第44話 返報
長陽から西に行った所にある叔陽の街。
ここには太子の別邸がある。
普段、長陽から離れる事のない太子であったが、太子派の責任を取り謹慎するとして居をこちらに移していた。
しかし実態は、王宮から離れたことで羽を伸ばし、毎晩のように宴を催している始末であった。
そしてその宴席には、かつて太子派だった者で、特に太子に擦り寄っていた者らが足繁く通っていた。彼らは重鎮ではなかったので、何も知らず賛同していたに過ぎないと判断され、多くを咎められる事はなく、行動にも一切の制限はなかった。
一方、田牽ら太子派の主立った者たちは参内を禁止され、自宅に軟禁状態となった。
みな意気消沈し、全てのやる気をなくしていたが。
一人、田牽だけは復讐の炎に燃えていた。
この日、彼は密かに自宅を抜け出し、長陽の街に分散させていた私兵たちを集め、一路叔陽を目指した。
危険だというのは百も承知だった。
だがそれでも、自らの足で赴かねば、この溜飲が下がることはないと田牽は思った。
「静かだな・・」
田牽は言葉にした。
「おそらく酒が回って眠りこけているのでしょう。これ以上の好機はありません。死んでいった味方の心霊が、仇を討てと力を貸してくれているやも知れません」
田牽の私兵をまとめる男はそう言った。
彼は、田牽の立場が悪くなると、言われずとも私兵を数カ所に分けて居住させ、田牽の私兵が少なくなったように偽装した。
そのお陰で田牽は、今こうして兵を率いて太子の別邸まで来ることができたのだ。
「裏口には番はいないのか?」
田牽は訝しんだ。
「事前に調べたところでは、夜は屋内にいるようです」
「そうか──」
言って心を落ち着かせた。
田牽は自身の不安を、緊張からくるものだろうと臆断した。
身軽な者が塀を越えて中に入り裏口を開け、田牽と私兵たちは別邸内へ潜入した。そのまま屋内に入り、ずんずんと進むが──。
──やはり、静かだ。
出入りが制限された軟禁中の田牽の屋敷でさえ、もう少し気配がするものだ。
この時点になって。
「流石にこの静けさは妙です」
と、まとめ役は口にした。
続けて。
「私は半数を率いて先行します。田牽様は安全が確認でき次第ということで、こちらから連絡するまで、この場にて待機をお願いいたします」
そう言って先に駆けて行った。
待つ時間は長く感じられた。
しばらくして、まとめ役本人が走り戻ってきた。
「田牽様、太子を発見しました。しかし、既に何者かによって殺害されていました」
そう報告した。
「なんと──!?」
田牽は想定外の事態に頭が混乱したが。
「ひとまず、状況を見てみよう」
と、案内する男のあとに続いた。
宴席だったと思われる状態があった。
そして、その場にいた者は太子以下、みな殺されていた。
──どういうことだ? 一体誰が・・
田牽の疑問を感じ取ったわけではないだろうが、まとめ役は。
「全て剣によるものですが、どれも刺し傷です。また、同時に複数人によって攻撃されております。それなりの経験を積んだ者たちでしょう。たぶん、返り血を気にしたかと思われます」
そのように言った。
「それは何を意味する?」
田牽の問いに。
「臆見を申せば、軍部の人間によるものでしょう。他の部屋に護衛の者の死体もありましたが、戦闘の痕跡はありません。完全に警戒を解いた状態で殺されています。何らかの理由を付けて堂々と訪れ、護衛たちを静かに殺し、そしてこの部屋に踏み込んだ。そんなところかと・・」
この答えに。
──ほぼ間違いあるまい。
田牽は思った。
かねてより、多くの軍人が太子派に不満を持っているのは知られていたし、実際に彼らの監視の目もあった。それでも内乱を避けるという見地からか、軍部は二派の争いに中立の立場を取り、一切の介入はなかった。
だがここにきて、太子派は国を売り渡すことを画策したとなり、政治的な力は失われた。
最早、対立もないのだから、軍部は不介入の立ち位置をとる必要もなくなった。軍上層部は、内部の不満を抑えることをやめたと考えられる。
「だとすると、次は私か──」
田牽は呟いた。
太子と、それほど重要でなかった者らですら粛正の対象になるなら、自分は間違いなく殺されるだろう。
「いえ、既に手が回っているかと」
「では今頃・・」
「はい。おそらく屋敷にいない田牽様を探しているでしょう」
まとめ役の言葉は、田牽も同意するところであった。
「皮肉なものだな」
言ってみたが、まとめ役には理解が及ばなかったようだ。
「太子を恨み、殺しに来てみれば既に殺されていて。そのことで、自分は殺されずに済んでいる。これではまるで、太子によって私が生かされているみたいではないか。先程まで憎悪の念に満ちていたのに、今ではどこか感謝さえしてしまっている自分がいる。なんともいたずらな運命と思ってな・・」
態態と説明してしまっている自分に、田牽は少し驚いた。それだけ、誰かに共感して欲しかったのかも知れない。
まとめ役は噛みしめるように頷いていて、田牽はそれを見て、心を幾許か軽くした。
「このあと、どうされますか?」
この問いに。
「今や孟国に私の居場所はない──。ここは周国に亡命するしかあるまい」
「わかりました。すぐに準備をします」
「いいのか? 私に付いてきても給金はもう出んかも知れぬぞ」
田牽は負い目を感じてそう言った。
「だからこそです。身一つで亡命なさっても大した扱いにはならないかも知れません。ですが、多くの私兵と共になら、田牽様の実力を誇示することにもなり、それなりの役職を与えられる公算が高まります」
と、主人を励ますように、まとめ役は言葉にした。
田牽はこれに感動し。
「其方がいてくれて良かった──」
そう涙をにじませた。
「勿体ないお言葉です」
まとめ役は短く言い。すぐに準備を指示しだした。
この邸宅内にある物資をまとめて、田牽の私財として周国に持ち込もうというのだ。これも田牽が《《さもしい》》思いをせずに済むようにとの配慮だ。
ほどなくして。
「準備できました。いつでも出発できます」
まとめ役が言った。
「うむ。わかった──」
田牽は言うと、懐から青緑の布きれを取り出して、死んだ太子の手に忍ばせた。
「それはもしや・・」
「ああ──、私の最後っ屁だ。これでどうこうとは思わんが、意趣返しにはなろう」
太子殺害の嫌疑を雍白に向けるための小道具だ。
もともとは自分への嫌疑を少なくするためにと用意したが、今はこの国を、少しでも混乱させてやろうという思いに田牽は駆られた。
「よし。いくぞ」
田牽は言って、一行は太子の別邸から引き上げ、その足で周国へ向かった。
国境を越え、最初の街で亡命を願い出た。
田牽らは周国の首都まで移送されたが、そこで一つの事実を知ることになる。
周国は、田牽が軟禁されている間に孟国の輸送隊を襲い、そこで待ち伏せにあって四百近くの兵と、多くの上級武官を失っていた。
何故彼らが輸送隊を襲ったのかというと、輸送の日時とルートが示された手紙が送られてきたからで、周国軍はその情報を元に襲撃計画を立てたのだ。
周国軍は罠に掛けられた格好になるのだが、肝心なのは、件の手紙の差出人が田牽だったということだ。
もちろん、田牽はそんな手紙は出していない。
だから雍白派による偽の手紙に違いないと自己弁護した。
それは一応受け入れられ、亡命も認められた。しかし、それ以上のものは何一つ与えられなかった。
田牽は私兵の給金のために持ち込んだ物を全て売り払ったため、一文無しになった。当然、私兵たちも去り、彼は一人になった。
しばらく後で、町外れの林で首をくくった男の死体が見つかったが──。
それが誰であるか、知る者はいなかった。




