第60話 文国、動く
決行の日。
文国は繰り返した小規模の介入が瀬踏みだったかのように、千の兵をもって礼国軍の補給線を断ちに行く。当然の事ながら礼国側もそれは警戒しており、すぐに察知して国境に待機させた千で対抗させた。
この作戦自体がうまく行っても、ゆかずとも、その成否は問題ではなかった。
ここまでと、この日の補給線を断つ行動は、礼国の虚を作り出すためだ。
最初に、文国は本気ではないのでは、と考えさせる。
馗国を助けたいのであれば、数千の援軍を合戦に参加させればよいのに、それはしない。申し訳程度の部隊で補給の妨害をしてくるだけ。あとで馗国、礼国、どちらにも言い訳ができる介入で済ませている。形だけのパフォーマンスだと。そのように印象づける。
その上で千の兵を移動させることで、これまでは油断させるための行動で、やはり本当に補給を断つことを狙っているのではないかと思わせる。
それにより、礼国の文国に対する意識の全てを、補給線に集中させる。
そして実際、千の兵力で攻撃を仕掛ける。
結果、補給線の攻防から最も遠い文国と礼国の国境付近は、礼国軍にとっての慮外となった。
三千の歩兵は速やかに越境した。
目指すは礼国の首都、孔丘。
行軍速度重視で、最低限の装備しか身に付けていない。旗は所持しているが移動中は畳んでいる。馬も指揮者と連絡用にあるだけで、移動中は騎乗もしない。
できるだけ目立たず、それでいて整然とした移動を心がけた。
途中、小さな村などを通り過ぎることになったが。
──こんな所にどうして軍が?
住民は思いながらも、粛々と進む彼らの姿を見て、首都を攻めようとする外国の軍などとは想像だにしなかった。
行軍は日が落ちても続き、野営も外套を羽織って横になるだけの簡素なもので、睡眠時間も短く、星があるうちには移動を再開した。
そのような強行軍であったから、二日目の深夜には孔丘に到着した。
孔丘の城郭に立つ見張りの兵は、朝靄と共にあらわれた三千の軍に度肝を抜かれた。
首都の門は完全に包囲され、方々には文国の旗が掲げられていた。
守備兵の動揺は甚だしかった。
門内の味方は七百ほどしかいないのだ。彼らは、文国軍が一斉に攻め寄せて来たら、その戦いは死闘になるだろうと予感した。
実際のところ文国軍に孔丘を落とす気はない。
しかしながら、守備兵たちは、そんな腹積もりなど知るよしもなく、恐れ、脅え、焦った。
「今のところ目立った動きはありませんが、時折、城壁を調べている兵が確認されております」
「潜入する場所を探しているというのか」
「おそらく」
「夜中に仕掛けられれば数的に対処できんぞ」
「篝を焚いて警戒するしかあるまい」
「しかしいつまでも、というわけには行かない。兵が疲れる前に、急ぎ連絡をつけるべきだ」
「包囲はどうする? 十や二十の騎兵では突破できそうにないし、かといって数を出してしまうと今度は守り切れなくなるぞ」
「こちらも闇に乗じて城壁を降りるのはどうでしょうか。亜丘の街までなら、たとえ馬が手に入らなくとも二日あればいけます。そこから各所に早馬で一日、軍が急行するのに三日です」
「六日か──。七百の兵を維持すれば何とか耐えられるか」
礼国の高官、武官たちの話し合いである。
みな冷静に話をしていたが、兵の持つ焦燥の空気が伝播したせいか、無意識のうちに文国軍の構えが偽装であるという可能性を捨てていた。
夜半、数カ所の篝が一時消され、そこから数名が城壁を降りた。彼らは亜丘までの連絡係だが、あえて道を違えて進むことになっている。敵に捕まる可能性を減らすためだ。
彼らの多くは、道中の村や町で馬を手に入れ、そこから駆けるつもりであった。騎乗なら掛かる時間を大幅に短縮できる。
しかし、その期待はすぐに霧散した。
行く先々の村や町は、既に文国軍によって略奪された後か、今まさに攻撃を受けている真っ最中であったのだ。
文国軍は孔丘を包囲する格好をとったが、実際は日のうち、交代で兵を休ませていた。
そして夜陰に紛れて方々へ兵を送った。近隣から物資の調達をするためだ。食料は勿論、武器や馬、戸板のような物まで悉くを奪った。
彼らは移動する事だけを考えていたため、荷物はほとんど持っていなかった。
この略奪も当初から計画されていた事である。
ただ、幸か不幸か──。集落からは住民達が逃げ出したため、彼らに紛れることで、連絡係たちが発見されることはなかった。
一夜明け。
孔丘の守備兵は、孟国軍の数が減っているのに気付いたが、こちらを油断させようとしているのではと、却って警戒を強めた。
それから数日、彼らの緊張は続くことになった。




