第31話 狂言
雍白がいない。
太子を始め、複数からの情報が、それを示していた。
田牽には心当たりがあった。
──馬車の女は雍白自身か。
そう考えれば辻褄が合う。
金の亡者みたいな馗国を説得できる者など、そうそういないと考えていた田牽は、密使を送るなど無駄な努力だと断じていた。
また、その密使のために捨て身で戦うなど、護衛にしては頑張りすぎだとも感じていた。
しかし雍白ならば──。
孟国の王女であり、雍白派を束ねる彼女自身なら、守銭奴の連中でも話を聞くだろう。そして彼女を守るためならば、命を捨てる兵もいるだろう。
──思ったより早く、馗国が動くかも知れん。
然りとて、こちらの優位は変わらぬだろうと、田牽は思った。
──局面は次に移っている。
最早、小規模ながらも、軍と軍とのぶつかり合いの段階にまで来ている。今更、少々の援助を受けたところで、何ほどのことができるのか。大勢に与える影響は僅かだと予測した。
それでも。
──念を入れるに越したことはない。
田牽は、馗国から返ってくる雍白を、適当な理由をつけて捕らえることを考え出した。
異形の者であったから、目にはついていた。
どこぞの兵だったか、体は既にできていると于鏡は思ったが、それ以上を考えることはしなかった。
于鏡は喬太后より、特命佐官に任じられた。
通常の権限は少佐と同じであったが、彼の所属する軍──。即ち、かつて呼延枹の直属だった軍であり、現在は呼延吹を頭におく四百程の軍内では、作戦指揮に於ける絶対的優先権が与えられた。
つまり、呼延吹が暴走しないように手綱を握る役である。
呼延吹は軍の規模を五百程にしたいと考えているようで、于鏡はその関係各所へのネマワシに奔走した。
現在は、それら事務的な仕事を終え、肝心の兵の補充という段階に入っていた。
既存の部隊から兵をまわしてもらうのが一番簡単だが、王族が特権的に人事に介入するような印象を持たれてしまうのは良くないと考え、多くを新兵から募ることとなった。
まえもって新兵の訓練を指導している者たちに、これはと思う人物たちを集めてもらい。于鏡ほか呼延吹軍の何人かがそれを確かめる。
新兵同士で打ち合ったり、呼延吹軍の者が実際に立ち合ったりして、その力量をはかった。
そしてあの男の番になった。
顔の左半分が焼け焦げたようになっていて、左目は眼帯の代わりなのか、包帯が雑に巻いてある。
棒の使い方は槍というより棒術のそれで、叩く、打つ、払うといった動きが多かった。于鏡は片目では不利かと思ったが、相手の突き出しにも対応しており、距離感の問題はないように見えた。
「私がやってみます」
部下の一人が言い、于鏡は頷いた。
男と部下が向かい合う。
サッと男が間合いを詰め、部下の棒を弾いてからの横薙ぎを放つ。部下はそれを後ろに引いて躱し、すぐに前に出て立て続けに突きを放つ。
男はその形相に似合わず、丁寧で無駄のない動きでそれを往なしていく。そして何回目かのときに、最低限に軌道をそらしながら踏み込み、相手の持ち手を打った。
──巧い。
于鏡は思った。
忠実な守りの型をとりながら、機と見るやそれを崩して踏み込む勝負感は、男が相当の熟練者であると雄弁に語っていた。
「詳しく聞きたい」
と、于鏡は新兵の管理者を呼んで。
「素性は?」
「本人が言うには、文国の生まれで、乱で敗れた側にいたため行き場をなくしたとか。馗国へ行き、そこであの傷を負ったそうです」
「うむ──。さしずめ、馗国で賊徒になっていたところを討伐された、といったとこか」
「おそらくは」
「どうして謳国の兵に?」
「馗国に恨みがあるからと言っております」
「うむ──」
復讐のために敵の敵に味方するというのは、わからなくもなかった。
「態度は?」
「至ってまじめです。容貌からは想像できませんが、礼儀正しく、元はそれなりだったと思わせる品があるかと」
ここで于鏡は部下たちの意見を聞き、しばらく思案したのち、名簿の男の欄にしるしを付けた。
閻炎、そう書いてあった。




