第57話 閑閑
礼国が馗国に本格的に攻め込み、その戦線は大きく西に動いた。
一言すれば、礼国が勝っているのだ。
その最大の要因は、四軍閥の一つ、萩家軍が裏切ったことだったが──。その辺の事情は、謳国にとってはどうでもよい話だ。
重要なのは。
──この機を逃してはならない。
それが謳国の軍人達の共通認識だった。
会議の席にて。
「今、礼国が馗国の東を征し、馗国はそれに対処するのに手一杯です。今後、両国の勝敗がどちらに傾くにせよ、彼らの意識が東にあるうちに我等は北を取るべきです。漁夫の利を待つこともできますが、それは我が国に限ったことではありませぬ。ぼやぼやしていると、また文国あたりが邪魔立てしてくる事も考えられます。ここは迅速な対応が──、明日にでも馗国を攻め滅ぼす、そのような意気を持つべきときです」
軍部を代表して将軍が、喬太后に、馗国侵攻を献言した。
これに喬太后は。
「文国とは先日も戦闘がありましたが、そちらの方は大丈夫なのですか?」
群臣に問うた。
「国境付近で何度か姿を確認しております。しかしあれ以降、接触の方はありません。おそらく乱が鎮まった事を内外に喧伝する目的があったのではと推察いたします」
「では、馗国を攻めている間に、横から突かれることはないと申すか」
再度問う。
「ないとは言い切れません。しかしながら今回は過去のそれとは違い、文国は礼国の方も気にしなくてはなりません。馗国の東が取られれば、奴らはこれまでの交易を大きく見直さなければならなくなります。きっと、そちらの方がより重要な問題となるはず。ならば、文国が妨害するのは我等よりも礼国と考えるのが道理です。我が国に攻め込んでくるとしても、牽制としての形だけのものとなり、通常の防衛戦力で十分対応可能かと存じます」
そのように答えが返ってきた。
他、数名から意見を聞いた喬太后は、暫し黙考し──。
「わかりました。我等謳国は、馗国へと侵攻します」
そう言葉にした。
この後も会議は続き、目途、軍の規模、編制などが話し合われた。
結果、馗国北の街、坎門を取ることを目標に、三千の軍が組織された。至急動かせる数としては最大規模で、謳国としても本気で南進する決意であった。
呼延吹軍は全隊五百での出撃となった。
未だ馬が足りぬため騎兵の数は八十にとどまったが、初の実働五百での任務となった。
侵攻軍三千は将軍の指揮のもと、将軍、大佐二名による三軍で構成され、呼延吹軍は将軍直下の遊撃隊となった。
「特佐はどう思いますか?」
「悪くない位置付けだと思います。固有の一軍を保てるのであれば、これまでの連携訓練が活かせるというものです。欲を言えば、独立行動権がほしいところではありますが・・」
「それには今回の侵攻で、私達の力を示す必要がありますね」
「いかにも。ですが、功を焦る必要はありません」
于鏡の言葉に、呼延吹は噛みしめるように頷いた。
彼女に焦燥はない。
然りとて、軍を再編して漸くここまで来たという感慨と、それを実戦で試したいという逸る気持ちは確かにあった。なので、于鏡の言葉でそれを抑えていたのだ。
「袁家軍は出てくるでしょうか」
「おそらくは。それが我等と彼らの宿命でもあるでしょう。尤も、此方の規模から考えれば、敵軍の一部でしかないでしょうが」
三千の行軍ともなれば秘密裏に近づくのはまず不可能で、馗国の国軍も動くはずであった。それでも東の礼国への対応もあり、どれほど戦力が出せるか、于鏡としても見物であると感じていた。
「あの部隊は──、どうですか?」
呼延吹が聞く。
具体的に言わずとも通じる。
彼女と、この部隊にとっての忘れられない難敵。四十人ほどの謎の超精鋭部隊。
「わかりません」
于鏡も首を振る。
──最初に見たときは輜重隊であったはずだが・・
彼もあれから、かの軍のことを色々と調べたが、全くと言っていいほど情報がなかった。かなり人をやって隅々まで足取りを追ったが、まるで馗国から消えてしまったかのように、その存在を見つける事ができなかった。このことから──。
「馗国軍にとって彼らは、特級機密になっているようで如何なる調査を以てしても、その影すら掴めませんでした。あの強さと併せて考えますに、端的に言って、馗国にとっての切り札かと」
于鏡はそのように形容した。
呼延吹もその表現に納得したのか。
「確かに今回は東に目が向いていますから、馗国もそちらに投入してくるかも知れませんね」
「はい。そうであれば、好機とも言えます」
「私としては──、少し複雑です。かの軍と再戦したいという気持ちはありますが、今の私では、あの両手に武器を持った女には敵わぬでしょう」
言って、弱く首を振った。
──まだレベルは上がっていない。
呼延吹としては、再び相見えるまでに新たなスキルを獲得し、それを以て今度は勝ちたい。
そのためには。
──次の実戦で経験を積まなければ!
その思いが強く起きる。
すると、一度抑えた逸りが蘇ってしまい、呼延吹は呼吸を整えて気を紛らした。
「呼延吹様、戦は一人でするものではありません。それをお忘れなきよう」
于鏡が釘を刺す。
「はい。心します」
呼延吹も素直に受け取る。
彼女もそう考えたからこそ、騎馬と歩兵の連携を訓練し続けたのだ。
思うとまた、気持ちが急いてくる。
しばらくの間、呼延吹は気を落ち着かせることに心をくだいた。
件の切り札、謎の特級機密部隊と思われている第三輜重隊は、北でも東でもなく西にいた。
なんのことはない、いつもの荷物運びである。
しかしながら、馗国は物流によって成り立っており、荷車の車輪を回すことが、即ち経済を回すことに繋がるという重要任務でもあるのだ。
ちなみに、謳国の密偵が必死に調査しているころ、第三隊は孟国で活動していたので、その所在が把握できなくても仕方のない事であった。
──東も北も一大事ってときに、こんな所にいて、何か申し訳ないな・・
百鈴がそんなことを考えていた所為ではあるまいが、例によって賊が出た。
彼らの考えるところも同じ、馗国の戦力が余所に向いてる間に悪さをしようとやって来たのだ。そして丁度良く輜重隊を発見して、喜び勇んで襲いかかった。
今回も少人数であったため、袁勝のスキルの出番はなかったが、二度目の三小隊による連携で難無く賊徒を討ち取った。
「あの崔姜って人も敵になったんですよね」
夕刻、馬豹との立ち合いの後、百鈴はそう話を振った。
「萩家軍を離反してなければ、そうなるな」
馬豹が返す。
「ああ──、そういう可能性もあるのか。あの強さなら一人で逃げ出すこともできますね」
「まぁ、まず無いだろうがな」
「そうですか?」
「私の見るところ彼女は戦いに飢えた獣だ。強い者と戦えるのであれば、どっちにつくとかには、あまり関心がないだろう。無道を好むとは思えんが、一応の筋道が立っていれば、それで構わない、といったところか」
馬豹はそのように評した。
「もともと曹長とは、どういう関係で知り合ったんですか?」
百鈴は、馬豹が崔姜の事を知った風なのに、先日初めて名乗ったのが不思議に思い聞いた。
「いや、何も知らん。お前が仕事すっぽかして立ち合いしていたのを、たまたま見ていた、それだけだ」
「あっ──」
あのギャラリーの中にいたのかと百鈴は思った。
にしても──。
「その割には、なんか凄い尤もらしく言ってませんか?」
百鈴がつっこむが。
「フンッ──。私ほどになれば、剣を交えただけで大体はわかる」
と、馬豹は嘯く。
これに百鈴は。
「じゃあ、さっきの私との立ち合いで、何かわかりました?」
聞くと。
馬豹はしばらく思案して。
「賊が出たせいで狩りに行く時間が取れなくて残念、とでも考えていたんだろう」
「フフッ──、何ですかそれ。いや、そんなこと考えてませんよ」
百鈴が笑って返すと。
「そうか──。この間の鹿肉にやたら興奮していたではないか」
「まぁ、それはそうですけど。ていうか、それ曹長が思ってたんじゃないですか?」
「さあな──」
馬豹は澄まして言う。
この日、百鈴は戦時だというのに妙に楽しく過ごしてしまった。
それでまた、申し訳ない気分になったが。
──夜中に賊が出ても困る。
そう思い、それ以上考える事はしなかった。




