第49話 傾城の毒
四軍閥、萩家軍はもともと王族である。
といっても、馗国とは所縁はない。彼らは、馗国から見て南東に位置する春国から亡命してきた一族なのだ。後継をめぐって乱が起きたが、それに敗れた者達とされた。
袁家の始祖がそうであったように、馗国は他国からの流入者が多い。それは単に地理的にそうであるのと同時に、人、物、金が集まることで、文化的にも世界の中心だったからだ。
だからといって、馗国が全てを受け入れてきたわけではない。益にならない者は、容赦なく切り捨てる無情さを持っているのも馗国の一面であった。他国からは、守銭奴や、金の亡者などと揶揄される事が屡屡あるが、それには斯様な背景がある。
話を萩家軍に戻すと、当初は春国の反発が酷く、二国間でぶつかり合うまでに関係は悪化した。それに伴って、春国に対抗する組織として独立軍の存在が認められ、王族と共に亡命してきた臣下らと作り上げられたのが萩家軍の始まりである。
尤も、現在の両国関係は極めて良好で、交易に於いては互いにお得意様であり、萩家に関わる因縁は過去のものとなっている。
そうなると自然に、萩家軍の存在意義も薄れていくことになり、かつては小王朝とさえ謂われた彼らの邑も次第に寂れていった。
現萩家軍当主、萩淮は父がそうであったように、なんとか萩家を復興しようとしたが、どれもこれも空回りに終わり、状況を更に悪化させた。
彼は元より御世辞にも聡明とは言えぬ者だったが、失敗を重ねたことで、その性根の暗部は増し、徐々に人を遠ざけるようになった。
結果、彼の周りからは苦言を呈する者はいなくなり、甘言をささやき佞媚する輩が集まった。そしてその中には、毒手を持つ者もいて、萩淮の心は少しずつ狂痴へ染められていった。
「では、宰相閣下は本領安堵を認めて下さると?」
萩淮が確認すると。
「そればかりではございません。春国との国境を接する一帯の管理を任せても良いと仰っておられました」
「おおっ──。そこまで我等を評価して頂けるか」
「はい。宰相閣下は将来的な話として、春国が本来の主を取り戻す手伝いをするのも吝かでない、とも仰っていました」
この言葉には萩淮も大きく目を見開き。
「なんと──。そうなれば、そうなったならば、私は先祖の無念の全てを晴らすことができよう」
そう声を震わせて言った。
「ご先祖だけではありませぬ。子々孫々には中興の祖として称えられましょうぞ」
この言葉に。
「でかしたぞ、居攸!」
萩淮はこの度の使いを買って出た部下を、大いに褒めた。
「勿体なきお言葉です」
居攸は慇懃に頭を下げた。
そこに一人の艶やかな女が入ってくる──。
つんと澄ました顔で萩淮の隣に来ると。
「大きな声で。なにかありましたか?」
冷ややかに聞いた。
「聞いてくれ。礼国の宰相閣下が私を評価してくれ、将来は国を取り戻す手伝いまでしてくれるそうだ!」
萩淮は興奮を抑えずに言った。
すると、女は先程までの冷眼をやめ。
「それは素晴らしい事ですね」
と、満面の笑みで応えた。
それを見た萩淮は、益々喜色を浮かべた。
「泡易もそう思うか。居攸、この件はお前に一任する。礼国との話はこのまま進めてくれ」
萩淮はそれだけ言うと、泡易の手を取り、共に部屋を出て行った。
部屋には居攸一人が残ったが、そこにまた別の女が入ってくる。
今度は武の人だ。
「おや。萩淮殿はこちらだと聞いたが──」
女が居攸に聞く。
「萩淮様は今し方、お戻りになりました」
「そうか──」
「国軍の様子はいかがでしたか?」
「特に変わりはなかった。今のところ攻勢の計画もないようだ」
「そうでしたか。崔姜殿は、九門との往復でお疲れでしょう。その旨は後で私奴が萩淮様にお伝えいたしますので、どうぞお休みになって下さい」
居攸は言って頭を下げた。
「わかった──。頼んでしまって悪いな」
崔姜はそう言って立ち去った。
──ふん。剣を振り回すだけの蛮人が・・
居攸は軍人を馬鹿にする。彼にしてみれば、兵は駒でしかないのだ。
誰かに動かされるより、自分が動かす側に回りたい、それが居攸という人間の思考であった。そして彼は今、歴史を動かす者になりつつある自分に、愉悦を感じていた。
居攸の頭にあるもの──。
それは萩家軍の馗国からの離反である。
礼国の大規模攻勢にあわせて、それに対抗するため出てきた国軍を、萩家軍を以て背後から叩く。そのまま礼国の侵攻を助け、馗国の東部を礼国の物にしてしまおうというのだ。
このような話を聞けば誰もが。
──そんなに巧くいくか?
と、思うはずだ。
しかしながら居攸にとって、事の成否は重要ではない。
成功すれば、新たな萩家軍の重鎮。失敗しても礼国の宰相に仕える者という道がある。どちらにしても、それなりの立ち位置を確保できるのだ。そういう観点では、彼は多くを望まない者とも言えた。
ただひとつ、居攸が欲するのは、歴史の中にあらわれる影の実力者というポジション。
この者がいなかったら、この展開にはならなかった。時代の鍵を握る人物。後世そのように謂われる存在。悪名か美名かは関係ない。毀誉褒貶の俎上に乗ることが目的なのだ。その光栄を得ることのできる、千載一遇の機会が、今まさに来ようとしているのだ。
居攸は、萩淮に泡易をあてがって籠絡した。
かの女は、一見何の変哲もない、顔の整っただけの者だったが。ひとたび笑えば、見た者を虜にする妖艶さを持っていたのだ。
普段は滅多に笑わぬゆえ、他の者に気付かれることもない。
萩淮にだけ、彼が礼国に与する話をするときに、努めて笑うように言い含めてあった。
──さてと。あとは反対する者の始末だな・・
武官の中には、実力を以て離反を止めようとする者があらわれるかも知れない。そこまで行かずとも、国軍に情報を漏らす輩もいるだろう。
それらに対処する方策を考える必要があった。
「さぁ、どうしたものか・・」
独り難しい顔をする居攸だったが、その表情は、どこか楽しげでもあった。




