第66話 心慌意乱
「馬鹿な事を申すな!」
軍議のさなかに齎された一報を聞き、萩淮が声を荒げた。
「ありえん!」
また萩淮が言う。
否定の言葉であったが、それは懐疑ではなく、願意が込められた音だった。
崔姜が討たれた。
それは萩家軍にとってショッキングな知らせであるから、萩淮の態度も、さもありなんなのだが。
──やはり二人には何かあったのか?
居攸の目には萩淮のリアクションが、優秀な家臣や貴重な戦力を失ったというよりも、愛する者を亡くしたときのように見えた。
前々から余人には窺えぬ関係があるような気がしていたが、今それは確信になった。
なったが、それだけだ。
──まぁ、兵士なら死ぬこともあるだろう。
居攸は顧みない。
大駒を落としてしまい勿体ない、とは思う。
然りとて、常日頃、軍人を駒と捉えてる彼が持てる感慨はその程度で、それ以上を感じる事も考えることもなかった。
萩淮の心境を想像しても詮無いことでしかなく、そんなものに脳みそを使うなら、空いた穴をどう埋めるかに頭を働かせた方が有意義だと思っていた。
しかしながら、そうもいかない事態となった。
「敵の基地に奇襲をかける!!」
そう萩淮が言い出した。
──何を!? 馬鹿な事を言ってるのは自分ではないか!
居攸はあきれると共に、考え直すよう諫言をしたが──。
悲しいかな、今の萩淮の周りは、彼に佞媚する者達で固められていたため。
「崔姜殿の存在は、萩家軍の精神的支柱でもありました。その敵を討つことで、我が軍の士気は回復するばかりでなく、軒昂するに違いありません」
「輸送隊をちまちま襲うよりも、基地の物資をまとめてとれば話が早くていい」
「礼国に地味な仕事ばかり押しつけられているのも面白くありません。ここらで、萩家軍の存在を知らしめておく必要があるかと」
「礼国軍はこのところ攻勢を強めているようです。馗国軍の注意もそちらに注がれている今なら、大いに成功しそうであります」
「味方の仇を討つ、萩家軍としてなんと誇らしい話か。流石は萩淮様です」
などといった風に──。
彼らは萩淮の崔姜への思いを敏感に感じ取り、それを肯定する甘言の方を吐いた。
当然のことながら、そこに事の善し悪しに関する判断はない。彼らは諛言をもって、より萩淮に取り入ることしか考えてないのだ。
皮肉なことであるが、彼らをその狂痴に走らせたのは、居攸が反対したからというのも大きかった。
居攸はその舌先三寸であっという間に萩淮に近侍するようになった。他の者にとっては羨ましくも、疎ましくもあったのだ。
彼らは、居攸がここに来て諫言をした事を。
──萩淮様の気持ちを読み違えた。
と、居攸がミスを犯したと考え、この機に自分たちが序列の上位に行かんとしたのだ。
これには居攸も。
──作戦の話で痔を舐めてどうするのか・・
彼らの思考を理解した上で、あまりの愚かさにあきれ果て、居攸をして言葉を失った。
もう手立てがないと居攸が思ったとき、泡易が入って来た。
彼女は萩淮の側に行くと。
「まだ終わらないのですか──」
いつものように、冷たく語りかける。
居攸はここぞとばかり立ち上がって。
「今一度、申し上げます。元より基地に物資は最低限しかありません。奪われることや基地を放棄する事を想定しているからこそ、こまめに運んでいるのです。崔姜殿の死は惜しい事ですが、兵の士気も、戦局を左右するほど変化はないでしょう。礼国の立てた作戦を破ってまで得られる利益は少なく、萩家と礼の関係を悪くするだけです。何卒、ご再考を──」
言って頭を下げ、そのときにチラリと泡易に目配せした。
彼女も理解したのか。
「礼国との間で決めたことを反故にする気なのですか?」
ことさらあきれた音で聞いた。
「崔姜の敵を討たねばならないのだ」
「そのような事より、戦で勝つことが重要でしょう。それに、礼国にどう言い訳されるおつもりで」
今度は突き放したように言葉にした。
──これで落ちただろう。
居攸はそう思った。
泡易は普段の冷たさと、笑ったときの妖艶さのギャップで萩淮を魅了したのだ。いや、萩淮だけではない。居攸でさえ、彼女の笑顔に心が揺らぐところがある。それ程の妖しさを持つ女が泡易だった。
今の萩淮は、きっと泡易の微笑みを欲している。崔姜のことがショックであるならば、尚のことだ。癒やしを求めるように彼女の言葉を肯定し、解顔を引き出すはずだ。
しかし、その逆睹は外れた。
「もう決めたことだ。やらねばならない・・」
萩淮は頑なさを見せた。
泡易は尚も言い募ろうとしたが──。
「うるさい!!!」
萩淮に一喝され、黙るしかなかった。
軍議が終わると、萩淮は自ら萩家全軍を率いて馗国の前線基地を奇襲しに行った。
「ちょっと──。どういうことなの?」
泡易が居攸に聞く。
「わからんが、たぶん逆鱗だったのだろう」
「なに? あの筋肉女と何かあったっていうの?」
「そういう事ではないな。おそらく、お前や私では一生理解できん感覚なのだろう」
「ふーん」
泡易はつまらないという顔をした。いや、それはいつもの彼女の表情だ。
「荷物をまとめておけ、潮時かも知れん」
「礼国の方へ行くことにするの?」
泡易の問いに。
「いや──、どうも風向きが良くない気がする。別の所へ行こうと思う」
「今度はさ。元王族とかじゃなくて、本物の王族に関わんなよ」
「贅沢に味を占めたな・・」
居攸の据えた目に対して。
「あんただってその方が悪巧みできるじゃない」
泡易は言って笑った。
その破顔に、居攸は心が掻き乱される思いがしたが、それは臆面も出さず。
「私に向かって笑うなと言っただろ」
不満げに返した。
「はい、はい・・」
泡易は、またつまらないという顔に戻って、その場を立ち去った。
居攸は独り、心を落ち着かせた。




