第30話 楽欲
「耳聡いな、軍曹」
百鈴が袁勝に孟国での話を聞くと、こう返ってきた。
「俺もさっき知ったばかりだ。今説明できることはない。詳細がわかった時点で伝える」
彼は言った。
百鈴は少々先走ったと自覚したが、もののついでと思い。
「実は、私、また査問にかかるかも知れません。それで、隊長や曹長にも迷惑がかかると思います。申し訳ないです」
言って頭を下げた。
袁勝はしばらく黙っていたが。
「わかった──。まぁ、それはそのとき考えよう」
そう言って、少しだけ笑ったようだった。
今回の第三輜重隊の任務は、東の礼国との国境付近に展開している友軍に物資を届けるというもので、まさしく本来の兵站であった。
百鈴も荷を積むのを手伝ったが、穀物の袋が多く、いつになく大変であった。
──北も東も、今度は西もきな臭い。
既にあるものに加え、新たに敵が出現しそうな流れに、百鈴はあらためて、この国は狙われ続けているんだと感慨を持った。
「進発!」
袁勝の声で、ゆっくりと荷車は動き出した。
「どうした准尉、動きが悪いぞ!」
隊長から叱咤が飛ぶ。
「はい!」
声を張り返事をするが、思うようにはいかない。
──くそっ・・
尚史は唇を噛んだ。
力を入れると、百鈴に突かれた箇所が痛むのだ。
尚史にとって百鈴は昔から気にくわない奴だった。
尚史が何か話しかけたり、立ち合いで向かい合っても、お前には興味がないと言わんばかりの素っ気ない態度を百鈴はとっていた。そのくせ、成績断トツの熊収に対しては金魚の糞みたいにくっついていて、何を勘違いしたのか、周囲も二人はライバルなどと評した。
尚史もまた成績の優秀者だっただけに、百鈴の眼中にもないという扱いに腹が立った。ただそれは、彼にとって努力の動機付けという意味で、良い刺激だったことは確かである。
最終的に百鈴を上回る成績だったことに加え、彼女が輜重隊になったことで、尚史は溜飲を下げた。
休日に熊収を見かけ近づくと、百鈴がいた。
落ちこぼれたくせに、まだ未練たらしく熊収に付きまとっているのかと思うと苛ついた。
そこで少々からかったところ、喧嘩を売られた。
百鈴の強さは知っていたが、スキルを得た自分と、そうでない彼女なら、十分勝てると尚史は踏んだ。
しかし、結果は惨敗だった。
悔しさに募られた尚史は軍に訴えたが、具体的な処罰は特になかったようだった。
不満が鬱積していたときに、駆けていく百鈴を見かけた。
思わず追い掛け勝負を挑んだが、尚史は再び敗れた。
ズキズキと痛む度に、尚史の百鈴への怒りは高まった。
それは尚史自身の自覚を余所にして、次第に憎悪の念へと変わり、彼の性情を歪ませた。
そんなとき、第三輜重隊に関する話を聞いた。
前に軍に訴えたときに調べて、それが百鈴の所属部隊であることを知っていた尚史は、その話の内容に興味を持ち、より詳しく知ろうとした。
計画段階であったが、百鈴たちの部隊が孟国国内で物資の輸送を行い、それが狙われる可能性が高いということがわかった。
どういうわけで第三隊が選ばれたのかは不明だったが、尚史としては、百鈴への天罰であるかのように思えた。
──襲われて痛い目を見ればいい。
そう考えると、自然と心が軽くなった。
尚史は、百鈴の不幸を大いに望んだ。
百鈴がいつものように馬豹との立ち合いを終え、一息ついていると。
「軍曹、もしよかったら、今じゃなくてもいいんで、俺とも立ち合ってもらえないでしょうか?」
伍長の方倹が言った。
「いや、俺じゃ敵わないのはわかってるんですが、他に左利きの相手がいなくて。俺、右で剣を遣うようになったばかりで、実戦で対応できるか怪しいんです」
そのように続けた。
百鈴は元々右利きだが、奥の手として左を鍛えた。
方倹は左利きだったが、負傷したことで力を失い、今は代替として右を鍛えている。
動機も目的も異なるが、その苦労は百鈴にもよくわかる話だった。
「ああ──、いいよ。今からでもやる?」
百鈴が聞くと。
「はい! 是非お願いします」
と言って、どこかに行って、すぐに戻って来た。手には木剣を二本持っている。
「俺は寸止めなんて器用なことはできませんから」
方倹は頭を掻いた。
二人が木剣を構えると、隊員たちも彼等に注目した。
──さて、どうしよう。
百鈴は考えた。
普段、馬豹から一本取ることだけを考えてるが、これはそういうわけにはいかない。
方倹は、右構えでの左構えへの対応という経験を積みたがっている。
ならばと、百鈴は初心に戻ったつもりで、基本的な構えと模範的な太刀筋を意識することにした。
「行きます!」
方倹が言って間合いを詰めてくる。百鈴はじっくりとそれを待ち構える。
方倹が突きを放つ、だがこれは陽動に近い。
百鈴は手堅く打ち払いにいくが、瞬間方倹が剣を引き、百鈴のそれは空を切る。すかさず方倹が前に出て、腕を切り落とすように攻撃を仕掛ける。百鈴も前に出て剣をあわせ、相手の力が十割になる前に止める。方倹は圧そうとするが、姿勢が十分でなく、百鈴はびくともしない。
逆にそれを巧く往なされて、方倹はバランスを崩す。
そこに百鈴は奇を衒わない堅実な剣を浴びせていく。
方倹もよく受けていたが、次第に形勢は悪くなっていった。不利を悟った彼は、剣を引き付けて持ち、腰を落とした。そして──。
〔 渓流打ち 〕
スキルを放った。
低い姿勢からの素早い飛び出しで相手の胴を払いに行く。
しかし百鈴はそれに剣をあわせると、腕に押された暖簾のように自然に体を移動させて躱した。そして方倹が次の動作に繋げるまえに間合いを詰め、軽く肩を打った。
それで立ち合いは終わった。
周囲からぱらぱらと拍手がおきた。
「ありがとうございました。勉強になりました」
方倹は言って頭を下げた。
「私の方も、少し発見があったかも知れないから、ありがとう」
百鈴も返した。
方倹はそれを、社交辞令のようなものと捉えたが、この精兵に言わせるのだからと悪い気はしなかった。
「いや、やっぱり強いですね。スキルならばと、かすかに期待したのですが」
方倹はまた頭を掻いた。
「あぁー、最後の?」
「はい」
「鋭さが違ったから、そうかと思った」
百鈴が言った。
ここで方倹は、話の流れで、前々から気になっていた事を聞いた。
「軍曹のスキルはどのようなものなんでしょう。俺の鈍い目では掴みきれなくて、何だろうと思っているのです」
すると百鈴は弱く笑って。
「私にスキルはないよ。なんたって、レベル3だから」
そう言った。
それは方倹にとって衝撃で、このとき百鈴に自分がどう返したのか、あとで振り返ったときに思い出せないほどであった。
頭に様々なことが浮かんだはずだが、どれもこれも忘れてしまっていた。
夜、方倹は寝に就いたとき、ふと考えた。
レベルやスキルは闘神の加護という話があるが、もし本当にそんな神がいるなら、百鈴の強さはなんであろう。
──あれは天稟ではないのか。
一方で才能を与え、一方では力を与えない、そんな事をしているのだろうか。
──意地悪なことをする。
方倹はそのように考えながら、静かに眠りに落ちた。




