第65話 平心の面
三千の相手を上回る四千の軍で、二正面から攻めている。
軍の構成に於いても、敵は、ほとんどが歩兵であるから、数百の騎兵を有する此方が主導権を握ってもよさそうなものだった。
しかし、礼国軍の指揮官たちの期待に反して、戦局は五分の状態だ。それどころか、数の差で全体的にはイイ勝負になっているが、部分的に見ていくと、やや翻弄されている感さえあった。
「あの養の旗は、やはり養嘉将軍と見て間違いないでしょう」
北西側の軍を担当している大佐が言った。
「鬼才か奇才か知らんが褒めすぎだろうと思っていたが、噂も馬鹿にできないな」
南側の方の大佐も応じる。
文国で起きた乱で、その才能を開花させ、多大な戦果をあげたと謂われる王弟、養嘉将軍の英名は礼国にも聞こえていた。
今、戦っている眼前の文国軍を率いているのが、その彼ではないかという話だ。
ここまでの状況を見ても、相手を追い込んでいるつもりが、逆に起伏の多い地形に誘導されたようなところがあった。そのような場所では、軽装の文国兵の動きが勝り、礼国軍としては後手を取る展開が多く手こずっていた。
指揮官が並の用兵家ではないのは明らかであり、三千という軍の規模から考えても、ほかに適当な人物を大佐たちは知らなかった。
「馗国を救うための孔丘襲撃を考えたのも、彼かな?」
「でしょうね──。まぁ、それは失敗ですが・・」
「あれが養嘉本人とすると、これは災い転じてなんとやらになるかも知れない」
「ええ──。王弟を捕らえたとなれば、文国に対してかなり強気な交渉ができるでしょう。死なせてしまっても、雷名をとどろかす人物です。我が軍の士気は上がり、文国の威勢は削がれることになるかと」
「だとすると、ここは腰を据えてじっくりいった方がいいかもな。こちらは移動の疲れもある、それを回復しつつ、相手の兵糧切れからの厭戦気分を待つ寸法だ」
「また高官が催促してきそうですね」
「戦場の作戦内容までは勅命を以てしても動かせん。大佐二人の現場判断の方が優先だ。奴らにもそれくらいの分別はあるだろう」
「さぁ──。どうだか・・」
二人の大佐は敵を逃さぬ事を優先して、北西の軍は守りを固め、南の軍は位置を南西に移動させた。
その矢先であった。
一人の騎兵が、満身創痍の状態で礼国軍の陣に駆け込んだ。
その者は。
「孔丘が春国の軍により奇襲を受けました。おそらく今頃は、もう敵の手に落ちたと思われます」
そう言った。
大佐たちは言葉を失い暫し硬直してしまったが、すぐに気を入れ直して。
「陛下は!? 王族の方々はどうなった?」
「庶民を逃がす体で、門を開け放ち、それに紛れて脱出されました。どちらへゆかれたかは存じません」
「敵の規模は如何ほどか?」
「およそ三千・・」
遠征軍として至急に用意できる数としては最大数と思われた。つまり全軍を以て首都を襲撃したという事に他ならない。
漁夫の利を狙うのであれば、自国に近い街から確実に落としていく方法も考えられるが、春国はそれをせず、あえて全戦力を孔丘に向けた。この事から──。
──文国の差し金か!!!
大佐たちの結論がそこに至るのは必定であった。
しかしながら、話がそこで終わるわけではない。
自国の王、自国の首都も大事であるが、大佐たちにとって焦眉の問題は、自軍の対処の仕方である。
彼らが率いる四千の軍は、孔丘からの補給を受ける形で戦っていた。それが春国により落ちたなら、当然入ってくる物はない。少し前まで兵糧攻めを考えていた軍が、逆に兵糧を失う事態となっている。
これ以上の戦闘継続は難しいが、今慌てて撤退するわけにはいかない。
春国が文国により動かされたということは、それ即ち、目の前にいる養嘉将軍の策であると考えるのが自然である。
ここで退けば、策が巧くいったと教えてやるようなもので、却って追撃を受ける虞があった。下手な動きも彼には見抜かれるだろうから、慎重にならざるを得ないが、悠長にしていると何らかの手段で孔丘の陥落を知られてしまう可能性もある。
また、春国軍が孔丘の占拠ではなく、文国軍の救援を目的にしているなら、彼らの方から連絡を付けるかも知れず、その上で挟撃を狙う事も考えられた。
「こちらの位置を春国側が把握してるとは思えませんが、猶予はないでしょう」
「そうだな。日が落ちるのを待って、静かに撤退するしかあるまい」
「亜丘に拠れば持ちこたえられるでしょう」
「ああ──。あとは日没まで、気付かれぬ事を願うばかりだ・・」
「気付かれたら、どうしますか?」
「わからん──」
言って首を振り、大佐たちはうなだれた。
それから夜までの間、大佐たちは憂色を表に出さぬよう努めた。
指揮官のそれは伝播し、軍全体の空気を変えてしまう。そうなれば、敵に知られることは必至だった。
辺りが闇に包まれると、礼国軍は音を立てぬようにゆっくりと戦場から去った。
そして夜明けと共に、全速で亜丘の街を目指し駆けたのだった。




