第12話 怨色
馗国の北に存在する幾つかの国。その中で、最も強い力を持つのが謳国である。
近隣の小国を属国化し、同じく北にある大国、文国や、湯国に対しても強気な態度を崩さず、過去数度にわたり激しい戦いを繰り広げてきた。
しかし、北の地に於いてこれ以上の躍進は難しいとみた彼等は、次第に南進することを考え始めた。
自分たちが進む先に、蓋をするようにある馗国。
東西に長く、薄く平べったい彼の国は、大した産業もないくせに金儲けは巧く。謳国の気質から見ると、もともと気にくわない存在だった。
謳国は馗国を征服し、その財力を奪い、更に南へと大望を抱いた。
以来、謳国単独はもとより、他国と結んでの挟撃など、あの手この手で馗国を攻めたが──。
馗国は、文国や湯国に働きかけて横槍を入れさせるなどして、謳国の魔手を巧みに躱していた。
しかしここにきて、文国、湯国に乱れが生じ。謳国としては、南進への好機が到来した感であった。
「母上! 母上!!」
叫ぶような声が近づいてくる。
声の主が姿を表したとき。
「場をわきまえなさい、吹。ここは公ですよ」
喬太后は、愛嬢に対しても、その威厳を失わぬ音で言う。
が、娘の方もそれどころではないとばかりに。
「兄様が討たれたとは、誠のことですか!」
母に対して鋭く問うた。その声は、悲壮と怒りに満ちた響きを持っていた。
喬太后は調子を変えず。
「既に連絡した通りです。呼延枹は、馗国にて死にました」
娘をまっすぐ見て言った。
「誰です! 誰が!」
「それは手にかけたという意味ですか?」
「そうです!」
「それを知って、あなたはどうするつもりです」
「敵を討ちます!!」
聞いた喬太后は首を振り。
「演劇の果たし合いではないのですよ──。これは軍と軍の戦いです。あなたが如何に槍を振るおうと、一人で何が出来るというのです」
今度は少しあきれたように言葉にした。
「槍ではありません、鉤鎌槍です」
「武器が何かは関係ありません。これは、あなたが知るべき事、関わるべき事ではないし、出来ることもありません」
娘の稚拙な返しに、突き放したように言う。
「母上は平気なんですか!」
なおも言い募るが。
「これ以上、話す事はありません。立ち去りなさい」
もう相手にしない。
この喬太后の態度に、敵を討たんとする吹の怒りは、その矛先を変えた。
「私だって知ってますよ。兄様を次の王に推す者たちがいるのを! 母上は、また自分の子供を王にしたいから、兄様が邪魔だったんじゃないですか! だから、死んでせいせいしてるんです!」
そこまで言ったとき。
「黙れ!!!!!!」
喬太后は立ち上がり一喝した。
彼女は武人ではなく、馬にも乗れぬ貴女であったが。武を知る娘はもとより、この場に居合わせた群臣たち、そして近衛の兵士達まで、その心胆から震え上がらせる程の威風を伴う一声だった。
時が停止したようになった空間に。
「誰か!」
喬太后の声が響く。
「会議の邪魔である。関係なき者をつまみ出せ!」
そう言い放った。
本日の全ての予定は終わった。
喬太后は侍女も下がらせ、部屋で一人きりになった。
先王が死に、自分の子が王となった。
しかし病に罹り、医者の見立てでは、もって数年とのことだった。以来、床に臥せる息子に代わり、謳国の舵取りに努力してきた。
「何も分かっていない者が──」
ひとり呟いたが。
その言葉の対象が、娘の吹のことなのか、それとも自分自身のことなのか、判然とはしなかった。
吹が言ったように、喬太后は王の弟で、我が子でもある呼延鼓を次の王にしようとしている。だがそれは、誓って邪な権力欲のようなものではない。
正妻の子供が継承順位の上位であるというのが、この国の決まりである。
王を決める事柄に逸脱を認めれば、それは国の基となる規範が崩れる事になりかねない。法を曲げ生まれた支配者に、どのような秩序が築けるというのか。
これは喬太后ひとりの考えではなく、代々謳国に受け継がれた王族としての哲学であり。彼女も先王の母より、薫陶を受けた者であった。
喬太后から見るに、呼延枹は優れた義子であったが、決して疎ましい存在ではなかった。むしろその逆、信頼が置け、頼もしい人物と映っていた。
弟や妹の面倒を見て、よく遊ぶだけではなく。義理の母である自分にさえも、彼は屈託のない、その真っ直ぐな瞳を向けて接していた。
いつだったか──。
喬太后が幼き王と二人だけでいるとき、彼が怪我をしてしまった。
先王はその事で喬太后を責めたが、呼延枹はそれに怖めず臆せず異を唱えた。
彼は──。
王になる者は、常に自らの行動とその結果について考えねばならず。自ら過ち、怪我をする経験をせずして、どうやって国と民を正しく導けるというのか。喬太后が素早く、適切に処置したため、怪我は大事に至らず。褒詞を賜ることがあっても、叱責を受けるゆえんはない。
そのように言い切った。
賢く、強い子であった。
この子が自分の子供であったらと、詮無いことも、何度か考えた。
そういうわけで。
密かに喬太后は、息子達に何かあった場合は、呼延枹を王に推そうと思うに至った。
時が経ち、たくましく成長した彼は、王兄として義母である喬太后も支えてくれる存在となった。
おそらく次、また呼延鼓が王に即いても、同じように弟と自分を支えてくれると思っていた。
生き残った者の証言では、呼延枹を殺したのは袁家軍とのことだった。
「おのれ──、裏切り者の末裔が・・」
喬太后が呪いの言葉を吐く。
彼女の言葉の意味は。
馗国袁家の始祖はもともと謳国の者で、国を裏切って湯国へついた。その後、馗国へ流れて出世し、現在の袁家軍の前身を作り上げた。
謳国からすれば、大昔の裏切り者の血が、巡り巡ってまた害を為したというわけだ。
娘、吹の言った敵討ちを否定した形の喬太后だったが。
その胸裏では、激しい復讐の炎が燃えたぎっていた。




