第15話 目途
「吹を止める事は出来なかったそうです」
喬太后はそう言った。
「では、騎馬隊はそのまま呼延吹様に同行したのですか?」
于鏡が確認する。
「そうです。報告の者を送って、残りは吹を護衛する事にしたようです」
于鏡も、止められぬのであれば、それしかないと思った。
──しかし・・
三十騎ばかし増えても、呼延吹の安全が担保されるわけではない。
それは喬太后にも当然わかっている事であった。
「もっと権限の強い者に任せるべきでした。私も、あの娘の頑固さを甘く見ていました」
喬太后の言の意味する所は──。
呼延吹は階級では少佐を与えられており。通常、騎馬の一部隊の隊長は高くても大尉までなので。
呼延吹が現場での指揮権をたてにすれば、彼女を止めに行った部隊であるにもかかわらず、その指示に従わざるを得ない状況になるという事である。
喬太后は少し下を向き、静かに首を振る。
その挙措から、普段の喬太后からは窺い知ることができない脆さのようなものを感じ、于鏡は彼女の憂いの深さを推し量った。
「あの娘のことです。ここに至っては、たとえ将軍を送っても連れ戻す事は不可能でしょう。ですが、呼延枹の無二の友であった其方なら、聞く耳を持つやも知れません」
喬太后の言はよく分かるし、尤もだとも于鏡は思った。
──そうではあるが。
「おそれながら、今の私では、馬を駆け続けさせることは難しく。却って行軍の足を引っ張ることになりかねません」
于鏡としても自分が説得するしかないという気持ちがあるが、万全ではない体調は、いかんともしがたい問題であった。
これに喬太后は。
「騎乗が難しいなら、王家の兵車を出しましょう。四頭立ての物で、速力は騎馬より劣りますが、同じ距離を走ってもへたばる事はありません」
そう提案した。
于鏡は数秒考え。
「確かに、兵車ならば可能かと思います。ただ、時間的にはギリギリになるかと──」
「構いません。どのみち他の者では説得など無理な話なのですから。いよいよの時は、其方が指揮し、あの娘を守ってあげてほしい。呼延枹に続き、吹まで失うことだけは──」
喬太后の声は切実をもって響いた。
それに于鏡は。
「我が身命を賭して、吹様を無事に連れ帰ります!」
自分自身にも気合いを入れるつもりで、努めて強く言葉にした。
今回はいつもと違い、客はいなかった。
あえて言うなら、国軍が客だった。
百鈴たち第三輜重隊は本営に向かい、そこに用意されていた荷を積んだ。
軍が揃えた品物であったが、ぱっと見、酒などが多く。隊員たちは、一体何のための物だろうかと、不思議に思いながら作業していた。
準備が調うと、袁勝は皆に対して。
「これより、北の袁家軍の邑に向かう。予定では二日といったところだが、雲行きが怪しい。雨になるかも知れぬから、いつでも対応できるようにしておけ」
そのように言ってから。
「では、進発!」
と、輜重隊は動き出した。
袁家軍を始め、馗国の軍閥は独立した軍と、それを維持するための町や村などを抱えていた。それらは邑とよばれ、法の支配こそ国に則るが、小さな都市国家の様相を呈していた。
百鈴たちも、自分たちを奇襲した謳国の騎馬隊を倒したのが袁家軍とは知ってはいたが、今回の任務はたまたまであろうと思い、深く考えることはなかった。
袁勝の言ったように、雲は分厚くなり、いつ降り出してもおかしくない天気だった。
雨でぬかるめば車輪が取られ、荷車を押す負担は大きくなる。
隊員たちもそれが分かっているので、彼等の歩速は自然と早まった。袁勝もそれを汲んで進み、幸いにして降るには至らなかったのもあってか、一日目にして予定の七割を消化した。
「百鈴、やるぞ」
夕餉前の一時、馬豹が声を掛けてくる。
「任務中もやるんですか?」
百鈴も不平な感じで返すが、心中ではやる気十分だ。
「フンッ──。私を油断させようとしても無駄だ。小細工する暇があるなら腕を磨け」
馬豹も百鈴の魂胆をよくわかっている。
隊員たちも、今日もやるのかと遠巻きに見守る。
最早、第三輜重隊では日常のひとこまになりつつある、馬豹と百鈴の立ち合いだ。
百鈴が本営から呼び出しを受けて以来、馬豹が稽古を付けてやると言って、ちょっとした空き時間などに遣り合っているのだ。
わかってはいたが、馬豹は強かった。
スキルの有無とか、そういう話ではない。
馬豹のは騎馬戦で力を発揮するスキルであって、立ち合いに於いては関係ない。その点では、百鈴と条件は同じだった。
それでも、過去に戦ったどのスキル持ちの者より、馬豹を強いと感じた。
百鈴も、スキルを除けば自分だって一線級の実力があるはずだ、という自負があったが。馬豹の前に、あっけなく打ち砕かれてしまった。
それはショックだったが、同時に新たな曙光を見付けた感でもあった。
百鈴の中であった、上級の部隊への憧れは、どこか消えてしまっていた。それは彼女の心に、ある種のゆとりを与えたが、併せて向上心の切っ掛けも奪ってしまった。
しかし馬豹と立ち会うことで、スキルを超えた強さのようなものを感じ、それに強い憧れを抱いた。
これならば、いや、これこそが、自分が目標とするべき力のように思えた。
今、百鈴は、馬豹から一本取ることを考え、かつてなく充実した日々を過ごしているのだ。
互いに距離を取り、剣を抜き、構える。
兵営にいるときは槍のつもりで訓練用の棒を使うが、ここにはそれはなく、流石に本物で寸止めするのは危険が大きかった。
百鈴としても、槍ではいいようにあしらわれるが、剣ならばそこそこやれると踏んでいたから。
──今日は、ひと泡吹かせてやる。
と、意気込んだ。
どちらからともなく動きだし、サッと距離を詰める。
百鈴は得意の高めの構えからの振り下ろし、馬豹は低めから、百鈴の攻撃を相殺する斬撃を放つ。
百鈴は剣が交わった瞬間に縮むように剣を引き、そこから相手の懐に入る感じで踏み込む。
馬豹もそれに対して素早く振り下ろし、百鈴もそれを受け止め、互いに押し合う形になる。
百鈴は往なす動きを見せるが、馬豹はそれに釣られず、更に前に圧力を強める。
堪らず百鈴は距離を取ろうとするが、馬豹は許さず間合いを詰め、体勢の悪いところを崩すように斬撃を浴びせる。
百鈴は受け流しに徹しつつ、側面に回り込もうとするが、馬豹が先手を打って踏み込み反撃の芽を摘む。
なんとか攻撃を凌いだ百鈴だったが、姿勢が悪くなった所を突かれて動きを止めた。
「負けました──」
百鈴が言う。
それで互いに剣を鞘に収めた。
「左を遣わなかったのは、褒めてやろう」
馬豹が言った。
「小細工するなと言われましたから」
そう返した百鈴だったが、おそらく通用しないだろうと考えての事だった。
「そうだな。その方が成長も早い」
馬豹はそう言って、あつい、あついと手で自分を扇ぎながら立ち去った。
気付けば、百鈴は汗を流していた。
槍では馬豹をあつがらせる事はできなかったので、百鈴は自分の剣に対して自信をもった。同時に、まだまだ遠いという実感も湧いてくる。
──次は、ひと汗かかせよう。
百鈴は思った。
風が吹いて、それがほてった体に心地よかった。




