第107話 可惜身命
ほぼ同時に齎された二つの報が世界を震撼させた。
一つは謳国の王母、喬太后が死んだというものだった。
先王の頃より、病床の王に代わって大国、謳の舵取りを担っていた傑人として知られ。喬太后がいる限り、現今の呼延鼓が幼君であっても、謳国が揺らぐことはないと見られていた。
それだけに彼女の死が与える影響は謳国のみならず、周辺国を巻き込み、大きなうねりになるのではとの予測もあった。
だがそこにもう一つの衝撃が来た。
後越王華漢が自害し、その首が謳王呼延鼓の元に届けられたというのだ。
しかもそれを運んで来たのは、後越にその人ありと謂われる将軍鍾棋であり、自身には縄を打って生殺を謳国にゆだねる姿勢を取っていた。
華漢は、先の独立戦争は属国としての負担の軽減を求めたものであって、謳国に対して厭悪あっての事ではないとし、呼延鼓に後越と呂に対する配慮を願い、斯かる責として自らの首を捧げた。
「死して尚、なんたる励声か」
華漢と戦った謳軍の兵達は、彼の戦場のそれと重ね合わせ、その死に様に畏怖した。
斯様な情動は謳国の群臣から市井まで伝播し、彼らの多くは件の二ヵ国との早期の講和を望むようになった。無論そこには、先日の馗国に対する怨恨も影響しているだろう。
とまれ──。
後越、呂の派兵拒否から始まった一連の騒動は、謳国とその属国との関係見直しという形で決着した。
依然として幼君を擁する謳国に不安はあるものの、他国を巻き込んでの大乱といった可能性は減少したと考えられた。
時を同じくして湯国で起きていた乱も集束し、北辺には久方振りの静寂が訪れた。
「納得できませんよ」
「必要な事とまでは言うまいが、仕方がなかったのだろう」
馬豹は後輩を宥めるように言った。
彼女たちの話題は華漢についてだ。
「なんか後味悪いですよ。なにも死ななくても良かったんじゃないですか?」
「はぁー。まっさきに殺気をぶつけていたお前が言うのか」
百鈴の賛同を求める言に、今度は馬豹があきれと皮肉で返す。
「いや、それはそれ。これはこれですよ。勿体ないですよ、割といい人だったのに・・」
百鈴はしみじみといった感で言う。
「なんか以前にもそんな事を言ってたな。まぁ、熱い人ではあったから、どこかお前に似ているかも知れん。戦い方も派手であったし」
馬豹は想起するように語る。
「以前? あー、別に王族だからって色眼鏡してるわけじゃないですよ」
百鈴は過去の雍白に対する己の言葉を思い出し、自分は公平な見方をしているんだと、馬豹の言葉の一部を訂正せんとした。
「さぁどうだか?」
馬豹も、あえて茶化すように言う。
「そうですって──。だって、ほら、あの呼延の騎馬。あれだって向こうの王族でしょ? あれなんか全然駄目で、てんで話にならないですよ」
この百鈴の言い様は、馬豹にとって少し意外で。
「あれは中々に強者であったと思うが・・ 事実、前の北部での戦いでは顔家軍がいいようにやられたそうだし、この間の戦いも手強かったぞ」
馬豹なりの評価を披露し、百鈴の見識を促した。
それは百鈴にも伝わったのか、彼女は自信たっぷりな感で。
「そりゃ武芸も、兵の動かし方も優れているんでしょう。私もそういう意味では出来る奴だったと思ってますよ」
百鈴はここで一度姿勢を直して。
「だーけーどー、なんなんですか、あの護衛たち。気に入らないんですよ。戦場に出てきて守ってもらってどうするんですか。仲間身代わりにして指揮官面すんなっていうんです。護衛対象が前に出てくんなつーの。しかも一人や二人じゃないからね。ほんとふざけた女ですよ」
感情がたっぷり籠もった音で言った。
馬豹はそれに頷くようにし。
「ふむ。お前の言うことも一理あるな。では、華漢殿のありようは、どう解釈している?」
「あー。あれも、どうかとは思いますけどね──。でも、何かもう突き抜けちゃってるから、あそこまで行くと、あれはあれで潔いかな~って」
百鈴は、どこか遠くを見ながら言った。
──やはり本質は捨て身か。
馬豹は百鈴の考えを、そう結論付けた。
先の戦いでも、得意の両手持ちスタイルなら、百鈴は左腕を負傷することはなかっただろう。
しかし彼女はそうしなかった。
馬豹はそこに呼延吹に対する百鈴の意地のような、身を切る覚悟とも言えるものを見せつける意図があったのではないかと思う。
背後を狙った攻撃も、どこか意味深に見える。
本人に自覚は、たぶんない。
前に馬豹を助けようとした際の働きも、振り返って考えると自己犠牲がちらつく。
尤も、馬豹は百鈴に危うさは感じていない。
華漢の死をなくてもよかった、勿体ないと思えるなら、それを自分に当てはめればいいだけだ。
──だから伝えなければならない。
「百鈴、お前は潔くする必要はないぞ。命は大事にしろ、体は労れ。お前が死ぬと皆ががっかりする。勿体ないとも思うだろう。だから無茶はするな」
馬豹は真率に言葉を掛ける。
百鈴は馬豹の唐突に少し驚いたようにしたが、馬豹の心意を理解し、深く頷いた。
そして。
「それで、曹ち・・中尉はどうなんです?」
と、聞いた。
馬豹は曹長から少尉へと昇任し、更に後越での働きと、これまでの実績が評価され中尉となっていた。
ちなみに将校試験の出来は、彼女曰く余裕だったらしい。
「うむ。まだ耳に慣れぬな」
百鈴の言い間違いを咎めず、馬豹も首を捻る。
「ちょっと、誤魔化さないでくださいよ。中尉も、がっかりするんですか?」
ややうざったいと本人も思ったが、百鈴はそれでも問うた。
馬豹はあきれた表情をしたが。
「言うまでもあるまい」
と、不敵に笑った。
百鈴は、馬豹の言葉と笑みに、満足している自分を認識した。




