第106話 有為転変
謳、後越、呂の胴州での戦いから十日。
馗国の袁家軍七百、顔家軍三百は北の国境を越え謳国へ侵入した。これは反攻、追撃によってなされたものではない。
馗国側からの他国への侵攻は実に百年ぶりで、歴史的な出来事であったが、この知らせを受けた者たちは此度の進軍の意図をはかりかねた。
普通に考えれば、先の戦いで疲弊した謳国に追い打ちを掛ける。といった理由のはずだが、それにしては軍閥の兵一千のみというのが少なすぎて、せいぜい小競り合いが起きる程度と見込まれた。
あえて訳合いを定めるなら、威力偵察といったところか。
無視するという選択肢もなくはない。
しかしながら謳国としては、これを看過できぬ事情がある。
後越討伐の失敗から、謳国の威信は大いに傷付けられた。
ここで武威の一つでも示さねば、北の大国として立つ瀬がない。後越、呂に続いて、他の属国の離反を誘発する虞を抱えていた。
また、このとき公には伏せられていたが、喬太后が殺され、国の中枢の求心力は著しく低下していた。
斯様な見地から、謳国は実質的に戦わざるを得ない、勝利を強いられる状況にあった。
戟塵の気配が近づいて来た。
「損な役回りだな・・」
熊収は袁家軍を憂いてつぶやいた。
彼女たちは現在、馗国と謳国の国境を僅かに越えた地点に埋伏している。
熊収の言葉の意味は、謳へ侵攻した二家軍が撤退戦の真っ最中にあり、敵の圧力を一身に受け持っているのが袁家軍だということだ。顔家軍は全て騎馬隊のため、戦いは常にヒットアンドアウェイであり、圧殺される展開にはなりにくい。
また、矢面に立つことで謳国軍の敵愾心を煽る働きもしていた。
袁家の先祖は謳国を裏切った。とは、よく知られた話であったからだ。
「我々は美味しいところでしょうか」
同隊の者が聞く。
「さてな──。この場ではそうかも知れないけど、どのみち馗国は恨みを買うわけだから難しい」
「そうですね」
熊収の応えに同じる。
今回の馗国の侵攻作戦の狙いは、謳国の恨みを買う事だ。
何故そんなことをするのか?
理由は、胴州での後越、呂の大勝である。
二ヵ国の独立戦争は、裏で馗国が支援していた。それは兵力に損失のある馗国が、謳国からの侵攻を躱す目的で、時間稼ぎとして利用したわけだ。
この試みは成功し、謳国の南進計画は後退したと考えられた。
ところが、後越、呂と謳国の関係性はこれまでになく悪化し、すんなりと講和に至るかは微妙なところだった。
早い話、大負けしたことを謳国が甘受できないのだ。
そうなると三ヵ国の対立は続き、馗国としては軍事的脅威は減るものの、二ヵ国への援助も継続を余儀なくされるという問題があった。
馗国は、自国の防衛戦力が整ったならば、それ以上の助力は負担でしかないと判断。
謳国にとっての狡猾な敵として存在感を示すことで、後越、呂に対して矛を収め易いようにし、三ヵ国の手打ちを促す。そのための軍事侵攻であった。
戦塵は国境へ向かって移動していく。
それにあわせて熊収ら重騎兵隊を含めた馗国国軍の四百は、ゆっくりと後塵を拝した。
謳国軍の規模はおよそ二千。
二家軍を入れても兵数は足りてないが、元より寡兵が馗国の戦いである。量より質という考えであり、事実、輜重隊ですら侮れないと各国に思われている。
中でも熊収たち重騎兵は最精鋭であり、相手が二倍三倍であろうと屈せぬ強い矜恃を持っていた。
謳軍は騎兵を中心とした四百程の軍で、顔家軍の動きを封じつつ、五百ほどの軍を先回りさせるように動かした。
袁家軍を挟み込んで逃がさないつもりであろう。
如何に精強な袁家の兵でも援護もなく前後から攻撃されては一溜まりもない。
──そろそろ頃合いか?
熊収が思ったとき。
「重騎兵各隊、敵中央に突撃せよ!」
攻撃の下知がきた。
「いくぞ!」
鋼脊槍を高く上げ熊収が声を張る。それで一気に戦闘速度に加速する。馗国軍は謳軍の背後を取る形だ。
重々しい大地を踏み固めるかのような馬蹄が轟く。
流石に敵も気付いて受けの態勢をとる。
普通の騎兵ならば、ここで防御の薄いところ突いたり、波状に攻めて守りを剥がす展開になるのだろうが、熊収たちには関係ない。
敵軍は既に三軍に分かれたことと、後方に対処したことで全体としてのバランスを崩した。あとは強い力で押してやれば、偏った重心を支えきれず瓦解する。
その一押しを為し得るのが重騎兵隊だ。
「正面、盾持ちごと押し倒す!」
熊収が隊員に言う。
「出し惜しみはなしだ。一気に袁家軍まで突き抜ける! 私に続けぇ!!」
気合いの大喝とともに更に速度を上げる。
〔 錠除利剣 〕
「蹴散らせぇ!!」
叫びと同時に熊収の鋼脊槍が突き降ろされ、それを防がんとした敵兵は吹っ飛ばされた。
熊収は突き、打ち、叩き切り、敵を次々に屠る。
金物の槍がうなりを上げ、その音に敵兵は千鈞の重さを想像し、恐れ、逃げた。しかれども逃げ場などあるはずもなく、後ろに下がることで重騎兵が踏み込むためのスペースを生み出す事となり、却って勢いを付けさせて被害を甚大にした。
熊収を先頭にした彼女の一隊は、ただまっすぐに敵を蹂躙する。純粋に力だけで前に前に進んでいるのだ。まるで力の前では、戦術など意味をなさないと言わんばかりの進撃。
これは謳軍の指揮官の神経を逆撫でした。
「あの先頭を落とせ!」
それで勢いを止められるかはわからない。
わからないが、熊収を倒すことで展望が開けるという期待に、指揮官は取り憑かれた。それだけこの背後からの奇襲が、謳軍にとって脅威だったのだろう。
周囲の歩兵が、近く騎馬が、一斉に熊収に向かって爪牙を向ける。
が、それでも熊収は止まらない。
止められはしない。
熊収は繰り出される槍を一振りで弾き、遠くの者は鋼脊槍の餌食にし、近くの者は馬甲の突進で撥ね飛ばす。敵をなぎ倒しながら直進する。
指揮官は眼前。
護衛の騎馬が立ちはだかるが、熊収は斧槍の如く鋼脊槍を振り下ろし叩き殺す。そしてそのまま馬ごと体当たりし、指揮官が落馬したところを突き刺して息の根を止めた。
熊収の隊の者が、敵指揮官の兜を槍で引っ掛けて掲げ。
「指揮官を討ち取ったぞ!!」
と声高に叫んだ。
それで謳軍は腰砕け、味方と袁家軍は意気を上げ、顔家軍は鈍った敵を振り切って縦横無尽に駆ける。
ほどなくして敵は潰走に至った。
馗国の侵攻作戦は成功し、謳軍に手痛いダメージを与えて帰国の途に就いた。
また、この一戦で熊収は軍功第一となり表されると共に、その重厚で圧倒的な戦いから「千鈞の熊収」の二つ名で呼ばれるようになった。
ともあれ──。
このときより、謳、後越、呂を取り巻く流れが、昨日までとは少し違うものになった。




