──繰り返せば耽溺し、籠絡されてしまうだろう。
その自覚があったればこそ、潘会は、泡易を手駒として使うことを考えた。
潘会は、此度の独立計画に先駆けて、呂国に近い所にある謳国の地方軍営の者を招いて持て成した。
それ自体は、前々から時折行われていた付き合いであったが、このときは一人の中佐に狙いを定めて、彼を泡易に接待させた。
その中佐は一昨年に妻を亡くし、以来独り身で、調べた限り女の気配は見当たらなかった。
潘会は、そろそろ傷心は癒え、心に隙が生まれてもおかしくないと考えたのだ。そして、その逆睹は見事に適中した。
中佐は泡易に心を奪われ、密かに彼女を訪ねるようになったのだ。
潘会も気を利かせて、泡易のために屋敷を用意し、二人の密会が恙無く行われるよう手配した。
泡易は贅沢さえさせておけば言う事を聞く女であったため、潘会としても楽なものだった。
後越との渡りは居攸が取り付けた。
馗国との交渉も進んでいる。
泡易から、中佐を通して謳国の情報も入ってくる。
全て、潘会の思った通りに動いていた。
──これで一泡吹かせてやれる。
潘会の中にあるのは謳国への憎悪である。
それは子供の頃から鬱積したもので──。
例えば、謳国からの使者が、呂国の王である父に対して尊大な態度を取っていた事や、それに父を始め群臣達が平身低頭であった様などを見て、腸が煮える思いであった。
潘会は、自身が王となったときは、このふざけた理不尽を、なんとしてもやめさせなければと強く思っていた。
しかし、実際に王となった自分は、父と同じように使者に頭を垂れ、倨傲に対して文句の一つも言えぬ腑抜けであった。
心に描いた自分と、現実のそれとの乖離に、潘会は苦しんでいた。
──今、この機会を逃しては、二度と謳に反抗することは叶わなくなる。
潘会を突き動かすのは、虐げられた怨嗟の一念であった。
実はこの点で、潘会の思いは、居攸や、後越の華漢とは少し違っていた。
彼は、良い条件での講和などは端から考えていないのだ。
──何としても独立を果たす。
潘会の目途はそれである。
この齟齬は、潘会自身も自覚するところであったが、それでも構わないと割り切った。
──賽は投げられた。あとはなるようになるだろう・・
潘会はこのとき既に、捨て身の境地にいた。




